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第58話 忘れられない感覚

「いやぁー。聞いてくれよ」


「どうしたんですか?」


 配達の最中、ヒルトンの方から声をかけられる。

 荷車を押す彼の横で歩きながら返事をした。


「今日の朝食で目玉焼きを食べていたら、ちょうど最後に黄身を食べるっていう段階で、 目玉焼きを落としちゃったんだよ」


「それは残念でしたね」


 何の話が始まったんだ? と内心で首を傾げながらも、適当に相槌を打つ。

 すると、ヒルトンは「話はまだ終わっていないんだよ」と断ってきた。


「家を出る直前に左右違う靴下穿いたことに気づいてしまって遅刻しそうになるわ、いざ外に出たと思ったら水たまりを踏んで靴が濡れるわで、今日は最悪の日なんだよ」


「それは最悪というより、微妙に運が悪い日って言った方が正しいと思いますが……」


「そうか?」


「最悪っていうのは、一応最も悪いって意味ですよ。それくらいの不幸なら全然許せるじゃないですか」


「それもそうだな」


 ヒルトンは納得したかのように頷く。


「ということで、今日はこのあとも不幸な出来事が続く気がするんだ。お前にまで被害が及んだらごめんな」


「なんですか、それ。今日一日はなるべくヒルトンさんから離れておくことにします」


 荷台にある手紙を取って、ヒルトンの傍から離れる。


「おい、悲しいこと言うなって」


 配達場所であった郵便受けに手紙を入れに行っただけなのだが、俺が避けているのだと勘違いしたようだ。

 ヒルトンは荷車を置いて、追いかけてくる。


「冗談ですよ。荷物盗まれると危ないんで、戻ってください」


 荷車から目を離したヒルトンを咎めながら、自分も戻っていく。


「でも、いるのか? わざわざ手紙なんて盗んでいくやつ。なんのお金にもならねえだろ」


「それもそうですけど。もしかしたら、この中に国家機密レベルの文章が交じっていて、スパイが奪いに来るってこともあるかもしれないじゃないですか」


「まずないだろ……」


「自分で言っておいてなんですけど、普通にあり得ないですね……」


「なら言うなよ……」


「まあ、そうなんですけどね……」


 頭を搔きながら、周囲を見回す。

 今、通っているのは王都の北側にある大通りの一つだ。

 真っ昼間という時間帯なのに、人通りが少ないのが特徴的である。


「でもこの地域、治安悪いらしいですよ」


「そうなのか? 長年王都に住んでいるけど、そんな話聞いたことないぞ」


「治安が悪いってより、最近になってよく事件が起きているって感じらしいです。ロズリアから聞いただけなんですけど」


「お前の彼女からか」


「彼女じゃないですって」

 そんな世間話をしながら歩いていたところだった。


「ど、泥棒よ!」


 白昼の大通りに女性の大声が響きわたる。

 声の方向に目を向けると、尻餅をついている年配の女性が。

 その先には、女物のバッグを抱えて走り去っていく男の姿もあった。


「まさか、噂してた傍から、ひったくり現場に出遭うなんて。ヒルトンさん、微妙に運が悪い日ですね」


「そんなこと言っている場合か。ノート、追いかけるぞ」


「本気ですか?」


「本気も何も、追いかけないわけにいかないだろ」


 マジか……。これ追いかける流れですか?


「追いかけるってこの荷物はどうするんです?」


 配達物が入っている荷車を指さした。

 俺は道端で困っている人間を見かけたら即座に手を差し伸べるような善人じゃない。

 自分の用事だとか、手を差し伸べるリスクだとかを考えて、躊躇ってしまうタイプの人間だ。


 しかし、ヒルトンは俺とは正反対の人間だった。

 荷車の持ち手を離し、こちらを向いた。


「そんなの気にしている暇ないだろ。早くしないと見失うぞ」


「追いかけてどうするんです? 戦うんですか?」


「戦うというか、捕まえるんだろ」


「泥棒なんてするくらいですから、何か凶器を持っているかもしれませんよ。それに強力な戦闘スキルも。追いかけるのは危ないですって」


「何、ビビッているんだよ。お前だって、元冒険者だったんだろ? 男らしいところ見せろよ」


「男らしいところも何も、何かあってじゃ遅いんですよ。ヒルトンさんには家族がいるんですから。大人しく憲兵でも呼びましょう」


「ああもう、こうやって話していても埒が明かないな! お前が行かないなら、俺一人で行く! お前は大人しくここで待って、荷物でも見てろ!」


 ヒルトンが駆け出しそうになったので、慌てて手を取る。


「なんだよ、邪魔するな」


「そうじゃないですよ。仕方ないですね、俺も行きます。だから、落ち着いてください」


 王都へ向かう馬車の中で交わした、ロズリアとの約束もある。

 できることなら、自分から危険事に首を突っ込みたくなかったところだが、仕方ない。

 ここでヒルトンを放っておいて、彼が命を落とすなんてことになったら、目も当てられない。

 ジンの時と同じ失敗を繰り返すのは避けたかった。


「落ち着くも何も早く追いかけないと!」


「別に走って追いかける意味なんてないですよ」


 そう言いながら、アーツを発動するのも久しぶりだな、なんて考えていた。

 有効範囲最大。今持てる全力の《索敵》を発動する。


 ――気配を捉えた。


 そのままひったくり犯の気配を脳内に焼き付ける。

 これならば、男が人ごみに紛れようとも、《索敵》の範囲内にいるうちは見失わない。


 幸いにも、ひったくり犯の戦闘力はそこまで高くなさそうだ。

《索敵》から感じられる気配でおおよその見当はつく。

 元冒険者であったヒルトンより少し弱いくらい。


 ヒルトン一人で行かせても問題ない気はするが、向こうが武器を持っていたり仲間がいたりしたら話が変わってくる。

 そもそもひったくり犯の居場所を掴んでいるのは俺なので、一人で行かせるということはできないのだが。


「走って追いかける意味なんてないってどういうことだ?」


 ヒルトンが声を荒らげながら訊いてくる。

 随分と頭に血が上っているようだ。

 俺は宥めるように答えた。


「追いかけないって意味じゃないですよ。言葉足らずでした、すみません。ゆっくり追いかけようって意味です」


「それじゃあ、見失うだろ」


「実は自分にはちょっとした特技がありまして。周囲にいる人の位置っていうのがわかるんですよ。それで既にひったくり犯の位置は完全に掴んでいます」


「本当なのか?」


「別に噓なんて吐かないですよ。だから、ゆっくり追いかけましょう」


「そんな特技聞いたことないぞ?」


「【地図化(マッピング)】とアーツを組み合わせると、そんな感じになるんですよ。詳しい説明は面倒なのでしませんけど……」


 驚きに満ちた目で見つめてくるヒルトンを無視し、倒れていた女性の方へと駆けよった。

 一応、この女性に断っていかなければならないことがあった。


「今からバッグを取り返しにいくんで、この荷車の荷物、誰かに取られないよう見ておいてくれませんか?」






 人気のない小路を一人歩く男を見つめる。

 身長が高く、猫背な20代くらいの男性だ。

 ジャケットのファスナー部分を握っている。

 身体の線が細い割に、その部分だけがやけに膨らんでいた。

 どうやら、盗んだバッグを懐に隠しているようだ。


 男が進む路の前方の角にはヒルトンが待ち構えている。

 二人で挟み撃ちをする態勢だ。

 どうやら、路地を歩く男は俺達の存在に気がついていないようだ。

 自分は《隠密》を発動しているから、見つかることはまずないと思うが、ヒルトンまで見つかっていないのはラッキーだ。


 周りには他の人もいない。一般人に被害が及ぶこともなさそうだ。

 これなら、作戦は失敗しないだろう。


 男が路の中程まで進むと、予定通りヒルトンが飛び出した。

 続けて、俺も姿を現す。


「おい、泥棒! 盗んだバッグを返すんだ!」


 ヒルトンが大声を上げると、男はビクッと身体を震わせた。

 慌てて背後に目を向けるが、そこには俺がいる。


 男は逃走が不可能だと判断したようだ。

 もう一度、ヒルトンの方に向き直ると、口を開いた。


「なんだ? お前ら? いきなり現れやがって? バッグを盗んだ? 何のことだ?」


「しらばっくれても無駄だぞ! お前が盗んだ瞬間は目撃してるんだよ!」


「お前ら、あの時女の傍にいた配達員か……。わざわざ追ってくるとはご苦労なこったな」


「そうだよ。お前が盗みをしなければ、追いかけなくて済んだのにな」


「関係ねえのに追ってくるなんてよ。お人好しなことだ。だけど怪我をしたくなかったら、さっさとどきな」


 男はすごむが、ヒルトンは動じない。

 そのまま、一歩、二歩と近づいていく。


「くそっ!」


 男はバッグを投げるふりをして、一瞬で懐にしまうと、ヒルトンに向けて猛ダッシュをした。

 そしてそのままジャンプをし、跳び蹴りを放った。


 しかし、ヒルトンは躱すことなく、左腕を顔の前にかざす。

 腕で蹴りを受け止めると、残るもう一方の右腕でラリアットを食らわせた。


「うおりゃ!」


 ヒルトンの掛け声とともに、男は吹っ飛ばされる。

 一度、地面に叩きつけられた後、建物の外壁へとぶつかった。

 さすがは【身体強化・小】のスキルを持つだけはある。

 かなりの威力の攻撃が決まったはずだ。


 このスキルはレア度が低く、持ち手が多いことから一般的には軽視されがちだ。

 しかし、戦闘においてはかなり有用なスキルだ。


 近接戦闘において、身体能力の差が幅を利かせるのはもちろんのこと、このスキルの一番の利点は攻防どちらにも影響を及ぼす点だ。

 身体能力が上がれば、身体の耐久力も上昇する。


 結果、今のヒルトンのように身体を張った防御も行えるようになる。

 また致命傷のラインもスキルを持たない者に比べて高い。

 命だって常人よりは落としにくい。

 剣術スキルなどのように攻撃に特化した強さはないが、場合によってはそれらよりも有用なスキルだ。


 しかし、ヒルトンの一撃では男をのすことができなかったようだ。

 すぐさま中腰の姿勢に移って、ヒルトンから距離を取る。


 男は奪ったバッグを地面へと投げ捨てる。

 手荷物を持ったまま戦うのは分が悪いと判断したのだろう。


 そして、懐から小振りな刃物を取り出した。

 ナイフだ。銀色に煌めく刃先をヒルトンへ向ける。


「おい、退けよ。邪魔したら、ただじゃおかねえぞ」


 男の得物の影響で力関係が逆転した。ヒルトンは一歩後ずさる。


「早く退けよッ!」


 そう叫ぶと、男はヒルトンの方へ走るかのような素振りを見せ、一瞬のうちに身体を反転させた。

 投げ捨てたバッグを拾い、俺の方へ向かってくる。


「騙されたなっ!」


 まあ、そうなるよな……。

 得物なしで一度戦って退けられた相手より、小柄で、どう見てもヒルトンより弱そうな俺の方を狙うのは自然なことだ。

 こちらが退かないことを見るや、男は叫んだ。


「《蛇状斬撃(スネイク)》ッ!」


 アーツが飛んでくることは想定外であった。

 一瞬、驚きの感情に包まれる。

 ナイフのうねる軌道が俺を捉えていた。


 しかし、男が先程から俺の方を狙っていたのは《索敵》の敵意察知により明白だったし、この程度の攻撃だったら別に慌てるほどでもない。

 ジンの攻撃に比べたら、止まって見えるようなものだ。


「――《流線回避(ストリーム)》」


 男のナイフを持つ手の下側に自分の手首を当てる。

 そのまま腕全体を男の身体に這わせていく。

 上半身と下半身を深く沈ませ、男の重心を下へ下へと受け流す。


 背中に男の胸が乗ったことを確認すると、ナイフを持った腕を摑み、体重のかかった右足を払う。

 そのまま、背負い投げのような要領で投げ飛ばした。


 男の身体が地面に激突する。

 その隙を狙って、男の手首を蹴飛ばした。ナイフが石の地面を滑る。


「うりぃや!」


 ヒルトンが倒れた男の後頭部に向かって、両腕を振り下ろした。

 身体強化の力が籠もった一撃が直に当たったとあれば、男も無事では済まない。

 意識を失って、全身の力が抜けたのが見てとれた。


 あとは憲兵でも呼んで、この男を捕まえてもらえば万事解決だろう。

 男の手元からバッグを回収していると、ヒルトンから声がかけられる。


「なんとか、上手くいったな。刃物を出してきたときは、内心冷や汗ものだったが……」


「とりあえず、二人とも怪我をしなくてよかったですね」


 地面に落ちたナイフに目を向けながら答えると、ヒルトンは訝しむような視線を送ってきた。


「というか、なんだあのアーツ。何が起こっているのか全然わからなかったぞ」


「《蛇状斬撃(スネイク)》ですか? 確か盗賊系のアーツだったと思いますよ。昔、他の冒険者が使っているのを数度見たことがあるくらいなので、うろ覚えな情報ですけど」


「そっちじゃない。お前が使っていたアーツだよ。ストリームって言ってたっけか?」


「ああ、《流線回避(ストリーム)》ですね」


「初めて見たぞ、あんなの。お前、もしかしてすごい冒険者だったのか?」


「本当ですか? そこまでマイナーなアーツでもないんですけどね。まあ、自分でもここまで上手く決まるとは思っていなかったです。まぐれみたいなもんですよ」


 苦笑交じりに答える。

 これ以上は過去を詮索されたくなかったので話題を切り替えることにした。


「それにしても今日はやっぱり運悪かったですね。まだ配達全然終わってないですし、これ絶対残業確定コースですって」


「そういえばそうだったな。すっかり忘れてたよ。でも、よかったじゃないか。俺達のお陰で困っている人が助けられたんだから」


 そう言って、ヒルトンは頭を搔いていた。

 その純粋な笑顔を見て、素直に尊敬の念を抱く。


 この人は本当に優しくて善人なんだろう。

 人助けしたことを、少し後悔している自分とは大違いだ。

 事情が事情とはいえ、ロズリアとの約束を破ってしまった。

 危険なことに首を突っ込まないって約束したのに、自分の命を危険に晒してしまった。


 そして、もう一つ。

 俺はあの時。男が俺の方に向かってきた時に――。

 喜んでいる自分がいたことに気がついてしまった。

 危機が迫っているっていうのに、何故かその危機に気持ちが昂ぶっている自分がいた。


 そんなこと、本来あってはならないはずなのに。

 ジンが死んで、もう命を懸けたりとか、そういう馬鹿なことはやめようって決めたばっかりだったのに。

 あの瞬間、確かに俺は生を感じていた。退屈な日常から解き放たれていた。


 そんな風に思うこと自体、不謹慎だってことは百も承知だけど。

 感じてしまったものは取り返しがつかない。

 この感覚はくせになる。

 いや、くせになっていた昔の記憶が思い起こされただけだ。


到達する者(アライバーズ)』にいた頃の自分。ダンジョン攻略に明け暮れた日々。

 あの時の心躍る感覚が、未だ自分の掌の中にあるような気がした。

 この感覚を思い出してしまうくらいなら、人助けなんてしなければよかった。


「まあ、そうですね。久しぶりに善いことをすると気分がよくなりますね」


 俺はそんなことを考えながら、ヒルトンに向けて心にもないことを言っていた。


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