第81話 エリン・フォットロードと七賢選抜
心を落ち着かせるように大きく息を吸って吐いた。
――大丈夫。やれることはやってきた。
不安がないといえば嘘になる。今も心の中は不安でいっぱいだ。
失敗したらどうしようとか。想定外のことが起きてしまったらどうしようとか。
私を知る人間が、そんな弱音を聞いたら笑い飛ばすだろう。
いつも大口を叩いているくせに何を言っているんだと。
でも、私はみんなが思っているほど、強い人間じゃない。
きっと、そこら辺にいる人と同じくらい。いや、それよりもずっと弱い人間だ。
つい口から強気な発言が出ちゃうのだって、自分の自信のなさが原因だ。
自分では自分の弱さを知っているけど。他人にそれを知られるのは怖い。認めてしまうのが怖い。
だから、私は駄々をこねる子供のように、現実を認めるのを拒んで着丈に振る舞っているだけだ。
本当に強い人間とは自分の弱さに向きあえて、それを自分の力で乗り越えられる人間だろう。
それこそ、ノートみたいな。
今、ノートは元気にしているのかな?
どうだろう。『
でも、そうだといいな。私はそう願っている。
もう一度顔を見たいという感傷を押し込めて頬を叩く。
今はそんなことを考えている余裕なんてない。目の前のことに集中だ。
ベンチに座って気を引き締めていると、足元で近づいてくる影が見えた。
「お姉ちゃん。こんなところにいたの?」
顔を上げると、そこには見知った顔の少女が佇んでいた。
私の二つ違いの妹、マリン・フォットロードだ。
私より顔のパーツが少し丸くて。髪もふわっとしていて。
でも、髪の色とか瞳の色は同じで。
こういうところを見ると、血が繋がっているんだって改めて感じる。
「何してるの? 廊下でじっと座って」
「少し落ち着こうと思って」
「控え室があるんだから、そこで落ち着きなよ。目も充血してるし、クマもすごいよ。昨日ちゃんと寝た?」
「寝てない」
寝られるわけがない。
気持ち的にもそうだし、試合までの時間が一分一秒でも惜しい状況だった。
特にここ三日は不眠不休でスペルを磨き続けていた。
コンディションとしては最悪だろう。本当は『10戦』どころの体調じゃない。
眩暈だってするし、胃がぎゅってして吐き気もする。
「やっぱり。昨日くらい家に帰ってくればよかったのに。髪もぼさぼさだし、そんな状態で人前に出る気なの?」
「大丈夫。負けないから」
「そういう問題じゃないでしょ。男の人だってたくさん観に来てるんだよ? たくさんのイケメンが観に来てるってことだよ?」
「またマリンはそういう話……」
見た目は似ているのに、性格は全然似ていないってのも、常々不思議に思う。
私達姉妹の性格は正反対だ。
マリンは私なんかよりずっと社交的で友達だって多い。コミュニケーション能力だってあるし、彼氏だって何度も作っている。
真面目気質な性格の私とは全然違って、適当で気分屋だ。
だけど、何故か私なんかよりずっと人生上手くやっていて。
一時期はそんな妹のことを羨ましく思っていた。
「お姉ちゃんがそういう話に無頓着すぎるだけでしょ。私と二つしか違わないのに枯れてるじゃん、もう」
「枯れてないわよ。ただ今は魔法に集中すると決めたから――」
「はいはい、わかったから。そういうことにしてあげるから」
私の抗議を軽くあしらってくるマリン。
何ともムカつく妹だ。本当に血が繋がっているの?
「でも、人前に出る時の最低限の身だしなみってあるでしょ? それにいつどこで運命の出会いがあるかわからないんだから、ちゃんとしておいた方がいいよ」
「運命の出会いなんて――」
そんなのあるわけがない。ノート以上の運命の人なんているとは思えない。
そして、ノートはこの街にはいない。
私は一人で戦うと決めたのだ。
「決めつけない。何が起こるかわからないんだから、運命の出会いなんだよ」
「でも、試合まで時間がないし――」
「まだ10分以上あるでしょ? なら大丈夫だよ」
「10分しかよ」
「私を誰だと思ってるの? 華の女学生、マリン・フォットロードよ。私が手伝えば10分でかわいさを作るなんて余裕よ」
「それはマリンに悪いし、やらなくていいわよ」
「遠慮とかいいから。早く控え室に戻った、戻った。ここからは時間との勝負なんだから」
私を無理やり立たせて、背中を押して控え室へと追いやってくるマリン。
寝不足のせいで身体に力が上手く入らない。
流れに任せるままに足を動かしながら、ふと尋ねた。
「どうしてそこまでマリンがやってくれるのよ?」
妹はきょとんとしながらも、口を開いた。
「当たり前じゃん。せっかくのお姉ちゃんの晴れ舞台なんだよ? 応援したいんだよ」
その答えがおかしくて、思わず頬が緩んでしまった。
「なんで笑ってるの?」
「だって、おかしいなって。マリンがそんなこと言うなんて」
お世辞にも昔の私達は、応援し合うような仲じゃなかった。
マリンは問題行動ばかり起こす私を見下していたし、そんな妹を私は嫌っていた。
いつからこの関係性は変わったのだろう。
少なくとも、私がこの街に戻ってきてからのことだ。
この一年、私は少しだけでも変わることができたのだろうか。
鏡の前に座らされて、マリンに髪を梳かされながら、私は『到達する者』を出て行ってからの出来事を思い返していた。
***
――この街に帰ってきてしまった。
長い旅路の末、イザールに帰ってきた私が最初に思ったのはそんなことだった。
この街にはいい思い出より悪い思い出の方がずっと多かった。
学園ではいじめられていたし、勝手に学校を辞めて家を飛び出した時から親とは喧嘩したままだった。
本当は戻ってきたくなかった。一生この街に戻ってこないつもりだった。
だけど、自分の弱さをどうにかしたいと思った時、最初に思いついたのもこの街に戻ることだった。
イザールは魔法を勉強するなら、最高の環境だ。
少なくともこの国にはイザール以上の魔法を勉強に適した場所はない。
魔術師としての能力を高めるなら、なりふり構ってちゃいけない。
だから、好きでもない故郷に帰ることにした。
イザールの街に戻って最初に向かった場所は私の実家だ。
個人的には家に戻らないで、部屋を借りたり宿を取ったりする方法も考えた。
だけど、この街の情報網は舐めない方がいいことも知っていた。
この街に私が戻ってきたことは、すぐに両親に知れ渡るはずだ。
その時になってまた喧嘩になるくらいだったら、面倒ごとは最初に片付けてしまいたかった。
意外なことに両親は、突然の娘の帰宅を快く受け入れてくれた。
何があったのかとかは聞かないでくれて、元気そうで良かっただとか、また顔が見られて嬉しいだとか、好きなご飯を作ってあげるだとか。
投げかけられるのは温かい言葉ばかりで、私はこんなにも大事にされていたんだって、感動して涙腺が潤んだ。
妹だけは相変わらずの態度で、「家出したのに、何ノコノコ帰ってきてきてるの、お姉ちゃん?」とか言ってきたので、早速喧嘩しちゃったけど。
こういう時はいつもお父さんやお母さんは私を怒るのに、今回は珍しく私の味方をしてくれて、マリンが叱られて泣いていたのもちょっと面白かった。
翌日、私は以前通っていた4区の学園に向かうことにした。
両親は学園への復学の手続きをしようかと持ち掛けてくれたが、私はそれを断ることにした。
学園に通うことは魔法を学ぶことに繋がるけど、最短でかつ最大効率で魔法を学ぼうとするなら話は別だ。
学園にいる優秀な魔導士を捕まえて、直接教えてもらった方が早く成長できる。
私には優秀な魔法スキルがある。
『魔導の道に近道はない』という言葉が魔導士の中では有名な通り、魔導士にとって魔法と向き合ってきた時間はとても重要視される。
私がこの街から逃げてきた三年以上という時間は、
悔しかった。あの時、逃げてしまったことが、こんなにも私を苦しめるとは思わなかった。
逃げていなければ。もっと頑張っていれば。もっと上手くやれていたら。
大切な仲間を失うこともなかったのに。
後悔してもしきれない気持ちでいっぱいになった。
諦めきれなくて何度も学園に抗議しに行ったけど、結果は同じだった。
魔法の一つも学べないまま、学園と家を往復する日々。
ノートにあんな偉そうなことを言っておいて『
そんなことが何日も続いたある日。いつも通り学園に向かった私の前にある男が現れた。
男はアンドイ・シャリオンを名乗った。
その名をイザールの街で知らない者はいないだろう。1区の学園長であり、七賢者の一人。
幅広い属性の魔法を操り、『歩く
「何の用?」
警戒しながらも、私は訊いた。
七賢者ほどの人間が、
「師を探しているんだろう? なら、私の下で学んでみないか?」
しかし、彼の口から出てきたのは僥倖と思えるような予想外の提案だった。
アンドイ・シャリオンといえば、本人の魔導士としての能力もさることながら、魔導士を育てる能力が長けていることで有名だ。
現に彼は弟子からも七賢者を一人排出している。
アンドイ・シャリオンから直属の指導を受けるとなれば、喜ばない魔導士など一人もいないはずだ。
しかし突然の都合の良い話に、私は喜びよりも警戒の気持ちが先行していた。
「どうして、私なの?」
「それは、お前が魔導士の頂点に立つ素質を持っているからだ」
「私達、初対面よね? 素質なんてわかるのかしら?」
「ああ。君がそこまで私に物怖じしない生意気な人間だということも、今初めて知ったくらいだ」
「だったら、なんで?」
「君が魔導士としてどれだけ魔法に真剣に向き合ってかは知らないが、君のスキルくらいは知っている。そして、そのスキルさえあれば、魔導士の頂点に立つことなど造作もない」
「簡単に言うわね。確かに私は全属性の魔法が使えるけど、このスキルはそこまで万能じゃないわよ。努力しないで魔法を使えるようになるスキルでもない」
【全属性魔法適正】はただ単に全属性の魔法が使える才能が手に入るスキルだ。
実際に魔法を習得するには、地道に魔法を勉強していかなければならない。
しかも、魔法の習得能力だって、各属性の魔法適正スキルに比べたら低い。何か一つの魔法属性を極めたいなら、他のスキルの方がよっぽど有用だ。
「そんなことは知っている。そっちじゃない。魔導士の頂きに至る可能性を秘めているスキルは」
「そっちじゃないって――」
「【魔力増大・極】の方だ。私が欲してやまなかった魔導士の最高スキルそのもの。そこに【全属性魔法適正】までついて来ているときた。正直言って、私は君が羨ましい」
「私としては七賢者にまで上りつめた貴方の方がよっぽど羨ましく思えるんだけど……」
「何を言っている。君ほどのスキルがあれば、私を超すことなんて用意だろう。その可能性に自身で気がついていないことは愚かだが」
「貴方の弟子になれば、その可能性を教えてくれると?」
「そうだ。君が地獄を味わう覚悟があるというなら、一年もあれば七賢者と同等の魔導士まで鍛えることも可能だ」
「一年……」
魔導士としての実力を磨くのには時間は絶対的なものだ。
一生かけてもたどり着けないかもしれない領域に一年で。
そんな上手い話があるはずがないという気持ちと、今にも手を伸ばして可能性を掴み取りたい気持ちがせめぎ合っていた。
「そんな近道が本当にあるっていうの?」
「何を言っている。『魔導の道に近道はない』という格言を学校で習わなかったのか?」
「もしかして、私をからかっているの?」
「そうじゃない。お前に提示するのは近道じゃないということだ。寧ろ、全くの反対。果てしなく地道な魔導の道を、近道することなく、人の数倍の速さで駆け抜ける術だ」
***
「まさか、その方法がただの力技だったなんてね……」
私の師匠となったアンドイから提示された課題は至って単純だった。
アンドイが教えた術式をひたすら発動し続けること。
通常の魔導士なら一日に数発撃てるか撃てないかの大魔法を、無限にも等しい魔力量を利用して撃ち続けるというものだった。
一つの魔法を極めるのに万を超える回数、発動する必要があるなら、数日の間で万を超える回数発動すればいいという横暴な考え。
確かにこの方法だったら、人の数百倍のスピードで成長することが可能だ。
だけど、魔法を発動するのには精神的な疲労が伴う。術式が複雑な大魔法なら尚更のことだ。
アンドイはそんな現実を無視して、理論上可能だという点のみで、実現不可能な難題を吹っかけてきたのだ。
精神的な疲れを無視して、魔法を発動し続ければ短時間で七賢者ほどの魔導士になることだってできるはずだ。
でも、かかる時間が変わるだけで、している努力の総量は変わったわけじゃない。
どちらかというと、密度は増している分、過酷なはずだ。
だけど、今までの逃げと怠慢だらけの人生を取り返せるというのであれば、たとえ地獄に続く道だろうと飛びつかないわけにはいかなかった。
四六時中、寝て食べる以外の全ての時間は全て魔法に費やす日々。
精神が軋んでいくのを感じながらも、私はただひたすら魔法を発動し続けた。
辛い。苦しい。何のために頑張っているのかわからなくなってくる。
ずっと、魔法を発動し続けるって、こんなにもしんどいんだ。
全てを投げ出して、楽になりたかった。自由が欲しかった。
その度にノートの顔が思い浮かんだ。
ノートがパーティーに入ってばかりの頃、私は八つ当たりでノートに怒ったことがあった。
弛んでいるんじゃないの? と難癖をつけて、パーティーを辞めさせようと追い込むことにした。
それから、ノートは気を引き締めるようになって、より一層アーツ練習に励むようになった。
四六時中アーツを発動するようになって、目まぐるしい成長を遂げた。
私がさせたのはそういうことだったのだ。彼に私が今味わっている地獄と同じようなものを押しつけていたのだ。
最低だ。自分のしたことの残酷さを今頃、気がつくなんて。
しかも、その地獄から自分だけ都合よく逃げ出そうとするなんて、もっと最低だ。自分が許せなくなった。
これは罰だ。当然の報いなのだ。
彼を傷つけた分、同じような苦痛を味わっているに過ぎない。
そう自分に言い聞かせて、ただひたすら地獄を突き進んでいった。
その結果もあって、私の魔導士としての実力は瞬く間に伸びていった。
師匠としても、この成長度は想像以上だったようで、度々驚いていたようだ。
ある日、師匠からこんな提案を受けた。
「近々、七賢選抜が開かれるようになった。1区ではエリン、お前を推薦しようかと思っている」
魔法の修業以外のことに触れず、世間の情報に全然気を配っていなかった私は、七賢者に欠員ができたこともこの時知ったくらいだった。
魔導士としての力量を計るにはまたとない機会だ。
私は推薦を受け入れ、七賢選抜に参戦することになった。
七賢選抜の勝負方式である10戦については、私は全くの素人だ。
いくら魔法の能力があっても、それだけでは勝つことは難しい。
推薦した私が早々に負けるのは師匠的にもメンツが立たないらしく、師匠は万全のサポートに励むようになった。
戦い方のレクチャーやら、対戦相手の情報、そして相手の得意スペルに有利な対抗術式までも授けてくれた。
そのおかげもあって一試合目と二試合目の相手には簡単に勝つことができた。
世間では私がたまたま相手に有利なマイナースペルを得意としていて、奇跡的な勝利に過ぎないとされていたが、仕掛けを知っている私に取っては勝って当然の戦いだった。
むしろ、魔導士の頂点を目指す私がこんなところで負けるわけにはいかない。
だから、三試合目の対戦相手であるエスカーに手も足も出なかったのにはショックを受けた。
《
あんなスペル見たことがなかったし、考えられる手を色々試してみたが、どれも空振りに終わってしまった。
結局最後は、事前に師匠にどうしようもないスペルに当たった時の対処法として与えられていた、様子見に回って後半戦に備えるという手段しか取りようがなかった。
「はい、完成」
後ろから投げかけられた声に反応して、顔を上げた。
鏡の中には、10分前の私とは見違えるほどかわいい女の子がいた。
「どう? 時間がなかったから、満足はいってないけど。ちょっとはかわいくなったでしょ?」
「ううん。充分よ。ありがとう」
謙遜する妹に感謝の気持ちを述べた。
イザールに戻ってきた直後は喧嘩も多かったが、今ではお互い素直に話せるようになった。
七賢選抜に出ることが決まってしばらく経ったある日。
妹とその話をすることになって、ふと言われたフレーズが印象に残った。
『私、お姉ちゃんのこと、尊敬してるから』
その時になって、初めて私はこのマリンが妹で良かったと思った。
マリンは器用な生き方ができて、他人から必要とされていて、私なんかよりもずっと出来た人間だ。
そんな妹から尊敬という言葉が聞けて嬉しかったと同時に、私も妹のことを尊敬していたということに気がついた。
周囲の人と上手くやっていける社交性や、かつて仲違いしていた姉を素直に認めて、それを口にできる彼女の人間性を尊敬していた。
「せっかくかわいくしてあげたんだから、勝ってよね」
「わかってるから」
そんな尊敬する妹から応援されているとあらば、負けないわけにはいかない。
――大丈夫。やれることはやってきた。
前半戦で負けてからの10日間、私は寝る間も惜しんでエスカーの対策をしてきた。
師匠と出会ってからの一年は、誰よりも魔法に真剣に向き合ってきた。
確かに一時は魔法の道から逃げた私だけど。今は誰よりも努力してきた自信があった。
だから、大丈夫。ちゃんと自信を持っていいんだ。
いつもの自信なさから来る大口じゃなくて、心の底からの本心で私は言った。
「お姉ちゃんに任せなさい。サクッと勝ってくるから」