第27話 二人きり、絶望の始まり
先日、最高到達階層を更新した『到達する者』は今日もダンジョン探索に勤しんでいた。
場所は17階層。天空に浮かぶ島々という、またも不思議な階層だ。
浮かぶ大小様々な島々の間には橋や浮遊する小さな岩場の数々があり、行き来ができるようになっていた。
数ある島々を進むことで、18階層の扉へとたどり着けるのだろう。
現在、『到達する者』はというと、この階層の攻略というより様子見がてらこの階層を探索していた。
16階層では多少ぶっつけ本番なところもあったので、パーティーメンバーが引き裂かれるという窮地に陥ってしまった。
17階層ではその反省を活かして、ちゃんと階層の特徴を摑んでから、本格的な攻略を始めようということになったのだ。
しかし、その折角の企みも無駄に終わってしまったのが現状だ。
モンスターを倒しながら、階層の様子を探っていると、突然空から現れた中ボスに襲われてしまった。
気づかないうちに、中ボスが現れる区域に足を踏み入れてしまったようだ。
立ちはだかるのは翼の生えた筋骨隆々の怪物。
体は俺達人間より数倍大きくて、腕は六本、足は二本ある。
頭部は角の生えたような骨の兜をしていて、頑丈そうだ。
筋肉の上には血管らしきものが浮き上がっていて、それを灰色の皮膚で覆っている。
そんな怪物としか言い表せないようなモンスターに現在、俺達『到達する者』は苦戦していた。
「《流線回避》!」
ジンは、中ボスから繰り出されたパンチをすんでのところで避ける。
そして、そのまま二撃、軽い斬撃を与える。
そして、これ以上踏み込めないと判断したのか、《離脱》を発動して距離を取った。
他のメンバーはその戦いぶりを見ていることしかできない。
戦いに参加したくても参加できないのが現状だった。
理由は、現在中ボスと戦っている場所にある。
中ボスに襲われた瞬間は不幸にも、俺達が島同士を渡るため岩場の群れを跳び渡っている最中だった。
よって、『到達する者』は足場の悪い浮き岩での戦いを余儀なくされた。
浮いている岩場群が繫ぐ島はここからだいぶ距離がある。
この中ボスは、見た目がごつい割に機動力があるので撤退は難しそうだ。
そして、もう一つパーティーの身動きを取れなくさせている理由が、足場に乱立している罠である。
この階層は罠の数が異様に多かった。
だから、今まで慎重に罠を解除しながら進んできたのだが、そこで中ボスの襲撃ときた。
浮く岩々と足場は悪く、その岩々には罠があちこちに仕掛けられているという。
そんな中、中ボスを相手取れるのは機動力のあるアタッカー兼、罠解除系アーツが使えるジンだけであった。
フォースやロズリアも罠さえなければ加勢できたかもしれない。
だけど、罠のある岩場を間違って踏んでしまったらただじゃ済まされないだろう。
罠有無にかかわらず遠距離攻撃を仕掛けられるエリンも現在は手出しできないでいた。
この中ボスは接近戦に特化した見た目と相反して、地味に遠距離攻撃も仕掛けてくる。
羽を飛ばしたり、足場となっている岩々投げたりとやりたい放題だった。
ジン以外前衛がいないため、エリンが狙われたら厄介な展開になる。
ここは安全を期して、エリンは手出ししないことにしていた。
こうパーティーに不利な要素を挙げていくと、『到達する者』がさもすごい窮地に陥っているように聞こえるが、実際の状況はそうでもなかったりする。
現在ジンはただ一人で中ボスと渡り合えていた。
《罠解除》を使い、次々と足場の罠を減らしながら中ボスにダメージを与え続けるジン。
戦いながら同時に罠に対処しなければならないため、普段よりは攻撃の密度は小さいが それでも戦いは優勢だった。
段々と怪物の体に傷が刻み込まれていく。
このまま戦っていけば、いつかは中ボスが倒れることになるだろう。
しかし、ジンが一撃でも攻撃を食らえば状況がひっくり返ってしまうのも事実である。
怪物の力任せの攻撃を彼の細い身体が耐えられるとは思えない。
戦いの結末はジンが中ボスを削り切るのが先か、ジンのスタミナが切れ攻撃を受けるのが先か、にかかっていた。
俺もできる限りジンの負担を減らそうと、戦いに巻き込まれないように離れた場所の罠を解除して回っている。
ジンの邪魔にならないように。
そして、俺にターゲットが向かないように。
モンスターのターゲット把握は、ダンジョンに潜っていくうちに身についてきた。
俺には《索敵》もあることだし、どのモンスターが誰を狙っているかはある程度察知できる。
自分にターゲットが向いていないことを逐一確認しながら、《隠密》で気配を消す。
そして、《罠解除》で辺りに展開された罠を消していった。
大丈夫。このままいけば上手くいく。
そう思った瞬間の出来事だった。
怪物が甲高い大声で鳴き始めた。
鼓膜が痛い。慌てて耳を両手で押さえる。
その咆哮にジンの手が一瞬だけ止まった。
一秒にも満たない僅かな隙に中ボスのターゲットがジンから、後ろで待機していたエリンに移る。
いつものようにロズリアがターゲット集中アーツを発動していなかったからか。立ち位置が悪かっただけなのか。
詳しい理由はわからないが、多分それは偶然だったのだろう。
羽ばたく怪物は近くにあった足場をエリンに向かって投げ飛ばした。
彼女も一流の魔導士だ。
それにすかさず反応して――。
「《障壁!」
自身の前方にスペルによるバリアを展開した。
――それじゃ駄目だ。
俺は無我夢中で足場を跳んで、エリンの下へ駆ける。
――だって、それは。
「避けろ! エリン! 罠がついている!」
投げられた岩場には、解除を後回しにしていた罠が隠されていた。
俺の疾走も空しく、飛んできた岩はエリンの張った障壁にぶつかる。
「――っ」
岩から放たれた光は、エリンと駆けてきた俺、二人もろともを包み込んでいった。
目を開ける。
――えっ?
目の前の光景に慌てて、何度も瞬きをするが変化は見られない。
どうやら見間違いではなかったようだ。
直前まで戦っていたはずの中ボスは消え、それを相手取っていたジンすら見当たらない。
それどころか、フォースもネメもロズリアもいない。
そばにいたのはエリンだけだった。
彼女も、現在置かれている状況に戸惑っているようだ。
瞬きの回数が異様に増えていた。
――というか、どこだ? ここ?
今、自分達がいる場所が全くもってわからなかった。
目の前の光景は、さっきまで渡り歩いていた浮遊島とは打って変わって、建物の中みたいな感じ。
どこかの遺跡の中だろうか。
壁にかけられた蠟燭によって壁面が淡く照らされていた。
「一体、どうなってんだよ……」
この状況に陥った理由がわからない。
どうして、俺はここにいるんだ?
どうやって来たんだ?
全く思い浮かばないそれらの質問の答えに、自分が記憶を失っているとしか考えられなかった。
すると、隣からエリンの声が聞こえた。
「おそらく、転移罠ね……」
「転移罠?」
「そうよ。罠に引っかかった対象をどこかに強制転移させるタイプの罠みたいね……」
今いる遺跡のような一室は、中ボスと戦っていた場所の風景とはかけ離れている。
狭い岩造りの部屋。
両端に通路があって、壁には等間隔で蠟燭の炎が灯っている。
照らされた壁面には何やら文字が書いてあって、そこを薄く覆うように植物のツタが渦巻いていた。
確かにどこか別の場所に飛ばされたと考えるのが正解だろう。
エリンの推測は正しいように思えた。
「それってかなりまずい状況なんじゃ――」
「ごめん。私のミスだわ。私が罠に気づかずに――」
「そういう意味で言ったわけじゃないから。あれは仕方ないというか……。予測できない災難みたいなものだったし……」
「フォローありがとう。でも、私の責任だわ」
申し訳なそうに顔を俯かせるエリン。
このまま責任の所在を明らかにしても埒が明かないので、話題を切り替える。
「とにかく早くジン達に合流しないと。近くにみんなの気配が感じられないのが心配だけど」
《索敵》では仲間の存在は見つからなかった。
逆に発見したのは、かなり強力なモンスターの気配だけだ。
「そうね。【地図化】スキルはどうなの? ここがどこか手がかりはあった?」
「全然。でも、さっきいた島の痕跡は見つからないから、全く違う場所に飛ばされたんだと思う」
【地図化】は自身の周囲1kmをオートマッピングするスキルだ。
しかし、現在地付近は半径1kmの円を除いて、全く地図に反映されていなかった。
脳内に浮かび上がっているのは迷路のように入り組んだ半径1km内の通路だけだ。
「転移罠で飛ばされる場所に限りはないわ。飛ばされるまでどこに行くかわからないのよ。ここがダンジョンの中かも外かもね」
エリンの説明を聞いて、自分達は運が良かったと思った。
どこに飛ばされるかわからないのだったら、海の中や溶岩の中、はたまた上空数千mという場所に放り出されていた可能性もあったのだ。
それよりかは、今生きているぶんありがたいように感じる。
「おそらく今いるのはダンジョンの中だと思う。構造とか近くにいるモンスターの強さから判断するに」
俺は推測を口にする。
ダンジョン内は外界と隔離されているため、上下の空間が断絶されている。
そういう場所にいる場合、【地図化】によって得られた地図は上下がぶつ切りになるのだ。
この感覚は【地図化】スキルを持っていないとわからない類のものだろう。
地上ではまず見かけるはずのないような強さのモンスターがいることからも、ここはダンジョンの中ということで間違いない。
「じゃあ、他のみんなと合流できそうね。モンスターになるべく出会わないように進んでいきましょ」
少しばかり、エリンの声が弾んだように聞こえた。
パーティーメンバーと合流できる可能性があると知って、気が楽になったのだろう。
部屋から延びる二本の路の片方へと足を向ける。
通路にも延びていた蠟燭のお陰で視界には困らなそうだ。
《索敵》から得た情報でも、路の先にモンスターはいないようだし、エリンに続いていけばいいだろう。
「ちょっと待って、エリン」
俺はとあることを思い出して、彼女を呼び止めた。
「どうしたの?」
エリンは足を止め、少し不満そうに振り返る。
「あれなんて読むかわかる? ダンジョン文字みたいだし、何かの手がかりになるかも……」
そう言って俺は先程見つけた、壁にあった文字のようなものを指差す。
文字はちょうどエリンの背後にあったからか、彼女も俺の指摘で初めて存在を知ったみ たいだ。
そのまま俺が指差す方へ顔を向ける。
「……ッ」
その文字を見た途端、エリンの目は見開かれた。
瞳孔がみるみるうちに開いていく。
口元は小刻みに震え、顔面は蒼白になっていく。
「エリン?」
呼びかけるも、俺の声には反応しない。
彼女の焦点は依然壁の文字から離れないでいる。
何かがおかしい。そう思った。
気がついたら自然とエリンの肩を揺すっていた。
「おい、エリン! 大丈夫か!」
「――はっ」
突然揺すられた衝撃で、彼女も俺の存在を思い出したようだ。
歯をかちかち鳴らしながら、過呼吸ぎみに息を吐き吸いしている。
「どうしたんだよ。なんか変だぞ。一体何が書いてあったんだ?」
「噓よ……絶対噓……噓に決まっている……」
「教えてくれよ。何が書いてあったんだ?」
「嫌だ……そんなの信じない……」
「だから、なんて――」
「うるさいっ!」
突如、目の前の血の気を失った少女は声を荒らげる。
「いいわよ。そんなに知りたいなら教えてあげる――」
そして、ゆっくりと口が開かれた。
「こう書かれていたの。『ようこそ、ここは20階層』ってね……」