第45話 様々な災難
「さあ、行くわよ!」
「どこにかをちゃんと教えて……」
19階層を攻略して、一息ついていた休日の午前中。
部屋でこの後の予定を考えていると扉がノックされる。
訪ねてきたのはエリンだ。
ローブに杖 つえ と万全の装備をしている彼女は、開口一番にそう言った。
突然の出来事すぎて、状況についていくことができない。
戸惑っている俺に、エリンはこう付け加える。
「もちろん、『復讐の戦乙女』のパーティーハウスによ」
「殴り込みに?」
「なわけないじゃない……。スペルを教えてもらうためよ。何時まで経ってもリースが向こうのおばさん魔導士に話をつけてくれないから、私が直接頼もうとしているんじゃない」
エリンの言う通り、リースによるキャシーへの説得は難航していた。
このままでは、エリンがスペルを教えてもらう時は永遠に来ないかもしれない。
だからといって、今のエリンが直接頼むのは無謀じゃないか?
今だって、おばさん魔導士とか言ってるし……。
本人の前でそんなこと言ったら、戦争が始まるぞ?
「あの……大丈夫? なんか失礼なこと言って、火に油を注いだりしない?」
「さすがにそこは気をつけるわよ……」
本当に大丈夫か?
俺が怪しげな視線を送っていると、エリンは自身の口元を指さす。
「ほら、私、最近ノートにそんなキツイ言い方してないでしょ?」
「それはまあ……」
「でしょ。私だって気をつければ大丈夫なのよ。だから、安心しなさい」
「そうか、そうか。なら、行ってらっしゃい」
エリンに背を向けて手を振る。
すると、その手がガッと摑まれた。
「どうして私一人で行かせようとしているのよ?」
「逆にどうして俺が行かなくちゃいけないんだよ……」
やっぱ、そうなる感じですよね。
上手く誤魔化して俺が行かない流れにならないかなって思ったけど、駄目だったみたいっすね。
「私達、20階層で生死を共にした仲じゃない。死地に向かう時は一緒でしょ?」
「何、その道連れ宣言! 嫌だわ! 見え見えな死地になんて向かいたくないから! 元はと言えば、過去にキャシーを怒らせたエリンが悪いんじゃん!」
「そうだけどっ!」
懇願するような、震えた瞳で見つめてくるのをやめてくれ。
今すぐ、はねつけたい頼みの類なはずなのに、断りづらくなっちゃうじゃないか。
「わかったよ。でも、今回だけだからね」
「ありがとう!」
エリンは飛び上がり、俺の手を握ってくる。
自分もずいぶんエリンに甘くなったものだ。
昔みたいに強い口調で命令されたら即座に断れたのに、下から出られるとなんとかしてあげたいって気持ちが芽生えてしまう。
絆されやすい馬鹿な男だと、我ながらつくづく実感する。
「今から行く用意をするから、ちょっと外で待ってて」
「わかったわ。私が目を離した隙に窓から逃げるとかなしだからね」
いや、さすがにそんなことしないから……。
「ここが『復 ヴアルキリー 讐の戦乙女』のパーティーハウスね……」
「うわっ、本当に着いちゃったよ……」
木で造られたおしゃれな山小屋風の建物を見上げながら言う。
花や草木の模造品で屋根から窓枠まで飾られたパーティーハウスは『到達する者』のものと比べて、だいぶ手が込んでいる。
コンセプトも自然感を醸し出せるようにと統一してあって、好感が持てる造りの家だ。
「何よ、その反応……」
隣にいるエリンはというと、先程の俺の発言が気に食わなかったらしく、少し拗ねている。
だって仕方ないじゃん。散々、キャシーの悪評聞いているんだもん。
はなから危険人物 と称されている人に、同じく危険人物であるエリンを会わせたくないわ。
「今からでも遅くないから引き返さない? やっぱ、やめた方がいいって」
「ここまで来て何言っているのよ。もったいないでしょ、この私がせっかくパーティーハウスの前まで来てやったんだから」
「ねえ、ちゃんと下手に出て教わるってこと知ってる? その話しぶりだと100%、揉め事が起きそうなんだけど……」
「大丈夫! ばっちしよ!」
笑顔で親指を立ててくるエリン。
正直、何が大丈夫なのかはわからないが、とにかく引き下がるつもりがないことだけはわかった。
「もう任せるから、早く呼び鈴鳴らして、話つけてきなよ」
「えっ⁉ ノートが話つけてくれるんじゃないの?」
「そのくらい自分でやってよ……」
さすがにそこまではフォローしきれない。
俺が顔を顰めていると、エリンは折れてくれたようだ。
「じゃあ私が話つけるから、ノートは傍にいて」
「それくらいなら、まあいいか」
エリンに腕を引っ張られながら、ドアの前まで向かう。
「念のため言っておくけど、相手を怒らせるようなこと言っちゃ駄目だからね。男関係の話をしたり、年の差に触れたり、魔法使いとしての優劣を競うようなことを言っちゃ」
「ノートは私のことをなんだと思っているの? そこまで馬鹿じゃないわよ」
そう言って、エリンは淡い木目が浮き出た扉のすぐ隣にある呼び鈴に手をかけると、耳によく通る鐘の音が鳴った。
しばらくの間、沈黙が流れる。
俺もエリンも緊張して一言も発せられない。
《索敵》の気配察知から、何者かがドアの前までやってきたことが確認できた。
この気配、リースのものではない。
おそらく、『復讐の戦乙女』の他のメンバーのものだ。
その人物はぐっとドアに身体を近づけている。どうやら覗き窓で俺達 たちのことを確認しているようだ。
なんて吞気なことを考えていると、突然敵意が爆発的に放たれた。
「エリン、危ないっ!」
彼女の身体に突進して、自分もろとも玄関脇に跳び込む。
その直後轟音が響いて、衝撃波が背中に叩きつけられる。
慌てて顔を上げると、俺達がさっきまで立っていた場所は更地になっていた。
「えっ、何? 何? 何が起きたの?」
エリンは首をきょろきょろさせながら慌てている。
視界を覆う砂煙の中には一つの影が佇んでいた。
「何しにやって来やがった、小娘! また喧嘩売りに来たのかっ!」
怒鳴り声とともに砂煙が現れる。
そこにいたのは、青筋を立てた長髪の女性。
ゆったりとしたTシャツに、七分丈の紺色のズボンと完全な部屋着姿だが、手には長めの杖を持っている。
おそらく、この人物が噂のキャシーとやらなのだろう。
実際に目にするのは初めてだが、エリンに向けられる殺意により一瞬で察してしまった。
というか普通、こちらの姿を見て早々、スペル撃ってくるか?
自分の家のドアまでぶち壊してるぞ?
それに現実で小娘って言葉使っている人初めて見たわ。
俺、てっきり物語の中だけでしか出てこない類の単語かと思ってた。
「ち、違うわよ! 私は頼み事があって!」
俺の身体の下にいるエリンは、誤解を解こうと慌てて手を振る。
しかし、キャシーは怒りの矛を収めることなく、杖の魔力を込めだす。
「男の腕により添いながらやってきたと思ったら、今度は男に抱かれていると来た! 恋人か⁉ そこにいる男はっ⁉ 恋人ができたから私に自慢しようってわけかっ!」
あっ、怒ってらっしゃるのはこの体勢のせいですか……。
俺がエリンに覆いかぶさっているこの状況にお怒りなんですね。
そう言われれば、呼び鈴を鳴らした時も、エリンは不安そうに俺の腕を摑んでいた。
キャシーには男女がいちゃついているように見えたのだろう。
何しているんだよ、エリン!
気づかなかった俺も俺だけど、もうちょっと慎重に行動しろよ。
「そんな……恋人だなんて……。ノートとはまだ……」
しかも、なんでエリンはこの状況で照れちゃってるの⁉
必死に否定しろよ!
キャシーの背後に燃え盛る炎がさっきよりメラメラしてるから! 火に油を注がないで!
「お前ら二人、殺すっ!」
「やめて! せめてノートのことだけは見逃して!」
「またラブラブしやがって! 決めた! 男の方から殺してやる!」
エリン、絶対事態収拾する気ないよね?
煽ってるよね? 意識してやってないなら、それはそれで怖いからね。
「ぶっ殺すっ!」
杖の先端にはまっている宝石が光を放つ寸前に《離脱》を発動する。
エリンを抱え、スペルの射程圏外へ。
そのまま《隠密》を発動して、撤退する。
これはエリンには申し訳ないけど、話し合いはできそうにない。
素直にあきらめよう。
「どこ行った! 小娘! 隠れてないで出てこい!」
俺達が『到達する者』のパーティーハウスに向かって一直線で駆けている間にも、街中には鬼神の叫び声が響き渡っていた。
***
そんなこんなでひと騒動あった翌日。
キャシーがブチ切れていた最中、薄情なことに窓から部外者のごとく一部始終を見過ごしていたリースに文句を垂れて。
逆に俺達のせいでパーティーハウスの玄関は半壊し、キャシーの怒りを抑えるのにどれだけの労力がかかったかを、リースに咎められ。
二人言い争って、結局キャシーが全部悪いという結論に落ち着いたのが、午前中の修業の顚末だ。
ちなみに《必殺》の修業の進度はぼちぼちといったところ。
一応、アーツとしては形になってきたのだが、精度としては満足できるレベルに到達していない。
地上のモンスターにダメージを与えられるくらいの威力は出せるのだが、致命傷を与えられるほどの威力はまだない。
こんなんじゃ、全然使い物にならないだろう。
ダンジョンに出現する敵は地上のモンスターと比べ、遥かに手強いのだ。
地上のモンスターに中程度のダメージを与えるくらいの攻撃なら、ダンジョンのモンスターにはかすり傷も負わせられないと判断して間違いないだろう。
どうやらリースが言っていた通り、俺には攻撃アーツのセンスがないのかもしれない。
回避や補助アーツに比べて、なぜか感覚がしっくりこない。
こういう苦手意識が、成長を妨げている原因なのかもしれないけど。
午後にリースの用事が入っているだとかで、今日の修業は午前中で打ち止めになった。
残念だが仕方ない。大人しくパーティーハウスに戻って昼食を取ることにした。
食事を取っている最中、エリンから何か言いたげな視線を感じていたので、食べ終わった食器を片づけてすぐ、鼻歌を歌いながら部屋に戻ろうとしているネメを捕まえて声をかける。
「ネメ姉さん、買い物行きませんか?」
「ノートから誘ってくるなんて珍しいです⁉ もしかして、ネメのこと狙ってるです⁉」
「なんでそうなるんですか……。変な意味とかなく普通に誘っただけですよ。で、どうです? 買い物行きませんか?」
「わかったです! 一緒に行くです! 今から出かける用意してくるです!」
「なら、早くしてくださいね。じゃないと見つかっちゃうので」
「見つかっちゃうってなんのことです⁉」
ネメが俺の言葉に首を傾げながら部屋へと入ると、廊下の曲がり角から銀色の悪魔の足音が聞こえてきた。
「ああ、いいところにいたノート! お願いなんだけど、もう一度、おばさん魔導士にス ペルを教わるのを頼みに――」
「行くわけないでしょ」
エリンのお願いを一蹴する。
あれは無理だ。相手が悪すぎる。
人間、話せばわかり合えるというのはただの綺麗事だ。
世の中には、いくら話し合ってもわかり合えない人間がいて、果たしてキャシーがその部類に入るのか、厳密には判定できるほど話し合っているわけじゃないけど、少なくとも俺はもうあんなにも危なっかしい場面に遭遇したくない。
申し訳ないけど、どうしても頼みたいならエリン一人で頑張ってくれ。
俺が一緒に行ったら、またキャシーに難癖をつけられるかもしれないし。
「そこをお願い! ノートしか頼れる人がいないの!」
「そういうこと言っても、もう騙されないから。悪いけど、今日はネメ姉さんと約束が入っちゃったから行けないんだよ」
「そんな……」
まあ、約束が入っちゃったというか、今さっきねじ込んだところなんだけど……。
しかし、俺の小賢しい思惑を知らないエリンはすごすごと引き下がり、いなくなってしまった。
入れ替わりになるように着替えを終えたネメが戻ってくる。
「ありがとうございます。じゃあ、行きますか」
「ノートとのお買い物楽しみです!」
先ほど達成目標を終えたので買い物に行く必要はなくなったのだが、ネメの笑顔を見ているとそれも言い出しづらい。
幸いにもネメに関する用事を一つ持ち合わせていたので、買い物ついでにそれを処理しておくことにするか。
『到達する者』のパーティーハウスを出て、右側には市場がある。
左手方向はダンジョン に向かう道に繫がっており、今回の目的である買い物には右側に向かって歩き出すべきなのだが、今回はあえて左側の道を選んだ。
その様子に、ネメは不思議そうに首を傾げた。
「あれ? 市場は逆の方じゃ……?」
そうなのだが、市場に向かうまでに済ましておきたい用事がある。
なので、ネメに一言断りを入れる。
「そうなんですけどね……。一つ解決しておかなくちゃいけない面倒な用事があるんです。買い物行くのはそれからでいいですか?」
「しょうがないです……」
ちょっと不満げな表情を浮かべるネメに、俺は補足を加えた。
「その用事ってのがネメ姉さんに関係あることなんですよ」
「はいです?」
顔にはてなマークを浮かべるネメ。心当たりがないようだ。
それも今回の場合は仕方ない。
おそらく、『到達する者』の中で俺だけしか気づいていないのだろう。
玄関から出て僅かのところで足を止める。
ちょうどパーティーハウスと隣の家の間くらいの地点だ。
影が差し込む小路と言えないほどの隙間を眺める俺に、ネメが尋ねてくる。
「どうかしたです?」
「ネメ姉さん、あそこに何か見えませんか?」
「何も見えませんです……って、もしかしてお化け的な何かです⁉ そうだったらネメは無理です! 助けてくださいです!」
「お化けじゃないですよ……。でも、自分的にはお化けより怖いですね」
「ノートはお化けをなめてるです⁉」
「過去に何があったんですか……」
ここでずっと話していても変化はなさそうなので、仕方なしに路地の隙間に声を投げかける。
「出てきたらどうです?」
「……」
「そこに隠れているのはバレているんですよ」
「……」
「出てこないんだったら名前呼びますよ――」
「待ってくれ。もしかして、私が見えているのか?」
建物同士の間の暗闇から低い男の声が聞こえてくる。
「お化けです⁉」
何もないところから声が現れたように感じられたのだろう。
驚いたネメは俺に飛びついてきた。
「ほら、ネメ姉さんも前に会ったことあるでしょう。ヒューゲルさんですよ。覚えてますか? 以前、ネメ姉さんに出会い頭にナンパをした――」
「その節はどうも」
行儀のいいお辞儀をする男性。
背中に銀色の大剣を差した彼の名はヒューゲル。
ひょんなことから、数週間前に顔見知りになった人物だ。
「うちのパーティーに用があって来たんですか? だったら玄関はあっちですよ」
俺達が今出てきた玄関を指差す。
ヒューゲルはその方向を見て頷くと、口を開いた。
「そうだったか。実はノート殿に話があって来たのだが――」
「それは噓ですね。そこに潜んでたのって今に始まったことじゃないでしょう」
少し鎌をかけさせてもらった。
俺はヒューゲルが数日前からパーティーハウスに張り付いていたことを知っていた。
もちろんそれは《索敵》のお陰だ。
彼はアーツか魔道具かで上手に気配を消していたため、ネメや他のメンバーは気がついていないようだ。
俺も最初はほんのちょっとの違和感程度しか気配を感じ取れなかったが、一度存在を摑んでピントを合わせていくうちに、段々くっきりと気配を感じ取れるようになっていた。
今ではヒューゲルの気配の消し方にも慣れて、誤魔化されずはっきりと知覚できる。
「もしかしてネメ姉さんのストーカーですか?」
おそらくこうではないかという予想を口にする。
ヒューゲルは手を振りながら慌てて否定した。
「違う違う!」
「じゃあ一体なんでそこに潜んでいたんですか?」
「あぁ……」
しばらくの間辺りを見回してから静かに頷いた。
「そうだ。私はストーカーだ」
「すごい開き直り⁉ 誠実なのはいいことですが、もうちょっと否定して欲しかったです……」
頭が痛くなってきた。
どうして俺の周りには頭のネジが外れた人ばっかりなのだろう。
目頭を押さえていると、俺の後ろで震えていたネメが裾を引っ張ってきた。
「どうにかしてくださいです」
「そんなこと言われても……」
「ノートがこの人を呼び寄せてきたのです! 責任取ってくださいです!」
「そう言われると弱っちゃうんですけどね。とりあえずもう一度振ればいいんじゃないですか?」
「わかりましたです! すみません興味がありませんです!」
ヒューゲルの方を向き、勢いよく頭を下げるネメ。
助走をつけて振られた形になるヒューゲルはきょとんとしている。
「え? また振られるのか……?」
「いや、当たり前でしょ。というかどうしてこの流れで振られないと思ったんですか……」
「そういう意味で言ったわけじゃないのだが――」
もごもごとした言葉尻は彼の低い声と相まって聞こえにくかった。
もう一度聞き返そうかと考えていると、服の裾の生地がみしみしと軋みだす。
目を向けると、ネメは一刻も早くこの場から立ち去りたいのか、千切れんばかりに引っ張っていた。
「早くこんな人放っておいて買い物行くです!」
服が千切れるのは困るし、何よりこんな犯罪者じみたロリコンと路上で話し続けている状況から逃げたかった。
「ヒューゲルさん。もうネメ姉さんに付きまとわないであげてくださいよ」
ネメのためを思って、念のため釘を刺しておく。
「ご迷惑をかけて申し訳ない」
ヒューゲルも抵抗することなく、丁寧に頭を下げた。
やけに引き際のいい彼の返事に違和感が拭えないが、ネメの催促が激しいのでその場を立ち去ることにしよう。
「それと最後に一つだけ――」
やり忘れていたことが一つだけあった。
俺は大きく息を吸うと、思いっきり腹から声を出した。
「憲兵さーん!」
「てっきり許してくれる流れだと……」
そんなわけないじゃないか。
過去に幼女誘拐の冤罪で捕まったことがある身として、本物は見過ごすわけにはいかない。
また一つ、俺は善行を果たしてしまったようだ。