第56話 王都での生活
何事にも慣れというものはある。
最初の方は仕事を覚えるのも精一杯であった。
こんな仕事、自分に務まるのかとさえ思った。
だけど不思議なことに、半年も経てば板についてくるものだ。
――そうか。 王都に来て、もう半年も経ったのか……。
「で、次の配達場所はどこだ?」
「この建物を挟んだ向こう側にある家ですね」
手紙に書かれている住所を確認しながら、荷車を引く男に答える。
毎度お馴染みのルーティーン。
これが王都で得た俺の仕事である手紙や荷物の配達だ。
半年前、王都にたどり着いた俺はまず家を探した。
家が決まると、今度は仕事である。
『到達する者』時代に貯めていたお金はあったが、旅費や新天地での生活準備に大部分を使ってしまった。
それに、たとえお金があっても働かないのは気が引ける。
将来のことだってあるわけだし、お金があるに越したことはない。
幸い仕事はすぐに見つかった。
それもこれも【地図化】スキルのお陰である。
この世界ではスキルは絶対だ。
スキルを持つ者は、その分野においてスキルを持たない者にまず負けることはない。
所有するスキルがその人の人生を左右するといっても過言じゃないだろう。
それは職業選択の場においても同様だ。
冒険者という職業において、戦闘に役立たず、スロットの大きさから他の戦闘スキルを持つことができない【地図化】スキルは、外れの筆頭といえる。
しかし、それは冒険者という職に限ってのことである。
他の職業においては、その限りではない。
俺が今働いている運送業などが代表的な例だ。
【地図化】スキルがあれば、わざわざ地図を広げないでも目的地を探すことができる。
現在地もわかるため道に迷うこともない。
結果、荷物を迅速に運ぶことができる。
この業種では【地図化】は重宝されるスキルの一つであった。
「この建物か」
荷車を引く男が、ベージュ色の集合住宅を見上げる。
男の名前はヒルトン。
俺の上司であり、先月まで教育係であった人だ。
この人のスキルは【身体強化・小】。
俺と同じく運送業で重宝されるスキルの持ち主である。
年齢は確か36歳。
既婚者であり、子供も二人いる。立派なお父さんだ。
職場ではてきぱきと仕事をこなすが、家では奥さんの尻に敷かれているらしい。
お小遣いが少ないことや休日も家族サービスで身体を休める暇もないことを、休憩中に嘆いてくる。
でも、文句を言っている彼の表情はどこか満足気だった。
自分の生活とやらに満足しているのだろう。幸せそうで羨ましい限りだ。
「届け場所は二階ですかね。じゃあ、自分行ってきます」
手紙を持って、小走りでアパートの階段を上っていく。
俺が勤めている配達所は、二人一組で配達を行う決まりになっていた。
一人がこうやって家まで荷物を運んでいき、もう一人が手紙や荷物が積まれた荷車を見守る役である。
さらに言うなら、俺とヒルトンのペアでは独自の役割分担がなされている。
【地図化】を持つ俺が道案内を、【身体強化・小】を持つヒルトンが荷車を引くことになっていた。
適材適所。その人の得意分野に合わせた役回りだ。
ドアの郵便受けに手紙を投函して、ヒルトンの下へ戻る。
「終わりました。次、行きますか」
「そうだな。今日の配達分はもうそろそろ終わりだろ? あと何軒分くらいだ?」
「あと六軒くらいですね。でも、どこも近くなのですぐ終わると思いますよ」
荷車の中身を確かめながら、俺は答える。
「やっぱりお前と組むと早く終わるな」
「そうですか? 自分がいない場合がよくわかんないんで、なんとも言えないですけど……」
「まあな。やっぱ【地図化】っていうのはありがたいよ。俺みたいな力自慢のやつが二人いても困るだけだ。細々としたことを全部任せて、身体を動かすことに集中できるってのは楽だね」
「自分の方こそ、ヒルトンさんみたいに力がある人と組めるのは助かりますよ。非力なんで、荷車引くのとか結構苦手なんですよね」
「あのな。うちの会社、肉体派ばっかりだから、誰と組んでもそうなるだろ」
「まあ、そうなんですけどね」
うちの事業所に二十人いる配達員の中でマッピング系スキル持ちは俺一人だ。
あとは全員、身体強化などの力に補正がかかるスキル持ちか、単に身体を鍛えている人達。
いわゆる肉体派ばっかりだった。
【地図化】は一応SRのレア度を持つスキルだ。
【身体強化・小】持ちよりは、ずっと人口が少ないはずだ。
「でも、お前冒険者だったんだろ? こんな細い腕で本当にモンスターと戦えたのか?」
ヒルトンが俺の腕を摑みながら言う。
「冒険者だったことは本当ですよ。まあ、すぐに引退してしまうくらいですから、才能がなかったのは事実ですけど」
ヒルトンを含め、事業所の人には一応冒険者をやっていたことは伝えてある。
働くにあたって、そこら辺の経歴は訊かれたりもする。
もちろん、ダンジョンに潜っていたことや、『到達する者』に所属していたことは言っていない。
そこまで深く、自身の過去を打ち明けるつもりはなかった。
別に言っていることは噓ではないし、咎められることでもないだろう。
冒険者をやっていたことは本当だ。才能がなかったのも事実である。
俺に才能があって、実力も兼ね備えていたら、ジンは死んでなかった。
今も『到達する者』は解散せず、ダンジョン攻略を続けていたはずだ。
一流冒険者を志していたものの、自分の才能に見切りをつけ、夢半ばで諦める。
そんなどこにでもいる若者というのが、今の自分だ。
「そういえば、ヒルトンさんも昔は冒険者をやっていたんですよね」
自分の過去から話を逸らそうと、話題をすり替える。
「まあ、随分昔のことだけどな」
ヒルトンはそれに乗っかってきた。
「俺の場合もノートと同じようなもんだよ。自分の限界を知って、辞めることにした。それと今の奥さんとの結婚が決まって、安定した収入が欲しかったってのもあるけどな」
そう言って、彼は笑っていた。
俺の過去なんて、誰しもが経験しているようなありきたりなものだ。
パーティーメンバーが死ぬなんて、さほど珍しいことでもない。
それを機にパーティーが崩壊して、冒険者という夢を諦めるなんてよくある話だ。
結局のところ、自分は『到達する者』に選ばれた特別な人間なんかではなかった。
世の中に無数にいる、夢破れた冒険者の一人。たたの平凡な人間なのだ。
だから、この退屈だけど苦痛というわけでもない仕事が、自分には相応しい。
「お疲れ様でーす。ヒルトンさん。ノートくん」
事業所に戻ると、受付にいた女性から軽やかな挨拶が飛んでくる。
Yシャツと黒のスカートという女性用の制服に、明らかに規定違反の派手なワインレッドのカーディガンを羽織っている彼女の名前はモナル。
この会社に働き始めて三年となる先輩事務員である。
「おう、おつかれ」
「お疲れ様です」
ヒルトンと俺は挨拶を返す。
モナルは席を立ち、俺達の方へ歩み寄ってきた。
「お二人とも随分とお早いですね。終業時間まではまだありますし、この調子だと、もう一回出られそうですかね?」
そう言って、カウンターの奥を指差す。
そこには山積みにされた荷物があった。
現在の時刻は午後四時半。
帰宅の準備をするのにはまだ早いが、もう一回配達に向かえば最短でも六時上がりコースになってしまう。
どうやら早く配達を終えすぎてしまったようだ。
もう少し時間を調整して、五時近くに帰るんだった……。
諦めて、肩を落としながら、荷物を取りに向かっていると、ヒルトンが声をあげた。
「ああ、そういえば今日娘の誕生日だったんだー。早く帰らなくちゃなー。これは残業とかできないなー」
すごい棒読みである。あからさまな冗談だ。
モナルもそれを知りながらも、目を細めながら問い詰める。
「ヒルトンさん、娘さんの誕生日何回あるんですかー? 今年で10回目ですよー!」
そんなにこの冗談を使っていたのか。
俺が耳にしたのは精々三回だったが。
立ち止まって二人のやり取りを眺めていると、ヒルトンは両手を顔の前で擦り合わせて、頭を下げ出した。
「というわけで、今回は見逃して! お願い!」
「何がというわけなのか、私にはわからないんですけど……」
モナルはため息を吐きながら、俺の方へと向いた。
「ノートくんはこういう情けない大人になっちゃいけませんよー」
「モナルちゃん、手厳しいなぁ」
反応に困る振りをされて苦笑いを浮かべていると、モナルは顔の前で指を振った。
「もうしょうがないですね。今日だけですよ。ゆっくりと帰り支度をしてあがってください」
意外な提案にヒルトンと俺は目を見開く。
「ありがとう! モナルちゃん!」
「本当にいいんですか?」
俺が尋ねると、モナルは机の上に載っている荷物に視線を送って言った。
「まあ、あれは明日送る用の荷物ですし、今日やる必要もないですから。それに今日は早く帰らなくちゃいけない予定もあるでしょ?」
「そうそう、娘の誕生日が……」
「ヒルトンさんの方じゃないですよー。ノートくんに言っているんですから!」
そう言って、モナルは俺の顔を眺めながらニヤニヤし出す。
「だって、今日は週末でしょ? ということは、これからノートくんは彼女さんとデートとしゃれ込むわけじゃないですかー?」
週末の仕事終わりにデートの予定が入るのは毎週のことだ。
この後の予定も既にバレていたようだ。
しかし、一点だけ間違いがあるので訂正しておく。
「彼女じゃないですよ。付き合ってませんから」
「ええっ⁉ あんなにかわいいのにまだ付き合ってないの⁉ 絶対に噓でしょ⁉ 何だっ けあの子の名前……。ローラだっけ?」
「ロズリアですよ」
俺は素っ気なく答える。
同じ職場の人にはロズリアの存在は知られていた。
前にデートの約束をした際、残業が長引いて約束の時間に間に合わなかったことがあっ た。
なかなか集合場所に現れなかった俺を心配したロズリアは、この会社にやってきてしまった。
それでロズリアの存在が明るみに出たというわけだ。
それからというものの、同僚達の中ではロズリアは俺の彼女ということになっていた。
こういう風にいじられることも珍しくはない。
「そうそう、ロズリアちゃんだったねー」
モナルは満足そうに頷いた。
そして、笑顔を張り付けたままこちらの顔を覗き込んできた。
「でも、本当は付き合ってるんでしょ? だって、毎週のように遊んでいるんじゃん」
「噓じゃないですよ」
「そうなの⁉ 向こうも絶対気があるって! 早く告白して付き合っちゃいなよ!」
「うるさいですね。お互い、色々とあるんですよ。事情ってやつが」
「何かっこつけているのよ。ただビビっているだけじゃないの?」
「自分だってもう子供じゃないんですから……。そんなわけないじゃないですか……」
「じゃあ、なんで?」
「人に話したくない事情ってやつですよ」
「よくわかんないけど、早く付き合わないと他の男に取られちゃうよー。ロズリアちゃん美人だし。狙っている男の人、絶対多いって」
「そうだぞ。あんなかわいい子と付き合える機会そうないぞ」
ヒルトンまでモナルに加勢し始める始末だ。
二人は俺のことを思ってアドバイスしてくれているんだろうけど、細かい事情を知らないで踏み込んでくる彼らの言動が少しうざったく思ってしまう。
二人に打ち明けたところで何かが変わるわけでもないし、説明するのも面倒だ。
「まあ色々あるんですって。そういう問題はじきに考えますから。心配いらないですって」
いつも通りの苦笑いでお茶を濁す。
「ノートくんはマイペースなところがなー」
「単に男気がないだけだろうよ」
モナルとヒルトンは示し合わせたかのように顔を見合わせた。
「もうちょっと強引じゃないと、女の子は落とせませんよねー」
「女性からの告白を待っているようじゃ、恋人なんて永久にできないぞ?」
二人とも、俺達のことを何も知らないで勝手なこと言わないでくれよ。
早くこの億劫なやり取りが終わってくれないかと、時計の針を気にしながら、話を聞き流していた。