第44話 『到達する者』斥候兼遊撃担当、ノート・アスロン
19階層の中ボスも苦労した甲斐はあって、なんとか突破することができた。
しかし、その代償は大きく、現在のエリンの様子はこんな感じだった。
「魚なんか消えてなくなればいいのに。魚なんか絶滅してしまえばいいのに。魚なんてもう見たくない」
大丈夫かな?
中ボスを倒した時点でエリンの瞳から光は消えて、その後の度重なるモンスターとの連戦によってさらに表情が完全に消え失せた。
しかし、彼女の働きっぷりはすごく、誰が見ても彼女は一流の魔導士そのものだった。
20階層での頼りなさが今では噓のようだ。
今は変な発言をしているが、戦いになればきちんと頼れる魔導士に変貌する。
「ほら、早くボス部屋を抜けて帰ろう」
「また戦うの?」
「正真正銘、これで終わりだから。早く帰りたいでしょ?」
「わかったわよ。だけど、これが終わったら当分休ませてもらうわよ」
まあ、19階層での一番の功労者はエリンだし、帰ったらゆっくりと休ませてあげたい気もした。
銀髪のツインテールが揺れる華奢な少女。
その戦いぶりを見て改めて『到達する者』はすごいパーティーなんだと確認させられる。
先の中ボス戦ではエリンだけでなく、ロズリアやフォース、ジンやネメと皆が皆、自分の役割を理解して、適切に動いていた。
その間、俺がやっていたことといえば、ネメを担いで逃げていただけだ。
自分はこのパーティーの役に立てているのだろうか。
つい不安になってしまう。
確かに【地図化】というスキルの役割は果たしているが、それは探索面での話だ。
今の俺は戦闘面では、毒にも薬にもならない空気となっている。
それは『到達する者』に入った当初、ジンから与えられた役割をきちんと満たしているということなのだが、あまり納得できるものじゃない。
戦闘面でも役に立ちたいという気持ちは日頃強くなっている。
でも、今の俺は《必殺》もろくにできないし、たとえアーツを身につけたところで、戦闘スキルを持たない俺は他の五人の足元にも及ばない。
俺が一体のモンスターを倒しているうちに、彼らは十体以上のモンスターを倒せる実力を持っているのだ。
そんな状況の中、自分が活躍できる戦い方を模索しなくてはいけない。
それはリースに指摘されたことだ。
どうしても、その課題が自分の中に超えられない壁として立ちはだかる。
「じゃあ、行きますか」
メンバー一同を見回しながら、石の扉に手をかける。
ボス部屋に続くただ一つの扉だ。
自分が戦闘面で役に立たないのは今に始まったことじゃない。
ここでうじうじ悩んでも仕方ない。
悩むのは家に持ち越して、今は目の前のボス戦に集中するべきだ。
《索敵》では、ボス部屋に二体のモンスターがいることが判明している。
姿、形まではわからないが、二体ともかなり強い。
10階層台後半のボスモンスターがそのまま二体いるような感覚だ。
ただでさえ最近はボスモンスター攻略に手こずり始めたのに、そいつらが二体同時に現れるというのは脅威でしかない。
気を引き締めるよう息を整える。
自分の中のスイッチを入れ替える。
心が静まったことを確認すると、扉を開いた。
正面から風が吹き込んできた。
生臭くて、湿っぽいぬるい感触。風は荒々しく髪を撫でる。
正面に立ちはだかるのは二体のボス。
一方は赤色の魚人。もう片方は青色の魚人。
後者の方と目が合った。黄色くて丸い瞳がこちらを覗く。
種族が違うのか、二体の顔やひれの位置、体格は異なっていた。
背丈はどちらも4mくらいありそうだが、赤色はガタイがよく、丸まった背筋が特徴的だ。
腕も俺の胴体以上に太く、その手には強堅な剣と堅牢な盾が握られている。
逆に青色は細身で、すらっとした体型だ。
槍を構えており、その佇まいに隙はない。
目の前から圧倒的な敵意が、瞬間的に現れる。
青色だ。青色の魚人の殺意。
そいつの足が動くのが、かすかに目で追えた。
――《流線回避》。
勘、感覚――いやもっと速い何かを頼りにアーツに身体を乗せる。
滑るように上半身を捻り、勢いそのまま下半身を投げ出した。
空を浮いた身体は、結果的に槍の軌道の上を転がった。
身体の下側、寸前を槍の穂先が過る。
「――ッ」
回転に身を任せる。止まっている隙なんてない。躊躇ったら殺される。
ごちゃごちゃ考えるな。瞬間を生きることだけを考えろ。
右足での着地を予測し、足首とふくらはぎに力を籠める。
まだ溜めろ。まだ力を溜めるんだ。
そして一気に放出する。
――今だ。
着地と同時に《離脱》を放つ。
槍が迫るのと、俺が跳んだのは同時だった。
左肩に衝撃が加わる。
抉られた。でも軽い。軽く抉られただけだ。
じゃなきゃ死んでいる。
空中を跳ぶ間、纏まらない思考が頭で展開される。
不安定な体勢で《離脱》を放ったせいか、自身で繰り出した跳躍の威力を抑えきれず、壁に叩きつけられた。
「ノートっ!」
エリンの叫び声が聞こえる。
それと同時にジンの《殺気》が青色の魚人に突き刺した。
俺を狙っていた青色の魚人はターゲットを変更したようだ。
ジンへ身体の正面を向ける。
それを確認して俺は《隠密》を発動した。
一息つく余裕ができた俺は、状況を整理する。
青色の魚人は、俺達がパーティーのフォーメーションを築く前に襲ってきた。
しかも、ロズリアがターゲットを取る前に。
そのせいで、一番前にいた俺が狙われてしまった。
ジンが《殺気》によって、ターゲットを取り返してくれたおかげで、俺は《隠密》を発動でき、安全な状況に身を置くことができた。
もし、ジンがターゲットを取ってくれなかったら、自分が攻撃を受け続けるしかなかった。
俺がターゲットを取ることを放棄して《隠密》を使っていれば、エリンやネメが狙われる可能性が出てくるからだ。
助かった。もし、ジンの判断があと二秒遅れていたら死んでいたかもしれない。
地面に倒れてしまった状態から、あの青色の魚人の攻撃を避け続ける自信はなかった。
「ノートくん! すみません、わたくしのせいで!」
ロズリアがモンスターのターゲットを取るスペル、《脚光》を発動する。
赤色の魚人はロズリアに襲い掛かり、剣を振り下ろした。
金属と金属が互いに弾けるような音が耳を刺す。
魚人の剣とロズリアの盾がぶつかりあった音だ。
ロズリアがわずかに後ずさる。完全に力負けした状態だ。
すかさずフォースが援護に入る。
その隙に、フォースが妖刀『煉獄』が使えるよう、ネメが《恒常回復》をかける準備を始めた。
杖に魔力が溜まり始まる。
フォースはダンジョン探索の際、二本の刀を携帯しているが、その刀には優劣がある。
メインウエポンである『煉獄』。
持ち手の身を焼く、禍々しい色の刀身をした妖刀だ。
そして、サブウエポンの『煌狛』。
妖刀には劣る刀だが、それでも刀として最高峰に位置する一刀。
要するにネメのバフスペルがないと、フォースは100%の力を出して戦えないということだ。
ネメがスペルを発動しようと杖を掲げた途端、青色の魚人は身体の向きを変える。
ジンが異常に気付き、槍より早くネメを抱えて跳んだ。
ネメが寸前までいたところを槍が通過する。
「エリン、スペルを中止してくれない⁉」
ジンが叫ぶ。
エリンは呆けながらも、杖に溜めた魔力を霧散させた。
「この魚人、ターゲットが移りやすいみたい! エリンとネメはうかつにスペルを撃たないでね!」
ネメを降ろし、ジンは青色魚人に向き直る。
いつも思うが、ジンの戦闘における状況判断は迅速かつ的確だ。
迷いなく、正しい指示を出せる姿は素直に尊敬できる。
それもこれも、彼が幾度も窮地を経験し、己の力で乗り切ってきたからできることだ。
「フォース、こっちを手伝えるかい? こいつを早く倒したい」
「無理ですよ! こっちも手一杯です!」
ジンの声に反応したのはロズリアだった。
ロズリアとフォースが戦っている赤い魚人は、二人で戦ってなんとか均衡した立ち回りができるといった相手みたいだ。
二人に余裕そうな様子は窺えない。
この状況でフォースが抜けたらどのくらいロズリアが持つかわからなかった。
そもそも、赤色の魚人とロズリアの相性は悪そうだ。
赤色の魚人は純粋な力でごり押ししていくタイプ。
それに対してロズリアはスペルを駆使しながら、聖剣で確実な致命傷を当てていくタイプだ。
しかし、赤色の魚人の強力な一撃に、ロズリアのスペルは次々と破られていく。
これじゃあ、聖剣の性能を上手く活かせない。
フォースもロズリアを守るので忙しそうだ。
『煉獄』が使えれば状況が打開できるのだが、ネメが回復スペルを撃てない今じゃそれは難しい。
「ノート君! お願いがある!」
ジンは急に俺を呼びかけた。
「フォースと代わってあげて!」
「えっ?」
聞き間違いかと思った。思わず聞き返してしまう。
しかし、それは空耳じゃなかったようだ。
彼は青色の槍を躱しながら、言葉を紡ぐ。
「フォースに代わって、ロズリアの援護をしてあげて!」
「え、援護って……」
ロズリアの援護なんてできるはずない。
まず攻撃手段を持っていない俺が、魚人にダメージを与えられるはずがない。
「無理ですって。あれを倒すなんて」
「倒さなくてもいい。注意を引き付けてくれればいいんだ」
「注意を?」
「うん、そうだ。《殺気》は使えるんだったよね?」
「はい」
20階層での遭難時に使えるようになったアーツだ。
ジンの言う通りこのアーツを使えれば、赤色の魚人の注意は引きつけられるだろう。
「それと回避スペルを組み合わせて、ロズリアへの攻撃頻度を減らしてあげて!それで ずいぶん楽になるだろうから!」
「でも――」
「大丈夫! ノート君ならできる。こいつの初撃を躱せただけの能力はあるんだから!」
確かに俺は青色の奇襲を躱せた。だけどそれはたまたまだ。
だけど――。
ロズリアとフォースが戦っている相手に目を向ける。
もしかしたらいけるかもしれない。そう思ってしまった。
だって、赤色の魚人の攻撃は目で追えたから。
パワーは強いが、鋭さは青色ほどじゃない。
20階層で切り抜けた中ボスに比べたら大したことない。
あの時の光景が鮮明にフラッシュバックする。
脳が高速で回転していくのがわかる。血が熱くなっていく。
戦いたい。純粋な衝動がそこにはあった。
それはパーティーメンバーの役に立ちたいとか、ジンに指示されたからだとかじゃない。
もう一度、鎧武者と戦った時のような、あの刹那的な感覚を味わってみたい。
命の危険を前に。圧倒的な敵を前に。興奮している自分がいた。
意外だ。こんな自分がいるなんて。
命懸けの状況を前に昂っているなんて。
予測もしてなかった心境の変化に、驚いてしまう。
――ダンジョンに挑む冒険者は生き急いで死ぬ。
地上とは比べ物にならないくらい強いモンスターを相手取るダンジョン冒険者に対して、世間一般ではしばしそのように揶揄することがある。
しかし、その表現もあながち間違っていないのかもしれない。
今の俺は確実に生き急いでいる。
別に死にたいわけじゃない。もちろんできれば死にたくない。
でも、戦ってみたいという気持ちの方が強かった。
やっと、『到達する者』の一員として戦える。
魚人達の攻撃を受けたら、俺なんて一撃で紙くずみたいに切り裂かれて死んでしまうん
だろう。
だけど、そんなこと知るか。
当たらなければいいのだ。 失敗したときのことなんて考えても仕方ない。その時はその時だ。
俺は踏み出しながら声をかける。
「フォースさん、代わってください!」
「おう、任せた」
フォースとすれ違う。彼の口角は何故か少しだけ上がっていた。
赤色の魚人に向かって《殺気》を放つ。
しかし、ロズリアの《脚光》の効力が強すぎてなかなかこっちを向いてくれない。
「《殺気》が足りないときは、《隠密》を深く発動してから《殺気》に切り替えてみて。気配に強弱をつけると、モンスターを引きつけやすくなるから」
ジンからのアドバイスが飛んでくる。
敵と一対一で戦っているはずなのに、アドバイスを送る余裕もあるのか。
どこまですごいんだ。
ジンに言われた通り、深い《隠密》から《殺気》に移行する。
赤色が振り返った。
――攻撃が来る。
余裕をもって大げさに《流線回避》で躱す。
大丈夫。これなら身体に負担のかかる《偽・絶影》を使わなくてもいけそうだ。
ネメの回復支援を受けられないせいで、フォースだけでなく俺も100%の力は出せないが、これなら問題なく躱し続けられる。
「ノートくん、ありがとうございます」
そう言いながら、聖剣の一刀が魚人の肩口に入る。
俺に魚人の注意が向いたおかげで、ロズリアの一撃が決まった。
フォースとロズリアの組み合わせは、フォースがターゲットを取るアーツを持ってないせいで、ロズリアに攻撃が集中してしまいがちだった。
しかし、俺とロズリアの組み合わせだと、俺もターゲットを取ることができるので、だいぶロズリアが戦いやすくなっているようだった。
「こうやって共闘するのは初めてのことですね」
嬉しそうにロズリアが呟く。
心なしか剣筋が躍っているような気がした。
「そう言えば初めてかも。いつも後ろで見ているだけだったもんな」
『到達する者』に入って、パーティーのみんなと戦闘に参加するのはこれが初めてのことだった。
このパーティーに入った当初、願っていたことを俺は今できている。
そう思うと、不思議とにやけてしまう。
命懸けの状況なのに。俺はどうしようもなく楽しい。
おかしくって笑ってしまえそうなほど、楽しかった。
身体のギアをもう一段階だけ上げる。
胴体を地面すれすれまで下げて、剣の薙ぎ払いをしのぐ。
回避アーツ、《蟲型歩足》だ。
「無理しないでください! もう少しわたくしも攻撃を受け持ちます! ノートくんが心配でさっきから心臓がバクバクですよ! もちろん一緒に戦えて嬉しいのもありますけれど!」
どうやら、ロズリアから見た俺は危なっかしいようだ。
自分としてはまだいけると思うけど、客観的な意見は大切にしたい。
少しだけ、熱くなりすぎている自分もいるような気がするし……。
「わかった。少しだけ任せる」
そのまま下がり、《隠密》で気配を消した。
赤色は《脚光》を発動しているロズリアの方に注意を向けたようだ。
息を整え、次なる《殺気》の準備をする。
そもそも、こっちは赤色の魚人を倒す必要がないのだ。
ロズリアが倒しきらなくても時間さえ稼げていればいい。青色の魚人を倒すまで。
なんたってあっちには、このパーティー最大の戦力、ジンとフォースがいるのだ。
ちらりと目を向ける。
フォースの一撃が、青色の魚人のふくらはぎを直撃した瞬間だった。
大丈夫。あと数分で決着はつきそうだ。
だから焦らず、落ち着いて、時間を稼ぐ。それだけで勝てる。
大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
そして、《殺気》を発動した。
ジンとフォースが青色の魚人を倒してからはあっという間だった。
時間稼ぎという自分の役目を終えた俺は後ろへ下がる。
代わりにジンらが入れ替わって、ロズリア含め三人で赤色の魚人に攻撃を仕掛けた。
数の力は正義だ。
三対一の戦いは数分で決着がついた。魚人の敗北という形によって。
この階層も問題なく突破できた俺達だが、ダンジョン深くに進むにつれ、着実に余裕がなくなってきてることは明らかだった。
ダンジョンは奥の階層ほど、段々と厄介な仕掛けになっている。
この19階層の仕掛けだって、相当厄介だ。
多彩な魔法攻撃を用いないと勝てない中ボスを用意しておいて、ボスは魔法使い系職を積極的に狙うモンスターときた。
前衛と後衛、両者の実力が高くバランスの取れたパーティーでなければ突破できなかっただろう。
そして、次に待ち構えるのは20階層。
俺とエリンが二カ月近く遭難した魔の迷宮である。
でも、不思議と不安はなかった。
それは俺が新しい自信をつけたのもあるのかもしれない。
戦闘面での『到達する者』での役割。
モンスターの攻撃を引き付ける囮としての立ち回りだ。
確かに俺は攻撃アーツを使えない。
でも、回避アーツとターゲット集中アーツならば使うことができる。
俺が一体のモンスターを倒しているうちに、他のメンバーは十体以上のモンスターを倒せる実力を持っているのだったら、自分はモンスターを倒すのではなく、彼らが十全なパフォーマンスを発揮できるように、サポートすればいい。
悩んでいた答えは案外、簡単なものだったのかもしれない。
俺達六人はパーティーなのだ。
各々が長所と短所を持ち合わせて、それを補い合っているから、こうして六人で戦っている。
ようやく、冒険者という職業の本当の楽しさがわかってきたような、そんな気がした。