第36話 成長
10階層探索当日。
俺達六人は装備を整え、『到達する者』のパーティーハウスを後にした。
今から向かうのは、ピュリフの街のすぐ外にあるダンジョンだ。
探索にかける気構えが変わったからか、メンバー一同の顔立ちもいつもとは違って見える。
特に変化が顕著だったのは、六人の一番後ろを歩いているエリンだ。
顔を俯かせ、額にはびっしりと汗をかいている。顔色も蒼白だ。
心配になって、足を進めるペースを落とす。そのまま彼女の隣に並んだ。
「大丈夫、エリン?」
「大丈夫よ……心配いらないわ……」
返事はぎこちないし、声に覇気がない。
あまり大丈夫そうに見えないので、心配の度合いが増してきた。
「体調悪いの? だったらジンさん達に言って、今日の探索を取りやめにしてもらっても――」
「体調は大丈夫よ……。というかどうしてノートは平気そうなの?」
「平気そうって?」
「どうしてあんなに怖くて死にかけたダンジョンにこれから潜るっていうのに、平然としているのかってことよ」
ああ、そういうこと。
言われてみて、確かに納得した。
エリンと同じ状況にいたはずなのに、俺は彼女と異なってダンジョン探索に対して気後れしていない。
普通なら、二カ月もの間、いつ死んでもおかしくない状況に放り込まれたら、二度とあんな目には遭いたくないと思うはずだ。
しかし、心の中にはそのような考えが微塵も現れてなかった。
エリンの気後れする心情は納得できるし、理解もできる。
だけど、自分も同じように考えていたかといえば別の話だった。
まあ、俺の場合はそこまで頭が回らなかったというか。ただ、そういう考えが浮かばなかっただけだろう。
ただの浅慮であるに違いない。
自分の心理状態を分析していると、震える深紅の瞳は俺を覗き込んでいた。
「平然としているというか、どちらかというとダンジョンに潜るのを楽しみにしている感じね」
「そう?」
自分の胸に手を当てて考えてみる。
エリンの言い分は案外間違っていないように思えた。
これからの探索を楽しみにしている自分もいる。
「久しぶりに『到達する者』のみんなと潜るわけだし、楽しみなのも当然じゃない?」
「はあ……あなたってほんとダンジョン馬鹿ね……」
「しばらくぶりにエリンの手厳しい一言をもらった気がするな」
20階層での衝突を経て、俺に対してキツイ物言いをしなくなったエリン。
その彼女からの珍しい罵倒である。
しかし、当の彼女はというと、俺の発言に慌てて手を振った。
「いや、そういう意味じゃないのよ! 悪口とかじゃなくて! 悪意があるわけじゃないというか! 素直に思ったことを言っただけ!」
あっ……素直に俺のことダンジョン馬鹿だと思っていたんだ……。
フォローをしているつもりなのだろうが、全然フォローになっていない。
むしろ、その言葉で傷ついたまである。
彼女は未 いま だ慌てて取り繕っている。
「そう! 精神力があるって褒めているのよ! あんなことがあったのにダンジョンに潜るのが楽しみって言うなんて! 何事にも動じないというか? メンタルお化けっていうの?」
割と途中までは持ち直せていたが、最後のメンタルお化けというワードでフォローが台無しになった。
絶対、心の中で引いてるよね? その気持ちが言葉選びの中に表れちゃってるよ……。
思ったことを口に出さずにはいられないエリンらしいっていうか。
悪意は感じられないけど、純粋な心も人を傷つける場合がある。
一応、エリンは一つ勘違いしているようなので訂正をしておく。
「何事にも動じないっていうのはないだろ。どちらかというと、俺って精神的に弱い方なんじゃない? すぐに落ち込むし……。割と硝子の心だと思う……」
幼馴染に振られて半年ほど自堕落な生活を送っていたわけだし。
エリンに叱られた際も結構落ち込んだ。
修業だって上手くいかなかったら苛立つし、断じてメンタルお化けではないはずだ。
「冗談で言ってるわけじゃないのよね……」
しかし、当のエリンはというと疑り深い視線を向けてくるのみであった。
1階層への扉と、各階層への移動を可能にする転移結晶がある遺跡様の建物――もとい ダンジョンの入り口に俺達はたどり着いた。
今はエリンが転移結晶の行き先を10階層にある転移結晶に繫いでいる状況だ。
他のメンバーはその姿を後ろから見守っている。
こうして転移結晶同士のパスを繫ぐのは、うちのパーティーではエリンの役目となる。
魔力で結晶内の回路をいじればパスは繫がるらしく、パスさえ繫がればその階層に赴いた経験がある人なら誰でも転移できるようになるらしい。
俺は盗賊の戦闘職だし、魔力を使うスペルは使用したことがない。
だから回路を繫ぐという感覚を言葉で聞いても実感はできない。
それどころか難解なイメージを持っているのだが、エリンいわく結構簡単な作業らしい。
転移結晶のシステム自体はあまり複雑に作られておらず、魔導士なら誰でもできるレベ ルだそうだ。
中には魔導士以外でも、スペルを使える人間ならできたりするという。
なので、同じくスペルを使う立場であるネメに話を訊いてみたところ。
「やったことはないけど、多分できるです!」
という答えが返ってきた。
近接戦闘職でありながら、魔力を使ってスペルを発動できるロズリアにも訊いてみたが。
「わたくしもやったことないですね。このパーティーに入る前、少しだけダンジョンには潜ったことありましたけど、その時、面倒そうなことは全部周りの男性の方に任せていましたし……」
といった感じだった。訊かなきゃよかった……。
ちなみに各階層の転移結晶は、地上にある転移結晶としか繫がることができないため、各階層からの帰りはパスを繫ぐ作業はいらない。
転移結晶に触れれば自然とダンジョンの入り口に帰ることができる。
エリンがパスを繫ぎ終えると、最初にフォース、次にネメとどんどん10階層に飛んでいく。
最後に残ったのは俺とエリンの二人だけだ。
エリンは険しい顔つきで正面にある結晶を見つめている。
俺が未だ地上に残っているのも、エリンの異変に気がついたからだ。
「行かないの?」
「行くわよ……。ただ、覚悟はできているつもりなんだけど、いざ目の前に立ってみると怖くなっちゃって……」
俯き加減で呟くエリン。
以前の威勢のよかった彼女からは考えられない弱気な発言だ。
20階層での極限の生活を経て、エリンと俺の関係性は大幅に近づいたはずだ。
今では俺に対してのみ本音を話してくれる。
「そんなに怖いんだったら、手でも握ってダンジョンに入る?」
20階層での生活を思い出し、そんな提案を口にしてみる。
あの時の俺らは、事あるごとに手を繫いでいたような気がする。
案外、悪くない毎日だった。
「止めておくわ……。フォースとかに冷やかされるのは恥ずかしいし、ロズリアにも面倒な文句を言われそうだし……」
ふざけ半分だった俺の言葉で、エリンの緊張はほぐれたようだ。
「大丈夫。平気になったわ」
そう手を振りながら、転移結晶に吸い込まれていった。
俺の言葉はふざけ半分なものだったが、もう半分は本気だった。
行く宛を失った右手を見つめる。
「今の俺達の関係性って一体なんなんだろうな……」
複雑な心境に陥っていたからといって、ずっと転移結晶の前で立ち止まっているわけにもいかない。
エリンの後を追い、すぐさま10階層へと移動した。
「遅えぞ! ノート!」
「はいはい」
フォースからの文句を軽くいなしながら、皆の下へと合流していく。
そして、俺達『到達する者』はモンスターが侵入可能な区域である結晶外に足を踏み出した。
10階層を一言で表すなら、ゴーレム製造工場だ。
あちらこちらにあるゴーレムの製造ラインから、ゴーレムが生み出され、そのゴーレムは冒険者を見つけ次第攻撃をしてくる。
奥に行けば行くほど、戦闘力の高いゴーレムの製造ラインがあり、難易度も増していく。
もちろん階層のボス自身もゴーレムで、その個体自体がゴーレム生産機能を持っているという厄介な相手なのだが、今回は階層攻略が目的じゃないのでボス部屋までは行かないつもりだ。
「ノート君、ユニークゴーレムやレインボークリスタルゴーレムを見つけたら、そっちに道案内してくれるかな?」
「いいですけど、どうしてですか?」
ユニークゴーレムというのは量産型ではなく、単一で種が存在しているゴーレムのことである。
固有の能力を有していることが多く、戦うとなると手間がかかる相手だ。
ただし、個体数としては希少なため、中々出会える相手でもない。
レインボークリスタルゴーレムというのは、量産型のゴーレムの一種である。
数種類の属性魔法を放つのが特徴的で、名の通り身体は虹色の輝きを秘める結晶で覆われている。
生息範囲は10階層の奥地と、戦闘能力も高いゴーレムである。
「その二体はとりわけパーツが高く売れるからね。ほら、今、『到達する者』は貯蓄して いるお金が目減りしている状況だから」
ジンの言葉によって、その背景を思い出す。
現在の『到達する者』は、昔に比べて財政的に余裕がない状況だ。
理由はというと、ひとえに俺とエリンの20階層での遭難があげられる。
というのも、俺達を捜すためにジン達は他のダンジョン攻略パーティーを、潤沢にあった『到達する者』の資金で雇ったらしい。
しかも、頼んだパーティーはどこも一流の攻略専門パーティー。
ピュリフの街に50ほど存在するダンジョン探索パーティーの中で、ダンジョン制覇を目標に掲げている四つのパーティーのうちの三つだった。
複数のパーティーが合体して、クランとしての形を成している『迷宮騎士団』。この街では一番大きい規模のパーティーであり、人材確保にも積極的だ。
厚い冒険者の層と潤沢 な資金によって、『迷宮騎士団』はダンジョン制覇の第一候補として名を上げている。
ピュリフのダンジョン以外にも足を踏み入れたことがあるらしい熟練のパーティー、『天秤と錠前』。
その危険性ゆえ、命を落とす冒険者が後を絶たず平均年齢が低めなダンジョン探索パーティーの中で、一際年齢が高いパーティーだ。
その年齢の高さは死なないことの証。
しかも、最高到達階層が一番深かったりと、実力と実績の伴っているパーティーだ。
そして、メンバーが全員女性と風変わりな形を取っている『|復讐の戦乙女《ヴァルキリー』。
スペル系戦闘職を取っている者が多く、専門の回復職を置いていないのが特徴的だ。
ダンジョン制覇を目標に掲げているパーティーのあと一つは『到達する者』であるので、これでダンジョン攻略の最先端を行くパーティー全てがこの件に関与したこととなる。
ジンは最初、俺達が 17 階層に飛ばされたと思い、その付近の階層まで足を延ばせるパーティーに声をかけた。
その結果、『到達する者』が失った金額は莫大な量となった。
しかも失ったのはお金だけではない。
ダンジョン攻略における情報や、魔道具、ダンジョンから得られる技術情報(オーバーテクノロジーまでをも吐き出してしまった。
結果、『到達する者』が他のパーティーよりアドバンテージを持っていた【地図化】スキルの有用性ですら、知れ渡ることになってしまった。
今回の騒動によって、俺達のパーティーは他の攻略専門パーティーに一歩先を行かれる状況になったといっても過言じゃないだろう。
「なんか、すみません。自分達のせいでお金をあんなに使わせちゃって」
「気にしないで。ノート君達に原因があったわけじゃないし」
ジンは首を振る。そして、悪い空気を払拭するように手を叩いた。
「とりあえずレインボークリスタルゴーレムがいる奥地に向かって進んで行こうか」
「わかりました」
《索敵》で周辺にいるモンスターの種類を探りながら返事をする。
そうして、俺達『到達する者』は10階層を進み始めた。
「レッドゴーレムの群れが右の通路から。数は十二です」
【地図化】と《索敵》で得られた情報をパーティーメンバーに伝えていく。
俺の言葉が届くとメンバーはすぐに動き出した。
ロズリアとフォースは前に。ジンは一歩引いて立ち止まる。
エリンは杖に魔力を込めて、スペルを放つ準備に取り掛かっていた。
各々が『到達する者』での自分の立ち位置を再確認するかのような立ち回り。
久々となるパーティーでの探索に相応しい動きであった。
10階層では敵のゴーレムの出現数がやたらと多い。
単体で強力なゴーレムが襲ってくるというより、物量で押してくるという印象が強かった。
こうしているうちにも、後方からライトゴーレムが八体ほど迫ってきている。
このスピードじゃ、追いつかれるのは時間の問題だ。
前方に目を向ける。ちょうど視界ではエリンがレッドゴーレムをスペルで殲滅し終えた
ところだった。
この階層では敵の出てくる数が多いため、範囲攻撃を得意とする魔導士の動きが重要だ。
ゴーレムの殲滅速度が遅いと、次から次へとゴーレムが流れ込んできて、数に押し負けてしまう可能性が出てくる。
その点、うちのパーティーの魔導士は心配なさそうだ。
ダンジョンに潜る前の不安そうな瞳とは打って変わって、今は目の前のゴーレムを蹴散らすことしか考えていない眼光だ。
表情だって20階層に放り込まれる前と何も変わっていないように見える。
この調子なら問題ないだろう。心配は杞憂だったようだ。
「ロズリア、後ろからライトゴーレムが来ているからよろしく。あと、奥の広場に三種類のゴーレムの群れがいる。計三十五体かな」
本当に出てくるモンスターが多いな、この階層……。
次から次へとゴーレムが現れるため、パーツも悠長に拾っていられない。
レッドゴーレムのパーツも売ればお金になるが、それらをゆっくり拾うより、早くレインボークリスタルゴーレムを見つけて狩っていった方が効率はよさそうだ。
もう少し、《索敵》範囲を広げてみるか……。
【地図化】の効果範囲である1㎞よりさらに先まで《索敵》を伸ばしていく。
穴空きの形で埋まる脳内地図に覆い被さるようにして、モンスターの気配情報が示され
ていく。
感知できる範囲をより遠く、より遠くへと広げていき。
――見つけた。
すごく遠くだけども。あの気配は確かレインボークリスタルゴーレムのものだったはず。
以前10階層に潜った時の記憶を頼りに判断を下す。
「今進んでいる方向から見て、十時方向に一体だけレインボークリスタルゴーレムを見つけました。もしかしたら、そっちの方にレインボークリスタルゴーレムの製造ラインがあるかもしれません。向かってみます?」
「流石です!」
俺の言葉に反応したのはネメだった。
肩に抱えていた彼女は、機嫌良さそうに背中を叩いてくる。
「ノートがいるとやっぱいいです!」
「そうですか? 俺としても、ネメ姉さんの重さを肩に感じていた方がダンジョン探索してるっていう感じしますしね」
「へえ〜そんなにネメに乗られるのが嬉しいです?」
「まあ、そうですね」
言い方が気になるけど、まあいいか。
ネメの発言が変なのはいつものことだ。
俺の示した指針で行くのか、ジンの方を窺ってみる。
彼は少し驚いたような、煮え切らないような、不思議な表情をしていた。
「どうかしました?」
「いや、ボクの方ではレインボークリスタルゴーレムの気配は感じられなかったからさ……」
「そうですか? じゃあ、俺の間違いですね。すみません」
レインボークリスタルゴーレムの気配は気のせいだったのだろう。
気配の記憶だって、数カ月前のダンジョン探索のものだ。
あまり信用できたもんじゃない。
もう一度、正確に、深く、《索敵》に入ろうとすると、ジンの声に阻まれた。
「別に間違いではないと思うよ」
「間違いじゃないって?」
「その通りの意味だよ」
そう言ってジンは続けた。
「ノート君の《索敵》の方が広い範囲を探れていたってことだね。もうボクより上手いんじゃないのかな?」
「そんなことってあります? 多分、俺の間違いですよ」
「それは違うと思うな。ノート君の《索敵》の技術が上がったんだよ。20階層で遭難しているうちにね」
よくよく考えてみると、20階層に訪れる前はここまで視えていなかった。
昔の《索敵》は、相手との距離、脅威度の差異など詳しいことは把握できていたが、今ではそれに輪をかけて精度が上がっている。
より深く、細分化された気配まで知れるし、モンスターの詳しい動きまで感じられる。
もはや視えすぎていると感じるくらいだ。
ある程度のモンスターなら、目を瞑っても対処できるかもしれない。
視えている世界が変わったというか、新たな感覚器官が得られたという方が正しい表現かもしれない。
「20階層ではこのアーツが一番の頼りでしたからね。モンスターと鉢合わせしないように、四六時中気を張りつめていましたし」
「それはまた大変だったね。前にも言った通り、《索敵》とか《罠探知》みたいなアーツは身の危険を感じながら発動している方が上達するからね。極限状態で二カ月もの間発動しっぱなしだったら、それはものすごい上達をすると思うよ」
「そんなものですかね……」
ジンの説明は納得できるような。できないような。
曖昧な返事でしか応えられなかった。
《索敵》が上達しているのは俺でも感じている。それはもうあり得ないほど。
でも、ジンに勝っているなんて事実を想像できない自分がいた。
ジンは俺が思い描く最強の暗殺者で、理想像だ。超えられない壁のはずだ。
だから、たとえ一分野だけといえども、ジンを超えられているとは考えられなかった。
「まあ、行けばわかるか……」
そう呟き、10階層の探索を続けていった。