第16話 勝敗
わたくし、ロズリア・ミンクゴットの生まれはこのピュリフの街がある王国の隣のまた隣の小さな国でした。
自分で言うのも憚られるのですが、大変裕福な家庭で生まれ、恵まれた環境で育ったと思います。
というのも当たり前。
わたくしはその国の王家に生み落とされた第二王女という存在でした。
自分のことをご存知な皆さんはこれも意外に思うのかもしれないのでしょうけれど、わたくしはわたくし自身の性格の歪みについてちゃんと認め、理解しているつもりです。
その歪み│つまり男の人を誑 たぶら かさずにはいられないという性格についてです。
この性格、いいえ性癖といった方が正しいのかもしれませんが、自分がこのようになってしまった理由にはいくつか心当たりがあります。
もしかしたら、贈与の儀で得た【魅了】というスキルが関係しているのかもしれません。
だけれども、それが一番というわけではないのでしょう。
だって、15歳になってスキルを得る前から男遊びの趣味があったのは事実ですから。
だから、一番の原因というものは両親にあったのでしょう。
別にお父様とお母様が悪い人であったというわけではないです。
子の贔屓目に見ても、両親は素晴らしい人間でした。
民から慕われている国王と王女でしたし、自身の利権を重視する貴族方に真っ向から立ち向かう優秀な指導者であり、国教であるセシナ教の敬虔な信徒でもありました。
両親がセシナ教を信仰しているのですから、わたくしも幼い頃から教義もたくさん教わりました。
セシナ教も国教であるので、歪んだ教えが存在していたわけでもないです。
どちらかというと、人間の理想を説いていました。
――汝、生涯唯一の相手のみと男女として愛し合うべき。
などというように。文の細部はうろ覚えなので、もう少し違った言い回しだったかもしれません。
でも、大部分はこのような教えでした。
わたくしのお父様とお母様もそのように愛し合って結婚したそうです。羨ましい限りです。
だから、自分も幼い子ながらそのようにしようと夢見ましたし、そのようになるとばかり信じ切っていました。
ただ、わたくしがお父様とお母様と違ったのは恋多き少女だったという点でした。
言い変えるなら、男の人に目移りしやすい性格だったのです。
それは悲しいことに、教義と憧れの両親と自分の抱いた理想に反したものでした。
自分でもこの性格がすごく苦痛でした。
何度も何度も、いけないことだと自分を戒めさせました。
でも、無理でした。
だって、誰かを想うことは抑えられないものなのですから。
良くないことだと知りながらも、誰かを好きになって、すぐに冷めてしまう自分がそこにはいました。
だって、仕方ないじゃないですか。
恋は落ちるもので、冷めるものなのですから。
落とすものでも、冷ますものでもないのですから。
けれども、幼いわたくしは自分の理想と両親の期待を裏切れませんでした。
当時好いていた男の子に愛の告白をされたにもかかわらず、どうせ冷めるならと振ってしまったのです。
それからです。わたくしの中の何かの歯車が狂い出したのは。
自分は男の人と付き合ってはいけないという苦しみを欲望で塗り隠すように、男の人を誑かして惚れさせ、そのまま捨てていきました。
そのようなことをしても、何の解決にもならないのは重々承知でした。
無意味な逃避をする自分に呆れ果て、またストレスを溜めていく。
そのストレスを発散しようと男の人に愛嬌を振りまき、愛情を得る。
その繰り返しでした。
傍から見たら、さぞ滑稽な姿だったでしょう。
だって、既にわたくしは守ろうとしていた教義や両親の期待を裏切っていたのですから。
気づいた時にはもう遅く、この負のループを止めることはできませんでした。
周囲からの蔑むような視線、両親の心配する声に心を痛めるのはもちろんのこと、自分の心に湧く罪悪感に押しつぶされそうでした。
だからといって何かが良くなるわけではなく、ただ罪悪感を紛らわすように男の人に声をかけ続けただけなのが自分でも笑えてきます。
そのようなことを繰り返していたせいか、男の人に好かれる技術は嫌というほど研かれていきました。
この頃からでしょうか。心の中で男の人に見切りをつけ始めたのは。
男の人からいくら愛を囁かれても、媚を売って取り繕った自分しか認められていない気がしました。
媚という仮面の下の、醜く、罪に塗れた本当の自分は誰からも必要とされていないという思いがありました。
あんなにもわたくしが追い求めて、男の人から投げかけられた『好き』という言葉が、わたくしの外面と男の人を落とす技術だけを褒めたたえる空虚で無価値なものに思えてきました。
だから、わたくしは男の人に恋をするのをやめました。
ようやく悲願が達成したのです。
けれども、一度承認欲求を満たすことを知ってしまったのが運の尽きでした。
止められなかったのです。
恋することはやめられても、男の人を誑かす癖は直りません でした。
たとえ、外面だけを愛されようとも、愛されないよりはマシです。
たくさんの男の人が不用意に投げかける愛の言葉に、自分の価値を求めようとしました。
それしか、自分の価値を認める方法を知らなかったのです。
そのようなことをしても、自分が一番に求めるものは手に入らないと気づいていたのに。
それから15歳になったわたくしは、贈与の儀で誰もが羨む強力なスキルを得て、嫉妬や、貴族間の権力闘争、周辺国家間の謀略の餌食となって、自身の男あさりの性分もあってか、いつの間にか自国を壊滅に近い状態にさせてしまいました。
これが『傾国』と呼ばれるようになった所以です。
その後、国にいられなくなったわたくしは、両親に死んだことにしてもらって密やかに出国しました。
そして今いる国にたどり着いたわたくしは、途中で出会った山賊団を痴情のもつれで崩壊させたりなどしたのち、ピュリフの街へたどり着いたわけです。
そこでも好き勝手やっていくうちに悪評が広まって、周辺国家で有名な傾国の王女になぞられて『傾国』という二つ名がついたのは滑稽な話です。
人間どこへ行っても変われないものなのですね。
そして、全てのつけが回ってきたのか、わたくしは滅ぼした山賊団のメンバーに恨まれ、囚われている最中だったりします。
鉄臭くて、土臭い、地下の牢屋の中です。
腕にはしっかりとスキルやアーツ、スペルの発動阻害の術式が組み込まれている手錠が拵えられています。
これは予想外でした。
この手の複雑な術式が編まれた手錠は市場では流通していないはずです。
そのようなものを彼女らが持っていたとは。
結構ピンチな状況かもしれません。
手錠をかけられる前に抵抗でもしておけば良かったです。
さらに不幸な点をあげるなら、一緒に牢屋に閉じ込められているのがノートくんという少年だということです。
これがまた頼りがいがなく、最低クラスの男でした。
なよなよしていて、自信がなく、口から出るのは弱音ばかり。
人の胸ばっか見て、イケメンというわけでもない。
自分に身の危険が及べば、即座にわたくしを売り、山賊の女に一撃で伸される弱さ。
こうやって挙げてみると、何一つ良い点がありませんね。
どうして、わたくしはこのような少年とデートしていたのでしょうか?
自分でも謎に思えます。
そして、何よりもむかついたのは、ノートくんの『俺のこと、どう思ってる? フォースや他の男と比べてさ』という質問に対して、完全に落とせると確信した、自慢の返答をしたのに、何故か平然としていたことです。
ちょろそうと高を括っていたのに、その言葉を聞いてノートくんはわたくしに惚れ落ちるどころか、逆に何かを悟ったような、全てを見透かしているような目で返してきました。
さっきまで、あんなにデレデレしていたのに、豹変して。
一瞬だけ、まるでわたくしが目の前の女性に免疫のなさそうな童貞男に負けているような錯覚を覚えました。
そのようなことがあるわけありません。
何度も何度も否定しました。
しかし、心にこびりついた敗北感は僅かに忘れることができませんでした。
それが異様に悔しかったのです。
思い返すと腹が立ってきました。
未だに気を失っているノートくんをえいっと蹴ってしまうことにしました。
もちろん起きられるとまずいのでつま先で弱めに抑えました。
「おい、いきなり蹴ってくるなよ……ロズリア……」
「へっ……?」
予期せぬ反応が返ってきたことに思わず変な声が出てきました。
起きていたのですか……? ノートくん……?
「蹴ってなど――」
「いや、『えいっ』って言ってただろ。『えいっ』って」
なんか、全部バレていたみたいです。
起きていたなら早く言ってください。
そうしたら、蹴り上げなかったですのに……。
不覚にも素がバレてしまったので、彼にはこのままの調子でいこうと思います。
「いつから起きていたのですか?」
「だいぶ前じゃない? この牢屋に時計とかないから正確なところはわからないけど……」
「起きていたなら知らせてくださいよ。さっきまで暇だったんですから」
退屈過ぎて、先ほどまで負の思い出に塗れた過去を思い返すことくらいしかできなかったのです。
力で役に立たない分、話し相手くらいにはなって欲しいものです。
「ごめんって。ちょっと集中するのに手間取って……」
「集中って何をですか?」
「この施設中の気配を探ることをだけど……」
これはあれですね。
頭を叩かれた拍子に頭がおかしくなってしまったのですね。
だから、このような意味不明な返答をしているに違いありません。
かわいそうなノートくん……。
さすがのわたくしでも同情してしまいます。
「何か失礼なこと考えてない?」
「そ、そんなことありませんよー」
「ちょっと棒読みだし……考えていたんだ……」
ノートくんは一つだけ勘違いをしています。
わたくしが彼に対して、失礼な評価をしているのは最初からです。
「まあ、いいや。それで、ロズリア。一つ取引をしない?」
「取引ですか……どんな取引ですか?」
取引。なにやら嫌な予感がします。
スケベなノートくんのことです。
どうせ、いやらしい内容の取引に決まっています。
「俺がロズリアをこの牢屋から逃がす代わりに、フォースから手を引いて欲しいんだけど、駄目かな……?」
「ノートくんが本当に牢屋から出してくれるなら構いませんけど……」
残念ですね。取引とはお互いに達成できる条件を持ち出してこそ取引なのです。
わたくしの方は、フォースくんなど失っても全く痛くないので問題ないのですが、ノートくんの条件の方は満たせないでしょう。
それにしても、どうしてここでフォースくんの名前が出てくるのでしょうか?
「その返事は大丈夫ってことでいいね。あとで約束を破るとかはなしだからね」
ノートくんはそう言いながら両手をあげました。
ガランと手錠が地面に落ちていきます。
「その手錠――」
わたくしが戸惑っている間に、彼はわたくしの手錠まで外してしまいました。
「もしかして、《開錠》アーツですか?」
だとしたら、おかしい話です。
だってこの手錠には、かけられた者がアーツを発動するのを阻害されるような術式が組み込まれているのです。
「惜しいかも。《罠解除》っていうアーツなんだよね」
「でも、おかしいですよ。この手錠を嵌められたらアーツやスキルは使えないと、あの山賊の女性が言っていました」
「やっぱそうだったんだ……嵌められる前に術式を解除して正解だったな……」
嵌められる前……もしかしてあの時ですか。
ジンという確か『到達する者』のメンバーの名前をノートくんが呼んだ瞬間。
皆の視線が逸れたあの瞬間なら、手錠の術式が解除できる隙もあったかもしれません。あの時点であったらまだ、手錠はかかっていなかったはずです。
彼が山賊に手錠をかけられたのは、はったりがバレて伸された後だったと記憶しています。
でも、あの短時間にそのようなことが可能なのでしょうか……。
現にこうしてわたくしの手錠も外されたのです。
ここは可能だと割り切るほかありませ ん。
「ぼーっとしていないで。早く出るよ、ロズリア」
いつの間にかノートくんは牢屋の鍵まで外していました。
牢屋の前に見張りがいなかったのが幸いです。
しかし、隠れたところに見張りがいたらまずかったかもしれません。
不注意な彼に一言物申す必要がありそうです。
「もう少し、慎重に行動したらどうです? 角に見張りがいるかも――」
「その辺は大丈夫、問題ないよ。一応、この施設内の人物はどこにいるか《索敵》で全部把握しているから。【地図化】で出口までの見つからないルートも見つけたし、順調にいけば上手くいくんじゃないかな? 遅くまで待った甲斐もあって、みんな寝始めたようだし……」
「どうしてみんなが寝ていると……?」
ここの牢屋は地下にあるため窓なんてものはありません。時間の感覚もあやふやになっていきます。
そのような中、どうして山賊の方々が寝始めたとわかるのでしょう?
「《索敵》で感じられる気配の強弱から、寝ている人がわかったってだけだよ」
「《索敵》ってそんなことまでできるのですか? 初耳というか……」
正直、もう意味がわかりませんでした。
だって、《索敵》とはモンスターの気配を察知するためのアーツであり、上級者でやっと人間の気配を察せるようになるアーツなのですから。
気配の強弱で人物の寝起きを判断するなんて常人の域を脱しているでしょう。
わたくしが戦闘職が盗賊の男性と何人関わってきたと思っているのですか。
それはもう数えるのをやめたほどです。
そのような数の人と関わってきたら、嫌でも盗賊アーツに詳しくなってしまうものです。
ちなみにわたくしが詳しいのは盗賊アーツだけでなく、どの戦闘職アーツについてもです。
理由は察してください。
ノートくんはわたくしの驚きに気づいていないのか、どんどん進んでいってしまいます。
もう驚くことに疲れました。
少し考えることをやめて、彼についていくことに決めました。
この山賊達が拠点としている施設は入り組んだ洞窟をベースに造られているようでした。
街の外に出てから三十分ほど運ばれたのでしょうか。洞窟は山の中にありました。
人気のない場所に建てられた広いアジトでしたから、監視の目を抜けるのは案外簡単で した。
山賊達のメンバーが少なかったことも理由かもしれません。
ノートくん曰く、二十人ちょっとということです。
アジトの大きさと比べると、この少なさは不釣り合いでしょう。
こうしていく間にノートくんは《索敵》と【地図化】を使い、黙々と進んでいきます。
わたくしのやることといったら、その後ろ姿を眺めるのみです。
こうしてみると、彼も最強パーティーと名高い『到達する者』の一員なのだと実感させられます。
数時間前の頼りなくて情けない姿はどこにもありませんでした。
安心してか、先ほどからずっと気にかかっていた質問が口から出ます。
「そういえば取引の条件である、フォースくんから手を引いて欲しいってどういうことなのですか?」
「そのままの意味だけど……」
「そうじゃなくて、どうしてそのようなことを頼むのかということです」
「そうでもしないとうちのパーティーにフォースが戻ってこなそうだからね」
「フォースくんに戻ってきて欲しいからと。でも、ノートくん。今までそんな素振り一度も見せていなかったですよね?」
「あー、そうだったかも。それは最初、ロズリアに惚れたふりをしてデート姿にこぎつけ、フォースに見せつけて帰ってきてもらおうって作戦だったからね。もう完全に駄目になった作戦だから言っちゃうけど」
「え、えっ⁉ 今、衝撃の事実を言いませんでしたか⁉」
「なんだ。やっぱ途中まで上手くいっていたのかよ。山賊さえ現れなければなー」
「ちょっと待ってください。その作戦とやらの詳しい説明お願いしますよ!」
「やめた方がいいと思うよ。ロズリアが聞いても気持ちのいいものじゃないと思うし」
「途中まで聞かされて止める方が気持ち悪いですよ! お願いします! このままじゃ一生気になって眠れません!」
「日頃の行いの反省として一生不眠で悩めばいいと思う……」
「薄情者じゃないですか! 日頃の行いを反省しますから! いくらでも大声で頼みますから! 教えてください!」
「それ、教えてくれなかったら大声出すっていう脅迫だよね……。全然、反省してないじゃん……」
「バレちゃいましたか」
「わかったよ。教えるから大人しくしてて」
「むすーぅ」
「本当に怒っている人は、むすーぅって言わないんじゃないかな」
「むすーぅ。わたくしは今、大変怒っています」
「そうかそうか。悪かったって」
ノートくんの説明を受けて、おおよその事情はわかりました。
なんというかあれですね……。
口ではふざけている風を装っていますが、内心、本気で腹を立てています。
ノートくんに対してもですし、まんまと罠に引っかかった自分自身にもです。
悔しくて、自分の太ももを握りしめているほどです。
これ、絶対爪の痕が残りますって。
でも、悔しさを感じている自分を彼に見せるのは負けな気がして、努めて明るく振る舞っているところです。
ノートくんが前を向いていて良かったです。
顔の表情までは多分、コントロールできていないですから。
この目の前にいる少年は恐ろしい人物だと、評価を改めないといけないかもしれません。
恋愛において百戦錬磨だと自負していたわたくしを初めて手玉に取った男なのですから。
彼の言う通り、山賊達さえ現れなければ自分は騙されたまま、作戦通りに終わっていた
でしょう。
特にデートの中盤までのノートくんなんて、わたくしに本気で惚れているようでしたし、あれが演技だったなんて未だに信じられません。
いいや、信じたくないだけなのかもしれません。
生まれて早19年。男を誑かすことだけに勤しんだ人生。
その中で築かれていった、ちっぽけで、すかすかなプライドが彼を認めることを邪魔します。
だって、あり得ないのですから。
男の人である彼が自分より優れているなんて。
男の人なんてどうせ、演技でころっと騙されちゃうような馬鹿ばっかりなのですから、彼だけ特別だなんて都合の良いことがあるわけないのです。
媚やあざとさといった仮面に惑わされずに本当の自分を見てくれるなんて、諦めきった夢物語を期待しちゃいけないんですよ。
期待させられた分の裏切られる辛さは嫌というほどわかっているはずです。
冷静になれば大丈夫。
この心の逸りは止められます。
だって、自分は本心を偽るのは得意だったはずです。
ようやく出口の扉が見えてきました。
長かった道のりでした。
距離的にも時間的にもそれほど長かったとは言えないのでしょうが、精神的なものを含めるとやはり長かったといえるでしょう。
安堵の息が漏れ出ます。
けれど、隣にいるノートくんはとても深刻な表情を浮かべていました。
「どうかしたのですか?」
「まあね。この扉の先に二人、見張りがいるんだ。出ていくには避けては通れないっぽいな……」
「それならしゅぱっと倒しちゃってください! 任せましたよ!」
ここまでの偉業から一流の盗賊であると推測できる彼になら、見張りの二人くらい余裕でしょう。
テンションをあげながら応援したのですが、何故か彼は気まずそうに目を逸らし始めました。
「何度も言っているけどさ、俺、戦う力がないんだって……」
「またまたー。さっきまですごい《罠解除》を見せてくれたじゃないですか。ノートくんが一流の盗賊なのは気づいていますよ」
「それがさ……俺って《索敵》と《罠探知》と《罠解除》の三つのアーツしかできないんだよね……」
「もう! 噓はいいですから!」
「…………」
彼は急に真顔になりだしました。
「本当なんですね……表情でわかりました……」
「何度も言ってたからね。がっかりした表情で見ないで!」
「頼りにならないと思ったら頼りになって、頼りになると思ったら頼りにならない、がっかりな男ですね……」
「否定できないのが辛い……。《索敵》から察するにこの施設の中で一番弱いのって俺だし……」
目の前の少年はやはり理解不能でした。
どうして、戦闘に役立たない三つのアーツを極めているのか。
歪にもほどがあります。
問いただしたいのはやまやまですが、今はそのことより脱出を優先すべきです。
「それで、一体どうやって脱出するつもりなんですか?」
わたくしの何の考えなしの質問に、ノートくんはさも不思議といった様子で答えてきました。
「ロズリアが倒せばいいんじゃない?」
「なに言っているのですか! か弱い回復職の神官ですよ! 戦えるわけないじゃないですか!」
慌てて彼の言葉を否定します。
だけれども、前にいる少年は意地悪い笑みを浮かべていました。
そして、予期していなかった一言を突き付けてきたのです。
「なに言ってるの? はこっちの方だよ。だって、ロズリア。ここにいる誰よりも強いでしょ?」
「な、なにを意味不明なことを! 一体どこにそんな根拠が⁉」
「その慌てた反応……。やっぱり実力を隠していたんだ……」
「…………っ」
「根拠ならあるよ。《索敵》っていうアーツの話はしたよね。このアーツを使えば、周りにいる人の実力までわかっちゃうんだよ。それに――」
「……それに?」
「男を誑かしまくって多方面から恨みを買っているロズリアが、今まで無事に生きていることが何よりの証拠でしょ。さらに言えば、手錠を外してから一度も自分の命を心配する素振りを見せてないし……」
なんですか……。全部バレていたんでしたか……。
笑いがこみ上げてきます。
先ほどまでの怒りや悔しさなんて全て吹き飛んでいってしまいました。
この時、不覚にも思ってしまったのです。
――わたくし、ロズリア・ミンクゴットは目の前の少年ことノート・アスロンに完敗し たと。
それは生まれて初めて男の人を認めた瞬間でもありました。
彼は、他の有象無象の男とは違う。
わたくしの全てを見透かしているかのような存在。
ずっと待ち焦がれていた存在に、敗北感なんか忘れて、嬉しさで胸が躍っています。
きっと、この胸の高鳴りが恋なのでしょう。
わたくしは今の今まで、ずっと偽物の気持ちを恋だと思い込んでいたのです。
だけど、もう思い違いはしません。
だって、知ってしまったから。本物の恋ってものを。
彼なら、わたくしの全てを受け入れてくれるかもしれません。
もしそうでなくとも、彼ならば、わたくしの全てを、自分で大っ嫌いなところも含めて、その瞳に映してくれることでしょう。
仮面を被った、媚を売るしか能のない偽りの自分じゃなく。汚いわたくしの本心を。
たとえ彼が全てを受け入れてくれなくても構わないです。
ただ、わたくしの醜さを認め、目を背けないでくれるのでしたら。
わたくしは君を。ノート・アスロンを。心の底から好きでいられる。
そう、心が震えたから――。
「仕方ないですね……そこまで言うのなら見せてあげましょう……」
ずっと嫌いだったあのスキルを発動すると決意しました。
その破格な性能から、誰もが羨み、国中の貴族が利権を争うように取り入って、『傾国』の所以となった一つの国を傾けるほどのスキル。
国起こしの英雄が手にしたとされている伝説上のスキル。
わたくしが【魅了】の他に持つ、ただ一つのスキル。
――【聖剣の導き手】を。
そして、その地上最強の剣の名を、己の気持ちの高ぶりもろとも声に乗せて。
喉も張り裂けよとばかりに叫ぶ。
「来なさいッ! 聖剣フラクタス!」