<< 前へ次へ >>  更新
96/119

第94話 鬼札


 そして、一週間が経った。

 レイファが定めた約束の期限当日。

 俺はというと、朝早く家を出て、一人でレイファの元へ向かうことにした。


フォースは昨日の時点で既にこの街に帰っている。事情もあらかたは説明し終えた。

 それでもなお俺は三人を置いて、一人でレイファと対談するつもりであった。


これから行う話し合いは、決して仲間である彼らに聞かせられるものではない。

 俺はそういう類の取引を彼女と交わすつもりであった。


ネメが囚われているホテルの前に着く。時刻は早朝ということもあり、目の前の大通りは静けさが広がっていた。


まるでこれから行われる対談の行く末を揶揄しているみたいだ。

 たとえ成功したとしても失敗したとしても、俺がやろうとしていることは褒められるようなことではない。


人によっては軽蔑さえするはずだ。フォース達が聞いたら糾弾してくるかもしれない。

 だけど、仲間のために、そしてネメのために止まるわけにはいかなかった。


「ノート・アスロンです。約束通りやってきましたよ」


 レイファのいる部屋の扉をノックする。すると、すぐさま扉は開いた。


「やっと来たの?」


 そう小言を言ったのは、レイファの付き人であるソフィーである。

 部屋の奥にはその主であるレイファ・サザンドール、そして元最高位異端審問官であるギルベルトが待ち構えていた。


 この部屋にネメはいない。《索敵》で探るに隣の部屋に監禁されているみたいだ。

 強者二人の気配も確認できる。おそらく、最初の顔合わせ時にレイファが言っていた七賢者のミルと【打撃術・極】の持ち主だろう。


 完全な敵地。包囲されている状況だ。

 背筋を撫でる悪寒に、鳥肌が立っていくのを感じていた。


「レイファ殿下、ノート・アスロンがやってきました」


「わかったわ」


 レイファは俺を一瞥すると、座る足を組み替えた。

 視線の位置はこちらの方が高いはずなのに、見下ろされている感覚。

 彼女から醸し出される不気味な威圧感に少しばかり気圧される。


「で、私の下に来たということは、いい返事がもらえるということでいいのよね?」


 相変わらずの尊大な物言い。

 その顔に浮かぶ余裕綽々な笑みは、勝利を確信しているといった様子だ。


「いい返事かはわからないけど、答えは用意してきました」


 下に見られないよう精一杯虚勢を張りながら、レイファの言葉に答える。

 そんな俺の虚勢を笑い飛ばすように、レイファは言った。


「そう。貴方が間違った答えを用意してきてないことを期待するわ。お仲間が傷つくところは見たくないでしょう?」


 きっと彼女はこのような状況を何度も経験しているのだろう。

 誰かを屈服させるための交渉。交渉とは名ばかりの脅迫。

 レイファの瞳は微塵も揺れることなく、こちらを射抜いてきた。


「で、どういった答えを用意してきたの?」


「そうですね――」


 緊張で口の中が乾いている。それでも、ここで口を噤むわけにはいかない。


「こちらの要求は二つです。ネメを返して、俺の勧誘は諦めてください。もちろん俺や仲間に危害を加えるのも禁止です。そうしたら、全部水に流してあげますよ」


「ふっ、ふふっ――」


 レイファは突如噴き出して、太ももを叩き出した。


「何を言うかと思えばっ! 仲間を返して、もう危害を加えないでくれですって? 馬鹿にしているの⁉ 今の自分の状況わかっているのかしら?」


 笑いながら人差し指が向けられる。


「貴方は人質を捕らえられているの。それに今は私の配下が囲んでいるわ。そんな不利な状況で、自分の要求を呑めって? そんな要求が通るはずがないことなんて、子供でもわかるのじゃないかしら」


 レイファはよっぽどツボに入ったみたいで、肩で息をしていた。

 はあはあと息を整えながら、口を開いた。


「残念ね。貴方のことを過大評価していたみたい。これほど馬鹿だとは思わなかったわ。愚かな子には躾をしないとね。ソフィー」


 レイファに呼ばれたパーカー姿の女騎士は「はい」と返事をする。


「ネメ・パージンを処分しなさい。ノート・アスロンは本当に私が手を下さないと思っているみたい。そういう子には、一度痛い目を見せてあげないと」


「先に忠告しておきます。何もしないなら許してあげます。手を引くなら今のうちですよ?」


「あら? そのふざけた態度は崩す気ないみたいね? 本当に今の状況がわかっているのかしら?」


 レイファは手を広げて、声を張り上げた。


「貴方は人質を捕らえられている。しかも敵地に一人。武力では私達に勝ち目がない。貴方のお仲間である『到達する者アライバーズ』の人達を呼んだところで、そう簡単に私達を倒すことはできない。騒ぎになれば、憲兵達もやってくる。そうなれば、貴方達は王女への叛逆罪で逮捕される。わかっているの?」


「わかっていますよ、そんなこと」


「だったら――」


「もう一度言います。手を引くなら今のうちです」


 俺は態度を崩さず、もう一度この台詞を言う。

 会話が通じないこちらの様子に、レイファの顔が曇り出す。


「貴方、この状況が本当にわかってないの?」


「状況がわかってないのはそちらの方じゃないですか? 手を引く気がないなら、もう帰りますけどいいですか?」


 そう言って、俺はレイファに背を向けた。

 部屋の扉まで歩き、鍵を開ける俺に、この場にいる三人は唖然としているようだった。


「帰るって――」


「あっ、そういえば」


 扉を開くと、立ち止まった。


「一つだけ渡すものがあるの、忘れていました」


「渡すもの?」


 不審がるレイファに向かって、一枚の封筒を投げた。

 封筒は重力で落ちていき、ちょうど彼女の座る椅子の手前に滑り落ちた。


「何かしら、これ……」


 呟きながら、レイファは封筒を拾った。

 そう。黒い封筒を。


「まさか知らないってことはないですよね? レイファ様ほどの人間だったら」


「まさか⁉」


 レイファは慌てた様子で封筒の端を破り取る。

 中の便箋を取り出して開くと、みるみるうちに顔が青ざめていく。


「そのまさかですよ。だから、言ったでしょ。手を引くなら今のうちだって」


「ノート・アスロンっ!」


 レイファは便箋を握りつぶすと、椅子の肘置きを拳で叩いた。


「よくもっ! よくもやってくれたなぁー!」


 激昂するレイファ。それも無理はない。

 この手紙一枚によって状況は180度変わってしまったのだから。


 完全に勝ちを確信していた状況から一変、絶体絶命の窮地へ。

 それも無理はない。だって、この手紙は死神からの手紙なのだから。


 この国で最も有名な死神。最強の暗殺者。

正体不明、神出鬼没、認識不能の大剣使い、首切りのものなのだから。


「あなたが悪人で助かりましたよ。人を殺すようなことを躊躇わないような人間で。仲間を人質に取るような人間で。そのおかげで――」


 はち切れんばかり、目を見開く彼女に向かって言った。


「あなたを殺すことができる」

 そう、俺が用意した対レイファ用の一手。

 逆転の鬼札は、首切りヒューゲルへの暗殺以来であった。


 彼は悪人のみを殺すという独特な暗殺者である。

 圧倒的な《隠密》により斬られる寸前までその存在すら悟られない暗殺者は、国中の悪人達に恐れられている正義の執行人であった。

 悪人の代表のような存在であるレイファが知らないわけもない。


「いったいいつ? どうやって?」


 レイファは俺と首切りの接点を疑っているようだ。

 眉間に皺を寄せながら、手紙とこちらを交互に見る。


「実は首切りと知り合いなんですよ。連絡するのはそう難しいことじゃないです」


 かつてジンを暗殺しに来た首切り。

それを食い止める際、彼の素性を明らかにし、顔見知りとなったのだ。

そして、王都で再会したことで、彼らの住所を知ることができた。


 レイファとのファーストコンタクトで彼女の危険性を察した俺は、メンバー探しに向かうために王都に向かったフォースに一つの頼みごとをしていた。

 それは手紙を届けること。俺の会いたかった人物とはヒューゲルとエイシャであり、彼らからの救援を得るべく手紙を送ったのだ。


 ネメを人質に捕らえられた時は焦ったが、フォースが帰ってくるまで待ってくれないかと時間稼ぎをすることで、本命であったヒューゲルとエイシャの到着に間に合うことができた。


「貴方、本気なの⁉ 王女である私に手をかけるつもりっ⁉」


「本気ですよ。最初にレイファ様が言ったんじゃないですか。私と一緒だって。俺のことを目的のためなら手段を選ばない人間だって」


「……っ」


 俺だって最初からレイファを殺そうとしていたわけじゃない。

エイシャの情報収集能力に期待して、レイファの弱みを探ってもらうために王都への手紙を出したのだ。

だけど、ネメが捕らえられたことによって方針を変えることを余儀なくされた。


そんな回りくどいやり方じゃ駄目だ。もっと直接的に止めない限り、レイファは俺の勧誘を諦めない。俺が折れるまで、仲間に危害を加え続ける。

俺への攻撃だけなら、まだ許せた。でも、仲間を手にかけるというなら話は別だ。


「手を引くつもりがないというなら仕方ないじゃないですか。仲間が死んでいくのはもう嫌なんですよ。だったら、誰だって殺してみせますよ。王女だろうが、なんだろうが」


 かつて俺は覚悟したのだ。ジンを暗殺しに来た首切り相手に。

止まるつもりがないなら、殺してでも止めてみせると。それと同じことを、別の手段を用いてやっているだけだ。


わかっている。これは俺と仲良くしてくれたヒューゲルやエイシャへの裏切りのような行為だ。

 俺がどん底に堕ちていた時に闇から引き上げてくれた彼らに暗殺を依頼した。


それは友人と呼べるような人間にするようなことではない。

 最低な行為だ。これが原因で縁を切られたとしても、おかしなことではない。


それでも、ヒューゲルとエイシャは俺に協力してくれた。感謝してもしきれないほどの恩である。


「レイファ殿下、これが偽物だという可能性は……」


 隣にいたソフィーは手紙を眺めながら訝しむ。

 レイファは歯を食いしばりながら呟く。


「おそらく、これは――」


 レイファが言い切る前に廊下から駆け込んでくる人物が。

 その姿は一度見たことがあった。現七賢者、《魔法剣舞》使いのミル・ガンダクである。


「レイファさま! 大変です!」


「どうしたっていうの? 今は取込み中よ!」


 叱責するレイファに対して、ミルは早口で告げた。


「ネメが消えたんです! 目を離した一瞬のうちに! 忽然と消えたんです!」


「何っ⁉」


 声を荒らげるレイファ。彼女の視線がこちらに吸い寄せられる。


「どうやらやってくれたみたいね、首切りが」


 他人に悟らせないまま首を斬り落とすことができる彼にとって、捕らえられている人を一人連れ去ることなんて容易なことだ。

 これで心配事は完全に取り除かれた。


 やけになったレイファがネメを傷つけるということもなくなったし、この予告状が本物だと証明することもできた。

 首切りの実力も、ネメを連れ去ったことで証明できたわけだ。


「これで詰みだと思いますよ」


「っつぁ!」


 レイファは自分の髪を両手で掴み取ると頭を掻きむしった。


「くそっ! くそっ! ノート・アスロンっ! こんなところで死ぬわけにはいかないのに! 王になることに命を賭けるのはいい! だけど、王になる前に死ぬのだけは絶対に嫌っ!」


 彼女は怒りに拳を震わせている。顔は赤く怒張し、唇は噛みしめられていた。


「どうしたらいい? どうしたら暗殺を取り消すの? 金? 地位? 何が欲しいの?」


「取り消すメリットがないんですよね。このままレイファ様を生かしておいても、恨みを買っている状況じゃ、いつ仕返しされるかわからないですし」


「わかったわ! 約束する! もう手を出さない! 勧誘は諦める! 仕返しもしない! 綺麗さっぱり手を引く! だからっ!」


 過呼吸ぎみに肩を上下させる姿には、先ほどまでの余裕は微塵も感じられない。まるで別人みたいだ。


「本当ですか? 全然信用できないんですけど」


「本当よ! 仕方ないじゃない! 貴方のことは死ぬほど憎らしいけどっ! こんなところで死ぬわけにはいかないじゃないっ! こんな道半ばで! 王になる前に! あいつらに見下されたまま! 死ぬわけにはいかないのよっ!」


 レイファは近くにあったテーブルを勢いよく叩いた。

 テーブルの上にあった花瓶が床に落ち、粉々に砕け散る。

 こちらを見上げるレイファの瞳には悔し涙が浮かんでいた。


「許さない。許さない。死ぬまで絶対に貴様は許さない。だけど、命のためなら我慢してやる! 悔しいけれど手は引いてやる! 恨みは墓場まで持っていってやるっ!」


 すごい形相だ。今まで生きてきた中で、ここまでの悪感情を向けられたのは初めてのことではないだろうか。


 ここで彼女は始末すべきだ。その方がきっと後腐れなく終わることができる。

 だけど、俺はこの交渉を始める前に決めていた。


 レイファが手を引くことを約束し、その約束が信頼できると判断したなら。首切りへの暗殺依頼を撤回すると。

 そういうルールを持って、ヒューゲルに暗殺を頼んだのだ。


「わかりました。未来永劫、俺達に危害を加えない。それだけの条件でいいです。それさえ約束してくれるなら、首切りに暗殺は止めてもらうよう言っておきます」


「し、信じていいのね……?」


「一応はですね。でも、もし俺達に危害を加えるようなら、その時は問答無用で暗殺してもらうようにも言っておきますから。俺の命を奪おうとしても同じです。首切りの情報収集力を舐めない方がいいですよ。一瞬でわかりますから。刺し違えようっていうなら、話は別ですけど」


「私はそこまで馬鹿じゃない。目的のためなら、貴様への憎しみくらい押しとどめてみせる!」


 レイファの拳から血が滴っているのが見て取れた。怒りのあまり、自分の皮膚を爪で突き破っていた。

 怖い。怖すぎる。自分の取った方法を後悔し始めていたが、それしか思いつかなかったんだから仕方ない。


「わかりました。そこは信用させてもらいます。あっ、それとダンジョン攻略を勝手にする分には止めないですから。俺達へ妨害をしないのなら、何をしてもいいですよ」


 一応、これ以上の敵意はないことは伝えておく。

 過剰にレイファの恨みを買ってしまうと、いつ自暴自棄になって報復されるかわかったもんじゃない。


 できることなら、買う恨みは最小限に留めておきたかった。焼け石に水かもしれないけど。


「わかったわ。それで手を打ちましょう……」


 息を荒らげながら肩を落とし、俯いて呟いた彼女の一言によって、俺とレイファの戦いは完全に幕を閉じたのであった。







<< 前へ次へ >>目次  更新