第67話 過去の精算
わたしは昔からノート・アスロンという人間がそこまで好きではなかった。
それは故郷であるチャングズの村に住んでいた時からの話だ。
なよなよして、うじうじしているところ。
卑屈で、頼りないところ。
一人じゃ何も決められなくて、人の顔色ばっかり窺うところ。
文句があっても、溜め込むことしかできないところ。
他にも好きじゃないところはたくさんあった。
別に嫌いだったというわけではない。
そこまで好きではなかった。これが一番しっくりくる表現だ。
わたし達の住んでいた村には同世代の子供が他に一人もいなかった。二人だけだった。
このままわたし達が大人になったら、どうなるのだろう。
同世代の男の子が他にいないのだから、このまま村に住んでいたら結婚相手もノートということになってしまうのではないか。
幼い頃のわたしはよく不安に思っていた。
別に幼馴染としては、ノートは悪い人間じゃない。
特に害を与えてくるわけでもないし。
わたしを一番に想って、行動してくれる。
だけど、恋愛対象として見るには少し不満だった。
やっぱりわたしは、もっと頼りがいのある人が好きだ。
男らしくて、前向きな性格の人が好みだった。
だから、幼いわたしは村を出ることを決めた。
結婚するに相応しい男の子を見つけようと。
冒険者になろう。そう決めたのは両親が冒険者だったからだ。
冒険者という職業に憧れる気持ちもあった。
冒険者になると言えば、両親は村を出ていくことを許してくれるだろうという打算もあった。
自分が村を出るのだから、ノートも一緒につれていってあげよう。
過去のわたしはそう考えた。
ノートが昔から、わたしのことを好きだったのは知っていた。
いつもあとをついてきたし。態度や言葉ぶりからあからさまだった。
ノートは隠し通せていると思っていたみたいだけど。
好意を寄せているノート一人を置いて、村を出ていくほどの残酷なことは、さすがのわたしでもできなかった。
自分はどちらかというと、計算的な人間だ。
他人からどうすれば好かれるかを理解して、立ち振る舞うことができる狡い女だ。
そんなわたしでも、長年連れ添ってきたとあれば、ノートに情くらいは湧く。
わたしはノートと結婚するつもりはないけど、一生結婚相手を見つけられないというのもかわいそうに思えた。
だから、わたしはノートをそそのかして、彼にわたしと同じ夢を与えた。
村を出て、一緒に一流の冒険者を目指すという夢を。
別にノートのことは嫌いじゃないのだ。
一緒に冒険者をやる分としては問題ない。
むしろ、わたしの思い通りに動いてくれる分、助かるくらいだ。
それに長年一緒にいたということもある。
気心の知れない赤の他人と冒険をするよりかはずっといい。
ノートはわたしといて、果たして他の女の子を好きになることができるのか。
それだけが不安だった。
自分で言うのもあれだけど、わたしはかわいい方だと思う。
性格は悪いけど、よく見せようと思うこともできる。
それにわたしはノートに好かれている自信もあった。
もし、わたしが恋人を作ったら、ノートは落ち込むのだろうか?
きっと落ち込む。
口では強がっても、内心ではショックを受けるはずだ。
もし、ノートがわたしへの恋心を諦めきれることができなかったら、どうすればいいのだろう。
諦めきれず、結婚相手も見つけようとしなかったら、どうしよう。
ノートはわたしがいないと何もできない。決められない。
同世代の人が他にいないという環境だったせいもあると思うけど。わたしに依存していた。
ノートが別の女の人についていくという光景が想像できなかった。
ノートにわたし以外の女の人と結婚する気がなかったら、どうすればいいのだろうか。
わたしが責任を取って、結婚しなくてはいけないのだろうか。
きっと、自分はノートを見捨てることができない。
自分の幸せを犠牲にして、ノートの幸せを優先してしまうかもしれない。
かわいそうになって、情から結婚してしまうということだってあるかもしれない。
でも、それはわたしが望んでいる将来じゃない。
わたし、ミーヤ・ラインは幼馴染のことがそこまで好きではないのだから。
過去の自分。ノートと喧嘩別れをする前のわたしは、そんな馬鹿な思い違いをしていた。
思い返してみると、馬鹿すぎて笑えてくる。
ノートにはわたしがいないといけない。そう思っていた。
だけど、それは全く違った。
ノートにとってミーヤ・ラインという人間はただの幼馴染に過ぎなかった。
そのことに最初に気がついたのは、ノートに別れを告げた時だった。
別れを告げたあの日。
実はノートと本当に別々に生きていこうだなんて思っていなかった。
ただ、わたしに頼りきって全然モンスターと戦おうとしないノートを叱るつもりで、別れを切り出したのだ。
そうすればノートも焦って、気を引き締めてくれるだろうという計算もあった。
わたしとの約束を忘れていた彼に、腹を立てていたからってのもあったかもしれない。
だから、いつになく強引な手段を取った。
今回も、ノートはわたしの思い通りに改心してくれると思っていた。
だけど、結果としてその考えは間違っていた。
わたしは生まれて初めて、ノートに怒鳴られた。
二人で冒険者を始めてからだけじゃない。
15年間分の不満を全てぶつけられた。
生まれて初めての反逆だった。
てっきりノートはわたしのことを好いていると思っていたのに。
その自信がきれいさっぱり消えてしまった。
だから、動揺してわたしも思ってないようなことを言ってしまった。
いつの間にか、意図的に彼を傷つける言葉を選んで放っていた。
そうなれば、どんどんノートが怒るのは目に見えていて。
口論は二人には止められない状況になってしまった。
最終的には、わたしが泣きながら立ち去ることで、口論は終結した。
立ち去る時、自分がなんて言ったかは覚えていなかった。
『もうノートとはやっていけない』
きっと、そんなことを言っていたと思う。
別にそれは本心なんかじゃなかった。
喧嘩なんてしたのは初めてだけど、明日になったらノートが謝りにきて、それで仲直りして全てが解決すると思っていた。
でも、いつまで待っても、ノートはわたしの下に来なくて。
いつの間にか、他の適当な冒険者達と依頼を受け始めて。
そこで初めて、わたしは見限られたのだと気がついた。
自分はノートを見捨てるつもりなんてなかった。
別に彼のことが好きなわけじゃないけど。
ノートにはわたしがいないと駄目だから。
きっとわたしが傍にいないと生きられないだろうから。
見捨てるなんてかわいそうだ。そんなことわたしにはできない。
そう思っていた。
だけど、それは間違っていた。
ノートにとって、わたしは別に必要のない存在だったのだ。
その事実に気づいてしまってからは、わたしはブロードの街にいることができなかった。
勝手に裏切られた感じがして。
彼の名前を聞くことさえ嫌になって逃げ出した。
ブロードの街からなるべく離れた場所に行こうと思った。
ノートなんてもう知らない。
いなくなってからわたしの大切さに気がつけばいいんだ。
そう思って、王都に向かい、彼以外の人と初めてパーティーを組むことにした。
それからの二年間、わたしは精一杯幼馴染の男の子のことを忘れようとした。
恩知らず。薄情者。裏切り者の最低やろう。
なんでわたしが見捨てられなくちゃいけないんだ。
本当はわたしがノートを見捨てる立場なはずなのに。
それじゃあ、わたしの方がノートを必要としているみたいじゃないか。
むかついた。ノートを下に見ていた分、わたしのプライドはズタズタに傷つけられた。
見返してやりたい。わたしを見捨てたことを後悔させてやりたい。
それだけの一心で、勢いに乗っていたパーティーである『
別にわたしは『
自分にとっては、『
だからスキルを偽って、ノートの時みたいにパーティーを崩壊させないような配慮だってした。
ただ、自分は『
『
ようやくノートを悔しがらせられると、心の底から喜んだ。
だから、この街の冒険者ギルドで彼を見つけた時は、笑みが堪えきれなかった。
やっとだ。やっと復讐が果たせる。
わたしのことを追いかけてきたのかもしれないけど、今さら謝りに来てももう遅い。
絶対に許してやらない。土下座したって泣き喚いたって許さない。
そうやって、わたしを捨てたことを一生後悔し続ければいいんだ。
だけど、その喜びは全くの見当違いだった。
ノートはわたしのことを追いかけに、この王都にやってきたわけなんかじゃなかった。
それどころかわたしを見て、逃げ出そうとした。
呼びかけたのに、一度無視もされた。
しかも、隣にはかわいい女の子を連れて。
あろうことか二人で冒険者としてのスタートを切ろうとしていた。
違うじゃん。なんなの、その女の子は?
そこにいるのは本来、わたしのはずじゃん。
一緒に一流冒険者になろうって約束したのは、わたしじゃん。
どうして手を引いて、二人で立ち去ろうとしたの?
わたしの手なんて、大きくなってから触ってもくれなかったじゃん。
目を合わせた時もそう。
昔は恥ずかしがってすぐに目を逸らしたのに。今じゃ、全然視線を逸らさなくて。
かわいいって?
昔はそんなこと一度も言ってくれなかったじゃん。照れて言えないのがノートだったじゃん。
わたしをもう好きじゃないの?
その女の子に乗り換えたの?
実はそばにいてくれる女の子だったら誰でもよかったの?
そんなノートへの不満が次から次へと溢れてきた。
なんで、こんなに悔しいんだろう。
これじゃ、わたしが二度も捨てられたみたいじゃんか。
悔しくて、行き場のない怒りが溢れてきて。
わたしは意地悪をすることにした。
ノートとロズリアちゃんの間に入って、二人の関係をぶち壊してやろうと思った。
ノートがわたしになびいたところをロズリアちゃんに見せつけ、見限らせようと思った。
だから、二人の依頼を手伝うことにしたのに、結局は二人の仲の良さを見せつけられただけだった。
何故かロズリアちゃんはノートに全面的な信頼を置いていて。
わたしなんかが壊せるような関係性じゃなかった。
……何、それ。
ロズリアちゃんはどうしてそこまで彼のことを信用しているの?
モンスターも倒せない。ダガーを忘れるくらいやる気がない。
人の提案を断ることもできないし、弱気な発言だって多い。
どうしてそんな人についていこうと思ったの?
彼のどこに惹かれるの?
ノートはわたしのことが好きで。
わたし以外に理解者なんているはずもなかったのに。
いつの間にか、ぽっと出の女に居場所を奪われた。
一体、どうしてこんなことになっちゃったの?
こんなのわたしの望んだ未来じゃない。
こんなことなら、村から出るんじゃなかった。冒険者になるんじゃなかった。
見捨てられるくらいなら。こんな悔しさを味わうくらいなら。
村で二人でずっと過ごして、大人になっていく方がマシだった。
何が悪かったんだろう。どこで間違えたんだろう。
もう昔みたいには戻れないのかな……。
今日もわたしはそんな後悔をし続けていた。
***
「ねえ、ミーヤ。今日は依頼を受けるのをやめようと思うんだ」
いつものように、ノートとロズリアちゃんの手伝いに行くと、ノートからそんなことを切り出された。
「どうしたの急に?」
「やっぱり昔のことについて、もう一度話し合いたいと思って」
わたしは別に昔のことについてなんて、話し合いたくない。
仲直りがしたいわけでもない。
ただ、ノートが過去のわたしを捨てたことについて、後悔して欲しいだけだ。
「だからいいって。わたし、気にしてないよ」
もちろんそんな本心を言えるわけもない。
笑って受け流すことにする。
しかし、ノートはこちらの配慮を無視して、さらに切り込んできた。
「噓でしょ、それ?」
「そんなことないよ」
「だったら、なんで俺の依頼の手伝いなんかしているの?」
一瞬、ノートにわたしの思惑が見破られたのかと思った。
だけど、冷静に考えてみて、そんなはずがないと気づく。
ノートは鈍い人間だ。
十五年間一緒にいて、わたしの本性に気づかないくらい。
わたしの胸の中に現在進行形で渦巻いている、どす黒い感情に気づけるはずもない。
「それはノートが困っていそうだったから……」
「『
「それは……」
そこまでノートにバレているとは思わなかった。
鈍いノートのことだ。自分で気づけるはずもない。
エルドリッヒあたりが告げ口したのだろう。
「バレちゃったかー。ノートにも早くランク上がって欲しかったから、つい休んじゃったんだよね」
「約束を破って、酷いことを言った幼馴染に普通そこまでする?」
今日のノートはなかなか引き下がってはくれないみたいだ。
面倒に思いながらも、作り笑いで答えた。
「だから気にしてないって、それは。幼馴染が困っていたら、助けるのは当然のことでしょ?」
「気にしてないなら、なんでエルドリッヒさん達に噓を吐いていたんだよ」
「それはノートを手伝いたくて――」
「そっちの噓じゃない。スキルを偽っていた方のやつだよ。自分の実力を過少に申告しているでしょ?」
「……」
そこまでバレていると思わなかった。
動揺で顔が引き攣っていくのが、自分でもわかった。
「ミーヤは俺に裏切られたことをまだ気にしているんだろ? だから、『
「っ……」
「もういいよ。隠さなくて。大体わかっているから」
噓だ。ノートは何もわかっていない。
わかっているんだったら、さっさとロズリアちゃんと別れて、わたしだけを頼ればいいんだ。
今度はわたしがノートを捨てる番になるんだ。
「俺に言いたいことがあるんでしょ? 不満だってたくさんあるんでしょ?」
あるに決まっている。文句だって言い切れないほどある。
だけど、それを言ったら、ノートはわたしにもう執着しなくなる。
それはわたしの望む展開じゃない。
「ちょっとはあるかもね。だけど、文句を言うほどじゃないよ」
「やっぱり正直に打ち明けてくれないんだね……」
ノートは肩を落とす。
肩を落としたいのはわたしの方だ。
もういいから。過去の話なんてしたくない。
わたしの思い通りに動いてよ。昔みたいに。
「ねえ、ミーヤ」
「……何?」
「喧嘩でもしてみない?」
「……どういうこと?」
突然の意味不明な発言に戸惑う。
「なんでそうなるの?」
「俺達って、今まで喧嘩ってほとんどしてこなかったじゃん。それこそ、ブロードの街でミーヤに別れを切り出された時くらいしか」
「それはそうだけど……」
「それってよくなかったと思うんだ。ミーヤだって、昔から俺にたくさんの不満があったはずだ。それなのにお互い溜め込んじゃったから、あんなことになったんじゃないかな?」
あんなこととは、お互いが不満をぶつけ合って傷つけ合った、別れの日の出来事を指しているのだろう。
「ノートの言いたいことはよくわかったよ。でも、わたしは喧嘩って嫌だな。傷つくのも嫌だし、傷つけたくもないよ」
「俺だってできることなら傷つきたくなし、傷つけたくもないよ。でもさ、もう俺達はそういう段階じゃないんだよ。もう綺麗ごとで解決できないほど、関係が拗れてるんじゃないかな?」
わかってるよ。そんなこと。
だから、ノートにわたしが味わった苦しみと同じ苦しみを与えて、それで過去を全部忘れようとしているんじゃん。
それで終わりでいいから。喧嘩なんかしなくてもいいよ。
「そもそも、喧嘩ってしようとしてするものじゃなくない?」
「その通りなんだけどね……」
「それに喧嘩って何するの? 文句を言い合うだけ?」
「いや……そこは冒険者らしく拳で語り合おうよ……」
「拳で語り合うって闘うってこと?」
ノートは頭でもおかしくなったのだろうか。
わたし達が闘い合ったら身体強化スキルを持つこちらが圧勝してしまう。
ぼこぼこにできる。
「まあね。もちろん、武器もアーツもありでいいよ。全力で闘った方がすっきりするでしょ?」
「そんなことしたら怪我しちゃうよ」
「そのためにロズリアがいるんだよ。回復スペルも使えるでしょ?」
「使えますよ。一応、神官もやっていましたから」
ずっと黙っていたロズリアが手を上げた。
「そういうことだ」
「でも、いくら回復スペルがあったって全力でやったら死んじゃうかもしれないよ」
「そこは気をつけるってことで……」
ノートは苦笑いする。
ほら、全然ちゃんと考えてない。
喧嘩しようなんて、ただの思いつきで言っているだけだ。
「それじゃあ、全力で闘えないじゃん」
「なんか一つ勘違いしてない?」
「えっ? 何、勘違いしてた?」
「さっきから聞いていれば、なんで喧嘩で勝つ前提で話しているの?」
「なんでって……」
「言っておくけど、俺も全力で闘うよ。それに負けるつもりもないから」
「――っ」
思わず拳を握りしめてしまう。
落ち着け、わたし。これはただの挑発だ。
わたしに喧嘩をさせるためだけに大口を叩いているだけだ。
本当は勝つ気なんてないんだ。
「俺だってミーヤには不満があるんだ。わざわざ負ける勝負を挑んだりしないよ」
だから挑発に乗るな、わたし。
「それにミーヤがモンスターと戦っている姿を見て思ったよ。昔から全然、成長してないじゃん。これなら、俺でも勝てるって」
成長してないのは、ノートの方じゃん。
モンスターと戦いもしないくせに。
「もしかして、怖いの? 俺に負けるのが?」
「悪いけど、ぼこぼこにされても文句言わないでね」
……乗ってしまった。
馬鹿だな、わたし。何、やってるんだろ。
でも、仕方ないじゃん。ムカつきが抑えられそうになかったんだもん。
「そう来なくっちゃね」
「一応訊くけど、弓も精霊術も使っていいんだよね?」
「もちろん」
「言っておくけど、わたしにハンデがなかったら、絶対勝てないと思うよ」
「それはこっちのセリフだよ」
「――っ」
「ハンデとして、森で闘おうよ。ミーヤが力を120%出せるように」
「……後悔しても知らないよ」
どうして、わたしの幼馴染はここまで人をイラつかせるのが得意なのだろう。
今なら、顔面を全力で殴れる。その自信があった。
「楽しみだな。ミーヤを倒せるの」
「そう余裕ぶっているのも今のうちだからね」
「はいはい。精々頑張ってくださいな」
どうして、わたしが格下みたいな言い方なの?
挑戦者はノートの方でしょ?
決めた。手加減なんて絶対してやらない。絶対に勝つ。
わたしの望んでいた展開ではなかったけど、これはこれでいいかもしれない。
ノートをぶっ倒せば、きっと気持ちがいい。過去に踏ん切りがつくかもしれない。
それこそがノートの思惑なのかもしれないけど、悔しいが乗ってあげようじゃない。
***
「ここなら闘いにちょうどいいんじゃない?」
ノートに連れられた場所は、森の中にぽつんとある荒地であった。
一見した感じだと、決闘するのにぴったりな場所だ。
背の低い雑草しか生えてない半径10mほどの地面があり、その周りをびっしりと森が覆っている。
この狭い草地が決闘のステージということだろうか。
「ここで闘うってこと?」
「木もなくて射線も通りやすいいい場所でしょ? 一応森の中だし、ミーヤのスキルの補正もかかるし」
どうやらノートは、本当にわたしに有利な条件で闘いを始めるつもりらしい。
一体、何を考えているのだろう。勝つ気があるとは到底思えない。
「正気なの?」
「正気って一体何が?」
「いいや。とぼけるつもりなら。後悔しても知らないから」
「はいはい」
そう言って、ノートは背を向けて歩いていく。
わたしから10mほど離れたところで立ち止まった。
「それじゃあ、闘うか」
ノートはダガーを構える。
さすがに今日は武器を忘れなかったようだ。
「いいよ」
わたしも背負っていた弓を構える。
腰の筒から矢を一本指へ挟んだ。
「わたくしはどこへいけばいいですか?」
ついてきたロズリアちゃんが声を上げた。
それにはノートが答える。
「そうだな。端にでも寄っておいてよ」
「というか、わたくしは来る必要がありましたか? お二人の闘いの邪魔になりませんか?」
「いや、必要でしょ。どっちかが怪我をした時に備えて、回復スペルを使える人は欲しいし」
「わたしも一応、精霊術の回復スペルなら使えるよ」
「そういえば、ミーヤも使えたんだったね。じゃあ、審判ということで、端で見ていてよ」
「わかりました。厳正なジャッジを下させてもらいます」
ロズリアちゃんはそう宣言すると、荒地の端まで歩いていった。
どうやらロズリアちゃんは、わたし達の闘いに中立な立場を取るようだ。
立っていた木に背を預けて、腕を組んでいた。
あの場所なら、わたしの攻撃の流れ弾が当たるということもないだろう。
安心して闘える。
正面を見る。ノートと目が合った。
ノートとわたしの距離は直線で10m。
このくらいなら、矢は効果的な武器だ。
距離さえ維持できれば、弓矢だけで勝つこともできる。
もちろんノートも一方的に矢を食らう展開は避けたいはずだ。
必ず接近してくる。
少なくともダガーの射程まで近づかなければ、ノートに勝機はない。
足場は悪くない。雑草はあるが、走りの邪魔にはならないだろう。
開幕速攻、一直線に駆けてくる可能性が高い。
別に問題はない。わたしには【身体強化・大】がある。
近づいたノートを、身体能力の差を活かして、落ち着いて処理すればいいだけだ。
それにノートが近づいてくるには、飛んでくる矢を躱さなければいけない。
この距離なら、ノートが全速力で走っても、わたしは二射くらいなら撃てる。
二射もなくても、一射で決める自信があった。
わたしが勝つビジョンしか視えない。
「それじゃあ、お二人ともいいですか?」
ロズリアちゃんが右手を上げる。
それにわたしとノートは頷いて応えた。
「勝負開始です」
開戦の火ぶたが切られた。
まずは一射。一瞬で決める。
顔は駄目だ。ノートが死んでしまう。
足元に狙いを定めることにする。
ノートが飛び出してくる位置を予測して、矢を射った。
「《偽・絶影》」
ノートの身体に影が纏うのと、姿が消えるのは一瞬のことだった。
――ヤバいっ。
急な殺気を感じて、思わず全力で跳び退いた。
長年冒険者をやってきた身体的反射だ。
動体視力を駆使して、ノートの姿を目で追おうと必死になる。
――いない。一体何が起きた?
焦る気持ちが募る。
目を凝らして、辺りを見回す。
なんだ、さっきのは?
アーツ? 姿を消すアーツなの?
《偽・絶影》と言っていた。そんなアーツ聞いたことがない。
落ち着けわたし。冷静になれ。
混乱すれば、相手の思う壺だ。
よくわからないが、ノートはわたしの知らないアーツで虚を衝いてきた。
闘う前の大口はあながち噓ではなかったみたいだ。
本当にわたしに勝つつもりらしい。
だけど、わたしとノートにはスキルの差がある。
落ち着いて、一つ一つ対処していけば負ける闘いではない。
まずはノートの居場所だ。見失ったままでは攻撃も防御もできない。
荒地中を丁寧に見回す。
ここには遮蔽物もないし、隠れる場所もない。
いるのはわたしとロズリアちゃんの二人きりだ。
じゃあ、どこにいる? 上?
違う。頭上にも、ぽっかりと森の穴は空いている。
――森か。
荒地を囲う木々に目を移す。隠れる場所は山ほどあった。
完全なる誤算だ。ノートはてっきり距離を詰めてくると思っていた。
でも、実際は真逆の手段を選んだ。
距離を取って、森の中へと隠れた。
森の中なら、矢の射線は通らない。
それはノートも言っていたことだ。
わたしの弓を無力化するには、有効な手段だ。
でも、大丈夫。その手段はわたしには通用しない。
「《気配察知》」
狩人の必須である、モンスター探索アーツを発動する。
このアーツを使えば、周囲にいる人間の気配だって探知することができ――。
いない。どうして? 全然、見つからない。
同じく探索系アーツの《超感覚》まで発動してみる。しかし、依然見つからないままだ。
森の中にもいないの? そんなわけない。
じゃあ、どこに行った?
忽然と消えてしまった。
「ロズリアちゃん。ノートがいなくなっちゃったけど。この闘いってどうなるの?」
「そんなことわたくしに言われましても……」
途端、身体に鳥肌が立つ。
自分の首をが搔き斬られる光景が視えた。
また、反射的に身体が動いてしまった。その場から離れるように転がる。
何もない。身体に手を当て、傷一つついていないことを確認する。
今のは殺気を飛ばされただけだ。本当に攻撃されたわけじゃない。
ようやく気がついた。最初に消えた時も、同じく殺気を放っていたみたいだ。
殺気を飛ばされたということは、ノートが付近に潜んでいることだ。
どうやら戦闘続行の意思はあるらしい。
わたしがロズリアちゃんに闘いの継続の有無を訊いてしまったために、仕方なく存在を示したのだろう。
ノートはわたしと別れてから、盗賊の
盗賊には《隠密》という気配を消すアーツがあったと思う。
そのアーツで、今も姿を消しているようだ。
《気配察知》と《超感覚》があれば、《隠密》を見破れる気もするけど……。
もしかしたら、何らかのトリックがあるのかもしれない。
世の中には首切りという《気配察知》すら効かない《隠密》使いもいるらしいし、例外もあるだろう。
先程、殺気が飛んできた場所に目を向ける。あの木からだったはずだ。
弓を引き絞る。矢を放つ前に思い留まる。
駄目だ。焦ってはいけない。
ノートは殺気を放った後、すぐさま潜伏場所を移動したはずだ。
もうあそこにはいない。
矢を射れば隙ができる。
ノートはわたしに隙ができれば奇襲をかけてくるだろう。
ノートはわたしに隙ができるのを待っている。
隠れて機を窺い、一瞬で勝負を決める。
盗賊としての戦い方そのものだ。
わたしはノートへの認識を改めなくてはいけないかもしれない。
彼はある程度、盗賊の基礎が身についている。
よっぽどいい師匠を見つけたのだろう。
だけど、基礎が身についているからといって、勝負に勝てるものでもない。
結局、勝敗を分けるのは、お互いの実力だ。
盗賊の戦い方にだって、弱点は存在する。
「《
範囲殲滅型スペルによる攻撃。
木々に潜んでいるなら、この辺り一帯を更地にしてしまえばいい。
《
高威力のスペルを選んでいく。
「ロズリアちゃん、ごめん。自分の身は自分で守ってね。できるでしょ?」
「正気ですか? そんなの撃ったら、ノートくんが……」
ロズリアちゃんはわたしの練り上げる魔力に慄く。
もちろん、これを撃ったらノートはただじゃ済まないだろう。
だから、わたしの一撃を止めるべく、飛び出してくるはずだ。
そこを叩く。
こちらの隙を黙って待っているんだったら、こっちも逆にノートの隙を作り出せばいいだけだ。
盗賊には、ガード系スペルはない。ロズリアちゃんみたいに防ぐことはできないはず。
さあ、出てこい。決着をつけてやる。
「……」
出てこない。
ノートもこちらの意図を察しているのかもしれない。
この精霊術がブラフだと判断したのだろう。自分を引っ張り出すための。
そう来るなら、わたしも容赦はしない。全力でノートを倒す。
「
出てこないなら本気でスペルを放つだけだ。
「《不落城壁》」
ロズリアちゃんが防御スペルを展開したのを確認して、わたしは現象指定を行った。
「――
魔力は風の渦と変換され、やがて炸裂した。
《
わたしが現状で使える最高位の精霊術。
それが《
このスペルが発動すれば、あとは待っているのは破壊のみだ。
風は牙となり、木々や大地を切り裂いていく。
草木や岩が舞い、周囲を黒い渦で染め上げていく。
ロズリアちゃんは大丈夫だろうか。
あの子の《不落城壁》はすごい硬さだ。
最初に見た時は驚いた。『
ロズリアちゃんなら、きっと防いでくれる。
そこは信頼して、詠唱させてもらった。
ノートはきっと、このスペルを防ぐ術を持っていない。
彼はロズリアちゃんとは違う。持たざる者だ。
逃げてくれただろうか。わたしの詠唱中に。
そうでなければ、死んでしまう可能性だってある。
そこまで馬鹿じゃないはずだ。
気の弱いノートなら、きっと逃げてくれるはず。
このスペルの威力を目の当たりにすれば、ノートだって負けを認めるだろう。
わたしの勝利は決まったようなものだった。
ノートはわたしが精霊術を発動する前に、無理をしてでも飛び出さなければならなかった。
そうすれば、勝ち筋はほんの少しだけ残っていたのに。
なぎ倒された木々を見て、そんなことを思った。
辺りは自然の脅威が過ぎた後だった。
直立している木は既に一本も存在しない。もはや災害の痕だ。
数百メートルにわたって、生命の痕跡は残っていない。
嵐は破壊の限りを尽くしていた。
「ロズリアちゃん、大丈夫?」
倒れる木々の中、そびえ立つ光の城壁に向かって話しかける。
光が消えると、その中からロズリアちゃんが這い出てきた。
「わたくしは大丈夫ですけど――」
そう言って、ロズリアちゃんは周囲を見回していた。
そこにあるのは、自然の残骸だけだ。ノートの姿は見つからない。
「生きてるー⁉ ノート!」
口の横に手を当て、大声で叫ぶ。
遠くへ逃げたノートに聞こえるように。
「生きてるんだったら、出てきてよー!」
「ほら、お望み通り出てきたよ」
背後。耳のすぐそばから、声が聞こえた。
振り向こうとするも、首に冷たい金属の感触があり、身体が固まった。
「さすがに俺の勝ちでいいよね」
ノートはいつの間にか、わたしの首にダガーを当てていた。
完全に背後を取られた。隙ができていた。
わたしの生死は完全にノートにゆだねられている状態だった。
なんで? という問いをグッと堪え、わたしは宣言した。
「……降参です」