第51話 窮地
ボスでないモンスターにだいぶ手間取ってしまった。
どうやら見た目以上に、この階層の難易度は高いようだ。
ダンジョンは5階層ごとに難易度が跳ね上がる。
20階層から21階層は、ちょうど難易度が上がる区切りだ。
戦いが終わり、一息吐き終わると、先程の考えを口にした。
「そういえばネメ姉さん。戦っていて、スペルの調子が悪かった感覚とかありませんでした?」
「言われてみればそんなような気もあったような……? なかったような……? 気がするです!」
「それってどっちなんですか……」
煮え切らない答えだ。
もしかして彼女は自分のスペルの異変に気がついてなかったのか?
それとも俺の勘違い?
「ロズリアはそういう感覚なかった?」
「はいはいっ! ありましたよ! すんごい調子が悪かったです! それなのにエリンさんと来たら、戦いの最中『何、ひょろひょろのスペル放ってるのよ! しっかりしなさいよ、このあんぽんたん!』って罵ってくるんです! 酷くありませんか?」
「それは、あなたがあんぽんたんな戦いぶりを見せていたからでしょ!」
戦いの最中に、なんて吞気な罵りをしているんだ……。
文句を言い続けるエリンを横目に、俺は先ほど感じていた神聖術スペルの減弱について語った。
「――と思っていたんですが、皆さんはどう思います?」
「それはオレも感じたな」
とフォース。さらに彼は続ける。
「煉獄のダメージが全然回復してくれねえし。てっきりネメが手を抜いているのかと思ってたわ」
「ネメは手なんか抜いたりしないです!」
「となると、それはガーゴイルの特性なのかな? 神聖術を弱めるっていう?」
ジンは顎に手を置きながら、考える素振りを見せる。
「おそらく。そうとしか考えられませんよね」
「聞いたことのないモンスターの特性だけどね。ここは未知の階層なわけだし、そういった特別なモンスターがいてもおかしくないか」
彼は納得したのか、一人頷く。
ジンの言う通り、この21階層は現存するどのパーティーも到達したことがない。
過去に足を踏み入れたパーティーはあったものの、詳細な記録は残されていなかった。
21階層にどのようなモンスターが現れ、どのようなギミックが仕掛けられているのか。なんの情報もない状態だった。
しかもダンジョンは5階ごとに難易度が跳ね上がる。
この階層は、より一層の注意が必要かもしれない。
なんて考えていると、脳内に映し出されていた地図に変化が現れる。
「――えっ?」
その変化に思わず声をあげてしまう。
「一体どうしたの?」
「いや……」
自分の得た情報が真実だとは思えなくて、エリンの問いかけに曖昧な返事をしてしまう。
ただ、このまま一人で考えていても埒が明かなそうな問題だ。
全員に聞こえるように返答をした。
「次の階層に行く扉を見つけちゃったんだけど……」
「えっ⁉ もう⁉ まだ三十分も探索していないわよ⁉」
「そうなんだよね……」
俺もエリンと似たようなことを思っていた。
いくらなんでも、この階層を攻略するのが早すぎる。
まだこの階層を探索し始めたばっかりだし、モンスターにも一度しか出遭っていない。
ましてや16階層から新たに現れるようになった、中ボスとも交戦していなかった。
今までダンジョンには散々苦労させられたけど、こんなにあっさりと攻略しそうなのは初めてだ。
ボス部屋の存在も見受けられないし、ボスの気配すら感じられない。
このまま何も起こらず、スキルで示される扉の場所までたどり着いたら、階層攻略になってしまう。
拍子抜けにもほどがある。
最も攻略が容易とされている1階層でも、ボスくらいは出てきた。
【
先程みたいに銅像がいきなりモンスターとなって襲いかかってくることもあるかもしれない。
《索敵》による気配察知は銅像にまでは効果が及ばない。
不意を突かれる可能性もあるということだ。
そもそも、見つけた扉がダミーという可能性だって考えられる。
21階層なら、そのくらい意地悪な仕掛けがあったとしても納得できる。
「もう終わりです? 21階層も大したことないです!」
「あまり調子に乗らないでください」
ネメの脳天にチョップをお見舞いする。
彼女は頭を擦りながら、上目遣いで睨んできた。
「何するです⁉」
「ネメ姉さんが油断を誘うようなこと言うからですよ。もうちょっとちゃんとしてください」
「ノート君の言う通りだね。ネメは気が抜けすぎかな」
「ネメさんに今更そんな注意しても、意味なさそうですけどね……」
「珍しくあなたと意見が一致したわね、ロズリア」
「二人とも、ネメを馬鹿にしているです⁉ ネメだって真面目にやろうと思えばできるです!」
「本当か?」
フォースは小馬鹿にしたような視線をネメに向ける。
俺も何か言おうとするも、視界に変化が現れて、口を噤んだ。
「あれ次の階層に続く扉じゃない?」
エリンが指差す方向には、この階層の太陽と同じような紫色に光る階段があった。
その先には、毎度お馴染みの次の階層へと続く扉が拵えられていた。
「そうですね。でも――」
ロズリアが言い淀む気持ちもわかる。
扉のある階段の前には、黒くて大きな銅像が立ちふさがっていた。
高さは4mくらいあるかもしれない。
ほっそりとした手足。すらっとした人型。そして、禍々しい角と翼。
知性の溢れるその顔つきは、しばしば人間が思い描く悪魔そのものだ。
銅像は、木の幹のように折れ曲がった右足の指先だけで直立していた。
両腕には剣のようなものを抱えている。
太陽や階段と同じような紫色に光る刀身。
そこにはミミズを這わせたような文字が浮かび上がっていた。
剣の大きさとしては人が使うには少し大きめの両手剣だが、銅像が大きいということもあり、小さく見えてしまう。
もし、あの銅像が剣を振るうなら、片手で簡単に扱えてしまうのではないだろうか。
「魔剣か何かだろうね……」
得体の知れない存在感を放つ剣に目を奪われていると、ジンが呟いた。
「……魔剣?」
「特別な力を持つ剣のことだよ。フォースの煉獄と似たようなものだと考えていいよ」
悪魔めいた銅像の顔に目を移す。
おそらく、あの像がこの階層のボスだ。
《索敵》では気配を察せられないが、確信を持って言える。
扉を阻むような佇まいがボスそのものだし、醸し出す異様な気配がその力を示していた。
扉に近づけば、あの銅像はモンスターとなり牙を剝くことになるだろう。
ボス部屋がないのは気になるところだが、21階層からはそういうギミックなのかもしれない。
「どうします?」
ジンに尋ねる。
銅像が手にしているのがジンの言う通り魔剣なら脅威である。
煉獄ですら味方ながら恐れを抱くレベルなのに、それを敵が手にしたらと思うと、ぞっとする。
それに敵の魔剣が煉獄以上の性能を持つという可能性もあるのだ。
「どうするも何も進むしかないだろうね。幸いこっちは何も消耗していないし、万全な状態だ。物怖じして引くわけにはいかないでしょ」
そう言って、ジンは一歩を踏み出した。
ネメとエリンはその場で待機。
ロズリアとフォースも前に出て、俺は前と後ろを繫ぐような立ち位置に留まる。
「《
ネメがバフスペルを普段通り一通りかけ終える。
続いてロズリアが《
完全なる臨戦態勢。
『
その瞬間、銅像の目が赤く光る。
圧倒的な敵意の暴風が吹き荒れた。
銅像の黒い身体はひび割れ、破片が塵となってこぼれ落ちる。
大気を震わせる地鳴り。重低音が骨の髄まで響き渡る。
悪魔が一歩踏み出した音だ。
翼は揺らめきだし、その巨体の威圧感を増大させる。
冒険者達が長年足を踏み入れることができなかった深層に眠る怪物が、たった今、目を覚ました。
フォースが煉獄を抜いて駆け出す。
ロズリアは左に抜け、《
ジンはフォースの後ろから追従する形を取る。
雑音としてしか認識できないような言葉の羅列が、相対する悪魔の口から紡がれる。
魔法の高速詠唱。そう気づいたのは、魔剣を中心に紫色の光の膜が広がったからだ。
色彩の変化した領域が瞬く間に展開される。
俺達のいる地点の更に後方までもが包み込まれていた。
領域に侵食された瞬間、ずしりと重力が身体にのしかかる。
まるで今まで身に纏っていた高揚感とか万能感とかが全て引きはがされた感覚。
身体能力の減衰? デバフか何かか?
身に起きたことを咄嗟に把握しようとしていると、あることに気づく。
ロズリアの《
それだけじゃない。ネメによる《
というか、バフスペルが全て剝がされている。
神聖術スペルの完全無効化。頭の中にそんな言葉が過る。
スペルの減弱は、てっきり先程遭遇したガーゴイル特有の能力だと思い込んでいた。
でも、違う。あのガーゴイルの能力はただの劣化版であり、本家は目の前の悪魔のものだった。
現にネメはスペルをかけ直そうと杖を振るうも、そこに変化は何もない。
杖が空を切る音が聞こえるだけだ。
迫る気配に意識を戻される。
なんで。いつの間に。こんなにも近い。黒い影が来る。
頭上を過ぎる悪魔。俺の身体を一息で飛び越し、後衛のエリンとネメへ迫る。
突然の出来事に頭がついていかない。
《
今さら考えるには遅い思考だけが、頭の中を過る。
急いで《殺気》を放つも、急に拵えた薄っぺらい《殺気》じゃ、敵の注意は逸らせない。
杖に魔力を込め、攻撃スペルを放つ準備をしたエリンに悪魔の眼光が注がれる。
妖光煌めく魔剣が振り上げられた。
瞬間、世界が止まったように見えた。
どうにかしなきゃ。でも、どうにかって。
俺が混乱している間にも、時は動き出す。
エリンの隣にいるネメまで巻き込むように、悪魔は大振りに剣を薙ぎ払った。
砂埃が巻き起こる。視界が灰色に染まって何も見えない。
ただ、煙から吐かれるように一つの影が射出された。
あれはジンだ。 気配察知によって、ジンが吹き飛ばされたことを理解した。
煙が晴れると、悪魔の目の前には黒い膜が広がっていた。
膜はアメーバのような構造を形成し、障壁を作り上げている。
あれは【形状変化・鉱物】による金属の盾だ。
ダガーと同じ材質の金属だったので一瞬でわかった。
「ジンがっ! 私達をかばってっ!」
エリンの叫び声。状況を即座に理解する。
後衛のエリン達に向けられた攻撃はどうやらジンによって逸らされたらしい。
しかし、無傷で逸らすことはできなかったようだ。
悪魔の攻撃を受け、ジンは吹き飛ばされてしまった。
どうする?
エリン達がまだ安全圏内にいない。悪魔はすぐそばだ。
危険は依然迫っている。
やるしかない。ジンが離脱して、ロズリアのスペルも頼れない今。
俺が悪魔の注意を引く。
《殺気》を全力で放ち、悪魔を振り返らせる。
「――《偽・絶影》」
ネメの回復スペルが使えない。知るか、そんなこと。
悪魔の剣速は尋常じゃなかった。本気を出さなければ避け続けられない。
反動など気にせず、ここで全力を出し切る。
宙を舞う。身体と地面の間を魔剣が過ぎ去る。
一瞬の出来事。何も考えず、反射的に跳んでいなかったら間に合わなかった。
剣を握っていない左手が振り下ろされる。
《
少し反応が遅れた。というか攻撃が速すぎる。
襲ってくる衝撃波に身を屈める。
両手を腕の前に構え、飛び散る石礫を防いだ。
砂煙から紫色の閃光が。追撃が飛んで来る。
どんな攻撃が来るかとか、どれだけの範囲だとかは知らない。
ただ、生存本能に任せての回避。
跳んだ僅か数センチ横の空間を、剣が絶ち切った。
次の一撃は躱しきれない。
地面を擦って迫る魔剣の軌跡を、覚悟して眺めていた。
力が籠められるインパクトの瞬間の手前。
火花が散る。フォースだ。
黒き刀身の刀で、悪魔の剣戟を堰き止めていた。
頰や腕には黒炎が漂っている。
あれは煉獄を抜いた反動だ。妖刀である煉獄は使用者の身を焼く。
今はネメの継続回復スペルもない状態。
捨て身状態の戦い方では長く持つはずもない。
「ノート! ここはオレに任せて、みんなに指示を! 態勢を立て直させろ!」
そんなこと言われても……。
咄嗟に周囲を見回す。
ロズリアは戸惑って視線が泳ぎ、エリンは金属の盾の後ろで腰を抜かしている。
ネメは一生懸命杖を振り、出せるはずのないスペルを必死に振り絞ろうとしていた。
なんだこれは。どうなっているんだ。どうしてこんな窮地に。
動揺していても状況が改善しないのはわかっている。
けど、どうしたらいいんだ。
指示ってなんだよ。なんで俺が?
フォースがやれよ。
――ジンがいれば。
そう思わずにはいられない。
そうだ。ジンだ。まず、ジンを戦線に復帰させるのが最優先だ。
ジンはダメージを負っているはずだ。
どこに飛ばされたのかはわからないが、回復さえできれば戦いに戻れるだろう。
幸いにも、ボスの発動した神聖術スペル無効化領域はそこまで広くない。
範囲外から出ればネメの回復スペルも役に立つはずだ。
「ネメ! ジンの下へ! 回復してあげて!」
「一人でですか⁉」
彼女の言う通りだ。ジンは遥か後方まで吹き飛ばされた。
ネメがたどり着くまでの間に、ガーゴイルに遭遇してしまうかもしれない。
あいつらは銅像の形でいる限り、《索敵》に引っかからないのが厄介だ。
どこに潜んでいるのかわからないから、ネメを一人で行かせられない。
「じゃあ、ロズリアもついていって!」
「でも、スペルが!」
彼女は未だ混乱の最中にいた。
頼りにしていたスペルが急に使えなくなったら、混乱するのも無理はない。
俺もいきなりアーツを使えなくなったら、戦闘の最中だったとしても立ち呆けてしまうかもしれない。
「【聖剣の導き手】は⁉ フラクタスも使えない⁉」
ロズリアは自身の右手に握る剣に目を向けた。
「すみません、大丈夫です! ネメさんについていきます!」
彼女は聖剣を片手に駆け出した。ネメもそれに追従する。
神聖術スペルが封じられたロズリアの戦闘力は目に見えて半減するだろう。
21階層のモンスターであるガーゴイルに単騎で迎え撃てるか、わからない。
でも、フォースはボスの注意を引きつけているのに手一杯だ。
煉獄の反動もあり、相当無理をしている状況だった。
危なくなったら、俺もフォローに入らなくちゃいけない。
比較的手が空いているのはエリンくらいだろう。
後衛の彼女がついていっても、ガーゴイルが現れた時の盾にはなれない。
ロズリアしか、ネメをフォローできる人材がいないのが現状だ。
ジンがいないだけで、ここまでパーティーが回らなくなるなんて知らなかった。
金属同士の弾けるような音がした。
フォースが競り負け、身体ごと弾き飛ばされた。
地面に剣を差し、なんとか身体のバランスを崩さないよう持ちこたえる。
「なんだよ、こいつ……。強すぎだろ……」
彼がそう呟くのにも納得できる。
この21階層のボス、やたらめったらに強い。
スピードはもちろんのこと、膂力までもが半端じゃない。
軽く躱しただけじゃ、衝撃波に巻き込まれ、次の攻撃をもろに食らってしまいそうなほどだ。
フォースは力負けしていた。俺だってスピードの面ですら勝てていない状態だ。
そんな相手に神聖術スペルすら封じられている状況。
正直、勝てるビジョンが見えない。
「《呪縛方術》!」
目の前の敵を倒すのは難しいと判断したのか、エリンが行動制限系のスペルを放つ。
魔力で作られた鎖は巨体を雁字搦めにした。
ガーゴイルの時と同じように、どうやら発動を制限されているのは、聖職系
いい狙いだ、エリン。
威力重視な攻撃よりも時間稼ぎの方が数倍ありがたい。
しかし、相手は21階層のボス。拘束スペルで完全に動きを封じられるわけもない。
悪魔の抗う動きにより、鎖は既に悲鳴のような音を上げていた。
千切れるのも時間の問題だ。
フォースに目を移す。崩れた体勢は既に立て直されていた。
戦いには復帰できそうだ。
拘束スペルが今すぐに解かれても、一応なんとかはなる。
けれど、煉獄による呪いの影響はすさまじい。
黒炎は全身に広がっていた。 見ているこっちまで、痛ましく思えるほどの侵食。
そう長くは持たないだろう。
フォースが戦えなくなったら、いよいよ終わりだ。
次に悪魔の攻撃を引きつけるのは俺の役目になる。
それも長くは持たないだろう。
先の数秒間のやり取りで、相手との力量差は目に見えていた。
《偽・絶影》の反動が降りかかってくるタイムリミットだってある。
呪詛のような音の羅列とともに、魔力の鎖は弾け飛んだ。
異質で異形な瞳がエリンを捉える。
《殺気》を解き放つとともに、全速で駆け出した。
悪魔の注意をエリンから引き剝がすことに成功はした。
だが、その先に待っているのは暴風のような悪魔の攻撃。
無我夢中で身体を動かすが、二、三撃が精一杯だ。
それ以上は絶対に無理。
攻撃を食らうと思った瞬間、またしてもフォースが援護に入ってくれた。
間髪容れずエリンが拘束スペルを発動する。
しかし、悪魔が突然飛び上がる素振りを見せたことにより、かかり具合が甘かった。
拘束は数秒で解かれてしまう。
本当にまずい。このままじゃ、三人ともやられてしまう。
どうすればいいんだ? この窮地を挽回できる方法はないか?
いくら考えても、画期的な解決策が出て来てくれない。
そもそも、力量差が離れすぎている。地力で劣っている。
アイデア一つで全てを覆せるほど優しい相手じゃない。
フォースは相当無理をしている。
身体を焼く炎は渦となって、その身を焼いている。
タイムリミットは想像よりもずっと短いかもしれない。
あと数秒で全てが終わる。そんな可能性だってある。
吸いつかれるようにフォースの雄姿を眺めていると、高速接近してくる気配が。
瞬間。黒い影が戦場に降り立った。
「ごめん。待たせたね」
そこにいたのは《絶影》を纏ったジンであった。