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第60話 裏切り

「見てください、ノートくん。あそこの家の前、雪だるまがたくさんありますよ」


「本当だ。大きいのに小さいのにと、なんか家族みたいだね」


 民家の軒先に並ぶ雪だるまを眺めながら、隣を歩くロズリアの言葉に答える。

 この街の雪景色にもだいぶ見慣れてきた。


 一週間に二日ほどのペースで降る雪は、冬晴れの日差しでは溶け切らず、道の端には茶色く土で汚れた雪が積もっていた。

 石の道路は溶けた雪が再度固まって、上を歩くと滑り転げそうだ。

 だからといって、道の端を歩けば、残った雪が靴の中に入り、靴下を濡らしてしまう。

 あんなに降る前は楽しみだった雪が、今では早く冬が終わって綺麗さっぱりなくなって欲しいと願うほどだ。


 非日常はいつの間にか日常になって、退屈に変わってしまった。

 それは日常に新たな刺激が加わってしまったから。

 雪の白さが色あせてしまったのかもしれない。


「じゃあ、ここで」


 いつもの分かれ道に差し掛かると、手を上げた。


「はい……」


 ロズリアは名残惜しそうな表情を浮かべると、俺の瞳を見つめた。


「ノートくん、最近大丈夫ですか? 仕事忙しいみたいで、身体壊したりしてませんか?」


「身体は大丈夫だと思うよ。でも、忙しいのに変わりはないからなぁ……」


「それならいいですが……」


「ごめんね。あまり会う時間作ってあげられなくて。今日も少ししか話せなかったし」


 今の時刻はまだ夜の八時半だ。

 ロズリアと会ってから、まだ二時間しか経っていない。


「仕方ないですよ。明日も仕事が早いんでしたよね?」


「うん、最近同僚の人がたくさん辞めちゃってね。朝の仕分けのために早く行かなくちゃいけないんだよ。ごめん」


「それは何度も聞きましたって。わかっています。ノートくんは何も悪くないんだから、謝らないでください」


「それと、明後日の休日も。会えなくなってごめん」


「だから、謝らないでくださいよ。忙しい中、こうして週に一回時間を作ってくれるだけでも感謝しているんですから」


「本当にごめん……」


「もう……。そこまで謝りたいなら、今度埋め合わせをしてください。事業所に新しい人が入ったら、楽になるんですよね?」


「うん、多分……」


「そうしたら、うーんと休みを取って、どこかに二人で旅行しに行きましょう。それで許しますよ」


「わかった。約束するよ」


「ありがとうございます。しっかり約束守ってくださいね」


 そう言って、ロズリアは笑顔でふかふかとした手袋をはめた右手を振った。


「それではさようなら。また来週!」


「じゃあね……」


 ロズリアの姿が見えなくなるまで手を振って、しばらくすると腕を下ろした。


「また守れない約束しちゃったな……」


 白々しく噓を吐く自分に嫌気が差す。

 何が約束だ。何がごめんだ。何が忙しいだ。

 そんなの全部噓じゃないか。


 職場で辞めた人間なんていない。仕事が忙しくなってもいない。

 ただ、ロズリアの誘いを断り、時間を確保するための方便。

 自分のことしか考えていない、浅ましい噓だ。

 一秒でも時間が惜しい今の自分には、ロズリアと旅行に行くつもりもさらさらなかった。


「ここでうじうじ悔やんでいても、もったいないか……」


 一人呟いて、目的地へと足を向けることにした。


「行くか、ヒューゲルさんのところへ」


 こうして今日も、俺はヒューゲル宅へと向かい修業をすることとなった。






「おお、来たか。ノート殿。今日は遅かったな」


「ヒューゲルさん、どうも。お邪魔させてもらいます」


 扉を開けてくれたヒューゲルの後に続き、家の中に入って靴を脱ぐ。

 そのまま廊下に上がり、奥へと向かう。


「今日は夕食を食べてきたのか?」


「はい」


「では、間を挟まず修業し続けられるな」


 そう言って、ヒューゲルは地下室へと続く階段を下りていく。

 俺もその背中を追っていった。


 ヒューゲルとエイシャが住んでいる家は二階建ての大きな一軒家だ。

 外見はぱっと見、普通の民家だが、地下には広大な部屋があり、そこが修業場所となっていた。


 元々ヒューゲルは首切りであることを隠しながら修業できる場所を探していた。

 そして、たどり着いたのが自分の家の地下を修業場に改造するという大掛かりな手段だった。

 地下室に着くと、エイシャが戦闘用の服を着ていて、部屋の中央で待っていた。


「こんばんは、待っていましたよ」


「すみません、エイシャさん。今すぐ着替えてくるんで、もうちょっとだけ待っていてください」


「わかりました。では、その間ヒューゲルさまとお話ししております」


「いや、私も着替えたいから、一人で待っていてくれ」


「そ、そんな……」


 エイシャが膝から崩れ落ちる。

 しかし、ヒューゲルは彼女の様子に気づかず、更衣室へと入っていく。


 こういう光景は見慣れたものなので、いちいち慰めてもキリがない。

 俺も更衣室へ入り、バッグから取り出した動きやすい服と、この家に置きっぱなしにしている靴などの装備を身につけていく。


 着替え終わると、地下室の中央で三人して向き合った。

 ヒューゲルが口を開く。


「それでは修業を始めようか」


 俺達が三人でこうして修業をするようになった理由に触れるには、王都に最初に雪が降った日へと遡る必要がある。

 俺がヒューゲルに夜道で再会して、彼の家に行った後の出来事だ。

 あの後、俺はリビングへと通された。

 三人で腰を据えて、近況の報告や過去の身の上話をすることとなった。


 当然、俺が『到達する者(アライバーズ)』を辞めた理由にも触れることとなる。

 ジンが死んで、リーダーのフォースとエリンが自身の実力不足を嘆いていなくなって。

 それで俺も彼らの真似事をしようと師匠であったリースの下を訪ね、彼女から冒険者を辞める意思を告げられて。

 もうパーティーとしての活動も自分を鍛えることもできなくなって。

 リースに倣って冒険者を辞める決意をしたこと。

 ロズリアの部分だけを包み隠して、事実を話した。


 約束を破って、こうしてヒューゲル達と会っていることを、彼らに知られれば咎められ てしまう。

 悪いことをしている自覚があったから、話すことができなかった。


 ロズリアを除いた全ての話を語り終えると、彼らは意外な提案をしてきた。


『なら私達が師匠となって、ノート殿を鍛えようか?』


 それは今の自分が一番望んでいた言葉だった。

 きっと、この提案をして欲しくて、今まで身の上話をしたのではないかと思うほどに。


 ジンがいなくなって。『到達する者(アライバーズ)』もなくなって。

 俺は冒険者を辞めた。

 不本意な結末だった。夢を諦めるしかないと思っていた。


 だから、ロズリアと二人で逃げるように王都に来た。

 冒険者時代の輝かしい思い出を記憶から塗りつぶすように、今までとはかけ離れた生活を送ってきた。


 でも、それは望んでいた出来事ではなかったはずだ。

 本当は冒険者を続けたかったはずだ。


 ずっと『到達する者(アライバーズ)』にいたかった。

 ずっとダンジョン攻略をしたかった。

 俺は自分でも気づかないほど、冒険者でいることが好きだったんだ。

 そんな大事なことに今さら気がついてしまった。


 冒険者としてのスリル溢れる日常が好きだった。

 新鮮で、目新しいものがいっぱいで、退屈さの欠片もない日常を愛していた。

 半年間の平和で退屈な生活を歩んで、ようやく自分の欲望に気がついてしまった。


 だから、ヒューゲルの提案に頷いたのは自然なことだった。




「それではまずいつも通り、ヒューゲルさまとノートさんでウォーミングアップがてら戦いますか。その後、わたし対お二方の二対一をやりましょう」


 不思議なことに、このメンバーの中で一番の勝率を誇っているのは、エイシャであった。

 というのも、ヒューゲルは修業の際、ハンデを負っているからだ。


 首切りがこの国最強の暗殺者とされる所以は、その精度の高い《隠密》にある。

 彼の《隠密》は一度発動してしまえば、たとえ目の前にいようとも、普通の人では姿を捕捉できない。

 修業で《隠密》を使ってしまうと、エイシャがヒューゲルを捕捉できなくなり、戦いにならないのだ。

 なので、修業では《隠密》を禁止したハンデマッチを行っている。


 そうなると、今度は直接戦闘の経験がほとんどないヒューゲルが、純粋な盗賊としての戦闘能力を有しているエイシャに敵わなくなるのである。

 ちなみに、俺は半年のブランクのせいか、最初の方は全くと言っていいほどヒューゲルに太刀打ちできなかった。

 今では冒険者だった頃の感覚を取り戻して、ヒューゲルと互角近い戦いを繰り広げられるようになってきた。

到達する者(アライバーズ)』時代の全盛期と同じくらいの実力までなんとか戻せたようだ。


 問題はここから。俺が冒険者として、どう成長していくのかということである。

 ヒューゲルとのウォーミングアップを兼ねた戦いを終え、一休憩挿むと、二人してエイシャに向き合った。


 俺は刃を落としたナイフ、ヒューゲルも同じく刃を落として緩衝材をつけた大剣を手にしている。

 対するエイシャは武器を何も構えていない。素手だ。


 これは決して俺達を侮っているわけではない。

 彼女の戦い方が徒手空拳というだけだ。

 エイシャは体術系のスキルを持っているため、武器を使って戦うより、素手で戦った方が強いのだ。


 それに彼女は情報収集のため、敵地に潜入することが多い。

 よって、武器を使った戦い方を極めるより、いつどんなところでも戦える体術の方が、利便性があるとのことらしい。


 一応、今は丸腰というわけではなく、両手の中指には小さな指輪をはめていた。

 これが彼女の強さの秘訣の一つである。


「行きますよ、エイシャさん」


「いつでも大丈夫ですよ。ヒューゲルさまも来てください」


「おうっ!」


 ヒューゲルが駆け出した。

 俺も彼の後ろを追走する。


 エイシャの戦闘職(バトルスタイル)は盗賊だが、その戦い方は純粋な盗賊とは異なる。

 自身の鍛え上げた体術、そして装備した指輪を触媒としてスペルを発動しながら戦う魔法行使(スペルキャスト)系盗賊である。


 魔法とは本来、魔導士系の戦闘職(バトルスタイル)の者が、幼い頃から膨大な術式の知識を詰め込んで、ようやく行使できるようになるものである。

 しかし、この世界にはもう一つ魔法を使えるルートが存在する。

 魔法にまつわるスキルを手に入れることだ。


 魔法系のスキルを得ることで、魔導士が幼少期に行う努力の工程をある程度飛ばすことができる。

 スキルは絶対で、スキルを持つ者は持たない者に比べ、その分野で勝つことはできないのだ。


 もちろん、スキルを手に入れただけで、魔法をマスターすることはできない。

 一流の魔導士になるには、幼少期から築き上げてきた努力とスキル、どちらもが必要十分条件となる。

 魔導士になる環境で生まれず、スキルをただ手に入れただけの者は、本職の魔導士に比べ、術式の数も、威力も、発動速度だって数段劣るのが現実だ。


 そうこうしているうちに、先頭にいたヒューゲルがエイシャへと距離を詰めた。

 横薙ぎの一閃を放つ。

 幾人もの悪人の首を刈り、首切りの異名の元となった自慢の一撃だ。


 しかし、本職の魔導士に負けるからといって、魔法行使(スペルキャスト)系近接戦闘職(バトルスタイル)のスペルが全く使い物にならないというわけではない。

 魔導士のように戦えないというだけだ。


 使用する術式を限りなく絞って、杖等の魔法に使われる触媒もそのスペルを放つことに最適化した調整をし、ただそのスペルを発動するために自身の魔力経路(パス)を鍛えていけば――。


 その分野において魔法行使者(スペルキャスター)は、魔導士を上回る(・・・)



「《超音撃掌底(ソニックショット)》ッ!」


 エイシャの掌から放たれた衝撃波は、ヒューゲルの一閃を弾き返し、そのまま彼を吹き飛ばす。


超音撃掌底(ソニックショット)》。

 魔法スペル《超音撃波(ソニックブーム)》と体術アーツ《掌底(ショット)》を組み合わせたエイシャオリジナルの技である。


 指輪を触媒に、魔法で音の衝撃波を放ち、それを自身の《掌底(ショット)》に乗せる。

 単純だが、その威力の掛け算は凄まじい。

 大柄なヒューゲルを3m近く吹き飛ばしてしまった。


 しかも、それが修業用の抑えた威力であり、ヒューゲル本人に直撃させたわけではなく武器に当てただけというのだから驚きだ。

 もし生身の人間に《超音撃掌底(ソニックショット)》を直撃させれば、容易に対象を殺すことも可能だろう。


 しかし、それほどの大技、連発できるわけもない。

 本職の魔導士のような魔法戦は行えないのが魔法行使(スペルキャスト)系近接戦闘職(バトルスタイル)の弱点だ。

 右手の指輪に溜めてあった魔力は、今の《超音撃掌底(ソニックショット)》で使い切ったはずだ。


 魔力の装塡には時間がかかる。

 もうこの戦闘では行使できないとカウントして構わない。


 残るは左手の一発のみ。

 もう一度《超音撃掌底(ソニックショット)》を撃たせて、魔法の残弾がなくなったところをヒューゲルと二人で叩く。

 あえて、エイシャの左側に陣取り、左手の一撃を撃たせるよう仕向ける。


 彼女も俺が誘っていることに気がついているだろう。

 知ってもなお、誘いに乗ってくるのがエイシャだった。


「《超音撃掌底(ソニックショット)》ッッ!」


 ――《偽・絶影》。


 自身の黒く蠢く影が、音速で迫りくる空気の壁を躱す。

 衝撃の余波が広がり、身体を打つ。

 少し体勢を崩して立ち止まるが、この程度戦いを止めるほどのダメージじゃない。

 よろめく身体を動かそうとして、ふとエイシャの右手の動きが気になった。


 何かを落とした? 光る宝石みたいなものを。


「ノート殿! 耳を塞いで!」


 ヒューゲルの叫び声が聞こえる。

 エイシャは音系統の魔法を得意とする。

 それはスキル【魔力放出】による魔法自体の行使への補正と、【聴覚強化】の上位互換スキルである、【聴覚調整】という聴覚を自在にコントロールできるスキルの補正により、音系統の魔法適正を得ているからだ。


 だから、これから何が起こるかもある程度予想できた。

 エイシャが地面に放った宝石は触媒だ。

 魔法を行使するために、魔力がふんだんに込められた。


「《音爆撃(サウンドボム!」


 頭がかち割られたような衝撃に見舞われる。

 爆発音は鼓膜から直接脳みそを叩きつけ、平衡感覚を狂わせる。

 襲い来る音の情報量に、脳が外界を遮断した。視界がすぐさまホワイトアウトする。


 数秒経って、意識が元に戻ると、静かな世界が待っていた。

 何も聴こえない。自分の呼吸の音も、心臓の音も聴こえなかった。


 おそらくエイシャがあの時発動したのは、爆音を放つスペルだったようだ。

 その影響で、聴覚が壊れてしまったようだった。


 自分のスキル構成をよく活かしたスペル選びだと思う。

【聴覚調整】により、自身の攻撃の影響を受けずに、相手だけに爆音攻撃を与えられる。


 相手に隙ができれば、瞬間に体術で片をつけられる。

 あのレベルの音量、耳を塞いだところで回避できるものでもない。

 耳を塞いだところでその隙に《超音撃掌底(ソニックショット)》をぶつけられてしまう。

 必勝に近い戦法の一つと言っても過言じゃない戦い方だろう。


 ただ問題としては、その技は修業で使う規模のものではないということ。

 エイシャが何か口をパクパクとさせているが、何を言っているのか全く理解できない。

 聴覚が全然戻ってくれないのだ。


 ヒューゲルの方に目を向けるが、彼も耳を押さえていた。何も聞き取れていないようだ。

 少なくとも耳が元に戻るまでは修業は中止だな……。

 両手を重ねながら頭をひたすら下げているエイシャを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。




「すみませんでしたっ!」


 エイシャの大きな謝り声が聞こえてくる。

 修業を中断して、早一時間。

 三人は現在、ヒューゲル宅のリビングで向かい合っていた。


 キーンとした耳鳴りは残っているが、概ね聴覚は回復している。

 エイシャの謝罪を聞きながら、正面にいたヒューゲルはため息を吐いた。


「過ぎたことだから、仕方ないが……。あのスペルはこの家では使用禁止だっただろうが……。ご近所さんにまた怒られるじゃないか……」


「はい……」


 ヒューゲルが呆れるのも無理はない。

 エイシャの《音爆撃(サウンドボム)》はものすごい威力のスペルだ。

 発動時に近くにいる者をその爆音だけで行動不能にしてしまう。

 どんなに身構えていても、対処不可能な大技だ。


 しかし、その効果は絶大なあまり、修業で使われると当分の間、耳が聴こえなくなって勝負の続行ができなくなる。

 それにヒューゲルの言った通り近所迷惑だ。

 いくら地下室で爆発させたからって、家からは爆音は漏れ出てしまう。


 しかも、今は夜のため、寝ている人も多かっただろう。

 爆音に起こされてしまった人は気の毒だ。

 今後は気をつけて欲しい限りである。


「それにしても、どうして《音爆撃(サウンドボム)》を発動させたんだ? 禁止してたことを忘れていたわけではないだろ?」


 ヒューゲルがエイシャに確認する。


「忘れていたわけではないです。ただノートさん、《超音撃掌底(ソニックショット)》を避けた後、グッと加速しましたよね? それを見て『やられちゃう』と思って焦ったら、つい癖で《音爆撃(サウンドボム)》を発動しちゃったんです」


「確かに加速していたな。あれは一体なんなんだ?」


 ヒューゲルまでもが尋ねてくる。

 そういえば、彼の前で《偽・絶影》を使うのは初めてだったことに気づく。

 ジンの暗殺を取りやめてもらうための決闘では、長期戦を見越して反動のある《偽・絶影》は使用しなかった。

 王都で再会してからの修業でも、これまでの手合わせはブランクを埋めるための戦いと割り切って、上級技である《偽・絶影》は封印していた。


 全盛期の自分の実力が戻りつつあるのを確認して、今日の戦いでようやく解禁したのだ。

 それが回りに回って、今回の《音爆撃(サウンドボム)》騒動に繫がっていたとは……。


「ジンさんの《絶影》の真似事みたいなアーツですよ。自分の行動速度を極限まで加速するモードに入るアーツです。ジンさんのに比べたら、速さも持続時間もかなり見劣りしますけどね」


「わたしから見たら、だいぶ驚異的な速度でしたけどね」


「そうですか? そんなこと言ったら、エイシャさんの方がすごかったじゃないですか。《音爆撃(サウンドボム)》。あんな奥の手があったなんて知りませんでした」


「あれは本当に命が危険だと思ったとき用に取っておいていますから。そう易々と見せるものではないんですよ。《音爆撃(サウンドボム)》を見せたということは、ノートさんのアーツをそれだけ危険なものだとわたしは判断したんです」


「そこまで警戒しないでもよかったと思いますよ。《偽・絶影》はスピードだけを上げるアーツなので、攻撃が強化されるわけでもないですし。攻撃面に関しては今までのへっぽこな自分だと思ってくれて構いませんよ」


 ヒューゲル達と連日、修業をしている俺だが、攻撃技術に関してはからっきしという進捗状況だった。

 そもそも、俺は『到達する者(アライバーズ)』時代も攻撃は苦手としていた。

 そんな俺が唯一使えるアーツの《必殺(クリティカル)》も成功確率はあまりよろしいものじゃなかった。


 それはヒューゲル達との修業においても、何も変わっていない。

 今までの修業は半年間のブランクを埋めているだけに過ぎない。

 21階層に挑んだ時点か ら、成長しているわけではなかった。


「それにしても、二人がかりでもなかなかエイシャさんに勝てないですね。もしかしてエイシャさんって盗賊の中でもかなりトップクラスの戦闘能力を持っているんじゃないですか?」


 その問いにはヒューゲルが答える。


「私もそう思っている」


「ですよね、やっぱ。自分も強すぎるって思っていましたもん。少なくとも、ピュリフの街にいたダンジョン攻略パーティーくらいとは渡り合えそうですよね」


 俺は『到達する者(アライバーズ)』の皆や、『復讐の戦乙女(ヴァルキリー)』のリースの実力を見てきたが、決して見劣りしない実力をエイシャは持っているように思えた。

 しかし、彼女はそそくさと否定した。


「それはないですよ。過大評価です。わたしがダンジョン探索なんてしたら、おそらく5階層までも行けませんよ」


「そんなことないんじゃないですか? 瞬間最大攻撃力だけを見たら、ジンさんにも勝っていそうですし。耐久力がやたらとあるダンジョンモンスターは得意そうに感じますけど」


「攻撃力はあっても、ダンジョン探索に必要な継戦能力がないですから」


 エイシャは首を振って答える。


「《超音撃掌底(ソニックショット)》二発に、《音爆撃(サウンドボム)》一発。それくらいが一戦闘に使えるスペルの限界です。魔力量も少ないので、指輪などに魔力を充塡できるのも、一日に一回ほどですし、モンス ターがたくさん湧いてくるダンジョン探索には向かない戦い方なんですよ」


「エイシャは情報収集用に能力を鍛えているからな。潜入などを失敗した時に備えて、窮地を脱する瞬間的な戦いに特化しているんだ」


 ヒューゲルやエイシャの戦い方は、バランスが悪く、とても歪に思える。

 己の長所を伸ばし、短所な分野では戦わない。

 冒険者にはなかなか見られないタイプだ。

 それは彼らが冒険者ではなく、殺し屋だからかもしれないが。


「さあ、そろそろ耳も治ってきたことだし、手合わせを再開するか」


「そうですねっ、ヒューゲルさま」


 そう言い出して、ヒューゲルとエイシャは二人して立ち上がった。

 俺も続くように椅子を引いた。


「本当にありがとうございます。俺のために修業をつけてくれて」


 俺が感謝の気持ちを述べると、ヒューゲルは肩に手を置いてきた。


「気にしないでくれ。この手合わせはこちらとしても助かっているんだ」


「そうなんですか? 毎日のように時間を取ってもらって、嬉しいですけど、申し訳ない気持ちでいっぱいなんですけど」


「なに、私達が訓練をするのは毎日のことだから、心配いらないさ。な、エイシャ?」


「はい!」


 ヒューゲルの呼びかけに、エイシャは恋する乙女の眼差しで応えていた。

 俺は疑問に思ったことを二人に投げかける。


「お二人は、そんなにお強いのに、毎日のように訓練しているんですか?」


「もちろんだろう」


 ヒューゲルが大きく頷いた。


「私達は冒険者じゃないからな。モンスターと戦う機会もないから、すぐに腕が鈍ってしまうんだよ」


 それに、とヒューゲルは続ける。


「首切りとしての素性を隠したいから、対人戦の経験をしたいのに相手がいないんだ。それで私とエイシャはこうして自前の地下室で特訓をしているわけだが、いつも同じ相手になると戦いがワンパターンになってしまうんだ」


「だから、ノートさんとの手合わせはこちらとしても、メリットが多いんですよ」


 なるほど。そういう裏もあったのか。

 確かに、首切りという暗殺者にとって、その正体が暴かれることは死に繫がる。

 たくさんの人間に恨まれているだろうし、手の内がバレて正面戦闘が苦手と知られれば、それこそ暗殺者をけしかけられるかもしれない。

 首切りの正体を掴んでいる俺という存在は、数少ない修業相手に適した存在なのかもしれない。


「そうとわかれば遠慮はいらないんですかね? じゃあ、修業を再開しましょうか」


「そうだな」


「ええ、そうしましょう」


 こうして俺達三人は、地下室へと続く階段を下りていくのであった。


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