第25話 先へ
「エリンっ!」
フォースが叫ぶ。
走りながら声を出しているせいか、荒い息づかいだ。
「わかっているわよ!」
強気の口調で応えるエリンも表情は余裕がなさそうだった。
エリンは特段体力に自信があるってタイプではない。
並の冒険者よりかはあるのだろう が、それでも後衛の魔導士である。
ネメを除いた五人の中では一番走り続けるのが苦手だろう。
そんな中でも足を動かしながら、魔力を練る彼女がパーティーの中で一番疲弊していた。
だけど、この窮地だ。休ませてあげるわけにもいかない。
後ろから迫るのは何十体ものウマ人。
その群れに向かってエリンは杖を振りかぶった。
「――《雷迅奔走》!」
杖の先端から雷撃の波が放たれる。
唱えられたのはエリンお得意の雷系範囲殲滅型魔法だ。
彼女が全力をもって撃った魔法は、迫り来るウマ人達の集団を焼き払う。
辺り一面の建物ごとぶち抜く特大威力。
彼女がいかに一流の魔導士かがわかる一撃だ。
しかし、崩れた瓦礫からぼんやりとだが人影が現れる。
全滅はさせられなかったようだ。聞き飽きた笛の音がこだましていた。
「ほんと、キリないわねっ!」
苛立たしそうに唇を嚙みながらも、エリンは杖に魔力を込め直す。
俺達はエリンのスペルで撃ち漏らしたウマ人達を置き去りにしたまま走り出していた。
『到達する者』がウマ人達に追われ出してから半日以上経っていた。
もちろん、ずっと走り続けていたわけではなく、一時は家屋の中に隠れ潜んで休憩することができた。
しかし、ひとたび外に出て彼らに見つかれば、六対何百もの鬼ごっこが再開されてしまう。
ウマ人達は個の力は『到達する者』のメンバーには及ばないが、数の力は偉大である。
一度囲まれて、身動きが取れなくなってしまったら、自身の身を守れないネメや俺がピンチに陥ってしまうだろう。
大変危険な相手である。
また、ウマ人といっても、彼らには幾分かの多様性があった。
最初に出会った、槍を持つ軽装備のウマ人。
最も遭遇する頻度の高い彼らを、俺達は便宜上『ウマ兵』と呼んでいた。
もちろん命名者はネメである。
次に個体数が多いのはフルプレートで全身を覆う重装備のウマ人。
『ウマ騎士』と呼んでいる彼らと遭遇すれば比較的幸運な方だろう。
ウマ騎士は重い鎧のせいでウマ兵ほど機動力がない。
遭遇時の距離さえ離れていれば、簡単に逃げ切れる。
しかし、耐久力などはウマ兵よりも優れているため、たまにエリンのスペルなども耐え切ることがあり、仲間を呼ばれることも多い。
結局は厄介な相手である。
他にも『ウマ魔導士』や『ウマ弓兵』などの種類もいるが、彼らはレアな部類だ。
滅多に出会えないが、出会ったら大抵窮地に陥る。折角のレアなのに全く嬉しくない。
不思議なことに戦闘能力を持たないウマ人は一人もいなかった。
誰もが兵であり、普通に暮らしている住民のようなウマ人は一人も見つからない。
この街に生活感がないのも、そのせいなのかもしれない。
これは俺の勝手な感覚だが、この階層はウマ人達が生活している街というより、ウマ人達が生活しているというテーマに基づいて造られ、そこのウマ人達を配置しただけの街といった方がいいように思えた。
「前方に門みたいのを見つけました。このまま向かいますか?」
【地図化】スキルで映し出される街の様子に変化が現れた。
俺達は現在街の奥へと向かっているのだが、進行方向側の地図の端に大きな門とそこから左右に広がる壁が確認できたのだ。
今いる場所からの距離は【地図化】スキルの限界効果範囲である1kmほどだ。
門と壁は街の奥と手前を分断するように立ちはだかっていた。
「このまま立ち止まることもできなそうだし、危険かもしれないけど向かおう! 行くしかない!」
ジンは少し悩む素振りを見せたが即座に決断した。
ウマ人がひしめく大通りを避け、入り組んだ小路を頼りに門へと向かう。
しかし、途中何度もウマ人達に発見され、笛を吹かれてしまった。
そのたびに進路変更を余儀なくされ、何度も遠回りした後、やっとのことで門が視界に現れた。
そこら中の建物よりも数周りも大きい木の扉。
どう考えても乗り越えられる大きさじゃない。
扉の上には何やら文字が書いてある。あれもダンジョン文字だろう。
門の両脇には一人ずつウマ人が立っていた。あれはウマ兵だ。
この門の警備はなおざりにされているようだ。
「『この先、中ボス出現!』って書いてあるわよ。どうするの?」
「中ボス?」
エリンが読み上げた言葉に首を傾げる。
中ボス。初めて聞く単語だ。今までの階層で一度も出てこなかった存在である。
「なんだろうね、中ボスって」
どうやらジンも心当たりがないようだった。
ダンジョンは5階層ごとに難易度が跳ね上がる。
ダンジョン攻略も半分を過ぎたことだし、これは16階層からの新たなギミックなのだろうか。
「ここで立ち止まってても仕方ないしね。中ボスとやらは怖いけど、先に進んじゃおうか。どうせ、この階層を攻略するには戦わなくちゃいけない相手だろうし――」
「わかったわ」
エリンはジンの言葉を最後まで聞かずして、雷撃を扉に向かって放った。
「普通に開けないんだ……」
確かにあの大きな扉の開け方よくわかんないし、壊す方が手っ取り早そうだけど……。
それにしても、脳筋すぎない……?
木の扉はもちろんのこと周りの石の門まで完全に破壊されていた。
「さあ、行くわよ」
「お、おう……」
平然としているエリンに戸惑いつつ、門の先へと進む。
奥の区画は手前の区画と見た感じではあまり変化がなかった。
住宅が建ち並び、案の定ウマ人達が蔓延っている。
彼らは俺達を目視すると、仲間を呼ばんと笛を鳴らした。
ただ、その直後異変が起こった。
夜の街を震わせるような馬の鳴き声が遠くから響く。
それに続くように地鳴りが街を襲った。
何かが来る。それも只者じゃないのが。
視線を振って、音の元凶を探す。
目当てのものはすぐに見つかった。
前方からは空へと立ち上る砂煙が。あそこにいるのが、おそらく中ボスだ。
中ボスは迷うことなくこちらへ向かってくる。
それもすごい速さで。
《索敵》の効果範囲内に中ボスが侵入してきたのと、俺がそれを目視したのはほぼ同時だった。
迫る生体反応は三つ。炎を吐く二頭の黒い馬。
そして、その後ろ。黒馬が引く戦車に乗車しているウマ人だ。
「ウマ将軍です……」
場違いなネメの呟きに毒気を抜かれるが、このままここに立ち止まっているわけにもいかない。
俺達は確実に中ボスの進行ルートの中であった。
あの戦車に轢かれたらただじゃ済まないだろう。
急いで今いる大通りから離れなくては。
咄嗟に目に入った小路に駆け込む。
俺以外の人もちゃんとついてきている。
誰もはぐれていないことを確認すると、戦車の軌道上からなるべく距離が離れるように、精一杯駆ける。
数秒後には俺達がさっきまでいた場所は炎の壁が反り立っていた。
中ボスが炎をまき散らしながら突進した跡だ。
威力、速度共に必殺級の攻撃は、過ぎ去るものを徹底的に焼き払っていく。
戦車はそのまま右へと舵を取った。
旋回だ。旋回してまた突撃を繰り返すつもりなのだ。
黒馬の進行速度は凄まじいものだ。
だが、それが幸いして急に止まることはできない。
スピードを落とさず、もう一度俺達に突撃を仕掛けるには大きく旋回する必要がありそうだ。
戦車は建ち並ぶ家屋を蹴散らして進んでいるため、《索敵》など使わなくても軌道が手に取るようにわかる。
中ボスがここに突撃してくるまでには数秒の猶予があると判断したのだろう。
肩に担いでいたネメから、背中を叩かれる。
「ノート、ここで降ろしてくださいです。今のうちにバフスペルをかけとくです」
「わかりました」
指示に従い、抱えていたネメを降ろす。
彼女はパンパンと腰を叩き、杖を構えた。
「《聖女の――」
スペルを唱えようとネメの口が開いた瞬間だった。
空へと無数の炎が打ち上げられた。
一発、二発、三発。次々と打ちあがる火炎弾は、未だ遠くを走っている戦車から放たれたものだ。
火炎弾は緩やかな放物線を描き、俺達の下へと迫る。
不意を突かれた遠距離攻撃に、思考が固まってしまう。
まずい。このままじゃ死ぬ。どうする。どうすれば。
止まる身体に反して、視界の隅に動く影が映り込む。ジンだ。
彼は、瞬時に《絶影》を発動し、バフスペルをかけようと前に出ていたネメを抱え込んだ。
そして、火炎弾の範囲外へと駆けていく。
あれは本来、俺の役割じゃないか。くそっ。
自分のミスに気がつき、固まっていた身体が解きほぐれた。
思考がクリーンに戻っていく。
一歩、逃げ遅れた。どうする?
《離脱》か?
それじゃ爆撃範囲から逃げるのは間に合わなそうだ。
火炎弾の着地点さえわかればいけるのに。
思考が冷静になってくるが、冷静になった頭で考えたところで窮地なのは変わらない。
焦りながら打開策を模索していると、背後から声がかかった。
「ノートくん、こっちです!」
この声はロズリアだ。もう迷っている暇はない。
冷静になった思考を捨て、反射的にロズリアの方へ《離脱》で跳ぶ。
ロズリアは跳んできた俺を立ちはだかるように受け止め、抱え込む。
「《不落城壁》」
そしてそのまま、光の城壁を出現させた。
荒れ狂う爆撃とロズリアのスペルが衝突した。大気が震えて、轟音が耳を焼く。
熱が世界を包み込んだ。
「――っ」
目を開けると、まだ自分が生きていることに驚いた。
すぐ横にあるロズリアの顔を見ると、彼女もまた無事だったようだ。
目立った怪我は見られない。
俺も同じく、怪我は負ってなそうだった。
強いて言うなら、ロズリアの鎧に思いっきりぶつかったことで肘とかが痛いくらいだ。
「というか、なんで抱きついているの?」
《不落城壁》は一定の範囲を光の城壁で囲い込む防御スペルだ。
ロズリアが俺を守るように抱擁してくる必要はどこにもない。
「わたくしの方へ飛びこんできてくださいましたので、つい……」
何がついなのか全くわからなかった。答えが答えになってない。
守ってくれたのはありがたかったが、密着した彼女の身体を引き剝がすことにする。
「とにかくここから逃げよう」
俺が火炎弾の対処に手間取っているうちに、戦車の突撃はこちらへ照準を合わせたようだ。
一直線に猛スピードで迫ってくる気配がある。
炎の遠距離攻撃と突撃の二段構え。
それが16階層の中ボスの戦法なのだろう。
単純だが、考えれば考えるほど手強い。
縦横無尽に暴れ回る戦車に乗るウマ将軍には近接戦は挑めない。
やつが立ち止まってくれないことにはフォースやジンが攻撃を仕掛ける隙がなかった。
だからといって、スペルで応戦しようとも高威力の火炎弾が飛んでくる。
高速で移動する戦車に照準を合わせつつ、向こうからの遠距離攻撃をいなすのはエリンでも難しそうだ。
しかも、さっきの爆撃によって、ロズリア以外のメンバーとははぐれてしまっていた。
彼らは各々退避したようだ。
《索敵》で気配を摑んでいる。
しかし、辺りは先程の攻撃によって火の海で包まれている。合流はそう易々と行えそうにない。
「ロズリアこっち!」
とりあえず、今は戦車の突撃に対処するのが先だ。
ロズリアの手を引いて、火の手が少ない裏道へと入っていった。
俺とロズリアは戦車による二度目の突撃をやり過ごして、家屋の中に隠れ潜んでいた。
建物内にいる理由は、笛によってウマ将軍を引き寄せるウマ人達の目から逃れるためだ。
《隠密》も発動しているので、まず彼らに見つかるということはないだろう。
遠くでは未だ戦車の走る音が聞こえる。
逃げたわけじゃなそうだ。
大きく旋回し、再度この辺りに突撃を仕掛けてくるつもりなのだろう。
「まずは他の人と合流しましょうか」
ロズリアが声を潜めながら呟く。
確かにこのままずっと動かず、家の中に隠れ潜んでいるわけにもいかない。
炎は今も街を焼いている。
このままここに居たらジリ貧だ。いつか焼かれてしまうだろ う。
それに戦車が当てずっぽうに俺達のいる建物を轢き壊していく可能性だってあった。
だけど――。
俺はロズリアの提案に首を振った。そして言う。
「いや、俺達はウマ将軍の攻撃を引き受けよう」
「何を言っているのですか?」
ロズリアは隠れ潜んでいることも忘れているように大声を出す。
「わたくし達二人じゃ無理ですよ。まずはみんな集まって――」
「そうしたいんだけど、そう悠長に言ってられる状況じゃなさそうなんだ」
【地図化】や《索敵》により、ロズリアよりかは現状をきちんと把握しているつもりだ。
俺だけが持っている情報を伝えながら、自分の考えを説明する。
「今の『到達する者』は、俺とロズリア、ジンとネメ、フォースとエリンの三組になって散らばっている。俺達以外の組は、さっき戦車が通ったルートを挟んでちょうど反対方向に逃げたみたいだ。距離も少しあるし、炎が邪魔をして、すぐに合流するのは難しいと思う」
中ボスから放たれた火炎弾から各々が散らばって退避してしまった結果が、今の状況だ。
《索敵》で全員の動向を探りながら、話を続ける。
「《隠密》が使える俺とジンがいる組は、ウマ人達の追跡を逃れられる。ただ、フォースとエリンの組がまずい。見つかったら終わりだ。フォース一人なら身軽に動けてなんとかなりそうだけど、エリンも守りながらウマ人やウマ将軍をやり過ごすのは厳しいと予想してる」
ずっとパーティーの後ろから『到達する者』の戦いを見てきたのだ。
誰が何を得意として、どこまで戦えるかはある程度把握しているつもりだ。
戦闘では役に立たない俺だけど――。
だからこそ行える冷静な分析をロズリアに告げた。
「そんなフォース達のところにウマ将軍を向かわせるのが、一番避けなくちゃいけない状況だと思う」
「なら、ウマ将軍の攻撃を引き受けるよりも、先にフォースくん達のところに向かった方がいいのでは?」
「そうしたいのは山々なんだけど、場所的に間に合わなそう。だから、フォース達と合流する役はジン達に任せよう」
ジンなら《索敵》が使えるし、フォース達の居場所は把握しているだろう。
そして、一流冒険者である彼ならこの瞬間、最適な行動を選ぶと判断した。
つまり、フォース達との合流。
それをジンは先決しているはずだ。
「わかりました。でも、わたくし一人で中ボスを引き受けるのは荷が重いと思うのですが……」
「確かに荷は重いけど、無理ではないでしょ? 『到達する者』の聖騎士はそんなにやわじゃない」
俺の言葉に、ロズリアは観念したように息を吐いた。
「ノートくんの前だと、本当にサボれないですよね……。まあ、いいですけど。やってやりますよ! 足止めしてやりますよ! その代わりですけど、報酬は高くつきますよ!
いたいけな乙女を酷使する代償は重いですからね!」
「お金はあんまり持ってないから、そこら辺は大目に見て欲しいというか……」
「お金なんていりませんよ。その代わりデートを所望します」
「えっ……」
「ほら、行きますよ! 早く!」
ロズリアは俺の返事を聞かずして家から飛び出していった。
仕方ないので彼女の後に続く。
「ちょっと、勝手に出ていくなよ」
「だってこういうのは早い方がいいですよね? 大切な仲間のエリンさん達がピンチなんですから。――《脚光!」
天を貫く光がロズリアから放たれる。
こいつ……断りもなくターゲット集中アーツを発動しやがった……。
絶対、俺がロズリアとのデートを断る前に全部済ましちゃおうとしてるでしょ……。 『わたくしはお願いを聞き入れたんですから、ノートくんも約束はちゃんと守ってくださいよ』的な魂胆で。
彼女に悪い企みがなかったら、エリンのことを『大切な仲間』なんていうはずがない。これは絶対だ。
俺が呆れているうちに、ロズリアは淡々とバフスペルをかけていく。
聖騎士という戦闘職は、神官には劣るもののバフスペルが豊富である。
自己バフスペルだけに焦点を当てれば、神官に引けを取らないかもしれない。
その特徴を余すことなく活かして戦おうとしているのだ。
ロズリアは全力でウマ将軍を迎え撃つつもりなのだ。
「ノートくんは危ないので下がってください」
「わかった。ありがとう」
俺が彼女のそばにいても、できることなんて何もない。
むしろ、邪魔になるだけだ。
ロズリアはそのことを遠回しに伝えてくる。
その点は俺も百も承知だ。素直に指示に従うことにする。
ロズリアの本気の《脚光》に、ウマ将軍が気づかないわけがない。
照準をこちらに定め、一直線に迫ってくる。
戦車は建物を蹴散らして、瓦礫を撒き散らす。
炎を吐く馬によって、その突撃は火の弾丸となっていた。
「かかってきなさい! 《不落城壁》!」
ロズリアは四方を囲むはずだった光の城壁を前方のみに発現させた。
ちょうど、ロズリアと戦車の間に城が立ちはだかる形となる。
戦車は更に加速し、馬の鳴き声が燃え盛る炎の音と一体となる。
――ぶつかる。
ロズリアの正面にあった家の壁が割れると同時に、黒き戦車が現れた。
その瞬間、衝撃が俺の身 からだ 体を襲う。
咄嗟に付近にあった街灯に摑まり、飛ばされないよう踏みとどまる。
吹き飛ぶ瓦礫に身を切られつつも、やっとのことで目を開けた。
視界に映ったのはロズリアの背中。誰よりも頼もしい背中がそこにはあった。
「負けませんよ――《迎撃》!」
そのまま前方に展開していた城壁ごと押し返す。
激しいエネルギーとエネルギーのぶつかり合い。
その衝突に両者は耐えられなかった。
光の城壁は砕け散り、戦車を引っ張っていた馬の頭はひしゃげる。
ロズリアは吹き飛ばされ、戦車は数歩分後ずさった。
「やっと止まりましたね……」
瓦礫の山からロズリアは立ち上がる。
衝突によってか、左腕は変な方向に曲がっている。
吹き飛ばされた時に頭をぶつけたのか、額からは血が流れていた。
「止まっている戦車ほど怖くないものはないですよ。来なさい、聖剣フラクタス!」
ロズリアの右手には輝かしい聖剣が召喚される。
彼女の保有スキル、【聖剣の導き手】によるものだ。
聖剣を手にする彼女の目は光に満ちていた。
目の前の敵を屠ることだけを考えている顔だ。
交戦前にかけたバフスペル、《持続回復》によって曲がっていた腕は徐々に形状を元に戻している。
額から流れていた血も止まっていた。
戦車はもう用済みと判断したのか、鞭を片手にウマ将軍が降りてくる。
ビシッと地面を叩くと、鞭の表面は炎で覆われた。
「――ッ」
ロズリアの踏み込みが開戦の合図となった。
両者によるノーガードの斬り合いが始まる。
光の刃が将軍の鎧を削り、鞭がロズリアの鎧を割いていく。
突撃のダメージが大きかったのだろう。ロズリアの方が動きにキレがなかった。
手数も負けており、劣勢といっても差し支えはないだろう。
それでも、彼女は攻撃の手を決して休めない。
己の勝利を信じて、歯を食いしばりながら前へ前へと食らいついていく。
「ロズリア! 馬!」
直後、戦車を引いていた黒馬の口から火の玉が吐き出される。
あの損傷じゃ、もう戦闘に参加できないだろうと思っていたが、まだ一歩踏ん張れたようだ。
主の死闘を見て、自身の命の最後を燃やしたのだろう。
その貧弱な威力の炎は、将軍にとっては充分すぎる援護だった。
火の玉を寸前で躱したロズリアに、炎の鞭が叩きつけられる。直撃だ。
「――ゔっ!」
痛みに顔が歪む。それでもロズリアは手を休めない。
攻撃こそが唯一の活路だと信じて、斬り込んでいく。
傷の数は瞬く間に増えていく。
ダメージはとっくに《持続回復》の回復量を上回っていた。
血が舞い、肉が裂ける。その姿を見て、俺は声を張り上げた。
「もう、時間切れだ! ロズリア下がれ!」
その言葉が聞えたのか、ロズリアの口角が僅かに持ち上がり――。
突現れた氷の大槍が、頭からウマ将軍を貫いた。
顔を上げて、近くにあった建物の屋上を見上げる。
そこには杖を握り、将軍を見下ろすエリンがいた。
横にはきちんとジンもいる。
「大丈夫です、ロズリア……?」
弱々しい声はネメのものだ。
ロズリアの周りに淡い緑色の光が集まる。あれは何かの回復スペルだろう。
そう時間切れだったのだ。ウマ将軍にとって。
《索敵》により、ジンがエリン達の組を回収していったのは把握していた。
その後、彼ら は俺達の下へと合流してきたのであった。
四人もいれば、道中のウマ人達の処理にはそう手間取らないだろう。
道中の炎もエリンの水魔法があれば、収めることができる。
ジン達がここに来るのは、あまり苦労しなかったはずだ。
ロズリアが時間を稼いで、モンスターの注意を引きつけてくれた働きも大きい。
エリンの高威力スペルが簡単に中ボスに決まったのも、ロズリアのお陰であった。
「もう遅いですよ……死ぬかと思いました……」
屋上から降りてきたエリンに文句を垂れるロズリア。
対してエリンは一歩ずつ近づいていく。
「いいじゃない。死んでないんだから」
「そういう問題ですか……?」
「まあ、ロズリアにしてはよくやった方なんじゃない?」
意外にもエリンの口から出たのは褒めの言葉だった。
というか、ロズリアについて良く言うの初めてなんじゃないか?
何故か上から目線なのが気にかかるけど……。
だけど、ロズリア的には今の言葉で満足したようだ。
不満も言わず、すれ違いざまにエリンとハイタッチをしていた。
珍しい光景に目を奪われていると、エリンと視線がぶつかる。
「何よ、ジロジロ見てきて」
「いや、エリンって素直じゃないなって」
***
中ボスを倒してからの探索は比較的楽であった。
ウマ人達の出現頻度も減り、仲間を呼 ばれて追いかけまわされる回数も減った。
おそらく街中の火事でウマ人達もろとも焼かれたせいだろう。
あの中ボスは仲間のこととかお構いなしに暴れ回っていたし。
それでも、ボス部屋にたどり着くまでには一日かかった。
ダンジョンは階層を進めば進むほどフロアが広くなっていることが多く、最近の探索で は日を跨ぐことなどざらにあった。
むしろ、一日でボス部屋までたどり着けるのは早い方である。
ロズリアの怪我も完全回復しているし、その他のメンバーも万全の状態だ。
ここから先のボス戦は、この前の中ボス戦とは違ってパーティー全員で取り掛かれだ。
備えられていた鎖を引き、重い城門を持ち上げる。
《索敵》によって、この扉の先にボス達の軍勢が待ち構えていることは把握していた。
分厚い金属の扉が持ち上がると、待ち受ける敵の光景が目に入る。
「――っ」
視界に広がっていたのはウマ騎士。その数、およそ四百。
彼らは秩序のある隊列を組んで、自軍の統率力を誇示していた。
事前に《索敵》で数を把握していたが、実際に見てみると威圧感が桁外れである。
その奥、城のバルコニーでは一人のウマ人が佇んでいた。
赤く煌びやかなマントをなびかせ、金や宝石の散りばめられた装飾品を至る所につけている。
いかにも、城主といった雰囲気が漂っていた。
「あれはウマ皇帝です……」
なんでウマ王じゃないんだ?
というネメへのツッコミを堪え、やつを注視する。
ウマ皇帝は右手を口元に当てると、そのまま口笛を吹いた。
その音を頼りに空から現れたモンスターを見て、俺はさらに度肝を抜かれることになる。
「ドラゴンってありかよ……」
赤い竜燐、鋭利な牙、肉厚な翼。
そのどれを取っても一級のドラゴンが降りてくる。
しかもかなり大きい。
その巨体は俺達の何十倍もある。城の一角を占めるくらいの大きさだ。
ドラゴンはそのままバルコニーのすぐ下へと着地する。
敷き詰められていたタイルは砕け、尻尾との接触により城の一部が崩れ落ちる。
この階層のコンセプトを滅茶苦茶にしている気もする。
スケールがウマ人達とまるで違う。
ウマ皇帝はドラゴンの到着に満足したように大きく頷くと、バルコニーの柵へと乗り出しドラゴンの首元へと降りていった。
背に予め用意してあった鞍へと跨ると、旗が掲げられている槍をバッと横に払う。
そういう風にドラゴン使うんだ……。
もちろん俺の冷めた心のツッコミは無視される。
ドラゴンは皇帝の合図に従うように口を大きく開いた。
「《不落城壁》!」
ロズリアがスペルを展開した直後、ドラゴン達の前で隊列を成していたウマ騎士達は吹き飛んだ。
――咆哮。
衝撃波はロズリアのスペルによって阻まれたものの、種としての格差を示す威嚇に一歩後ずさってしまう。
ウマ騎士達の隊列は散り散りになり、もはや兵として機能できるレベルではなくなっていた。
どうしてドラゴンの前に配置しちゃったんだよ……。
無茶苦茶な光景に気を削がれるが、敵はそう油断できるほど弱くはない。
『到達する者』の一同は既に臨戦態勢に入っている。
横からは莫大な魔力の奔流が溢れている。魔導士であるエリンからだ。
「《絶対零域》っ――」
杖の先から青色の光の輪が広がる。
光の輪の中は既にエリンが統べる領域であった。
高速で広がる領域内にいたウマ騎士達は氷漬けにされ、すんでのところで直撃を回避しようと飛び立とうとしたドラゴンも、左の翼が凍り付いていた。
動かない左翼を無理に動かそうとしたせいか、根元からすっぱり折れる。
そのままドラゴンはウマ皇帝もろとも、地面へと落下するはめになった。
エリンはボス戦に挑む前から、このスペルのために魔力を練っていた。
というのも、ボス部屋の前はボスが襲ってくることはないので、比較的安全に魔力を練られる。
そこでスペルの発動準備を終えておき、ボス部屋に入ると同時に撃つ。
エリンの必勝戦法だ。
魔導士の中でも一位二位を争う固定砲台アタッカーの本気の一撃に、ボスらの軍勢は大打撃を受けていた。
こうなってしまえば、後はこっちのもんだ。
中ボス戦の時のような危なっかしい状況に陥ることはないだろう。
「――恒常回復《(ハイ・リジェネレート)》――《軍神の旗――《全軍突撃》――《守護神の抱擁――《無敵要塞――《聖女の加護》です」
ネメが次々とバフスペルをかけている。
スペルの名が呼ばれるたび、段々と身体が熱くなってくるのを感じていた。
多分、今ならなんでもできる。
なんの戦闘技術を持たない俺でも、そのくらい過信してしまう万能感が得られるのが、ネメのバフスペルだ。
「ジン、後ろは任せた」
そう言いながら、フォースは前に出る。
彼の手には、普段携えている二本の刀のうちの片方、黒い鞘に収められた刀が握られている。
フォースがあの刀を使うのは初めて見る。
ここまでの探索では、彼は白い鞘に収まる銀色の刀身の業物、『煌狛』しか振るっていなかった。
普段使っていない刀を初見の階層のボス戦で使用するということは、彼も全力を出すということだろう。
「ネメ、オレがやばそうになったら、無理やりでいいから《解放》かけてくれ」
フォースの指示の意味がわからず俺が戸惑っていると、そばにいたエリンが杖に魔力を込めながら話しかけてきた。
「ノートは『煉獄』で戦うフォースを見るのは初めてだっけ?」
「煉獄って?」
「あの刀の名前よ」
――煉獄。
心の中でその名を復唱しながら、彼の刀をじっくりと眺める。
確かに名に相応しい刀だ。
紅い刀身。黒い柄と鍔。
刀のことをよく知らない俺でも思わず見惚れてしまうほどの美しさだ。
煌狛も美しい刀だったのだが、煉獄はそれとは全く異なる型の美しさを持っていた。
先の刀が透き通るような澄んだ美しさなら、後者の刀は正反対。
混沌を詰め込んだような、正しく表現のしようがない退廃的な美が存在していた。
煉獄を抜いたフォースの身体は黒い炎で焼かれている。
肩や背中、腕など、身体中を燃やしている異質な様子に息を吞んでいると、エリンは俺の驚きを宥めるように説明を始めた。
「煉獄は妖刀よ。使用者を黒炎で焼く、呪いの刀。この刀を振るって生き延びたものはいないとされているいわくつきでもあるわね」
「それって、まずいんじゃないのか……フォースが……」
「安心しなさい。フォースはあの刀を振るって何度も生き延びてるから」
あっけなく言うエリンに、肩透かしを食らってしまう。
「フォースのスキルを忘れたの? 【魔法耐性・大】があるじゃない。そのスキルのお陰で煉獄の呪いの炎にも耐えられるのよ。ネメの支援ありでの話だけど」
「そんなスキルの使い方もあるのか……」
「そうね。私も最初に聞いた時には驚いたわ。だけど、本当に驚くのはこれからよ。煉獄を振るうフォースの戦闘は正直人外のレベルだわ……」
そう言いながら、エリンは唇を嚙む。
「【剣術・極】と、使用者の命を糧に一騎当千の力を与える妖刀の組み合わせ。あんなちゃらんぽらんなやつを認めるのは悔しいけど、それでも今のあいつがこの世界で最強の剣士だと思っているわ……」
「この世界最強の剣士……」
そのフレーズに心が惹かれていると、目の前ではフォースが刀の切っ先をドラゴンに向け、大きく宣誓していた。
「行くぜ、皇帝! お前に恨みはないが、倒させてもらうぜ。オレ達は先に進まなくちゃいけねえんだ」
黒き炎はなおもフォースの身体を焼き、侵食を続ける。
「言葉は通じないかもしれないが覚えておけ。オレの名前はフォース・グランズ。『到達する者』のリーダーで、世界で最初にダンジョン踏破を成し遂げる男の名前だ!」
彼がドラゴンを切り伏せたのは、この言葉を放った三分後の出来事だった。