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第97話 雨中の亡霊


「いやー、今日も雨降っていますね」


 レイファとの騒動があった翌日の早朝。

俺は窓の外を眺めながら呟いていた。


 雨は昨夜から振り出していた。地面は水たまりの域を越えて、一面が水の膜で覆われている。

 降り始めてからだいぶ時間は経っているのに、雨の勢いは止まず、庭に植えられた植物の葉を叩く音が室内からでも聞こえてくる。


「これじゃあ仕方ないです。今日は走れなさそうです」


 隣で同じく窓の外を見つめるのはネメだ。

 お寝坊さんな彼女が、こんな早くから起きているなんて珍しい事態だ。


 なんでも先日のホテル監禁により、体重を増加させてしまったネメは、俺の日課であるランニングに同行し、ダイエットに励むことにしたらしい。

 監禁といっても、実際のところは軟禁といった具合だったらしく、抵抗さえしなければ、自由に過ごすことが許されていたらしい。


 さすがに部屋の外に出るわけにはいかないので、ホテルの豪勢な食事を食べては寝て、食べては寝ての繰り返しをしていたらしく、帰ってきたネメは丸みが増していた。

 軟禁生活は快適だったらしくそこまでショックを受けている様子はなかった。


どちらかというと「お前、太った?」という、フォースがネメを見ての第一声の方にショックを受けていたみたいだ。

女遊びが鳴りを潜めたのはよいが、こういうデリカシーがないところは相変わらずらしい。


そういうこともあって、一念発起。ネメのダイエット生活が始まったのだ。


「ダイエットは明日からにするです。お休みです」


 自室に戻って、二度寝をしようとするネメ。

 ネメのダイエット生活は始まって数秒で終わりを告げていた。


「いやいや、そう言って明日も絶対やらないやつじゃないですか」


「確かに明日も雨で地面がぬかるんでそうです。走るのは明後日からにするです」


「せめて一日くらいは続けてくださいよ。三日坊主どころか、一日も始まってないじゃないですか」


「そもそもネメは太ってないです! 太ったっていうのはフォースが言っていただけです」


「いや、3キロ――」


 信頼できる情報筋からのリークを危うく口に出しそうになったが、世の中には知らない方が幸せなこともある。

 俺はどこぞのデリカシーのないリーダーとは違うのだ。優しい黙秘を行使することにした。


「そもそもフォースは信頼できないです! 新しいパーティーメンバー連れてくるって言っていたのに、誰も連れてこなかったです!」


「それはいいメンバーが見つからなかったって言っていたじゃないですか」


 ネメは太ったと言われたことを根に持っているようだ。拳を握りしめて言う。


「それじゃあ、王都に旅行に行っただけです! ずるいです! ネメも旅行に行って美味しいものいっぱい食べたかったです!」


 根に持っているというより、ただの食欲だった。絶対、ダイエットする気ない思考だよね、それ……。


 まあ、いいけど。ネメが太ろうと太らなかろうと、彼女の勝手だ。

 ダンジョン探索に影響がでない分にはっていう条件付きだけど。


「じゃあ今度暇になった時でも、王都に行きますか。住んでいたんで、ある程度美味しいお店紹介できますよ」


「さすがです、ノート! 絶対の約束です!」


 途端に笑顔に返り咲くネメ。

 社交辞令のつもりで言っただけなのだが、ここまで喜ばれるとは。


 自分で言っといてなんだが、案外悪くないアイデアかもしれない。

到達する者アライバーズ』のみんなでどこかに出かけたりすることは、今までなかった。旅行を機に、より一層パーティーの親交を深めるのも面白そうである。


 そんなことを考えていると、パーティーハウスの正面に一つの気配が。

 ドンドンと扉を重苦しく叩く音が聞こえる。


「なんです? お化けです?」


 ネメは身体をすくませて、俺の裾を引っ張ってきた。


「下がっていてください。今、開けますから」


 ネメをリビングに静止させたまま、薄暗い廊下に向かって歩いていく。

 わかっている。扉の先にいるのはお化けなんかじゃない。


 いるのは人間だ。明確な実態がある人間。

鍵を開ける。扉を押しやると、そこにはずぶ濡れになった一人の少女が。


「ノート・アスロン……」


 そう、人間だ。目の前にいるのは人間なはずなのに、俺の目には亡霊が佇んでいるようにしか見えなかった。


「ソフィーだよな……」


 雨が滴るフードをかぶった女は、確かにレイファの付き人だったはずだ。


 だけど、泥にまみれた黒髪。風穴の空いたような空虚な瞳。不自然なほど引きつった口元。小刻みに震える息遣い。

 そのどれもが別人のようで。その変わりように恐怖している自分がいた。


「やっと……捜した……」


「捜したってなんで……」


「決まってる……お前を殺すため……」


 ふっ、とソフィーは息を吸い込んだ。


「お前を殺して、殿下に! もう一度!」


 力を込めた一閃。腰元から光る剣先が放たれた。


「くっ⁉」


 上半身を捻り、寸前のところで躱す。

 殺気がだだ洩れだ。そんなんじゃ、襲撃してくるって自分から言っているようなものだ。


 剣戟だって甘い。彼女と最初に刃を交えた時は、もっと鋭かった。

 力任せの一撃。執念と怨念のみで振るわれた剣が届くわけもない。


離脱(ウィズドロー)》で二歩、下がると構える。術式の編まれた手袋はつけていないし、パジャマ姿のままだ。

 だけど、錯乱している相手なら――。


「ノート!」


 土足のまま、廊下に突っ込んでくるソフィー。

 渾身の突きを避けると、腹部に一発《掌底(ショット)》を叩き込む。


「うっ!」


 硬い。全然、手応えがない。

 大したダメージは与えられてなさそうだが、衝撃だけはお見舞いすることができた。


 彼女は身体をくの字に曲げて、宙に浮く。そこからもう二発。肩と胸に《掌底ショット》を食らわせて、家の外に吹き飛ばす。


「いきなりやって来て、なんなんですか! どう考えても正当防衛ですからね」


 一体、この少女はどういうつもりなんだろう。明らかな殺意を向けてきている。

 レイファがけしかけてきたのか? 首切りからの殺害予告がブラフだと疑って仕掛けに来た?


 いや、それにしてはやり方がずさんだ。いきなり家にやってきて、襲撃してくるなんて。

 もし俺がレイファの立場なら、人目につかない暗殺方法を選ぶ。


 それに襲撃者の様子も変だ。常軌を逸している。

 言葉はろくに通じないし、息も絶え絶えだ。目の焦点も定まっていない。


 何がソフィーにあった? ソフィーの独断?

 あり得る可能性だ。でも、だったらどうして? 俺を殺そうとしている?


「何をやっているかわかっているのか? これ以上襲い掛かってくるようなら、レイファからの敵対と取るぞ。首切りの存在を忘れたわけじゃないよな?」


「……知らない、そんなの。お前を倒して、見直してもらう」


 見直してもらう? 

 もしかしてレイファが偶然不慮の事故で亡くなって、死の原因を俺や首切りだと思い込んでいるという可能性も考えたが、どうやら違うようだ。


 なんだろう。理由はわからないが、落ち着いて会話のできる状況じゃない。

 ソフィーは錯乱して、状況を正常に把握できていない。


 やるしかない。やらなきゃ、こっちがやられてしまう。

 玄関に下りて靴を履く。これでやっと本気を出せる。靴下のままじゃ、足の踏ん張りが利かない。


 ソフィーはぬかるんだ地面から起き上がる。こちらを睨みながら、膝に手をついて立った。


「倒す、絶対に」


「かかってくるなら容赦しませんよ。前にやられた仕返しをまだしてないので」


 こちらも構えの姿勢をみせる。


 駆け引きなんてものはなかった。一直線にソフィーは駆けてくる。

 ぬかるみにバランスを取られながらの愚直な突進。こんなの避けるなという方が難しい。


「ふっ――」


 躱して足をかけると、一発。《掌底ショット》を放ち、のけ反らせる。

 それでもソフィーの進撃は止まらない。すかさず、二発、三発入れていく。


「うっ! どうしたんですか、一体?」


 圧倒的優位な状況にいるのはこちらのはずなのに。段々追い詰められていく感覚がある。

 攻撃を何度も食らっているはずなのに、ソフィーは止まらない。


 まるでゾンビのようだ。こちらの攻撃は効いていないのか。《掌底ショット》は確実に決まっているはずなのに。


 このまま攻撃を与え続ければ死んでしまうんじゃないだろうか。そう思えるほど、俺は攻撃を繰り出していた。

 だけど、ソフィーはノーガードのまま突き進んでくる。


 死んでもいいのか? 目の前の少女の気迫は、まるで自分の命など気にも留めていないようだった。


「――」


 ソフィーが何か小さく呟いた。そう思った時だった。


「あっ……」


 足元の地面が途端にぬかるんで、バランスを崩す。片足を泥だまりに入れたまま、身体が倒れていくのを感じていた。


「魔法⁉ まずっ――」


 ノーモーション、触媒なしでの魔法行使? もしかして、精霊術か?

 状況を把握しきれない俺に対して、容赦なくソフィーはタックルをかます。

 体重のこもった一撃。地面に叩き付けられる。


「くはっ!」


 ソフィーはのしかかると俺の肩を両手で掴んだ。胴体を揺らして、もう一度地面に叩き付ける。


「ノートっ!」


 振りかぶる拳。そのまま俺はやられるかと思った。

 頭上にあるのは空虚な瞳。そこからは雨だか涙だかが滴り落ちていた。


「アスロン……」


 倒れたのは一瞬だった。

 ソフィーの動きは糸が切れたかのように止まった。かと思うと、そのまま俺の上に倒れ込んできた。


 ちょうど俺に重なるような形で覆いかぶさってくる。


「おい、ソフィー」


 呼びかけても返事がない。頬を叩く。全然反応がない。


「大丈夫か、おい!」


 頬に触れて気がついた。すごい、熱だ。雨で冷えた指先が熱かった。


「どうしたんだよ、いきなり。しっかりしろよ」


 重い胴体を逸らして、のしかかっていた重みから抜け出すと、ソフィーの身体を横に丁寧に寝かせた。

 どうやってこの熱で動けていたんだよ。常人なら歩くことも覚束ないほどの体調なはずだ。


 このまま放っておくのはまずい。本当に死んでしまう。

 ソフィーの肩に手を回すと、そのまま持ち上げた。


 いつから雨に打たれていたのだろう。水を吸った服からは大量の雨水が流れ出る。

 ソフィーの身体は一切力がこもっておらず、地面に吸い付くような重さを感じていた。


幸いにもパーティーハウスはすぐそこにある。運ぶだけなら、そう難しいことじゃない。

とにかく早く屋内に入れて、雨風から逃さないと。体調をこれ以上悪くさせてはいけない。


ネメはまだ起きているはずだ。すぐに回復スペルを使ってもらって。それから濡れた服を着替えさせて。

ああ、どうしてさっきまで自分を殺そうとしていた相手を助けようとしているんだろう。


でも、仕方ないじゃないか。

このまま見捨てるのはなんか違う気がする。確かに俺は目的のためなら手段を選ばない人間かもしれないけど、人の命をないがしろにしたいわけじゃない。


助けられる命は助けたい。

もし、ソフィーを助けたことによって、俺や俺の仲間の命が奪われるというなら話は別だけど、今のソフィーからはそんな気迫は感じられない。


俺は土砂降りの中、ソフィーを担いでパーティーハウスまでの道のりを歩いたのであった。



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