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第49話 不確定で頼りある二枚目の切り札

「遅いですよ。リース師匠。何分遅刻しているんですか?」


 俺の声掛けに反応して、木陰からショートパンツ姿の女が顔を出した。

 彼女の短く切り揃えられた黒髪がなびく。

 さらさらと風に揺られ、毛先の一本一本が躍動感に溢れている。


 その女の正体とは、俺に攻撃アーツを教えてくれている師匠、リースであった。

 彼女は小型のナイフを器用にくるくると空中で回しながら歩み寄ってくる。


 視線を未だうめき声をあげているヒューゲルに向けると、彼の右肩には赤い血で染められたナイフの柄が突き立っていた。

 リースが回しているナイフと全く同じ型のものだ。


「お、お前は……」


 寝そべる大男は擦り切れるような声を出す。

 痛みによって、顔はしかめられている。

 対するリースは自身を睨む視線を軽く受け流しながら、指を弾く。


「そういうあんたこそ、なんでうちの可愛い弟子を襲っちゃってるの?」


 そのままキャッチしたナイフの切っ先は、ヒューゲルに向けられていた。

 二人の距離は大股で駆けて十歩ほどだ。その距離は既に彼女の射程圏内だ。

 武器の投擲を戦い方のメインに据えている彼女にとって、怪我を負っているヒューゲルを仕留めるのは一秒とかからないだろう。


「この人に訊いても無駄そうだし、幼女攫い君、詳しく状況を説明しなさい」


 さっきから瞬きを繰り返しているヒューゲルはもちろんのこと、リースですら現在起きたことを理解していないようだった。

 それも仕方ない。俺自身、彼女に何も伝えていないのだから。

 まず手始めに、一番大事な前提を口にした。


「実はヒューゲルさんが首切りなんですよ。そして、ジンさんを殺しにやってきた暗殺者なんですよね」


「首切りってあの首切り?」


「はい、師匠が前におっしゃってた、あの首切りです」


「……冗談とかじゃないんだよね」


 俺が視線をそらさないことを受け、その言葉が噓ではないと気がついたのだろう。

 事態の深刻さを察して、目つきが険しくなった。

 手は腰に当てられ、二本目のナイフをいつでも投擲できるような構えに移っていた。

 今度はヒューゲルに状況を説明する番だ。


「ご存じでしょう。リースさんです。一流パーティー、『復讐の戦乙女(ヴァルキリー)』の盗賊ですよ。俺と比べようもないほど強い援軍です。状況はまだ理解出来てないみたいですけど、きっと俺の仲間になってくれるはずです」


 リースを手差ししながら紹介する。

 彼にとって、リースはとても印象的な人間だろう。


 そもそも、俺とヒューゲルを引き合わせた原因は彼女にある。

 リースがキャシーの機嫌を取り持とうとしてヒューゲルという人物を見つけ出したのだ。

 だから、彼女の顔を覚えていないわけがない。

 ただ、肩書までは知らない可能性もあったので強調しておく。


 リースの実力を知ってもらって、彼には負けを認めてもらう必要があった。

 そのままヒューゲルの方へ向き直ると、立て続けに状況を客観的に告げる。


「これで二対一です。しかも、ヒューゲルさんは手負い。どうします? 負けは確定してますけど、降参してくれませんか?」


「待て。援軍など聞いていない。それは卑怯だぞ」


「援軍は相手に知らせちゃ意味がないですよ。それに正々堂々戦うとも言ったつもりはありません。あなたを何としてでも止めるつもりですから。どんな手でも使いますよ」


 ダガーナイフを自身の身体の前に構える。

 まだやる気なようならこちらも徹底抗戦をするという合図である。


 ただリースと違って、俺の攻撃に確実性はない。

 だけど、はったりでもここでプレッシャーをかけておかないと、戦いが続いてしまう。

 それは避けたかった。


 ヒューゲルは怪我を負っているわけだし、このまま二人がかりで戦えば八割方は勝てるだろうが、それでも負ける可能性だって充分ある。

 俺が相手にしているのは、この国最強の暗殺者とされている、あの首切りなのだ。

 決して油断はできない。


 それに一番避けたいのは戦いが続いて、リースが怪我を負ったり、命を失ってしまうことだ。

 勝手に彼女を巻き込んだ立場としては、なんとかしてその可能性だけは排除したい。


 気を張り詰めながら、ヒューゲルの口元を睨みつける。

 交戦を続けるのか、それとも手を引いてくれるのか。

 彼の一言が一秒先の未来を決定づける。

 一瞬にも永遠にも感じられるような沈黙が流れたのち、彼はあっさりと頷いた。


「わかった。降参しよう。ノート殿。キミの勝ちでいいだろう」


「それはジンさんを狙うのを諦めるってことでいいんですよね?」


 最も大事な確認事項を口にする。

 その単純な言葉を引き出すためだけに、俺は戦っていたのだ。

 ヒューゲルはゆっくりと首肯をした。


「ああ。止めだ。大人しく手を引くとしよう」


「本当ですか?」


 念入りに言質を取る。こればかりは仕方ないだろう。

 戦いの前に、俺とヒューゲルの間に取り交わされたのは口約束なのだから。

 何の効力も法的拘束力も持たない、信頼だけの束縛だ。


 彼が諦めたふりをして、後でこっそりジンを狙ったのならば、俺にはもうそれを止めるすべなんてない。

 正義の殺し屋の正義とやらに賭けてみるほかなかった。


「本当だとも。約束は守る。仕事は失敗になってしまうが、たまにはそれもいいだろう。何年ぶりの失敗だろうな。初心に返った気分だ」


 何が可笑しいのか、目の前の大男は傷口を押さえながら笑っていた。


「完敗だ。首切りの負けだ。戦いの前に言った言葉を訂正させてもらおう。キミは強い。腕っぷしは強くない。攻撃の技術だってまだまだ未熟だ。だけど、キミには狡猾さがある。目的の遂行のために、なりふり構わず手を打つことができる。それは暗殺者に一番必要な技術だ。キミはきっといい冒険者になるぞ」


「俺は暗殺者じゃないですし、暗殺者になるつもりもないですけどね。あともう一度だけ確認させてもらいますけど、暗殺を諦めてくれるんですよね? 暗殺者に狡猾さが必要なら、ヒューゲルさんが狡猾な手を使ってこないとは限らないですから」


「さすがにそこまでの狡猾な手は打たない。約束は守るし、約束の穴を突いて暗殺を企てるということもしない。正真正銘、諦めさせてもらおう」


 そう言って、痛みに耐えながら立とうとする。

 するとその動作に待ったをかけたのは、俺の背後にいる盗賊だった。


「ちょ、ちょ、待ってよ。何がなんだか、なんもわかんないんだけど! なんで、全てが解決した風になってるのさ! ジンが殺されるって何? なんで、修業の待ち合わせ場所に来たらこんなことになっているの⁉」


 めんどくさい。折角、場がまとまりかけていたのに。

 仕方ないので、まくし立ててくるリースに、状況を一から丁寧に説明することにした。


 ヒューゲルの正体と彼のついていた噓。

 ジンの命を狙っていた事実とその理由。

 そして、俺達が戦うことになった経緯。

 最後に俺がリースを巻き込んだ仕掛けについて。


 といっても、俺はあまり複雑なことはしていない。

 ただ単にリースと修業の約束を取り付けていた場所で俺達が決闘をしていたというだけだ。

 待ち合わせ時間より三十分ほど早い時間に戦いを始め、リースの存在を戦闘が長引いた時のための保険としていたのだ。


 もちろんリースには事前に何も伝えていなかった。

 伝える時間がなかったからだ。

 俺達が戦っている場面を見て、即座に状況を理解してもらうことに賭けていた。


 いくら時間などにルーズな性格だといえども、彼女はダンジョンに長年潜ってきた一流の冒険者なのだ。

 状況における対応力が二流なわけない。

 だいぶ綱渡りな賭けだったが、結果的には全て上手くいった。


 一時、ヒューゲルに《隠密》からの《殺気》という手を仕掛けられた時には負けたかと思ったが、あの彼の選択が勝負の明暗を分けた。

 ヒューゲルが《隠密》を解いたことにより、リースはやっと彼の気配を捕捉できたのだ。


 また濃密な《殺気》を放ってしまったことで確実に俺の敵だという立場を示してしまった。

 リースから見たら、ヒューゲルが本当に俺を殺そうとしているのだと勘違いしたことだろう。

 即座にヒューゲルを止めようと、ナイフを投擲したというわけだ。


 援軍にリースを利用しようとしたのには理由がいくつかある。

 まず、実力。首切りに致命打を与えられる冒険者でなくてはいけない。


 そして、遠距離からの奇襲ができること。

 気配を消すことに長けた首切りと戦うには、正面からでは勝ち目がない。

 一方的に彼を攻撃できる、遠距離攻撃を得意とする人物が望ましかった。


 最後にその人物がジン以外であること。

 彼を守るための戦いで矢面に立たせるわけにはいかない。

 危険な状況に身を置くのは俺だけで十分だ。


 それらの条件に全て当てはまり、かつ俺の知る人物がリースであった。

 ちょうど今日にリースと修業の約束をしているのを思い出し、この計画を思いついたのだ。

 彼女にはいくら感謝しても足りないくらいだ。


 お礼を言おうと目を向けると、視線が交差する。

 リースはぱちくりと目を瞬かせたかと思いきや、勢いよく掴みかかってきた。


「いやいやいや! 全部ほんとなの⁉ 何、知らないうちに私を面倒ごとに巻き込んじゃってるの⁉ 前に首切りとは絶対に戦いたくないって言ったよね⁉ 忘れたとは言わせないよ! それなのに、なんで戦いに巻き込んだのよ! 私、ナイフ投げちゃったよ! どうしよ! 殺されちゃうよ!」


「落ち着いてくださいよ」


「落ち着いていられるわけあるか! ごめんなさい首切りさん。悪気はなかったんです。この馬鹿弟子が全部悪いんです。仕返しなら彼にお願いします。私を見逃してください」


 さっきまで頼りがいのある師匠だったのに……。

『そういうあんたこそ、なんでうちの可愛い弟子を襲っちゃってるの?』ってかっこいいこと言ってたよね?

 手のひら返しが激しいな!

 あと、俺のことを売るなよ……。


「ああ。まあ……仕返しとかはする予定はないが……」


 リースの変わり身の速さにはヒューゲルも驚いているようだ。

 歯切れの悪い返事で応えていた。

 しかし、リースはそれをヒューゲルが不機嫌なのだと誤解したようだ。

 手をすり合わせながら頭を下げだす始末。


「本当にすみません。何なら今からこの馬鹿弟子を取っ捕まえます。取っ捕まえて懲らしめてやります。だからそれで許してください」


「あの……話を聞いてくれ……」


 ヒューゲルのか細い声は動揺している彼女には届かなかったようだ。


「そういうわけだ。幼女攫い君、覚悟!」


「『覚悟!』じゃないですよ!って、ちょっと!」


 人の言葉に耳を傾けず、飛びかかってくるリース。


「おらっ! どうだ!」


「わっ⁉ 痛っ! 痛いです! 降参です! 助けてください!」


 関節技を決められている俺の姿をヒューゲルは満足そうな笑みを携えて眺めていた。

 仕返しをしてやったりと満足しているのかもしれない。


 でも、できることなら見てないで、助けて欲しいです。

 息が詰まって本当に死にそうだから。






 ***






 トントン。軽い木材を叩く音が二度鳴る。

 自室を訪ねるノックの音だ。この丁寧な叩き方はジンのものだろう。


「入っていいですよ」


 扉に向かって声をかける。

 開いた扉の先にいたのは予想通りジンであった。


 というのも、俺は現在、《索敵》を高感度で張っている最中だ。

 目で見てなくても、ジンの存在は把握できていた。

 しかし、彼が余所行きの格好をしているのには驚いた。


「どこか行くんですか?」


「いや……行こうと思っていたんだけどね……」


 歯切れの悪い返事をしながら、彼は一枚の封筒をひらひらと掲げた。

 差出人の名前や住所が書かれていない黒い封筒。


 その外見には見覚えがある。

 昨日、郵便受けに入っていたものと同じ種類の封筒だ。

 おそらく、差出人は首切りだ。


「何が書いてあったんですか?」


 念のため尋ねてみる。

 首切り――もといヒューゲルからは、別れ際まで何度も約束を守るかどうかを確認していた。

 彼は決まって頷くばっかりだったが、それが本心なのかは俺には判別することができない。


 というわけで、本来の暗殺決行時刻である今日の夜にかけて、首切りが暗殺を仕掛けてきても対処できるよう、念入りに《索敵》を発動していたわけだが、彼は夕方にパーティーハウスのポストに寄るなり帰ってしまった。

 その時投函したものが、今ジンが手にしている封筒なのだろう。


 ジンの手元の封筒は既に端が切り開かれている。

 ジンは一足先に中身を確認しているみたいだ。


「それがね。約束ができたから殺害予告は撤回するだってさ。それと今後も狙わないって。よく意味がわからないよね。これ、信じていいのかな?」


 どうやら、首切りが投函したのは殺害予告を撤回する手紙だったようだ。

 胸を撫で下ろす気分になる。昨日からの緊張が解きほぐれた瞬間だった。

 肺中の息を吐いて、脱力した身体で俺は答える。


「どうなんですかね? 疑っとくに越したことはないと思いますけど、第三者が書いた偽物ってことはないと思います。封筒は全く同じ見た目ですし」


《索敵》により、首切りがパーティーハウスの郵便受けに寄ったことは確認済みだ。

 確証がある部分だけを口にした形だ。


「まあ、そうだよね。用心はしておくよ。でも、もしこれが本当だったらって考えるとますます不思議になってくるよね?」


「どこがです?」


「いやこの『約束』とやらがさ。誰かに会う約束でもできたのかな? なら延期でいいよね? それを今後も狙わないって言ってるのも変じゃない? ノート君は何か思いつかない?」


 答えに心当たりのある問いかけをジンは投げかけてきた。

 しかし、知っている事実を素直に答えるつもりにはなれない。

 自分の独断行動だったり、他のパーティーの人間であるリースを巻き込んだりと、今回の件を解決するのにジンが快く思わないような手段をだいぶ取ってしまった。


 それにここで自分のやってきたことを正直に言うと、恩着せがましくなってしまう気もする。

 俺はジンからたくさんのものを貰ってきたのだ。

 たかが一回、窮地に手を貸しただけで感謝されるのもなんか違う。


 なので、しらばっくれることにした。


「まあ、そうですね。変だとは思いますけど、別に気にするほどのことでもないですよ。多分、誰かと会う約束が入っちゃっただけでしょう。例えば、可愛い幼女とか」


「どうして幼女?」


 ジンにとっては、首切りがヒューゲルという名前なことや、ロリコンなことなどは知る由もない情報だ。

 だから、俺の発言の意味もわかるわけがない。


「ジンさんにはわからなくてもいいことです」


 ちなみにリースの羽交い締めから解放された後、少し気になっていたことをヒューゲルに質問した。

 ネメへのアプローチは本気だったのかという質問だ。

 別に訊かなければいけない事情があるわけでもなかったが、純粋な興味として知りたかった。


 答えは意外にもイエスだった。

 二度目にパーティーハウス付近で出会った時は、ジンに張り付いているのを誤魔化すために俺の仮説に飛び乗ったが、最初の愛の言葉は噓ではなかったらしい。

 首切りは真正のロリコンであった。何とも残念な男である。


 でも、彼はもうこの街に用はないので、本拠地である王都に帰るらしい。

 ネメのこともどうやら一回振られていた時点で諦めており、未練とかは全くないとのことだ。


 しかし、彼のストーカー疑惑は誤解だったことをネメは知る由もないし、この先も誤解し続けるのだろう。

 もちろん、俺は誤解を晴らすつもりなんて毛頭ない。面倒くさいし。


「まあ、でも良かったですね。首切りが引いてくれるっぽくて」


「そうだね。本当によかった。これでまたノート君達と冒険ができるね」


 とジンは応える。

 ジンの言う通り、本当によかった。

 これからまた、俺達はダンジョンに潜れるのだ。






 ***






 翌朝、目が覚めて、掛け布団を撥ね除け、顔を洗って、リビングに下りると、五人全員が揃っていた。

 首切りからの暗殺中止の手紙がフェイクの可能性も考え、昨晩は、念のため《索敵》を張り続けていた。


 心配は杞憂に終わって、今もジンは何食わぬ顔で新聞を読んでいるが、徹夜していたせいもあって俺は朝寝坊をしてしまった。

 結果、パーティーメンバーの中では一番遅い起床となる。


「ノート、今日はお寝坊さんです!」


 何も事情を知らないネメが俺をからかってくる。

 寛大で慈愛に満ちた心を持つ俺はそんなことで怒ったりするわけもない。


 するわけもないのだが、寝起きということもあり、目覚めがてらネメの身体を持ち上げて上下をひっくり返す。


「ネメが悪かったです! もう調子に乗らないので、やめてくださいです!」


「わかればよろしい」


 腕の中で上下逆さまになったネメを反転させ、元に戻す。

 そのまま床に着地させてあげると、ネメは腰に手を当て、胸をふんぞり返した。


「やっぱりノートはお寝坊さ――」


 ネメを持ち上げて、またもやひっくり返す。


「ごめんなさいです! 本当にもう言わないです!」


「何、いちゃついてるのよ」


 ふざけあっている俺達を見て、エリンが軽く口を挟んでくる。


 決していちゃついているわけではないが、変な勘違いをされたくないので、ネメをゆっくりと床に下ろした。

 エリンの発言に抗議をしようと口を開きかけると、先にロズリアが割って入る。


「嫉妬する人間は見苦しいですよ、エリンさん。これだから自分に自信のない人は……」


「自信はないわけじゃないわよ。私だってそれなりには――」


「聞きましたか、ノートくん! このナルシスト発言! どう思います?」


「嵌められたっ!っていうかあれよ。ナルシストの権化みたいなあなたには言われたくないわよ!」


「そんなっ! わたくしは自分のことかわいいなんて全然思ってないですよ! エリンさんの方がお美しいと思っているでございまする」


「何よ、その変な言葉遣いと、苦虫を嚙み潰したような顔は! 思ってもいないこと言ってるってまるわかりじゃない!」


「エリンさんは、それはもう絶世の美女でございまして、どのくらい美しいかというと、真夏の太陽に向かって咲く向日葵の根元に生えている雑草のような輝かしさで――」


「それ褒めてないわよね! 完全に貶しているわよね! 雑草に輝かしさなんて微塵もな いじゃない!」


「まあ実際にロズリアちゃんの方が美人だけどな」


「フォースは黙ってて!」


 なんて感じで、いつものごたごたがまた舞い戻ってきた。

 エリンとロズリアが争い出すのは毎度のことだ。

 ここで俺が下手に口を挿むと、火に油を注ぐ展開になりかねない。

 なので、ソファーに寝転んでいるジンに小声で話しかける。


「すみません。ジンさん。俺が起きるの遅れたせいでわちゃわちゃしちゃって。これじゃあ、21階層に向けての作戦会議がなかなか始まりませんよね」


「いいよ、これはこれで楽しいし。ノート君もそう思わない?」


「思わないでもないですね。個人的にはもうちょっと落ち着いた雰囲気も悪くないですけど」


 そう言って、二人して笑い合う。

 戻ってきた平穏を、お互いに嚙みしめていた。


 これから、どのような毎日が待っているのだろうか。

 ダンジョン探索に勤しんで、暇な時間はこうして笑い合って。

 幸せの形とか定義とかは知らないけれど、こんな日常が幸せというのだろう。


 自分の手で掴み取った幸福。俺はそのありがたみを大事に胸に刻んでいた。




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