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第43話 19階層の洗礼

 昔、読んだ絵本の中にあったような光景。

 そんな表現が19階層の景色を言い表すのにはぴったりであった。


 透明な藍色の空には大小無数の魚が回遊している。

 足場であるごつごつとした岩場の隙間には地上では見られない膜状の植物が群生している。

 右手の岩には極彩色の星形の生き 物がへばりついており、深い谷の底には大きな蛇みたいな影が蠢いている。


 まるで海や湖の中にいるみたいだ。

 しかし、呼吸はしっかりとできる。

 空気も酸素もきちんとあるみたいだ。


 ただ魚が空気の中を泳いでいるだけ。

 水中の生物を無理やり地上の環境に適合させたような箱庭の世界に俺達はいる。


 そう、ここはダンジョンの中なのだ。

 美しい生物達の内にはらんだ危険性を《索敵》は告げている。

 彼らはみなモンスターだ。

 しかも、今はそう悠長に景色を眺めている余裕はない。


「……はぁ……はぁ」


 肩で息をしているのはエリンだ。

 額から汗を流し、耳の前に垂らした髪はびっしょりと濡れている。


「多いっ……。いつまで出てくるのよっ」


 文句を言いながらも、杖の先に魔力が充塡していく。

 そして、魔力は雷撃になり放たれた。

 迫る魚は焼き焦げて、地面に墜落する。


 俺達は現在、モンスターに襲われている最中であった。

 これでもう何体目だろうか。

 エリンが撃ち倒した大型の魚類モンスターはもう両手で数えるという次元ではないほどだ。


 この階層に出てくるモンスターの最大の特徴は、彼らが空中を泳ぐ点だ。そのためモンスターとの距離を詰めることが難しい。

 フォースやジンなどの近接戦闘を得意とするメンバーでは攻撃しにくいモンスターが多く、エリンのスペルを頼りとしている状況が続いていた。


「後ろからも来てる。ロズリア援護お願い」


 なおも前方の敵を倒しているエリンを見て、即座にロズリアに指示を出す。

 このパーティーで遠距離攻撃を使えるのはロズリアもである。

 さすがにエリンのスペルには劣るが、それでも小型のモンスターなら仕留められるほどの威力はあった。


「エリンさん、大丈夫ですかぁ?」


 嗜虐的な笑みを浮かべるロズリアに対して、エリンは吐き捨てるように言い返す。


「うるさい、問題ないわよ!」


「その割には辛そうですけど」


「全然辛そうじゃないわよ! 余裕よ、余裕! ただ、ちょっと昨日の寝不足が顔に出ちゃっているだけよ!」


「その言い訳は無理がありませんか……?」


 ロズリアが呆れるのも無理はない。

 誰がどう見ても今のエリンはスペルの撃ちすぎで疲労が溜まっている。

 俺はふと気になって、肩に乗っていたネメに尋ねる。


「エリンって【魔力増大・極】っていうスキルがありましたよね? ならどうしてあんなに疲れているんですか?」


 エリンはスキルによって無尽蔵の魔力を保有しているはずだ。

 だとしたら、理論上は無限にスペルを撃てるような気がするのだが、今の彼女を見ているとそうは思えなかった。


「スペルを撃つのも疲れるです! しょうがないです! お馬鹿さんなノートのためにネメがわかりやすく教えてあげるです!」


 だいぶ偉そうなことを言ったネメだったが、案の定説明はわかりにくかったので、頭の中でネメから与えられた情報を整理してみた。

 どうやら、魔導士がスペルを放つ手順は三段階に分けられるらしい。


 まず、魔力を練る工程。

 これは自身の体内にある魔力を使う分だけ引き出すといったも のだ。


 次が魔力を溜めるという工程。

 これは第一の工程で引き出した魔力を杖やオーブといった触媒に込めるという行為を指す。


 そして、最後となるのが、溜めた魔力を変換してスペルとして放つ工程だ。


 この三つが揃って初めて、スペルが発動するそうだ。

 ちなみに三工程目は、戦闘職(バトルスタイル)によっても異なるらしい。

 魔導士は『魔力を変換』するが、神官や聖騎士みたいな戦闘職(バトルスタイル)のスペルは『魔力によって御業を堕とす』ものだとか。


 ネメ曰く、原理が全く違うらしい。

 魔導士は魔力を自分の力によって別の現象に変換するが、神官や聖騎士は魔力を対価に神が使う力の一部を降臨させるのだとか。

 その結果、人を癒したり、能力を向上させたり、敵を攻撃したりするスペルが発動するといった仕組みなようだ。

 スペルを使用しない自分にとっては理解しづらい違いだが、スペルを使う戦闘職(バトルスタイル)の人にはよくわかる感覚なのだとか。


「要するに、魔力がいくらあっても、魔力を練ったり、スペルとして変換しなくちゃいけないから、エリンはあんなに疲れているってことですか?」


「そうです! そういうことが言いたかったです!」


 魔力が無尽蔵にあっても、スペルが無限に撃てるってわけじゃないってことか……。

 納得して頷いていると、何やら前方に不穏な気配が浮かび上がる。


「なんだ……あれは……」


「何かあったです?」


 肩に乗っていたネメは俺の戸惑いの言葉に反応して疑問を投げかけてきた。


「あれ見えますか?」


 そう言って、前方を指さす。


「あの黒い靄みたいなのです?」


「そうです。あれ、中ボスかもしれません」


《索敵》で感じる脅威度的にそうとしか思えなかった。


「中ボス⁉」


 エリンがその単語に即座に反応する。


「無理よ! 無理! ただでさえ手一杯なのに!」


「あれ? 手一杯だったんですか? さっき余裕と――」


「んっ⁉ ノート……ロズリアが意地悪してくるのよ……」


「ノートくんに助けを求めるのやめてくださいよ。わたくしが悪者みたいになるじゃないですか?」


 二人の視線が突き刺さる。

 俺に振ってこないでくれる……?


 真面目な話、窮地が迫ってきている今、戯れている二人の間に入っている余裕はない。

 俺の『到達する者(アライバーズ)』での役割は、《索敵》で得られたモンスターの情報を正確にメンバーに伝えることでもある。


 その役割を全うしなければ、完全なパーティーのお荷物になってしまうだろう。

 視線を無視して、大きな声で伝える。


「小魚のモンスターの群れみたいです。万はいますね……。一匹一匹の脅威度は小さいですが、一つの群れとして視 み た場合、ボス並みの強さです」


「ノートまで意地悪言ってきた⁉」


「ノートくん、鬼ですか……」


 捨てられた子猫のように見つめてくるエリンと、冷めた目をこちらに向けるロズリア。

 だって、仕方ないじゃん! 俺の役目なんだから!


「あれですよ、エリンさん。もし、本当に無理そうなら、一旦撤退とかいう手も――」


「そういう安易な同情が、一番腹立つのよ! やってやるわ! やってやるわよ!」


「わたくしが珍しく優しさに満ち溢れた発言をしてあげたのに、その反応はあんまりじゃないですか……」


 この二人は仲がいいんだか、悪いんだか……。


「二人ともじゃれてないで、早く戦闘準備に入って!」


「じゃれてないわよ!」


「どこがじゃれている風に見えるんですか!」


 文句ありげの二人だったが、渋々といった様子で定位置につく。

 エリンが杖を構えたところで、パーティー全員が戦闘態勢に入った。


「じゃあ、いくわよ!」


 エリンが掛け声を上げる。

 杖の先には溢れんばかりの魔力が溜まっていた。スペルの発射準備は万全のようだ。


「《剛射掃雷》ッ!」


 超広範囲殲滅型スペルの名が叫ばれる。

 それと同時に周囲の大気が鳴き軋んだ。

 高音の爆音が鼓膜を貫通し、脳を直接震わせる。


 光は既に爆ぜていた。

 辺り一面を塗りつぶすように広がって、視界は白で染まっている。


 雷の光によって目は焼け、機能を一時的に失っている。

 今は《索敵》だけが頼りだ。

 魚の群れの気配は依然消えていない。

 数を減らしながらも彼らは生存していた。


 万はいた魚は千、二千を撃退しただけで留まっている。

 一、二割ほど群れの仲間を減らした彼らは進行を止めない。

 一直線にこちらに向かってきていた。

 モンスターの急接近をパーティーに伝える。


「中ボス健在です! 突撃してきてます!」


 口にしてから気づく。

 自分の声がほとんど聞こえない。耳も駄目になっている。

 雷による轟音のせいだ。

 くそっ。これじゃあ、何を言ったのか他の人に通じない。


「エリンのやつ、スペルの威力抑えろよ……」


 どうせこの文句も通じないのだろう。

《索敵》でロズリアの位置を確認し、背中を急いで叩く。


 俺の合図で気がついたようだ。

 光の城壁を展開するスペル、《不落城壁》が発動された。

 魚の群れは城壁を削りとりながら、俺達を通過していく。


 でも、このままじゃ城壁が持たない……。

 ロズリアの《不落城壁》は防御系最高クラスのスペルだが、さすがに19階層の中ボスの攻撃を正面から受け切ることは難しいようだ。


 どうする。考えろ。

 視覚も聴覚もまだ完全には戻ってきていない。

《索敵》を使わなければ、薄っすらとしか外界を認識できない。

 この状況において、動き出せるのは俺とジンのみ――。


 思考を高速で組み立てて、打開策を考えていたこの時、最初に動いたのはフォースだっ た。

 おそらく二刀あるうちの片方、『煌狛』を抜き放ったのだろう。


 ――瞬間、世界が両断された。


 ぼやけた視界でもはっきりわかるほど。

 光の城壁もろとも、魚の群れを割った。


 敵の攻撃の空白地帯が突如現れる。

 この威力、おそらく何かしらのアーツだろう。


 フォースの対応はすべての状況が把握できているかのようだ。

 確実に彼の視界は確保されている。


 そこでスキル【心眼】の存在を思い出した。

 その攻撃を見切るスキルによって、味方の感覚器官すら奪うほどのエリンのスペルの被害を最小限にとどめたのだ。


 フォースの動きを分析している最中、突如、視界と音が現れた。

 情報の渦が外界と自身とを繫ぎとめる。


 身体が軽くなるというか、うずうずするというか、この独特な感覚。

 おそらくネメの回復スペルによるものだ。

 視界を失った混乱から立ち直った彼女が発動させたのだろう。


 目や耳のダメージが癒されたおかげか、今でははっきりと見えるし、聞こえる。

 ネメのスペルで視界を取り戻せるなんて発想は自分の中にはなかった。

 回復スペルの有用さが際立つ瞬間だ。


「抜けるぞ!」


 フォースが声いっぱいの叫びをあげながら、走りだす。

 既に声は皆に届く。

 ジン達はフォースが切り開いた道に向かって走りだした。

 俺もネメを片腕で担ぎ、後に続く。


 魚の群れの進行方向とは逆に走ったおかげで、モンスターの嵐からはすぐに脱出することができた。

 しかし、群れの先頭は既に引き返している。

 俺達を見逃すつもりはないようだ。こちらに向かってきていた。


 第二波が来る。

 エリンに目を向ける。

 彼女は両手に杖を握り締め、魚の先頭を睨みつけていた。


 杖に魔力は装塡し終えている。

 あとは魔力をスペルに変換するだけだ。


 肩に乗るネメに視線を向けると、彼女も回復スペルを放てる用意をしていた。

 またしても閃光と轟音が弾ける。二発目の《剛射掃雷》だろう。


 エリンの放ったスペルはモンスターを薙ぎ払いながら拡散していく。

 次に待ち受けていたのは一回目の魚の群れの突撃と同様の展開だ。

 ロズリアの《不落城壁》が発動し、ネメも回復スペルを展開する。


 練り上げた魔力が足りなかったのか、《不落城壁》は一度目の発動とくらべ、些か防御 力にかけていた。

 壁の亀裂から鋭利な頭部の魚がこちらを貫かんと迫ってくる。

 ジンは《絶影》を纏い、エリンが撃ち漏らした魚を処理していく。


 ジリ貧だ。このままいけば、物量によって押し切られる。

 二度目のエリンのスペルでは五百ほどしか魚を削れなかったのだ。

 このまま一度目と同じ展開を繰り返していたら、ロズリアの魔力が先に尽きてしまうか もしれな――。


 五百? 本当に五百しか倒せてないのか? あの威力のスペルで?

 疑問が不意に頭から溢れ出る。


 エリンの二発目の《剛射掃雷》は最初に放ったものと寸分たがわない威力だった。

 なのに倒した敵が少なすぎる。

 少なくとも一発目よりかは至近距離で当てていた。ちゃんと群れにも直撃していた。


 それなのに、何故だ……?

 嫌な予感がした。


 フォースが道を切り開き、俺達は続いて駆けていく。

 皆が皆、必死だった。

 ジンとフォースは流れ弾として飛んでくる魚に対処し、ネメはバフをかけながらパーティーを援護していく。

 ロズリアは次の《不落城壁》の展開準備で精一杯だ。

 エリンが次の《剛射掃雷》を放ったとき、嫌な予感は確信に変わった。


「……効かなくなっている?」


 二発目よりも三発目の方がモンスターの数を減らせていない。


「やっぱりそう思うかい?」


 俺と同じように《索敵》で群れの総数を感じ取っていたのだろう。

 ジンもその事実に気づいたようだ。

 彼は声を張り上げて、指示を飛ばした。


「エリン、次から毎回違うスペルを撃つようにして。多分、生き残った魚達は雷が効きにくい個体なのかもしれない」


 効かなくなっているんじゃなくて、効きにくい個体が生き残っているかもしれないということか。

 確かにその可能性の方が高い気がしてきた。

 あの何万もの魚は各々、様々な耐性を保有していて、それが集まって群れを形成して出来ているのかもしれない。


 現に魚一匹一匹の脅威度にはムラがある。

 全部が全部同じ個体でない証拠だろう。

 あの群れは何種類もの強力な殲滅スペルがない限り撃退できなそうだ。


 たまたま何種類もの強力な殲滅スペルを扱えるエリンがいたからいいものを、パーティー編成によっては即詰みの可能性もある。

 19階層も一筋縄ではいかなそうだ。

 しかも、当の本人、キーパーソンであるエリンは顔を引きつらせていた。


「はぁ? 冗談でしょ……?」


 それから二時間、彼女はスペルを撃ち続けることとなった。


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