第46話 リベンジマッチ
転移結晶特有の浮遊感から解き放たれると、じめじめとした空気が鼻孔をくすぐった。
ずいぶんと懐かしい匂いだ。
数え切れないほどの情景が、その時の感情とともに自然と思い起こされる。
あれからもう一カ月以上経ったのか。なんか不思議な感覚だ。
ついこの間の出来事だったようにも思えるし、遥か昔の出来事だったように思えなくもない。
俺は――いや、俺とエリンは戻ってきたのだ。
果てしない絶望だった、この20階層に。
あの時の記憶は今でも鮮明だ。
17階層において、転移罠に引っかかってしまった俺達はこの20階層に飛ばされた。
攻撃能力を持たないマッピング担当の盗賊と、近距離戦闘が苦手な魔導士の二人という組み合わせだったが、様々な困難を乗り越え、なんとかこの階層から抜け出すことができたという過去の出来事。
自分的には、今となっては笑い話にしているが、当時は本気で死を覚悟していた。
現にともに遭難したメンバーであるエリンは、今も暗い表情をしている。
他のメンバーもエリンを慮ってからか、普段のようにふざけた様子を見せない。
そんな陰鬱な空気を払拭するために、俺はあえて高めのトーンで声を張り上げた。
「それじゃあ、打ち合わせ通りに行きましょうか」
静寂に包まれた道に自分の声が響く。
俺としては今回の探索をあまり悲観的に捉えていなかった。
むしろ、この20階層において、『到達する者』には大きなアドバンテージがあるとすら考えている。
何しろ、六人いる中のうち二名がこの階層の経験者なのだ。
今までほぼ初見で階層攻略を成し遂げてきた自分達にとって、これはラッキーな点だろう。
それにこの階層、ボスや中ボスは例外的だが、出てくるモンスターが19階層ほど手強くもない。
種類は少ないし、数だって多くない。
その分、この階層は無駄に入り組んでいて、最短ルートを通っても何日もかかりそうなほど広いのだが、それはこのパーティーにおいて問題にならない。
【地図化】を持つ俺がいる限り道に迷うことはほとんどないし、今回の探索では長期戦を見越してアイテムバックにはたくさん食料を詰め込んでいる。
きちんと生活用品も用意していた。
それに仮に用意していた食料が尽きたところで、エリンの【料理・小】によってモンスターを食料として利用できる。
もはや万全の態勢だ。
そもそも、この階層のマッピングは五割方終わっている。溜め込んだ食料が尽きる状況などほとんどないだろう。
だから、そこまで心配いらないと思うのだが、どうやら遭難していたもう一方の相方は違う考えをお持ちのようだ。
ただでさえ悪い目つきが、眉間に皺を寄せているせいで一層悪化していた。
このまま放置して進むのは危険なので、声をかけてみることにした。
「エリン、大丈夫?」
「私自身は大丈夫だけど、はっきり言ってあなたのことが心配だわ」
そう言って、俺の瞳を覗き込む。
「あなた、本当に中ボスと戦う気なの?」
「もちろん。やっと見つけた俺の役割だから」
先日の19階層でのボス戦を思い返す。
あの時、俺は囮として赤色の魚人の注意を引き付けることに徹していた。
それは攻撃アーツをほとんど習得していない俺ができる、唯一の戦闘面での貢献だ。
その経験を活かし、今回の中ボス戦でも俺は疑似的な回避タンクとして戦闘に参加しようとしていた。
不安はないといえば噓になるが、それでもやってみたいという気持ちの方が強かった。
現に俺の回避の技術はダンジョンで通用するレベルになっている。
それは過去の19階層でのボス戦や20階層の中ボス戦で証明されている。
下手な攻撃などを仕掛けず、回避一辺倒になればそうそう死なないはずだ。
それに20階層の中ボスは前回、攻撃を見ている。
速さや癖などは覚えているし、今回は他のメンバーもちゃんと揃っているため十分なサポートだって得られる。
こんな万全の状況で逃げ腰になっていたら、それこそダンジョン攻略を目指す冒険者なんて相応しくないと思う。
それに俺が20階層の中ボスに挑む理由はそれだけが全てじゃない。
要はリベンジだ。リベンジマッチがしたかったのだ。
もう一度、あの強敵と戦ってみたいという、底知れぬ熱い炎が胸の奥に燻っていた。
薙刀を持ち、悠然と佇む銀色の鎧武者。
目視できるほど濃い瘴気を身体に纏い、鬼の面を被った修羅。
瞼を閉じれば、今でもその姿を明瞭に思い浮かべられる。
そして、その因縁の相手は視線の先に実在した。
20階層の入り口に一番近い部屋。
その中央で異様な気配を放っている。
ここでずっと話していても仕方ない。
時間が経っても何も解決はしないのだ。
「ネメ姉さん、バフお願いします」
「はいです」
ネメの返事とともに身体を高揚感が襲う。
ネメのスペルによって身体強化や自然治癒能力が付与された影響だろう。
これなら《偽・絶影》に身体が耐えられそうだ。
指をむずむずと動かし、身体の昂 たかぶ りを全身になじませる。
この感覚は慣れないけど、嫌いじゃない。大丈夫、何も問題ない。
「じゃあ、行きますよ。準備はいいですか?」
全員の顔を見回すが、誰も異議を唱えるものはいなかった。
皆が頷いたのを確認すると、息を大きく吐いた。
最初に中ボスのターゲットを取るのは俺の役目となっている。
――《偽・絶影》。
全身が凍るような感覚とともに、細長い通路を駆け出した。
視界に映る景色は置き去りになる。
通路を照らす蠟燭の明かりは線となって、道筋を導き出す。
一直線。俺と鎧武者との間には何も邪魔するものはない。
目の前の敵に向かって《殺気》を飛ばす。
開戦の合図であり、俺からの宣戦布告だ。
鎧武者は僅かに首を捻り、こちらに焦点を定めてきた。
目が合う。逆立つ産毛が相対する敵の迫力を物語っている。
衝突までは一秒もかからないだろう。瞬間で決まる戦い。
部屋に入ると同時に、鎧武者に飛び込むかのごとく踏み込んだ。
――《流線回避》。
《偽・絶影》によって加速された身体は影を置き去りにする。
視覚は既に使い物にならない。
感じる気配だけを頼りに上段からの薙刀を避けた。
波打つ軌跡は自身の移動した道筋だ。薙刀の下を縫うように黒い影が漂っている。
そのまま《背向移動》によって旋回するように身体を滑らした。
靴の裏が地面との摩擦で削られる。足裏が熱い。
前傾姿勢になりながらも、重心を崩さないよう注意して移動していく。
鎧武者の背後を取ろうとしたが、そう物事は上手くいかない。
甲冑に包まれた膝が沈んだ。
と思ったら鎧武者が消えた。
そして、目の前に突然現れた。
人型の黒い影が薙刀によって真っ二つにされる。
その影は俺を模っていたものだ。だが、俺自身ではない。
回避アーツ《幻影回避》である。
高速で移動することによって己の姿を映す残像を生み出すアーツ。
薙刀の刃はその幻影を切り裂いたのだ。
鎧武者が戸惑ったコンマ一秒で《離脱》を放ち、敵との距離を調節する。
部屋の奥を時計の十二時に見立てると、俺の身体は十時あたりの方角に移動している。
六時の方角│部屋の入り口に五人の気配。
ようやくジン達も追いついてきたようだ。
今回の中ボス戦のメインアタッカーはジンとエリンの二人である。
エリンが中規模のスペルを撃ちつつ、俺とジンがターゲットを受け持ち合う。
隙さえあればジンも攻撃に加わるという形になる。
この二人が選ばれた理由としては俺とのチームワークの取りやすさだ。
ジンには何度も特訓に付き合ってもらっているため、ある程度攻撃の癖などを把握している。
エリンとも遭難時に共闘していたため、随分と戦いやすい。
逆にフォースやロズリアとは共闘経験も少なく、戦闘の癖もあまり把握していない。
相手の大きさも人間より少し大きいほどなため、あまり多い人数で襲いかかっても味方同士の連携が取りにくいし、今回二人は後方での待機ということになった。
待機といっても、役割がないわけではない。
エリンにターゲットが移ったときの援護がある。
もちろん、俺がバテたりしたら代わってもらうという役割も組み込んでいる。
各々が予定した配置につくと、『到達する者』側の攻撃が始まった。
雷撃が鎧武者の後頭部を焼く。エリンのスペルである。
鎧武者は振り返ろうとするも、直後首元に深い斬撃が襲った。次はジンの攻撃だ。
エリンがスペルを発動すると同時に駆けて、一撃。
手本のような奇襲である。
鎧武者の気がジンに向くも、既に彼はそこにはいない。
《隠密》による気配遮断で姿をくらました。
もちろん《隠密》も万能なアーツではない。
自身の姿を認識した相手には効果が薄いという欠点もある。
そのフォローをするため、鎧武者の意識がジンを見つけ出す前に俺は濃密な《殺気》を解き放った。
やつの注意が完全にこっちに向いた。
と思いきや、一閃。
またしてもジンの斬撃。
黒き刃は鎧武者の腕の合間を縫い、右肩を切り裂いた。
赤黒い煙が傷口から溢れ出る。
ダメージが怒りとなって具現化したような情景。
その場面を眺めながら身体は跳び退いていた。
薙刀による半円を描くような斬撃が腹の数センチ前を通過する。
鎧武者もただではやられてはくれない。
ジンから攻撃をくらった瞬間、反射的に全方位へのカウンターを放ったようだ。
しかし、そんな勘頼りの攻撃が俺はともかく、ジンに当たるはずがない。
もう一撃。二撃。 矢の如き黒い刺突を放つ。
そして深追いはせず、そのまま下がっていった。
鎧武者のカウンターをカウンターで返すというジンの荒技。
そのまま彼が《隠密》で気配を薄めると同時に、雷鳴が轟いた。
エリンのスペルが衝撃となって鎧武者を襲う。
雷撃は鎧にぶつかると弾け、拡散した。
地面を削り、壁を抉る。
――《離脱》っ!
帯となった雷の襲撃を回避すると――じゃない。
なんで俺の方にスペルが飛んでくるんだよ。
「ごめん!」
ごめんじゃない。
エリンのスペルが大雑把なのは今に始まったことじゃないし、俺の方へ向かってくるのも想定内なのだが、どうしても文句を言いたくなってしまう。
俺が躱していなかったらどうするつもりだったんだよ。
まあ、エリンも俺が躱す前提でスペルを撃ったのだろう。
口では謝っているが、大して申し訳なさそうな顔をしていない。
感情をフラットに戻そうとして息を深く吸っている最中、鎧武者の意識がエリンに向きそうになった。
慌てて即座に《殺気》を放った。
鋭い眼光がこちらを突き刺す。
鎧武者の下段蹴りを跳んでやりすごし、そのまま横に一閃する薙刀に対しては背を反らして躱した。
弧を描く半円跳び。
着地時の隙はジンがフォローに入ってくれた。
低い重心からの一撃。腰の回転を活かした斬撃だ。
黒刀は鞭のようなしなやかさとともに繰り出され、鎧武者の甲冑に破壊をもたらす。
いいダメージだ。今までの攻撃で一番手ごたえがある。
深々とした傷が腰から反対側の肩に向かって入っていた。
傷口から立ち込める赤黒い煙は天井まで上っている。
ジンは人型に近いモンスターとの戦いを得意とする。
これは、今まで20階層もの間、ともにダンジョンを攻略していった中で気づいたことだ。
以前、ジンにそのことを尋ねたらあっさりと認めていた。
暗殺者という戦闘職は他のものと比べ、大技が少ない。
それは人を殺すことに長けた、対人専門の職だからだ。
そういうわけで、ジンは人型モンスターにおいては特段真価を発揮する。
この鎧武者も、膂力は人と比べ物にならないが、基本的な動きは人と同じである。
ジンの戦いやすい部類に入る敵だろう。
こういう場合のジンは見ていて安心感が違う。
エリンの援護がなくても、一人で競り勝っちゃうんじゃないかって予感までする。
だから、攻撃面は彼に一任してもいいくらいだ。
《隠密》を発動して、体勢を整える。
俺が出しゃばりすぎてジンの邪魔をしないように気をつけないと。
両手の指を無造作にこねくり回し、身体の末端の動きを確認する。
大丈夫。問題ない。
頷くと、一歩踏み出しながら《殺気》を放った。
これは入った。直前まで気配を消していた反動で、思いっきり鎧武者の意識がこちらに向いた。
左上。右横。柄での突き。突き。突き。からの斬撃。
左上。斬り上げ。上段。突き。突き。三連突き。斬り上げ。薙ぎ払い。
息継ぐ暇もない猛攻を、間一髪のところで躱す。
鎧武者が逆側からの薙ぎ払いを構えたところで、ジンの刃が首元に入った。
深い一撃。相手が通常の人間だったら頸動脈を斬られ、絶命していたところだ。
しかし、相手は20階層の中ボス。血のような霧を出しながらも、その威光は健在だ。
噴き出した霧は周囲を漂い、オーラとして鎧武者を覆う。
今や鎧武者は怒りを身にまとった鬼神であった。
《索敵》で感じられる脅威度が跳ね上がっている。
どうやらこのモンスターはダメージを受ける度に強くなるらしい。
苦笑いを携えつつ大きな声で呼びかけた。
「フォースさん、援護お願いします」
「は? まだいけるだろ! もうちょっと根性見せろよ、ノート!」
「見せたいのは山々なんですけど、このモンスター、一気に倒さないと面倒くさいタイプのやつです!」
ジンと一緒にじわじわ削るつもりだったが、悠長に戦っているとどんどん相手が強くなっていきそうだ。
それは避けたい展開だ。
予定していた計画の変更を余儀なくされたが、こればかりは戦ってみないとわからない。
仕方のない結果だ。
落胆する心にパフォーマンスを引きずられないよう、気持ちを切り替える。
「攻撃も大技メインに変えてください。こいつ、傷を受けた分だけ強くなるみたいなので」
「そういうことか」
フォースも納得したようだ。
煉獄を抜いた。本気モードだ。
鬼神対鬼神。獄炎で己の身を焼いた剣士と、憎悪の炎を滾らせた武者が対峙する。
ここからは乱戦だ。
フォースやジンの近接攻撃が入り交じり、そこにエリンのスペルまで加わってくるはずだ。
乱戦になるとモンスターの注意の移り変わりが激しくなり、敵が誰に狙いを定めているのか把握することが難しくなる。
俺としてはやりにくい状況だ。
ターゲット管理を間違えて誰か一人が鎧武者の猛攻を受けることになったら、最悪誰かの死に繫がることもある。
今いるのは20階層なのだ。下手な一撃でも死に繫がりかねない。
ここからはジンやフォースよりも一歩引きながらの参戦が良さそうだ。
豪風。そうとしか表現できない衝撃に身を屈める。
鎧武者の一刀は、薙刀という武器の枠を超えて衝撃波をもたらした。
だいぶ大袈裟に回避したつもりなのに、背中には切り傷が。
深くはないけど浅くもない。
身体の周りを光がきらめく。ネメの回復スペルである。
俺もジンも、フォースにだって怪我が絶えないようになってきた。
鎧武者が強くなっているのだ。
左腕は千切れかけ、右手も無事ではない。
兜は叩き割られ、胴体と背中には大きな裂傷が斜めに縦断している。
人間だったらとっくに死んでもおかしくない状態。
その絶体絶命の状況が鎧武者の力を最大限まで引き上げていた。
銀色の鎧は瘴気で黒ずみ、禍々しい輝きを放っている。
その姿はまるで亡霊。死してなお戦い続ける修羅だった。
もうこの部屋のどこにも安全な空間などない。
鎧武者の一刀の衝撃波は部屋中どこにでも届き、致命傷をもたらす。
回復スペルを放ったネメを狙い、薙刀を振り上げる。
距離は50mほどある。射程圏内だ。
後方で待機していたロズリアがスペルを発動した。
《不落城壁》。ロズリアが扱える最高度の防御スペル。
斬撃と防壁がぶつかり、互いの意義を主張するかのようにせめぎ合う。
斬撃は光の壁面上を滑り昇り、天井へと衝突した。
ロズリアのスペルがなんとか競り勝った。
鎧武者に目を向ける。
やつの持つ薙刀は自身の左脚の横へ、攻撃の余韻を残している。
チャンスだ。多分、ここが最大のチャンス。
この機を逃せば、俺達はまたしても鎧武者の猛攻を耐えなくてはいけない。
それだけ避けたい。
だったらここで先に猛攻を仕掛け、攻め切る。攻め切って勝つ。
足に力を入れて、アクセルを入れる準備をする。
おそらく、この瞬間、全員の意思が言葉を交わさずとも一致した。
誰も彼もが、勝負を決めようと動き出す。
第一陣はジンだ。ジンが飛び出した。
俺の《偽・絶影》より遥かに速い《絶影》を纏って突撃する。
しかし、鎧武者が振るった薙刀の軌道に阻まれて上手く接近できない。
なら第二陣は俺だ。
アクセルを入れる。静止状態から一気にトップスピードに加速した。
太ももが熱い。筋繊維が悲鳴をあげているのがわかる。
だけど、そんなの関係ない。
ネメの《持続回復》さえあれば問題ない。
このまま最高速度で接近する。
鎧武者の目がこちらを向いた。
――来るっ!
俺の身体は宙に投げ出された。
急ブレーキからの《離脱》。
溜められた運動エネルギーは逃げ道を失って、肉体をあらぬ方向へ吹き飛ばした。
足首はねじれ、明後日の方向を向く。
だけど、そのお陰で鎧武者の斬撃は躱せた。
あとはもう心配いらない。他のメンバーがしっかり仕留めてくれるはずだ。
まずはジンの一撃。鎧武者の左頰に深い斬撃が入った。
鎧武者の意識がジンに向いたことを確認すると同時に地面に叩きつけられた。
そして、本命。第三陣。
今回の襲撃における主役の登場だ。
首が兜ごと宙を舞った。放物線を描いて地面に落ちる。
刀を振り切ったフォースが、首のない鎧武者の前に佇んでいた。
戦いの終焉。《索敵》からは中ボスの気配が消滅していた。
完全なる勝利、リベンジマッチ完了の瞬間だった。