第69話 旅立ち
それから俺がダンジョン探索を再開するにあたって、行動を始めるのは早かった。
ダンジョンに潜るには、この王都を出て、ピュリフの街に行かなければならない。
半年以上住んだ街におさらばするのは少し寂しかったが、それにも増して期待の方が強かった。
まあ、実際問題すぐに拠点を移すというわけにはいかない。
この街にもたくさんの思い出があり、たくさんの人と関わってきたのだ。
今日も俺がこの街で知り合った人達に、別れの挨拶をしようと思っていた。
「おっ⁉ ノートじゃねえか⁉ 平日の昼間から何しに来たんだ?遅刻か?」
「俺がここの仕事辞めたこと知っていますよね?」
訪れたのは、ついこの間まで働いていた配達所であった。
事業所に顔を出すと、昼休憩をしていたであろうヒルトンらがいた。
もちろん、モナルも同席している。
「知っているに決まってるだろ。冗談ってやつだ」
「今日は何の用事で来たの? 来たからには手ぶらじゃないよね⁉」
「わかってますって。はい、差し入れ」
俺は用意してあった菓子折りをモナルへと手渡す。
「本当に出てくるとは……。言ってみるものですねー」
「言われなくても渡すつもりでしたよ」
「で、今日はどうして来たのー?」
「この街を出る目処が立ったんで、お別れの挨拶をしようと」
ヒルトン達には働いている間、だいぶお世話になった。
仕事を辞めたからといっても、礼儀としてひと声かけておくべきだろう。
「そうなのか、遂にダンジョンに戻るのか」
「まあ、仲間探しからやらないとなんで、ダンジョンに潜るのは当分先なんですけどね」
「でも、ノートが実はダンジョン冒険者だったって聞いたときは驚いたねー」
仕事を辞める理由を話す際、俺がダンジョンに潜っていたことを彼らには伝えてあった。
「絶対噓だと思ったんだけどな」
「私もてっきり仕事を辞めるための適当な噓だと」
あの時は、職場全体を巻き込んで大騒ぎになったものだ。
数日前のことだけど、懐かしく感じる。
「だけど、俺は前にノートがすごい冒険者だって見抜いてたぜ。ひったくり犯を倒した時はすごかったもんな」
「初耳なんですけどー。そのエピソード」
「ノートと二人で配達してた時、色々あったんだよ」
「ヒルトンさんが荷物ほっぽり出そうとしたやつですね」
「そのエピソードも初耳なんですけど……」
「言い方が悪いぞ、ノート。俺は人助けをしようとだな……」
そんなこんなを話しているうちに、あっという間に時間は過ぎていき――。
気づけばヒルトン達の昼休憩が終わる時刻となっていた。
「それじゃあ、ノート。俺達はもう仕事をしなくちゃだから」
「すみません。わざわざ時間を取ってくれて」
「いいよ、そんなの気にしないで。久しぶりに話せて楽しかったよー」
「そう言ってくれて、何よりです」
笑顔で手を振るモナルに、手を振り返す。
ヒルトンも外へと向かう途中で、肩を叩いてきた。
「応援しているからな。しっかりとダンジョン制覇しろよ」
「そうだねー。ダンジョン制覇で有名になったら、私達の配達所を宣伝してよ!」
「簡単に言いますね……」
こうやって、面と向かってダンジョン攻略を応援されたことってあまりないんだよな……。
嬉しいような、恥ずかしいような。不思議な感覚だ。
でも、悪い感覚じゃない。
「まあダンジョン制覇したら、宣伝くらいはさせてもらいますよ」
「約束だからねー」
「未来の有名人になるかもだし、サインくらいはもらった方がいいのか?」
「ヒルトンさん。それは気が早すぎますって」
なんだかんだ、俺は周りにいる人に恵まれていたのかもしれない。
少しだけ、この職場を辞めたことを惜しいと感じている自分がいた。
***
「お別れの挨拶に来ました。ヒューゲルさんとエイシャさん」
俺はというと配達所に立ち寄った足で、そのままヒューゲルの家へとやってきていた。
彼らにも、この街で大変お世話になった。
俺が冒険者に戻ろうと思えたのも二人のお陰だ。
冒険者に戻るにあたって、ブランクを埋めるための修業にも付き合ってくれた。
ヒューゲルとエイシャに出会わなければ、俺はもう一度ダンジョン攻略を目指すことはなかったかもしれない。
そのくらい、二人には感謝していた。
「もうこの街を出るのか」
「早いですね。出会ったのが昨日のことのように思えますよ」
しかも、エイシャには一つ『
情報収集を専門とする彼女にしか任せられない頼みごとだ。
「それでどうでした? あの件」
「いきなりでしたからね。調べきれないところもありましたが――」
そう断って、エイシャは一枚の紙を手渡してきた。
「はい。これが『
「わざわざ忙しいところありがとうございます」
書かれた内容に目を通しながら、感謝の言葉を述べる。
「気にしなくていいですよ。今はちょうど依頼もなかったですから」
「ああ、それと――」と言って、エイシャは付け加えた。
「わからない点もいくつかありましたから」
紙に書かれた項目を指差しながら、いくつか丁寧に説明してくれた。
エイシャは謙遜していたが、彼女の情報収集能力はずば抜けている。
一週間前に頼んだのに、ここまで調べてくれるなんて。
一体、どうやって彼女は情報を得ているのだろう。
知りたいような。怖いから知りたくないような。
「それにしても、みんなバラバラの場所にいるな……」
「集まるのが大変そうですね」
「まあ、エイシャさんに調べてもらった分、手がかりはありますし。ここからは地道に探しますよ」
エイシャの言う通り、気になる点もいくつかある。
全員を簡単に見つけることはできないかもしれないが、なんの手がかりもなしで一人探すよりはずっと現実的だ。
『
「悪いな。私は何もできなくて」
「ヒューゲルさんの専門分野とは違いますし……」
ヒューゲルの手を借りるような事態は、できれば起こって欲しくないのが本音だ。
殺しの依頼を頼むような事態って、一体どうなれば起こるのだろう。
「たまには王都に顔を出してくださいよ」
「そうですね。ダンジョン攻略が一段落着いたら顔を出せるように頑張ってみます」
「私達もピュリフの街に行くときは、そちらのパーティーハウスに顔を出すようにするからな」
「いっそのこと、一緒にピュリフの街に旅行に行くというのはどうでしょうか? 新婚旅行として――」
新婚旅行の部分を小声にして、エイシャが呟く。
「ピュリフの街ってダンジョンしか観光名所がなくないか? 旅行としては微妙じゃないか?」
「ですよねっー!」
あっさりと旅行案を却下されたエイシャは涙目で叫んでいた。
頑張れ。次会う時までには、その恋が叶っていることを祈っているから。
「じゃあ、二人ともお身体に気をつけて」
「ノート殿の方こそ」
「ダンジョン探索頑張ってください」
俺は手を振って、ヒューゲルとエイシャに別れを告げた。
***
「これでこの街ともお別れかー」
「なんか寂しいですね」
俺とロズリアは王都の西にある馬車乗り場へと来ていた。
これから俺達は王都を出ていくことになっていた。
俺のバッグもぎっしり詰まっていたし、ロズリアのトランクも重そうだった。
不思議なことに荷物の量はこの街を訪れたときと同じ程度に収まっている。
この街に来て、色々買い物をした。その分捨てたものも多かったということだろう。
「長かった気もするけど、一年もいなかったんだよな」
「そうですね。でも、皆さんと再会するのはすごく久しぶりって感じがします」
「そりゃあ、あの時は毎日のように顔を合わせていたからね」
これから『
王都はこの国の北東に位置する。
ピュリフの街に行くにも、みんなを回収するにも、ひとまずは西に出る馬車に乗らなければならない。
しばらく馬車に乗った後、ピュリフの街へ向かうルートから離れて、エイシャに教えてもらったパーティーメンバーの居所に向かうという形になるだろう。
とりあえずは馬車の中継地点となるミニョンに向かうこととなる。
そこから一番近くにいるメンバーとなると、フォースだろう。
「はい、チケット」
用意してあった馬車の券を取り出し、ロズリアに手渡す。
受付の人にお互い券を見せると、すぐさま馬車へと案内されることになった。
「でも、旅立ちっていうのに見送りの人がいないのは悲しいですね」
「ロズリアは教会の人に挨拶は済ませたんでしょ?」
「そういう問題じゃないですよ。ミーヤさんは来てくれないんでしょうかって話です」
「ああ、そういうことね」
質問の意味をようやく理解した。
「それは来ないでしょ。ミーヤは仲間というよりライバルなわけだし」
あの喧嘩の後、俺達とミーヤはすぐに解散した。
長年の積もった話をするわけでもなく。手伝いに来ていたときと同じように街へ帰り、そのままお互いの家への帰路につくことになった。
別れ際には、彼女にこう宣言された。
『次会うときは、わたしがダンジョンを制覇して、ノートに自慢するときだから。それまでは会いにいったりもしないから』
俺も負けじと『じゃあ、会うときは一生来ないかもね。俺達がダンジョン制覇するんだから』なんて言い返しもした。
言葉通り、それっきり俺達三人が集まるということはなかった。
彼女はピュリフの街に向かったのだろうか。
『
しかし、それ以上の情報は何も知らなかった。
「ライバルとはいえ、少しの間一緒に冒険したじゃないですか! なんか一言くらいあってもよくないですか?」
「なんだ、寂しいの?」
「それは少し寂しいですよ。ノートくんに執着しなくなったのかもしれませんが、わたくしとは仲良くしてもいいんじゃないですか?」
「ミーヤはロズリアのこと、変な女呼ばわりしていたからな……」
「あれ地味に酷かったですよね! 茶々を入れる雰囲気じゃなかったんで黙っていましたが、今思い出すと失礼極まりないと思うんですよ! ミーヤさんってもしかして、わたくしのこと嫌ってます?」
「さあ、本人に訊いてみないことには……」
まあ、本音をぶちまけたときの口ぶりとして、最初はいい印象を持っていなかったのは事実だと思うが……。
一緒に依頼を受けて印象は変わるだろうし、何とも言えない問題だ。
「まあ、ピュリフの街で会おうと思えば会えるわけだし、そのとき訊いてみれば?」
「本人にわたくしのこと嫌ってます?って訊くんですか? 絶対誤魔化されますって。ノートくんが代わりに訊いてくださいよ」
「嫌だよ。自分から会いに行ったら、ミーヤとの約束を破ることになるじゃん」
「まあそうですね。『次会うときは――』って約束しておきながら、大したことない用件で会いに行くのは、少し恥ずかしいですよね」
「それだよな。ピュリフの街でばったり出くわさないように気をつけないとな」
「人通りの多い場所に行くときは注意が必要ですよ。覆面マスクでも用意しておいた方がいいんじゃないでしょうか?」
「それはやりすぎでしょ」
なんて笑い話をしているうちに、乗る予定の馬車にたどり着く。
馬車の発車予定時刻は、あと十分ほどだ。
もっと余裕を持って行こうと思ったのだが、用意をしているうちにギリギリの時間に なってしまっていた。
馬車の窓からは数名の人影が見えた。一緒に乗る乗客のようだ。
もしかしたら、自分達が最後かもしれない。
なんて、考えながら馬車の中へと足を踏み入れると――。
「……」
「……」
両者の目が合い、気まずい沈黙が流れる。
後ろからやって来たロズリアも、何が起こったか気づいたようだ。
ゆっくりと口を開く。
「あれ……もしかしてミーヤさんも同じ馬車だった感じですか……?」
「……そ、そうみたいだねー」
震えた声で席の奥に座っていた少女は答えた。
気持ちはわかるよ。『次会うときは――』とかかっこつけた約束をしておきながら、馬車の中でばったり出くわすって恥ずかしいよね。
顔を背けているけど、耳真っ赤になってるもん。
「あれあれ、次会っちゃいましたね……」
「……うん」
「もしかして、もうダンジョン制覇したんですか?」
「……っ」
もうやめてあげて! 涙目になってるから!
変な女呼ばわりされたことの仕返しをしているのかもしれないけど、これ以上の追撃はミーヤの精神が持たないよ!
「まあ、同じ方向に向かっているわけだしね……。偶然、一緒の馬車になるっていうこともあるよね……」
「早くノートくんに自慢しなくていいんですか?」
「おい、ロズリア。その辺にしておいてあげないと――」
「もう帰るっ! ダンジョンなんか知らないっ!」
そう叫んで、ミーヤは馬車から飛び出してしまった。
「ほら、言ったことか……」
「あれ、いじりすぎましたかね……」
一難去ってまた一難。
自分の人生ってこんなのばっかりだな……。
と、嘆かずにはいられなかった。