第90話 暴虐王女
レイファ・サザンドール。
この国の第三王女であり、王位継承権にて三位を有する人物。
そんな人物からコンタクトがあったのは、ロズリアからその名前を聞いた一週間後のことであった。
玄関のチャイムが鳴る。ドアスコープを覗くと、見知らぬ女性が立っていた。とりあえずドアを開けてみる。
ドアの前に立っていたのは、黒髪ショートボブの少女であった。
チャックの開いたパーカーの中からは、腰にレイピアを差しているのが見て取れた。
「どんなご用件でしょうか?」
とりあえず尋ねてみる。
一重まぶたの黒い瞳はこちらを凝視していた。
「あなたがノート・アスロン?」
「そうですけど……」
まさか自分をご指名ときた。見知らぬ人間からの訪問に警戒していると、彼女は口を開いた。
「ノート・アスロン。レイファ殿下からの面会の要請。ただちに家を出る用意をして」
「はい?」
ちょっと待て。誰だ、君?
そもそもレイファ殿下って? あのレイファ・サザンドールのことか?
全然状況についていけない。戸惑っていると、少女は告げる。
「あなたのような一般冒険者にレイファ殿下が顔合わせしてあげると言っている。待たせないで」
「あの……もしかして今から? 予定入っているんですけど……」
今日はこれから『迷宮騎士団』の二軍とのダンジョン探索の予定が入っている。
いきなり面会だなんて言われても困る。
「それは殿下との面会より重要なこと?」
少女は眉をひそめる。身長はそこまで高くないため見上げる形になった。
「重要も何も先に入っていた予定ですし……」
「殿下の要請を断る?」
「そういうわけじゃないですけど……」
「だったら、早く来て。殿下の貴重な時間を無駄にしないで」
話が通じないのかな? こっちにだって予定があるのに、事情を慮ってくれない。
しかも、ずっと凝視してくるせいでやけに迫力を感じる。
「これ以上反抗するなら、王族権限であなたを捕らえる。レイファ殿下からは何をしてでも連れてこいと承っているから」
「マジっすか……」
なんて横暴なんだ。ただ躊躇していただけで反抗の認定をされるなんて。
こう言われては下手に出るほかない。
『迷宮騎士団』の人達には悪いけど、ダンジョン探索は後日に延期してもらおう。
「わかりました。じゃあ、予定をキャンセルするのでその連絡をするくらいは時間をもらえませんか?」
「話を聞いてる? 殿下の貴重な時間を無駄にしないで」
「30分あれば充分なんですけど……」
「もう一度だけ忠告する。殿下を待たせないで」
「わ、わかりました! じゃあ、せめて家の人に伝言を頼むくらいはしていいですか?」
「これが最終忠告。殿下を一分一秒たりとも待たせないで」
「わかりましたよ! すぐ行きますから! 行けばいいんでしょ、行けば!」
こっちの要求は受け入れる気がないってか。全く困った来客だ。
まあ、反逆罪とかで捕らわれるのは怖いので、従うことにする。
だって、ビビるじゃん。王族からの使者なんて、来るの初めてだもん。
何、話したらいいの? 全然わからないんですけど。
「あのー、一体どういう件なのかくらいは教えてもらえないでしょうか?」
「静かについて来る。いい?」
「はい……」
用件を聞くのも許されないみたいだ。
この人、厳しすぎじゃありませんかね……。
少女に連れてこられてきたのは、ピュリフの街で最も有名な高級ホテルの前であった。
どうやら殿下とやらは、このホテルの一室に滞在しているらしい。
そこに俺は連れられているというわけだ。
「殿下の前で無礼を働いたら、どうなるかわかってる?」
少女は目を細めながら、すごんでくる。
もちろん、俺は時と状況をわきまえられる人間だ。呼び出され方には不満はあるものの、そのくらいの配慮は忘れない。
「はいはい。畏まっていればいいんでしょ」
「何、その言い方。殿下の付き人であるわたしにそういう態度を取るということは、殿下への不敬と取る」
「え? あなたにも?」
どうやら俺は時と状況をわきまえられない人間だったらしい。
速攻で怒られてしまった。というか、この人の判定厳しいだけだよね。絶対。
「ほら、早くして」
少女に急かされて、ホテルの中に入る。
それしても第三王女とやらは、一体俺に何の用があるんだろう。
呼ばれる心当たりが全くない。
王族の人間なんかと顔を合わせたことなんてあるわけないし、個人的な因縁があるわけでもない。
そうなると、『
『
「ソフィーです。ノート・アスロンを連れて参りました」
フードを被ったの少女はドアをノックして、そう口にした。
しばらく間が空いて、部屋の中から声が聞こえる。
「入っていいわよ」
「ありがとうございます」
どうやら彼女の名前はソフィーと言うらしい。ソフィーは丁重にドアを開いた。
豪勢なシャンデリアが天井に設えられた、広い部屋が目に映る。
深紅色のカーペット。その先にある椅子には一人の少女が座っていた。
ウェーブがかかった金色の長髪は椅子の肘掛けにかかっている。
腕と脚を組んだ少女は見下ろすようにこちらに視線を向けた。
「ほお、貴方がノート・アスロン――」
青色の瞳が全身を嘗め回すように動かされる。
不自然なほど上げられた口角に気味悪さを覚えた。
「【
「まあ、そうですけど……」
「何、そのはっきりとしない物言いは。殿下の前なのを忘れないで」
ソフィーは先ほどよりも剣幕を増して睨んでくる。
そんなこと言われても、『
パーティーのみんなが強かったおかげだ。【
「そのくらいの無礼は許してあげなさい、ソフィー」
「はい」
レイファの言葉に、ソフィーは一歩下がって頭を下げた。
「それで、ノート・アスロン」
レイファは脚を組み替えると、口を開いた。
「『
「……は?」
俺はレイファの言葉に耳を疑った。何かの聞き間違いかと思った。
「『
「……え?」
どうやら何も聞き間違いじゃなかったようだ。
あまりの驚きに開いた口が塞がらない。
「何かおかしいことがある?」
レイファはこちらの驚愕がさも不思議といった様子で尋ね返してくる。
「私がダンジョン攻略に踏み切ったことはご存じなくて?」
「それは知っていますけど……」
「なら簡単な話でしょう。ダンジョンを攻略するパーティーにはマッピング役が必要でしょう。その役割に貴方を任命すると言っているのよ」
「突然そんなこと言われましても……」
とっても困る。こっちにはこっちの事情がある。
せっかく『
暴虐王女という異名は知っていたが、まさかここまで無茶苦茶な物言いをしてくる人間だとは。
半年前にその提案を持ちかけられていたら、迷っていたところだったかもしれないが、今は仲間達がいる。
レイファの勧誘に応じるなんて以ての外だ。
「俺には『
「話を聞いている? こっちは入ってくださいじゃなくて、入りなさいと言っているの。命令しているのよ」
レイファは頬に人差し指を押しあてながら言った。
「別に貴方にとっても悪い話ではないわ。私の作るパーティーに入れば、ダンジョンの最奥まで連れていってあげる。そのための人員だって集まっている」
そう口にすると、レイファは部屋の中にいる神官服の男に目を向けた。
「そこにいるのは元最高位異端審問官、最強の神官兵士ギルベルト・アインザック。異教徒との戦闘において、単騎で城を攻め落としたとされる伝説の男よ」
短髪の中年男は一瞬だけ視線をこちらに寄越すと、興味がなさそうに視線を戻して、手にしていた本を読み続けていた。
神官兵士。確か神官系統の
神官と同じく回復系統の神聖術を用いることができるが、他にもメイスなどを用いた打撃系の戦闘も得意とする。
攻撃と回復どちらもできるといえば聞こえが良いが、並の人間がそれをやろうとするとどっちつかずになってしまうことが多い。上級者向けの戦闘職だ。
どうやらこの男はこの難しい戦闘職を使いこなしているらしい。
《索敵》で感じられる気配からはフォースと同等――いや下手したらそれ以上といった実力を感じていた。
最強の神官兵士とレイファが銘打ったのも、そう間違っていないのかもしれない。
「他にも【打撃術・極】を持つ人間や、現七賢者のミル・ガンダクも用意しているわ」
「ミルって、この前の七賢選抜で七賢に選ばれた、あの?」
確かユイルに連れていってもらった10戦で最初に見物したのが、《魔法剣舞》使いのミルと空間魔法の使い手であるエスカーとの試合だったはずだ。
あの時は惨敗してたけど、他の候補者が全員棄権してしまったから、結果的に七賢者になったんだったよな。
そのせいか、巷では最弱の七賢という蔑称で呼ばれているらしいが。
「そうよ。七賢選抜では不甲斐ない戦いばかり見せていたけれど、彼女の実力は本物よ。10戦というルールでは他の魔導士に遅れを取ったけれど、彼女の本領は接近戦も行えるオールラウンダー性にある。剣士であり、魔導士でもある。ダンジョンに挑んだことのある貴方なら、その有用性がわかるんじゃないかしら」
確かにレイファの言い分には頷けるところがある。
冒険者のパーティーは基本的にモンスターの矢面に立つ前衛と、後ろで回復やら遠距離攻撃で戦う後衛で構成されている。
前衛にはタンクという役割があるように、後衛の人がモンスターに狙われてしまうと、どうしてもパーティーが崩れがちになってしまう。
後衛はパーティーの要であり、同時に弱点にもなり得る存在だ。
でも、レイファの作るパーティーにはギルベルトとミルがいる。
どちらも珍しい前衛で戦える後衛職の人間だ。しかも、経歴によってその実力は保証されている。
「貴方は『
俺の方を見て、レイファは続けた。
「貴方が入れば、私はダンジョン制覇を出来る。貴方もダンジョン制覇者の栄誉を得られる。どちらにも得な提案でしょう?」
当初、王都から王家の人間がダンジョン攻略に乗り出すと聞いたときは、どうせ失敗するだろうと高を括っていた節があった。
ダンジョンは並の冒険者では太刀打ちできない、世界最高峰の異界である。
そこに部外者が乗り込んだところで、そう簡単に踏破できるはずもない。
だけど、レイファは万全な準備でダンジョンに立ち向かおうとしている。
メンバーだけみたら、『
彼女は本気だ。本気でダンジョンを攻略する気だ。
「どうしてダンジョンを攻略したいんですか?」
もちろんレイファの要求を呑むつもりはない。
興味本位で、どうしてそこまで本気なのか。ただ聞いてみたかった。
「なんでかって? 決まっているでしょ? 欲しいものを手に入れるためだったら、どんな手でも使う。それがレイファ・サザンドールの矜持だから」
「欲しいものってダンジョン攻略者の栄誉をってことですか?」
「ダンジョン攻略はあくまで手段よ。目的は別にあるわ」
「目的って――」
「王の座。それだけに決まっているでしょう?」
レイファははっきりと言い切った。
「人類未到のダンジョン。それを制覇するという偉業を成した王女とあれば、いくら父や姉上達でも私を認めざるを得ない」
「そのためにダンジョン攻略を?」
「そう言っているじゃない」
レイファの言葉には迷いが感じられなかった。それが俺にはどうにも異質に思えた。
王になりたい。その気持ちは理解できる。王族に生まれれば、一度は考えてしまう欲望なのかもしれない。
だけど、ダンジョン攻略は命の危険が伴う。死んでしまうことだってあるのだ。
ダンジョン攻略という方法は、王になるという目的にとってハイリスクすぎる方法だ。
リターンが見合っていないような気さえしてくる。
「そこまでして王になりたいんですか? 命をかけてまでも」
「当たり前でしょう。王になれなければ、死んだも同然」
レイファの瞳には淀みはない。彼女は本気で命をかけている。
「どうして……」
「どうしても何も、王の子供に生まれたからには王を目指して当然のこと。人民の頂点に立つ権利があるのに、自ら諦めて誰かの足元で甘んじるなんて、愚かではないかしら?」
レイファはそう言って、微笑した。清々しさを全く感じない、気持ち悪い笑みだ。
これが暴虐王女の本性。自分に逆らう者を次々と力と謀略でねじ伏せ、実姉への暗殺を企てたという噂の持ち主。
幸いにも暗殺は事前に食い止められたが、それにより実父である現国王から見放されたという話は聞いたことがある。
そんな人物からの勧誘。断って、無事に済めばいいが。
「どうして俺なんか勧誘するんですか? 同じ【
とりあえず、さりげなく諦めてもらう方向性に持っていくことにする。
別にクーリのことを売っているわけではない。
ただ、わざわざ俺を指名する理由が思いつかなかったから、名前を持ち出しただけだ。
「クーリという少年についてはもちろん知っているわ。優秀な魔導士であると。でも、私の理想のパーティーメンバーには入らない。私が思い描く理想のパーティーは、弱点がないパーティー。クーリの実力は確かなものかもしれないけれど、彼の能力は後衛としてのもの。決して一人で戦えるわけではない」
「俺だって一人で戦えるわけじゃないですよ。周りのサポートがあってのものです」
《
「そう? 七賢選抜の会場からエリン・フォットロードを連れ去ったのに? あれほど厳重な警備だったにもかかわらず逃げおおせるなんて、普通の人間には出来ないわ」
どうやらレイファは七賢選抜での出来事を完全に把握していたようだ。
ミルとのパイプもあったことだし、もしかしたらあの会場にいたという可能性だってあるのかも。
「それに私は貴方を戦闘能力以外の面でも評価しているわ」
「それはまたどうして?」
「だって、貴方は私と同じタイプの人間だから」
レイファは艶やかな唇を撫でながら言った。
「目的のためには手段を選ばない人間。自分の目的を叶えるためだったら、他人の幸福を蹴落とすことを躊躇わない異常者。違う?」
「散々な言われようですね……」
「だって、そうでしょ。エリン・フォットロードはあの七賢選抜で確実に七賢者に選ばれていたはずだった。それを貴方の我儘一つでひっくり返した。自分の目的のために、彼女の将来と幸福を奪い取った。何か間違っているかしら?」
「……何も間違っていないですよ」
それは俺自身だって理解していることだ。
自分の夢のために、エリンの人生を歪めてしまった。
エリンは別に気にしていないと言っていたが、どうしても気にしてしまうのが現実だ。
それにエリンだけじゃない。俺はネメが作ったパーティーを間接的に解散させて。平和に暮らしていたいといったロズリアまでもダンジョン攻略に巻き込んだ。
俺はどうしようもない人間だ。レイファの言う通りの最低な人間だ。
「貴方は私と同じ異常者。けれど、何かを成し遂げるのは決して凡人じゃないわ。私達のような異常者にこそ、前人未到のダンジョン制覇という栄誉は相応しい」
そう口にするレイファの顔には確信の表情が浮かんでいた。
「どう? もう一度訊くわ、ノート・アスロン。貴方、私の作るパーティーに入りなさい」
「確かにレイファ様の言う通りなのかもしれないです……」
俺は俯きながら、口を開いた。
「俺はあなたと同じように目的のためだったら、手段を選ばない人間なのかもしれない。本当は冷淡な人間なのかもしれない。自分の夢のためだったら、周囲にいる人を不幸にしてしまう選択肢を選んでしまうのかもしれない」
「だったら――」
「だけど、俺の夢は『
俺はレイファに向けて言い放った。言い放ってやった。
相手が暴虐王女? 知ったことか。
俺は最低な人間だ。そんな最低な人間に四人もついて来てくれたのだ。
そんな仲間を裏切るような真似できるかよ。これ以上最低な人間になれるかよ。
「そう。やはり交渉は決裂みたいね」
レイファは笑っていた。やはりという言葉に背筋が凍る。
この状況は彼女の想像通り。動き出そうとする前に、既に詰んでいたことを確信する。
「ソフィー、手筈通りに始めなさい」
「はっ!」
いつの間にか至近距離に迫っていた少女は、レイピアを構えていた。
《
「《六連刺突》っ!」
華麗な連撃。身体を捻じって躱そうとするも、避けきれず一撃が太ももに入った。
熱い痛みとともに床に叩き付けられる。
「命が惜しければ抵抗しないで」
ソフィーはレイピアを頭上に突きつけながら告げる。
なんて奴だ。完全に実力行使で来やがった。
ここは室内だ。ホテルの一室とあれば、よっぽどの騒ぎにならない限り、人の目には留まらない。
しかも相手は王族ときた。多少の犯罪ならもみ消すことも可能だろう。
要するにこの部屋に連れてこられた時点で勝敗は決していた。
流石謀略に長けた王女だけはある。踏んできた場数が違う。完全に油断していた。「そっちがそう来るなら――」
「一つ忠告しておく。手元の罠魔法を起動しても無駄。その前にわたしのレイピアはあなたの頭部を穿つ」
しかも、完全にこっちの手の内がバレている。
どうしてだ? ごく限られた人間しか、俺の奥の手は知らないはずだ。
《罠探知》は盗賊系統の戦闘職にしか使えないはずだ。
《六連刺突》は騎士の戦闘職が使えるアーツだ。彼女の戦闘職は騎士で確定である。
狩人などの戦闘職も似たような罠察知アーツは使えるが、少なくとも騎士の戦闘職にはそのようなアーツはなかったはずである。
「わかった。降参する」
「素直に信じるわけない。手袋は預からせてもらう」
ソフィーに奪い取られる手袋を見て、俺は敗北を悟ったのであった。