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第82話 魔導士の頂

『現時点の戦績は意外にも2戦2勝。前半戦は全敗をしたものの、後半戦で巻き返すことが可能なのか? 大物食いのエリン・フォットロードの登場だー!』


 アナウンスとともに会場が歓声に大きく揺れ出す。

 私は最後にもう一度大きく息を吸うと、足を前に進めた。

 広場に降り立つと、照明が私の網膜を焼いた。


 眩しい。観客の存在も、これから手に入れるつもりの七賢者の肩書の重さも、全てが私には場違いなように思えてくる。

 首を振って、気おくれする気持ちを振り払う。

 私は泰然とした態度で、背筋を伸ばしながら自陣の城へと登っていった。


 定位置に着くと、ちょうど正面には対戦相手であるエスカー・バーンアウトの姿が。

 丸眼鏡をかけたほうれい線の目立つ男である。

 眉をひそめ険しい面持ちをしている彼に向かって、私は口を開いた。


「ねえ、貴方? 今、自分の勝利を確信してるでしょ?」


 ぴくっと眉が動いた。こちらの言葉が届いたようだ。


「先に言っといてあげるわ。この後半戦で勝つのは私よ。負けたくないのなら、早めに辞退することをおすすめしておくわ」


『おーっとー! ここでまさかのエリン選手からの宣戦布告だー!』


 会場のボルテージを沸かせるようなアナウンスが聞こえてくる。

 それでいい。この後半戦、私は圧倒的な勝利を収めなければ、5勝したところで七賢者に選ばれることはない。

 だから、より人々にこれからの私の勝利を印象付けるように煽っていく。


「ほう、まだ諦めていなかったのですね……」


 エスカーは私の単純な挑発に乗ってくるような、思慮の浅い男じゃない。

 彼はこの七賢選抜のために、必殺の攻撃スペル《転送領域》を隠し持っていたような狡猾な男だ。

 彼の七賢選抜にかける思いは尋常でないはずだし、前半戦で全勝しているといっても決して油断はしていないだろう。


「私が勝つのにどうして諦めなくちゃいけないのかしら?」


 意図的に口角を持ち上げて、私は告げた。


「貴方の《転送領域》は確かにすごいスペルだわ。『10戦』のルール内においては最強に近いのは認める。でも、弱点があるのも事実でしょ?」


「弱点……?」


 彼の視線が一瞬揺らいだ。

 やはりエスカー自身も《転送領域》の弱点を理解しながら使っていたようだ。


「そうよ。前半戦の中盤から私の動きが悪くなったでしょ? 実はあの時、私は《術式解析(アナリシス)》で貴方の《転送領域》を解析していたの」


術式解析(アナリシス)》は主に魔法系の研究者が用いるスペルである。

 対象の魔法がどのような性能を持っていて、どのような術式で発動しているのかを解析するスペルだ。

 通常の攻撃スペルなどを解析することはそう難しくないが、高位の、特にオリジナルスペルを解析するとなると、相当な熟練者でない限り出来るものでもない。

 だけど、【魔力増大・極】さえあれば、数日で《術式解析(アナリシス)》をその域まで到達させる可能だ。


「貴方の《転送領域》には二つの弱点があるわ。私に言われなくもわかっていると思うけど」


 私はエスカーに見せつけるように人差し指と中指を立てる。


「まず一つ目。《転送門(ゲート)》で《転送領域》を飛ばすことはできない。空間魔法って案外デリケートなのね。空間の歪みが干渉しあって上手くいかないといったところかしら」


 エスカーが《転送領域》を使った戦闘スタイルの時は《転送門(ゲート)》を用いないのも、この性質が原因だろう。

 《転送領域》が《転送門(ゲート)》によってあらゆる方向から射出されるようになったら、それこそ最強の攻撃だ。


「そして、二つ目。――は試合が始まってから説明した方が面白いかしら。さあ、さっさと試合を始めましょ?」


『あっ、はい。それではお待たせしました』


 アナウンサーが慌てたように喋り出した。

 どうやら、会場は既に私のペースなようだ。

 エスカーの勝利を疑ってやまなかった観客も、今は私の動向が気になり出している様子だ。

 突き刺さるような視線を肌で感じていた。


『それでは七賢選抜、第8試合後半戦。第1戦開始です!』


 その声とともに私はスペルを解き放った。


「《甲蟲行進》」


 杖の先端に現れる魔法陣からは黒い霧が出ていく。

 霧は蠢きながら自陣の城の周囲を取り囲んだ。


「安心しなさい。このスペルは攻撃スペルではないわ。ただの虫の大群を呼び出すだけの召喚魔法よ」


 しかし、エスカーは《転送領域》を飛ばす手を止めていた。

 透明の直方体が宙に浮いている。


「どうしたの? 攻撃してこないの?」


 苦虫を噛み潰したような表情をするエスカーに、私は畳みかけた。


「貴方もわかっているみたいね。もう《転送領域》が使えなくなったことに」


 そして、私は自分の勝利を確信して微笑んだ。


「弱点の二つ目。生物は《転送領域》で飛ばせない。意外と制限が多いスペルよね……」


《転送領域》は恐ろしいスペルだが、完成されたスペルではない。

 オリジナルで編み出したそのスペルにはいくつかの制限が存在する。

 そして、その一つに生物がいる領域を転送することができないという制限が存在する。

 10戦のルール内では最強のスペルも対人戦では使い物にならないスペルだった。


おそらく、これこそがエスカーが10戦まで《転送領域》を隠し持っていた理由だ。

 他の状況で使いようがなかったから、この時まで《転送領域》を隠し持っていられたのだ。


現在、私の自陣の城には城壁や城の内部の至るところに《甲蟲行進》によって呼び出された虫が張り付いている。

 これではエスカーは《転送領域》による城崩しを行えない。


「なら、今まで通り戦うだけだ」


 エスカーは《転送領域》を解除すると、自陣の城の前に《転送門(ゲート)》を発動させていく。

 とっておきの奥の手戦法から、かつての常套戦法に切り替えることにしたようだ。

 これは決して悪い判断じゃない。エスカーの《転送門(ゲート)》戦法だって充分強力だ。

 だけど――。


「弱点の一つ目。忘れたの?」


 私が口にした意味をエスカーは未だ理解できていないようだ。

 震える瞳でこちらを見据えてくる。


「《転送門(ゲート)》で《転送領域》を飛ばすことはできない」


《甲蟲行進》は召喚系魔法だ。

 魔法の起動を解除しても、規定された時間、召喚した虫が消えることはない。

 私は空いた杖でもう一つのスペルを発動した。


「《転送領域》」


 私の杖の先端からは透明な直方体が出現していた。

 会場がしんと静まり返ったのを感じていた。エスカーの息を吞む音だって聞こえたような気がした。


「《転送門(ゲート)》で《転送領域》を飛ばすことはできないってことは、つまり貴方の《転送門(ゲート)》では私の《転送領域》を防ぐことはできないってことでしょ?」


やっと私の言わんとしていることが理解できたようだ。

 エスカーの顔が一瞬で青ざめていく。


「貴方はこれから自分の作った最強スペルに敗北するの。どう? 自分で作ったスペルに負ける気分は?」


「あり得ない……」


 彼が驚くのも無理はない。エスカーは《転送領域》を何年もかけて開発して、それを何年もかけて実用レベルまで昇華したはず。

 その秘術を公開してから、たったの10日間で相手に完全にコピーされたわけだ。

 魔術に向き合ってきた時間を絶対と考える魔導士にとっては悪夢のような光景。


【魔力増大・極】による短期間の成長法と、【全属性魔法適正】によって空間魔法も利用可能なこと。

 そして、異様に熟練した《術式解析(アナリシス)》といった事柄の全てを解き明かさない限り、目の前の出来事を理解することはできないはずだ。


「射出」


 放たれた直方体は一瞬で城壁へと吸い込まれていく。


「転送」


 一瞬でエスカーの城壁は崩れていった。


「助かったわ。貴方が自ら10戦の必勝法を教えてくれて。これなら真っ正面から《転送門(ゲート)》に対抗するより数倍楽よね」


 エスカーが更なる奥の手を用意していたら、私の負けだったが、そうはならなかったようだ。

 正面の城のバルコニーには静かに崩れ去るローブ姿の男しかいなかった。






 ***






「え、エリンが勝った……?」


 三戦目の終わりにて、エスカーが降参の意を告げた。

 目の前で繰り広げられた圧倒的な勝利に、俺とロズリアは周囲の観客同様、開いた口が塞がらなかった。


「どうするんですか、これ?」


 しかもよりによって、エスカーが負けを認めてしまったときた。

 この状況でエリンが七賢者に選ばれないことなど、まずあり得ない。


「ユイルさん! エリンさんが負けるとか自信満々に語ってたじゃないですか⁉ どう責任取ってくれるんですか?」


「せ、責任か⁉」


 ロズリアの無理難題にユイルも慌てふためいている。

 いや、ユイルに責任はないでしょ……。


「本当にどうしよう……」


 でも、まずいことになったのは事実だ。

エリンに七賢者になられては、『到達する者』の復活は実現不可能なものになってしまう。


「ユイルさん! エリンが正式に七賢者に任命されるのっていつのことですか?」


「この後すぐだ。今、裏で区長達が話し合っているはずだから、決まるのだけだったら数分もかからない」


「時間もないのか」


エリンが正式に七賢者になる前になんとかして話す機会を作って説得したいと考えていたが、そんな余裕はないようだ。

正当な手順を踏んでいる暇はなかった。


「ねえ、ロズリア。俺が合図したら、《脚光(ライトアップ)》を発動してくれる?」


「ノートくん、一体何をするつもりなんですか?」


「エリンに会いに行くだけだよ」


 こうなったら、もう力技しかないだろう。

 なりふり構わずエリンと話をつけにいく。

 そうだ。七賢選抜だとか、イザールの事情とか無視して、最初からそうすればよかったんだ。


「おい、貴様。会いに行くって、警備に止められるぞ?」


 ユイルは声を裏返させながら、俺の肩に手を置いた。

 俺はゆっくりと首を振る。


「大丈夫ですよ。逃げ切って見せますから」


「そういう問題じゃ……」


「ロズリア。じゃあ、お願いね」


「仕方ないですね。わたくしが捕まりそうな気もしますが、まあいいでしょう。ここはわたくしに任せてください」


「ありがとう」


 ユイルの静止を振り切り、俺は席を立ち、通路になっている階段を降りていく。

《隠密》を使って、観客席の最下段までたどり着くと、ロズリアに向けて軽い《殺気》を放った。


 俺の合図を悟ったロズリアが《脚光(ライトアップ)》を発動する。

 会場全体の視線が一瞬そちらに向いたのを確認して、俺は観客席から飛び降りた。


「《偽・絶影》」


 広場に立つ警備の間をすり抜けて、控え室に帰ろうとしているエリンの前に降り立った。

 彼女の目が見開かれるのと、俺が声をかけるのは同時だった。


「おう、エリン。久しぶり」


 なんて言葉をかけようか迷っていたはずなのに、口から出たのは『到達する者』にいた頃と変わらない、なんの変哲もない挨拶だった。


「ノート、なんでここに……?」


 どうやら、俺のことは覚えてくれていたようだ。

「あなた、誰……」とか言われたら、それこそ立ち直れない。


「とりあえずは勝利おめでとう」


「それはどうも。で、その言葉を言うためだけに来たの?」


「違うよ。どうしても話したいことがあってさ」


 俺を取り囲むように警備の魔導士が集まってくる。

 それをエリンは片手で制した。


「知り合いよ。手を出さないで」


 一応は話を聞いてくれるみたいでほっとする。

 かつて俺はエリンを引き留めようとして拒絶された。

 あの時の痛みは今でも鮮明に思い出すことができるし、もう一度拒絶されたらどうしようという不安でいっぱいだ。


 だけど、この機会を逃したら、エリンは遠いところへ行ってしまう。

 彼女と冒険のできる最後のチャンスが今なのだ。

 ここで怖気づいていたら、男じゃない。


「ねえ、エリン。もう一度、一緒にダンジョンに挑まない?」


 俺は思いの丈を告げた。


「エリンが七賢者になるために頑張ったのはわかってる。素直にすごいと思ったし、七賢者になったエリンを応援だってしたい。でも、俺はもう一度エリンと一緒に冒険したい。あんなに楽しかった日々をもう一度やり直したんだ。だから、俺と一緒に来て欲しい」


 目を瞑りながら、頭を下げ、右手をエリンに向けて差し出した。

 見物客達は突然のことに慌てふためいているだろう。ブーイングだってすごいかもしれない。


 でも、俺にはそんな騒音は聞こえない。今は、目の前の少女の返答に耳を傾けることで精一杯だった。

 一拍を置いて、エリンは口を開く。


「いいわよ」


「えっ、いいって……」


 俺は恐る恐る顔を上げた。

 そこには苦笑いを浮かべたエリンの姿があった。


「OKって意味よ。当たり前じゃない。そんな魅力的な提案断るわけがないじゃない」


「でも、エリンは前に断って――」


「それは私の実力が足りてなかったから断っただけ。でも、この街で得られることはあらかた吸収できたわ。だから、もうピュリフの街に戻っても大丈夫」


「せっかく七賢者になれるのに、その機会もいいの?」


「いいわよ、別に。ただの実力試しみたいなものだったし。特に七賢者になりたいわけでもないわ」


 エリンは驚愕の事実をさらっと告げた。


「ということで、私も七賢選抜を辞退するわ。まだ正式に決まったわけじゃないからいいでしょ?」


 会場全体に向けて、大声で宣言するエリン。

 次期七賢者かと思われた少女の突然の発言に、感情全体は混乱の渦に巻き込まれていた。


「なんかまずいことになったみたいね。ブーイングすごいし。物も投げられてるわ。あっ、偉い人達も出てきた。うわっ。師匠もいる。あの顔、絶対怒ってるわね」


 呑気なことを言っているエリン。

 俺としては先ほどから杖を向けて、今にも魔法を放ってきそうな警備の魔導士の方が怖いんだけど……。


「ということで、あれよ。逃げるわよ、ノート」


「俺もそれには賛成」


 こちらに駆け込んでくるエリンを抱きしめて、足と背中に手を回し、抱え込んだ。ちょうどお姫様抱っこと言われる形である。


「じゃあ、しっかり捕まってて」


「わかったわ。ちゃんと捕まってるから、振り落とさないでよ」


 視線を合わせて微笑み合うと、ぐっと腕を抱き寄せて身体を固定する。

 腕と胸からはしっかりと彼女の体温を感じ取っていた。


会場から抜け出す最短ルートを【地図化(マッピング)】ではじき出し、《偽・絶影》を発動した。

エリンが登場してきた通路に向けて、一直線に駆けていく。


「マリンの言う通りだったわね……。ちゃんと身だしなみ整えてきてよかったわ。本当に何が起こるかわからないんだから……」


「ん?」


「なんでもないわよ。気にしないで」


 こうして、俺達二人は全てのしがらみを振り切るように逃げ出した。



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