第26話 平穏で平穏じゃない日常
「ノートくん、デートに行きましょう!」
ロズリアにそう声をかけられたのは、16階層の探索が終わってから二日後のことだった。
「えっ? なんで?」
突然のお誘いにうろたえていると、彼女は不満そうに口をすぼめていた。
「もしかして、忘れたんですか? 16階層での約束……」
「ああ……」
確かにそんなのあったな……。
忘れたというか、あれは俺の中で成立していない約束というか……。
咄嗟に断りの言葉を入れようと思ったが、見つめてくるロズリアの目が怖かったので何も言わないでおくことにした。
ビビりとかじゃないからね。優しいだけだから。
「……もちろん、覚えていたよ。で、いつデートするの?」
「今日です!」
突然すぎる。せめて前もってアポとか入れて欲しかった……。
俺の予定とかガン無視じゃないか……。
「ごめん……今日は無理かも……。食材の買い物を手伝うようにエリンに言われててさ……。他の日にしない?」
「えー、嫌です。食材の買い物とか別にノートくんが手伝うことないじゃないですか。どうせネメさん辺りが暇でしょうし、そっちに頼みましょうよ」
どうせネメが暇とか言うな。失礼だろ。
知り合いと遊ぶ予定とかあるかもしれないだろ。
ネメに知り合い……ないな。やっぱ、暇してるわ、あの人……。
「ほら、でもいきなりキャンセルとかするとエリンが不機嫌になりそうだしさ……」
ロズリアとデートに行きたいから買い物に行けないなんてエリンに言ったら、キレられること間違いない。
『何、あのビッチに絆されちゃってんのよ!』とか言われそう……。
俺の説得の言葉にロズリアは軽く首を傾げた。
「でも、わたくしがエリンさんに、ノートくんとネメさんが一緒にお風呂入ってたことを伝える方が怒ると思いますよ」
それ脅迫だよね、絶対!
というか、なんで知ってんだよ!
気づいていたのかよ!
あの状況に気づいていたんだったら、窮地から脱するのに手を貸して欲しかった……。
無事になんとかやり過ごせたから、まあいいんだけど。
それに俺はそんな卑劣な脅迫などに屈しな――。
「ロズリア、奇遇だね。俺もロズリアとすごいデートに行きたい気分だったんだ。さあ、早く行こう行こう」
「あれ? エリンさんとの買い物は――?」
「そんなの記憶にないし、エリンなんてどうでもいいからさ。早くデートに行こうよ。さーて、今日はどこに行こうかなー」
「わたくしが話を持ち掛けたのであれですけど……手のひら返し早すぎませんか……。ノートくんのことは好きですけど、そういうところは割と引いています」
ロズリアの小言なんて聞こえない。聞こえない。
そんなことより早くデートに行こうぜ!
「あーやっちゃった……。帰ったらエリンに怒られるんだろうな……」
「颯爽と家を出てから急に後悔し出すのやめませんか……。結構みっともないですよ……」
隣を歩いているロズリアからの視線が痛い。
まあ、確かに実際に行動に移してから、うだうだ言っているのは自分でも情けない気がするけど、何も言わずにエリンとの約束バックレちゃったんだもん。
仕方ないじゃん。
今頃、彼女は家で約束の時間になっても現れない俺に腹を立ててるんだろうな……。
ああ、想像するだけで恐ろしい。身体が震えてきた。
帰ってからのことを考えると鬱になってくるから、もう忘れよう。
エリンとの約束なんてなかった。以上。
「ロズリア、今日はパーッと遊ぼうよ。辛いことが忘れられるくらい」
「珍しく乗り気なのは嬉しいんですけど、目が怖いですよ。大丈夫ですか?」
大丈夫に決まっている。
俺の悩みはもう存在しないことになったのだから。
「で、どこでデートする? ピュリフビーチ? 沐浴の泉?」
「それどちらも行ったことある場所じゃ……」
そこ指摘しないで!
デートスポットなんてほとんど知らないんだから!
俺の持ち札が早々に切れてしまった。モテない男はこういう時辛い。
「じゃあ、時計塔とか……?」
ピュリフの街で一番有名な観光スポットを挙げてみる。
ここが駄目なら、俺にはなすすべがない。
「あそこ行き飽きちゃったんですよねー。かれこれ五十回くらい行っていると思います」
理由は聞かないでおこう。
つついたら、ロズリアのとんでもない過去が掘り返される気 がする……。
っていうか、五十回って多すぎじゃない?
どれだけの男を手玉に取ってきたんだ……。
「メジャーどころはやめた方がいい感じかな……」
「そうですね。ノートくんと行けばどこでも楽しめる気がしますけど、せっかくなら初めての場所でノートくんとだけの思い出を作りたいです」
ロズリアが行ったことない場所ね……。
「丼物屋さんとか?」
「まあ、確かに行ったことないですけど、それってデートに行くような場所ですか?」
「ごめん。言い出してなんだけど、俺もないなって後悔してる」
ロズリア相手に見栄を張っても無駄な気がしてきた。
ここは素直に降参して、彼女にデートプランを任せよう。
「もう思いつかないです……すみません……。ロズリア様の方で行く場所決めてくれませんか……」
「諦めるの早すぎじゃないですか。もうちょっと頑張ってくださいよ!」
「しょうがないじゃん。女の子と遊ぶことなんてないんだから」
「そうなのですか? てっきりエリンさんやネメさんとはどっかに遊びに行っているものとばかり」
「しないね……。武器を買いに行ったり、食材を買いに行ったりみたいな、事務的な用事
でしか出かけたことないな……。というか、この街に来てまともに遊びに出かけた相手ってロズリアだけだ……」
フォースとロズリアを引き離そう作戦をまともな遊びにカウントしていいのかは怪しいところだけど……。
大丈夫だよね! あれは事務的な用事じゃないよな?
ほらロズリアだって、「本当ですか⁉」って目を輝かしているし。
否定しないみたいだし。
それどころか、俺の手を握ってぶんぶん振っている。
「いいです! 最高です、ノートくん! もう一度、『まともに遊んだ相手はロズリアだけだし、この先もずっとロズリアとしか遊ばないと思う……』って言ってください!」
俺が他の女の子と遊んだことがない点にもう触れないで欲しい……。
恥ずかしいから ……。
あと、俺はそんなことを言ってはいない。後半部分を脚色しすぎだ。
「これはライバルもいないようですし、勝ち確定ですね……うふふっ……」
意味深な笑みを浮かべて、小声で呟くのもやめてくれ、ロズリア……。
結構不気味に見えて、怖いからね……。
あと、彼女は何と勝負しているのだろう……。すごい気になる……。
「仕方ないですね。わたくしとしかデートしたことないいたいけな少年、ノートくんのお願いですし、ここは一肌脱ぎましょう。一生思い出に残るようなデートプランをセッティングして差し上げます」
「いたいけな少年って……女の子に頼られたいお年頃の少年にその言葉は酷だと思うんだけど……」
「すみません。悪気があったわけじゃ……」
「謝らなくていいから……逆に辛くなってくるから……」
「ごめんなさい……」
「あの……だから……」
デートってこんなに最初っからグダグダになるもんなのだろうか……。
「どうです! ここが時計塔です!」
じゃーんと両手を広げるロズリア。
目の前には、この街で一番高いレンガ造りの建物が。
そう、ここがピュリフの街で一番有名な観光スポット、時計塔である。
満足げに頷いているロズリアに、おずおずと手を上げる。
「あのー、時計塔はなしになったんじゃ……」
「……ええ。わたくしもそう思っていたのですが。一生分の思い出に残るデートにすると大見得を切った手前、風変わりな場所に行くのもと思いまして……。はい……すみません……他にいいところが思いつきませんでした」
あの後、小一時間くらいデートプランに悩んでいたロズリアは、『このままデートプランを考えるだけで日が暮れちゃいそう……」という俺の小声もあって、時計塔で妥協することにしたようだ。
まあ、有名なスポットだし、行ってみたかったからいいんだけどね。
「別に責めてないから気にしないでいいよ。元々はデートに行く場所の案を出せなかった俺も悪いんだし……」
「お気遣いありがとうございます。そうですね、デートはどこに行くかより誰と行くかですし」
「そうだよな、誰と行くかだよな。はあ……ロズリアと行くのか……」
「なんで、そこ露骨にテンション下がるんですか! 失礼じゃありませんか⁉」
だってね……前科とかを考えたらね……。
ロズリアって実はそんなに悪い人ではないんじゃないかと、最近気づき始めてはいるんだけど、それでも安心できないのがロズリアという女である。
俺がロズリアに気を許してきていることすら、彼女の計算通りっていうこともありうるし。
もし、そうだったら完全に女性不信になるわ。
「ごめんごめん。冗談だよ。照れ隠し的なあれだよ」
適当な噓で取り繕う。
ロズリアは俺の言葉に満足したようだ。腕を組んで頷いている。
「なら許しましょう。それより早く登りませんか、時計塔?」
「うん、俺も実物を近くで見たら楽しみになってきたし、早く登ろうか」
たわいもない会話を切り上げ、時計塔の中へ向かう。
俺達は受付で入場料を払った後、塔の中央に位置するリフトへと乗った。
四角い鉄の箱の中で一分ほど揺られると、目的の展望フロアへと到着する。
リフトから足を踏み出すと、眼前に広がる光景に思わず息を吞んでしまった。
ピュリフの街を一望できる景色は俺の想像を何倍も超えて壮大だった。
「すごい……」
「どうですか? 満足ですか?」
「うん……なんで今まで来なかったんだろうって後悔しているくらい、いい……」
「そうですか、なら良かったです」
平日の昼間とあって、展望フロアは人がまばらだった。
それがまた、二人だけのデートっていう感じがして、すごい良かった。
なんか感動しすぎて語彙力が衰えている気がする。
そのくらい、景色と雰囲気が最高だった。
「見てください! パーティーハウスがありますよ!」
「おっ! ほんとだ。上から見るとあんな感じなんだ」
「結構目立っていますよね。一目見ただけでわかっちゃいました」
「確かに。改めて見ると主張が激しすぎて恥ずかしいデザインかも」
「ねえ、ノートくん。沐浴の泉も見えますよ!」
「えっ……どこどこ……」 「ほれ、あそこです!」
「見えた見えた!」
「ノートくんと初めてデートした場所ですよね」
「うん。っていうことは、待ち合わせ場所はあそこで、通ってきたルートはこういう感じか」
「多分、合っていると思います。で、あそこら辺で山賊に襲われたんですよね」
「あれ? そこも触れるの?」
「触れちゃいますよ。今となってはいい思い出ですから」
ヤバい。これ、すごい楽しいんだけど!
なんかいい! これぞ女の子とのデートって感じがする!
来て良かった! デート最高! 時計塔最高!
街の景色を見て、あれこれ会話するだけでこんなに幸せを感じるなんて思わなかった。
俺とロズリアの出会いからの歴史が思い返されて、なんか感慨深い。
俺がちょろいって?
そんなことくらい、自覚してるわ。
でも、仕方ないじゃん。楽しいんだから。
「なんかずっと見てられるね」
「そうですね。しばらくこのままでいましょうか」
俺の肩にロズリアの頭が寄せられる。彼女の髪からは何かいい匂いがした。
時計塔で景色を眺めながらだらだらと過ごした後、二人で昼ご飯を食べた。
その後はぶらぶらと露店街を回り、気がついたら夕方になっていた。
やっぱり楽しい時間っていうのは過ぎるのが早く感じてしまう。
それが無性にもったいなく思えてくる。
「もうすぐパーティーハウスについちゃいますね……」
帰路を歩んでいる俺達の足取りは重かった。
ここら辺はもう馴染みのある店ばっかりだ。
見慣れた光景は、安心感より切なさをもたらしていた。
「ねえ、もうちょっとだけ遊んでいかない?」
「いいですよ。じゃあ、この店にでも入りましょうか」
俺に微笑みかけながら、ロズリアは手を引いてきた。
向かう場所は近所にある商店的な店だった。
特にその店に用事があるというわけではない。
どこでもいいから、もう少し二人でいたい。
お互いがそう思っての行動だった。
「なんか、いいですよね。こういう普通の店に二人で買い物するって。新婚夫婦みたいで」
「確かに、今日のご飯はカレーだっけとか言いながら、じゃがいもとか買う感じ?」
「そうです! わかってますね、ノートくん」
ロズリアがぎゅっと俺の腕を抱く。
俺も脇を締め、ロズリアとの距離を縮める。
「帰りたくないですね」
ロズリアが言う。
「うん、でも帰らなくちゃ。流石に日も暮れそうだし」
「残念です……。なら、またデートしてくれますか?」
潤んだ目でロズリアが尋ねる。
もちろん、俺が断るわけもなく――。
「いいよ。またデートしよ――」
「こんなところで何しているの? ノート?」
……。
何やら後ろで聞こえちゃいけない声が聞えたんだけど……。
噓だよね。幻聴か何かだよね。
「まさか人との約束をほっぽってデートしているなんて答えたら、ただじゃ済まさないわよ」
あっ、これ幻聴じゃないわ。なんか後ろから魔力の奔流を感じるし。
ギギギとぎこちない動作で、首を回す。
案の定、背後には怒りの形相で睨んでいる銀髪の少女がいた。
――完全に目が覚めたわ、これ。
何、ロズリアに絆されているんだよ……。俺は馬鹿か?
エリンに声かけられるまで一ミリも存在に気づかなかった。
有頂天になりすぎて、《索敵》を発動し続けてるのもすっかり忘れてたわ。
それは出会っちゃうよな、普通。
だって、ここ普段パーティーの食材とか買っている近所の店だし!
本当にアホだ、俺。
なんでエリンとの約束をバックレて、エリンと行くはずだった場所に行っちゃうんだよ!
途中で気づけよ!
まあ、無理か。完全に約束の存在忘れてたし。
心の安寧を求めるあまり、約束の存在をなかったことにした代償が今、現れた。
「……助けて、ロズリア」
「今、わたくしが何を言ったところで火に油を注ぐだけのような……」
「ですよねー」
「言い訳はじっくり聞いてあげるから覚悟しなさい」
この後、エリンの怒りを鎮めるのに大変苦労しました。