第30話 決壊
エリンの杖を回収してから数日が経った。
俺達はまたしても新たな問題に直面していた。それは食料問題だ。
アイテムバッグの中を確認する。いくら覗き込んでも食料は増えてくれない。
思わずため息が出てしまう。
ここ十日間ほどの20階層生活を経て、食料は底を尽きかけていた。
「このツタ食べられるかな……?」
壁を覆っている灰色のツタを手に取る。随分カピカピとした触り心地だった。
「……食べられるわけないでしょ」
ボソッと冷たくあしらわれる。
俺としては暗い雰囲気を和ませようと放った冗談だったのだが、却って逆効果だったよ
うだ。
「もしかしたらっていう可能性も……」
「ないわ……」
「そうだよな」
握っていたツタを手放す。
音もせず、植物の残骸は地面に落ちていった。
「他に食べられそうなものある?」
「ないわね……モンスター以外は……」
――モンスターか。まあ、そうなるよな。
エリンの言葉を心の中で反芻する。
俺も薄々はそう思っていた。
この階層で食料になりそうなものはモンスターしかいない。
この階層で今まで見つけたモンスターは五種類。
最初に出会ったカエルもどき。
体が鉱石で形作られた四足歩行の狼。
三叉の槍を携えた悪魔。
一つ目のゴーレム。
無数の根? 触手? みたいなのを揺り動かしている植物。
といった内訳である。
「食べられそうなモンスターね……」
呟きながら考える。
十中八九、体が無機物でできている狼とゴーレムは食べられないだろう。
悪魔はいけるのか? カエルもどきと植物はなんかいけそうだ。
「カエルと悪魔みたいなやつは食べられるわよ」
エリンが断言したことに驚いた。慌てて尋ねる。
「食べられるのか? あいつら?」
「うん……スキルでわかったから……」
「スキル?」
間髪容れずに聞き返してしまった。
確かエリンの持つスキルって――。
「【料理・小】よ。目にしたものが食べられるかどうかもわかる効果があるの」
「結構使い道があるんだな、そのスキル……」
普段だったら怒られるような軽口も無視して、話が続けられる。
「まあね。他にも食材の調理方法なんかも頭に浮かぶから、その二体はきちんと食べられると思う。他のは無理ね……」
「花の怪物は駄目なのか?」
「毒があるから無理ね」
なるほど。食べられるのは二種類だけか。
食材を見分けられるスキルを持つ彼女が言うのだから、その通りなんだろう。
彼女の言葉を逆説的にとらえれば、他に食べられそうなものはこの階層にないということである。
そろそろ覚悟を決めなくちゃいけないのかもしれない。
決意を口に出すのは思っていたより簡単だった。
「エリン、モンスターと戦おう」
それは前から薄々勘づいていたからかもしれない。
俺達がモンスターと戦わずして、この階層から脱出することは不可能だと。
しかし、数日間行動を共にしていた少女が俺と同じ思いを胸に抱いているとは限らない。
「……何、言っているの?」
俺の言が信じられないといった様子で目を見開くエリン。
「……まさか、本気で言っているわけじゃないわよね?」
「そのまさかの本気だよ」
瞳を見て、俺の覚悟を察したようだ。エリンは一歩後ずさる。
「か、考え直して! そんな馬鹿なことを考えるのはやめなさいよ!」
「考え直すのはエリンの方だよ」
俺はエリンの眼差しを離さない。
自分の意見を押し通すことを決めている。
「このまま食料がなくなって餓死するのは時間の問題だ。なら食料が完全に尽きていない今、戦うべきだと思う。飢えによるコンディション低下を受けていない今だからこそ」
他にも気持ち的に余裕を持っておきたいというのもあった。
この階層のモンスターを狩るには、勝てる条件が揃っている状態で戦いを挑まなくてはならない。
その勝てる条件とやらが手に入るまで、待つことができる猶予が欲しかった。
作戦を決行するまでに、食料が尽きるなんて展開は最悪だ。
『食料がないし仕方ない。勝算はないけど戦いを挑もう!』なんてやっつけだけは避けたかった。
しかし、この決断はモンスターとの戦いを避けて食材が尽きるまでこの階層を探索していけば、案外あっさり転移結晶が見つかって帰れるのではという最善の可能性を切り捨てると同義である。
エリンを説き伏せるためにも、この点は伏せておくことにするが。
「死ぬのは嫌だろ? だから戦うんだ」
ずるい説得なのは充分承知している。
彼女の自由意志なんて、あってないようなものだ。
こういえば、確実に首を縦に振ってくれる。
そう確信しての投げかけだった。
事実、俺の予想通りの反応をエリンはする。
「……わかったわ。それでどうやって戦うつもりなの?」
エリンの他人任せな思考に不安を覚えるが、その性質を利用したのは俺自身だ。
責めることなんてできるはずもない。
「ターゲットにするモンスターはカエルもどきかな。そもそも食料にできるのが、カエルもどきと悪魔の二種類だけだ。その中で、単独で行動しているものの多いカエルもどきを狙おうと思う」
エリンは黙りながら俺の説明を聞いている。
「それでモンスターを倒す方法だけど、罠魔法で倒せちゃったりしないか? それができれば一番手っ取り早くて安全なんだけど……」
《罠解除》の修業時にエリンが罠魔法を使用していたことを思い出し、考えを口にする。
しかし、エリンは首を横に振るばかりだった。
「それは不可能よ。膨大な魔力を罠魔法に注ぎ込められれば話は別だけど、そんな量の魔力を練っていたら周りのモンスターを寄せ集めちゃうもの」
無理なのか……。いい方法だと思ったのに……。
「罠魔法ってそもそも効率が悪いの。触れたら発動するようなギミックや、その場に長時間設置することに魔力のリソースを使わなくちゃいけないから、その分同じ魔力量を消費する攻撃魔法に比べて威力が弱くなるの。だから、モンスターに大打撃を与えるほどの威力にするには、倍ほどの魔力を注がなくちゃいけなくなるのね」
「じゃあ、モンスターを寄せ集めない程度の魔力量で発動する罠魔法って、どのくらいの威力になる?」
「詳しくはわからないわ……。この階層のモンスターがどのくらいの耐久力を持つかわからないし……。でも、ノートの《隠密》による手助けがあるなら、それなりのダメージは与えられると思う」
どうする? 罠魔法でいくか?
カエルもどきの姿を思い浮かべる。あの太い両脚は跳躍力に優れていそうであった。
罠魔法をある地点にいくつも張ってカエルもどきを削り切るという案を思いついていたが、その作戦は上手くいくようには思えなかった。
罠魔法の初撃を受けたカエルもどきは自慢の跳躍力で退避することは確実だろう。
罠を乱立させたエリアから逃げられれば、俺達になすすべはない。
食料を得られないまま危険を冒したという結果だけが残ってしまう。
それよりか、最初に発動させる罠魔法を拘束系のものにして、動きを封じたモンスターを直接エリンの攻撃魔法で仕留めた方が確実だろう。
その分、最初の案よりかは危険だが、それもしょうがない。
ただ普通にエリンの攻撃魔法で戦うよりは安全な策だし、ここらが妥協点だろう。
「エリン、普通の攻撃魔法なら、周りのモンスターを寄せ集めずカエルもどきを一撃で仕留められる?」
「そうね……。多分……いけると思う……」
とりあえず、これで作戦は決定だ。
本来ならもっと万全を期して戦いたいんだけど、こんなピンチに陥った以上仕方ない。
ある程度、ぶっつけ本番でやらなくちゃいけないこともある。
自然と息が潜まってしまう。呼吸が苦しくなってきた。
酸素不足を解消するため、意識的に肺を広げた。
もうすぐ罠の張った地点に狙っていたカエルもどきが到着する。
俺とエリンはその瞬間を、カエルもどきが通る路の曲がり角で待ち構えていた。
待機場所は罠を設置した地点からはだいぶ離れている。
50mほど離れた先の、丁字路に隠れ潜んでいた。
この距離は遠距離攻撃を得意とするエリンの独壇場だ。
相手のモンスターが同じく遠距離攻撃を得意としない限りはこちらが攻撃を受けることはないだろう。
エリンも、この距離なら一撃でモンスターを仕留められると言っていた。
「そろそろだ」
壁が邪魔でこの場所からじゃカエルもどきを目視できない。
だけど、俺には《索敵》がある。
自分の脳内上の地図と照らし合わせて、位置を正確に把握していた。
緊張する。手は汗でびっしょりだった。
失敗したら死ぬのだ。
そして、その失敗する確率も決して低いものではない。
文字通り命がけの戦いだ。
こんなにも死が身近に感じる戦闘は初めてだった。
本当に上手くいくのか? 大人しく作戦を中止した方がいいんじゃないのか?
湧き起こる疑念を拭うように、手のひらをズボンに擦りつけ、俺よりも緊張しているはずであるエリンに目を向ける。
今回の作戦を実行するのは彼女なのだ。
そのプレッシャーは俺の比にならないだろう。
エリンの瞳孔は完全に開いていて、唇は食いしばられていた。
『大丈夫か?』と声をかけようと思ったが、時間がそれを許してくれなかった。
カエルもどきが罠の一歩手前まで歩み寄る。
――そして、罠にかかった。
パキッという鋭い音が耳を刺す。
エリンの氷系罠魔法がモンスターを捕らえた合図である。
「エリンっ!」
俺の呼びかけに、ツインテールがぴくっと反応する。
モンスターを寄せつけないギリギリの魔力を杖に溜めていた彼女は、待っていたとばかりに曲がり角を飛び出す。
俺もその後へと続いていく。
「《光刃術式》!」
淡い光の塊が杖の先端から放たれる。
一直線に進む光源は、お世辞にも速いとはいえない速度でカエルもどきへと向かっていく。
カエルもどきは足元を中心に凍らされているため身動きが取れない。
迫る光を避けることができなかったようだ。
突き進んでいった光は、エメラルドグリーンの体表の中に吸い込まれていく。
直後、無数の光の刃が溢れるかのようにカエルもどきの体から貫き出る。
刃は四方八方へ先を向けており、青黒い血しぶきが壁に飛び散っていた。
決着がついたと安堵して、目の前のエリンは肩の力を抜く。
――違う。まだだ。まだ戦いは終わっていない。
目の前にいる瀕死のモンスターからの敵意に身が震える。
こいつはまだ生を諦めていない。
「《離脱》、《離脱》、《離脱》、《離脱》、《離脱》、《離脱》!」
反射的に叫んだ。
そのままエリンの身体を抱いて、一心不乱に跳ぶ。
遠くへ、より遠くへと。
目の前で何が起こっているかなんて知らない。
後先なんて考えられない。
ただ一つ、わかっていたのは逃げなければ死ぬということ。
純粋な本能からくる逃避であった。
気がつくと、ちょうど目と鼻の先には鋭い剣先が向けられていた。
あと1cmあるかないかといったギリギリの距離までそれは迫っていた。
静止する剣先を眺め、啞然とする。
これは剣じゃない。舌だ。
カエルもどきが伸ばした鋭い舌先が俺の顔を貫こうと迫っていたと理解する。
どれだけ離れていたと思うんだよ……。
このくらい距離を取っておけば安全だろうという憶測が完全に外れていたことに乾いた笑いが漏れ出る。
こんな遠距離攻撃の手段を隠し持っていたなんて、予想すらしていなかった。
一瞬でも飛び退くのが遅かったら。一回でも《離脱》の発動回数が少なかったら。
今頃、俺はくし刺しになっていた。
恐怖で思考がぼやけていく。
パリッパリッと遠くで氷の割れる音がして、我に返る。
カエルもどきが力任せに罠に抗い、氷の足枷を破りかけている合図だ。
「エリン、早くスペルを!」
狭まっている気道を無理やり開いて、声を絞り出す。
俺の声によって、エリンも飛びかけていた意識を取り戻す。
「あっ……」
焦りながら杖に魔力を充塡していくエリン。
スペルの発動準備が完了するのと、罠が破られるのは同時の出来事であった。
音とともに、弾丸のごとく跳び出してくるカエルもどき。
エリンは目を瞑りながらも雷撃を放った。
激しい音の直後、カエルもどきは雷へとぶつかり、弾け飛んだ。
焼けた肉片が頰を掠める。
「――っ。危ないところだった……」
地面に散らばった肉体を眺め、カエルもどきが息を吹き返す可能性がないことを再確認する。
安堵から腰が抜けていた。
横を見ると、エリンも地面に尻をつけ、へたり込んでいる。
「早く、食べられる場所を剝ぎ取ろう」
四散した死体を見て、食欲は湧き起こるどころか減っていく一方だ。
そもそも、派手に殺してしまったせいで食べられそうな部位がほとんど見当たらない。
だけど、折角命がけで狩った獲物だ。
みすみす見捨てるわけもない。
他のモンスターが騒ぎを聞きつける前に、食べられる部分を回収しておこう。
幸いにも、今は迫ってきている気配はないが。
アイテムバッグから予備のナイフを取り出し、エリンに手渡す。
剝ぎ取りはスキルによって食べられる部位を把握できるエリンの役割だった。
俺はその間、《索敵》で周囲のモンスターの動向を見張っておく。
エリンは肉の回収を終えると、鮮度を保たせるため氷魔法で覆い、俺へと渡してくる。
それを素直に受け取り、アイテムバッグへと入れる。
「この量じゃ、もう一体倒さなくちゃいけないかもな……」
それはなんの配慮もなしに漏れた言葉だった。
特に意識もしていない、変哲のない発言のつもりだった。
だけど、その言葉が失言だと気づくのには、そう時間がかからなかった。
「もう嫌……」
その悲痛な叫びが目の前の少女から発せられたものだと気がつき、顔を上げる。
――彼女は。エリンは。泣いていた。
ボロボロと涙の粒をこぼしている。
その光景は気高く、美しいものだと思っていた少女には似つかわしくなくて、俺は衝撃を受けていたのだと思う。
伸ばした手は、行き場をなくして空中で止まっていた。
「もう嫌よ……。戦いたくない……。全部やめましょうよ……」
心の軋みを吐き出すエリンを見ていられなかった。
俺は咄嗟に言葉を継ぐ。
「全部やめましょうって……それじゃ生きて帰れないだろ?」
冷静に宥めようとした。
エリンの叫びは、この階層に放り込まれてからの延長線上だと思っていた。
いや、そう信じたかっただけなのかもしれない。
「知ってるわよ……。だから言っているんじゃない……。諦めましょうって……。生きて帰れるなんて叶わない願いは捨てて、楽になろうって!」
だけど、現実は違っていた。思い違いだった。
もう限界だったのだ。
エリンにとって。この20階層での生活は。
「無駄よ、こんな足搔き! 辛いだけじゃない! 何度も死にそうな思いをしてモンスターを倒しても、結局私達は死んで終わりなのよ! 生きて帰れないのよ!」
一度堰を切った感情の波はとどまることを知らない。
「辛いよ。苦しいよ。もう楽になっちゃいたい。あなたもそう思うでしょ? だから諦めよう、一緒に」
「エリン……」
――俺はそうは思わないよ。
悲痛に満ちた彼女の泣き顔を前に、残酷な言葉を突きつける気にはなれなかった。
「ねえお願い……。一生のお願いだから……。私にできることならなんでもするから……。一緒に諦めてよ……」
代わりに絞り出したのは、この場に似つかわしくないほどの正論。
「エリン、落ち着いてよ。冷静になって」
もちろん、取り繕った言葉など彼女に届くわけもなくて、両肩を摑もうとする俺の手は弾き飛ばされた。
「何が冷静になってよ! この状況で冷静になれるわけないじゃない! 物事を冷静に考えているあなたの方がずっとおかしいわよ!」
俺の襟元に摑みかかって、エリンはなおも攻撃的な追及をやめない。
「私はね、前からノートのことを変わっている人だと思っていた。ずっとよ。そして、今確信したわ。自分の考えは間違っていなかった。あなたは異常よ」
「俺が異常……?」
言っている意味がわからなかった。
問いただすように言葉を繰り返す。
「そう、異常よ。死が迫っている状況なのに。こんな場所に数日いるだけで私は気が狂いそうだっていうのに。平然としているあなたが異常にしか思えない。正直、怖い。私には理解できないものだから。同じ人間の心とは思えないのよ」
俺だって平然としていたわけじゃない。
20階層での生活に焦りを感じていたし、苛立ちも募っていた。
ただ、生き延びるために感情を押し殺しているだけだ。
そう弁明しようと口を開きかけたが、言いとどまることになる。
それはエリンが言葉を 続けたからだ。
「昔から、ずっとノートが理解できなかった。どうしてそんなに心が強いのか。目標に向かって進み続けられるのか。頑張り続けられるのか。私にはわからない」
言いとどまって正解だったと思った。
彼女は、目的のためなら感情を押し殺せる俺を非難していたのだから。
エリンの頰から垂れた雫は、ここ数日のダンジョン生活で汚れたローブの裾を滲ませていた。
「私が最初にあなたに恐怖を覚えたのは、あなたが誘拐容疑で捕まって、私が説教をした後のことよ」
八カ月くらい前の出来事だったが、その時のことはよく覚えている。
自分の怠惰な気持ちを咎められた時の話だ。
俺にとってもそれは苦い記憶であった。
「あの時ね、私、ノートがパーティーを抜けると思っていたの。いや、辞めちゃえばいいと思って、わざとキツイ言い方をしていた。でも、ノートは辞めなかった。それどころか、私に嫌われることをものともせず、一人、一心不乱にアーツの練習をし始めたわ」
確かにあの時、俺はエリンに嫌われてもいいからと、アーツの習得を優先した。
他人からどう見られるかを気にせず、アーツを同時に発動して練習に挑み、無様な修業結果を彼女達に見せつけた。
「私にはどうしてそんなことができるのかが理解できない。他人に嫌われることが怖くなかったの? 孤独が怖くなかったの?」
泣き腫らした目がこちらに向けられる。
それは懺悔のようで、懇願のようで。
彼女は言葉を一つ絞り出していくたび、自身の胸のうちにしまっていた大切な何かを剝がし取っていくようだった。
「みんなでビーチに行った時もそう。今もそう。ノートは目的のために、自分の感情を切り離している。やっぱ、おかしいよ。私にはそんなことできない。辛くないの? 苦しくないの? やめたくならないの? どうしたらそんな風になれるの?」
違うよ。エリン。
俺は君が思うより、ずっと弱い人間だ。
君が思い描くような、感情を100%排除できるような人間離れした存在でもない。
ただ、一つ。君と違ったのは――。
「俺が昔、取り返しのつかない失敗をしてしまったせいだ。エリンも知っているだろ? 俺は自分の努力不足のせいで、心の弱さのせいで、大切な人の期待を裏切ってしまった。たった一つだけしかなかった、大事にしたかったものを台無しにしたからだ」
幼馴染であるミーヤとの別れを思い出す。
あの出来事が俺を変えたんだ。今の俺を作り出した原点なんだ。
ミーヤは俺に気づかせてくれた。自分がどうしようもない人間だっていうことに。
自分の望まないスキルを得て、不貞腐れて、怠惰を境遇のせいにする情けない人間だということに。
自分の駄目さ加減を彼女に咎められなければ、俺は一生、言い訳ばかりで、何も成し遂げられないで、誰かを傷つけてばかりの最低な人生を歩んでいたのだろう。
俺は変われなかったのだろう。
今、思えば昔から彼女には色んなものをもらっていた。もらいすぎていた。
その割に、俺は彼女になんにも与えることはできなくて。
それがたまらなく悲しかった。
もうこんな悔しさは味わいたくない。
ミーヤと同じように大切なものを数え切れないほど与えてくれた『到達する者』に恩返しをしたい。
そう思って今までやってきた。
「辛くないのかだって? 苦しくないのかだって? 辛いに決まってる! 苦しいに決まってる! でも、それ以上に辛くて苦しいことを知っているから、やめようとは思わない。繰り返したくないんだ……あんな思いはもう……」
「そう……あなたは挫折した経験があるから、こんな状況でも前に向かって進んでいけるっていうのね……」
「そうだ」
自信を持ってそう応える。
俺の正真正銘の本心をぶつけたからこそ、目の前の絶望に打ちひしがれる彼女に伝わるものがあると思った。
俺の抱えた気持ちを理解してくれると思った。
だけど、それは甘い妄想だった。
「――確信通りね。やっぱりあなたは異常よ。普通の人間は挫折しただけじゃ前を向けな い! 前に向かって走り続けることなんてできない!」
俺を嘲笑するかのように吊り上がるエリンの口元に、俺は裏切られたと感じてしまった。
あんなにも全力でぶつかったのに、全てをさらけ出したのに、どうして理解してくれないんだ。
つい感情が昂って、荒い口調になってしまう。
「エリンは一体何が言いたいんだよ! エリンが言う、普通の人ってなんなんだよ! 何が普通で、何が異常なんだよ! 少なくとも俺は挫折したからこそ頑張れているんだ! それのどこが普通じゃないっていうんだよ! 本当に挫折した人の気持ちなんて、恵まれた境遇にいるエリンにわかるわけ――」
「ないとでも言いたいの?」
その言葉は、俺が聞いた彼女の言葉の中で一番冷たい声色だった。
耳に入るその鋭利な響きはどうしても彼女が放ったものだと信じられない。
俺はどこかで何かを間違えてしまったのだろう。
取り返しのつかないことを口にしてしまった。
そういう予感があった。
「あるわよ。挫折なんてたくさん。ノートより辛い思いだってしたかもしれない。あなた、自分が世界で一番不幸な人間だと思っているでしょ?」
的確に図星を指されて、エリンの指摘に反論することができなかった。
自分を世界で一番不幸な人間だなんて流石に思ってもいないと言い返すことはできるかもしれない。
でも、世界中に人間が100人ほどしかいなかったら、その中で96、97番目に不幸な人間は自分なんじゃないのかと思っているのも事実だった。
「そういうあなたの考えはわかるわよ。私も同じようなタイプだから。でもね、一つだけ知っていて欲しい。たとえあなたみたいに外れとされているスキルを持たなくとも、恵まれたスキルを持っていても、挫折する人間はいるのよ」
「そして――」と彼女は言葉を継いだ。
「挫折しても前を向けない人間だっているのよ。全ての人間があなたと同じわけじゃないのよ。ほら、ここにもいるじゃない。恵まれた魔法系スキルを持ちながら、努力することもなく、人生を楽な方へ楽な方へと逃げ続けている、どうしようもない人間の私がね」