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第11話 二つ名獲得

「眠くなってきたです……」


 パジャマ姿のネメが目を擦る。

 肩に抱えた彼女は必死に眠気を堪えていた。


 気の抜けるような彼女の様子を見てほっとする。

 昔までの、抱えられることを嫌がっていた姿とは大違いだ。


 ネメがこんなに肩の上でくつろいでいるのも、走りの技術が向上したからなのだろう。

 自分の成長が感じられて、ちょっと嬉しかった。


 女児誘拐騒動があってから四カ月くらいの時が経った。

 自分で言うのは気が引けるけど、多分俺は前に進めているのだろう。


 最初は苦労した《索敵》と《罠探知》や《罠解除》の同時展開も、今や自然と行えるようになっていた。


《索敵》に関しては日常生活内で常時発動するのが当たり前になってきたし、害意のない小動物や人間の気配まで察せるようになった。

 感じ取った生物の敵意のほどや、脅威度だって察知できるようになったし、気配の特徴を頼りにモンスターの種類や人物の特定もできる。


 すると見えてくる世界は変わってきて、頭に浮かぶ地図に反映される情報が桁違いに増えていった。

《索敵》が地図系スキルと相性がいいと世間で言われていることに半信半疑だった俺でも、これは認めざるを得ないだろう。


 最近では《罠探知》も《索敵》同様に常時発動している。

 これまた最初は苦労したが、慣れてしまえば問題ない。

 今では息をするように自然なものとして身についてしまった。


 驚いたことに街中でも《罠探知》に反応するものはある。

 民家や施設に設置されている警報装置や防犯装置も罠の部類に入るらしいのだ。

 おかげで、街中でも気を緩ませずに《罠探知》の練習が行えた。


 四カ月前に比べたら多少は進歩した俺だけど、まあ納得のいっていない現状の一つや二つあるわけで……。


「よっ! 今日も頑張っているな、幼女攫い!」


「おはよう、幼女攫いのお兄ちゃん」


 大変不名誉な『幼女攫い』という二つ名が浸透してしまったのだ。

 すごく嫌なんだけど……。


 女児誘拐の疑惑で捕まってから、巷で囁かれ始めた二つ名。

 近頃、フォースが走り込みをサボるようになって街中を走る羽目になってからは爆発的に広まってしまった。


 忙しいだなんだと言い訳をつけてサボるのをやめろ、フォース……。

 俺に被害が降り注いでいるから。


「やめてほしいですよね……。幼女攫いって二つ名……」


「その気持ちわかるです! ネメは幼女じゃなくて立派な大人なのです!」


「そうですねー。ネメ姉さんは気品溢れるレディーって感じしますもんねー」


 適当に相槌を打っておくことにした。

 随分棒読みで声に出したつもりだったが、ネメは真に受けて気分を良くしているようだった。

にっこにこしている。


 さすがの俺も罪悪感に襲われ、話を逸らすことにした。


「それよりネメ姉さん。二つ名って変える方法ないんですか?」


「……ないと思うです。もともと、二つ名って冒険者同士で話しているうちに自然と生まれるものです。誰かが決めたものじゃないから、やめさせるのも難しいです」


 思い返してみれば、俺もブロードの街にいた頃は他の冒険者の噂話をよくしたものだ。

 噂話の中で、俺も他の冒険者を二つ名で呼んでいた気がする。


 噂ってものは一度広まるとなかなか消滅しないものだ。

 この二つ名も当分、呼び続けられることだろう。

 現に、今もこうやって幼女を抱えて走っているわけだし。


「変えるのは難しそうですね……。ネメ姉さんには二つ名とかあるんです?」


 気になっていたことをこの際だから聞いてみた。

 正直言おう。できることなら、俺以外の人にも変な二つ名がつけられていてほしいという願いからの質問だった。


 人間不幸な目に遭うと、自身の幸せを願うより他人の不幸を願うものだ。

自然な成り行きだろう。

 これって俺の性格が悪いだけなのか……?


「ネメはようせいって呼ばれているです」


「妖精ですか……。かわいらしくていい感じの二つ名……ズルいですね……」


 吐き捨てるように言う俺に、ネメは首を振った。


「妖精じゃないです……。『幼聖』だそうです……。ネメってそんなに幼く見えるです ……?」


 しょんぼりするネメ。

 あまりにも落ち込んでいるので、慌ててフォローを入れる。


「そんなことないですよ。ネメ姉さんは俺にとって頼れる理想の年上女性です!」


 心にもないことを言ってしまった……。

 おそるおそるネメの顔を覗くと、彼女は輝かしい笑みを浮かべていた。


「やっぱりそう思うです? ノートは見る目あるです!」


 露骨に調子乗り始めた……。どうしよう……。

 落ち込んでいるよりはいいと思うけど……。


「まあ……お互い不遇な二つ名をつけられた同士、仲良くやっていきましょう!」


「なんでさりげなく同士にしているです⁉ 『幼女攫い』よりは『幼聖』の方が絶対マシです!」


「言ってはいけないことを言いましたね」


 わざと身体を上下させて走りだした。


「すみませんです! ごめんなさいです! もう裏切らないです!」


「わかりました。今回は許してあげましょう」


 ネメにとって乗り心地のよい、通常の走りに戻しておいた。

 顔を青くさせた彼女を横目で見る。


 ネメとのこうしたやり取りは、日常の数少ない癒しの一つだ。

 恥ずかしくて、本人には絶対言えないけど。


 そもそも、『到達する者(アライバーズ)』のメンバーに冗談を言えるような仲の人がネメしかいないのだ。


 エリンは論外だし、フォースも煽ってくるばっかりであまりこっちから冗談を言ったりはしない。

 ジンは俺に優しく接してくれるが、そういう間柄じゃない。


 というわけで、この四カ月で一番話す割合が多かったのがネメである。

 出会った当初からは想像もできないような状況だ。


「ネメもかっこいい二つ名欲しかったです。この街にはネメと同じ神官なのにくらっしゃー? とかいうかっこいい二つ名を貰っているひともいるらしいです。羨ましいです」


「クラッシャーですか? パーティーの回復役である神官としてはどうなんですかね……? もっと良さそうなのがありそうじゃないですか?」


「そうです? ネメの二つ名に比べたら、大抵の二つ名はかっこよく聞こえちゃうです……」


「随分毒されていますね……。そういえば、ジンさんの二つ名はどんなのなんですか?」


「『黒影』って呼ばれているです」


「えっ……かっこいい呼ばれ方じゃないですか⁉」


「当たり前です。ネメたちが特別なだけです。他のメンバーはまともな呼ばれ方です……。他の人も聞くです?」


「いや、やめておきます……」


 人のまともな二つ名を聞いても嫉妬してしまうだけだ。

 それよりは知らない方がマシだろう。


「その方がいいと思うです……」


 ネメも同じ考えだったのだろう。

 小さな手で頭を撫でられる。その優しさが心に沁みた。


 そして、世の中には同情される方が辛い。

 そんなこともあるのだと、身をもって体験したのであった。






 ***






 ――足元。次、右斜め前。そして、岩の裏。


 気を抜かず、自分にできる限りの最速で。

 指先で魔法陣を解きほぐし、腰に差したナイフを抜いて暗闇に放った。


 正確に隙間へ放ったつもりだ。

 感覚さえ正しければ、ジンに仕掛けられた物理的な罠は堰き止められるだろう。

 自分を信じて、確認もせず突っ切った。


 そして、左手でそのまま魔法陣の術式を解除する。


「なんなのよ! もう!」


 エリンの不満そうな声が、暗くて狭い洞窟内に反響する。


「あのさ……どうして俺が《罠解除》を成功させると怒るんだよ……」


 不条理なエリンの態度に文句を言いつつ、右足を使い、探知していた罠をまた一つ解除した。

 その光景を見て、ジンが口を挟む。


「とっておきの自作の罠がいとも簡単に攻略されて複雑な気持ちなんだよ……」


 別にいとも簡単に解除しているわけじゃない。

 こう見えて、極限まで集中を張りつめながらやっているんだけど……。

 と文句を言いたかった。


 不満に思いつつ立ち止まる。

 この区域内にある最後の罠だ。


 慎重に。正確に。そして、早く。

 複雑な術式だとどうしても解除に時間がかかってしまう。


 今みたいに。ほら、二秒もかかってしまった。

 ジンだったら、もっと早く解けるのに……。


 俺が罠を解除し終えるのを見届けると、エリンは「ぐぬぬ……」と唸っていた。

 なんだよ、『ぐぬぬ……』って。犬かよ。


 対照的にジンは拍手で迎え入れてくれた。


「おめでとう! 完璧だね。これで罠に対処するアーツについてはもうボクから教えられることはないね」


 隣で威嚇を続けているエリンに目を移す。

 とりあえず、調子に乗った発言をするのはやめておこう。


「俺なんてまだまだですよ。練習で罠が解除できたからって、実際のダンジョン探索でできるとは限らないですし……」


「そんなことないよ。ノート君の実力ならダンジョンに設置されている罠も全く問題ないと思うよ」


「そうですかね……。戦闘職(バトルスタイル)が暗殺者のジンさんが作る罠ならともかく、エリンは罠作りの本職ってわけじゃないですよね? ダンジョンにある罠の方が複雑ってことも――」


 エリンがすごい勢いで睨んできた。

 自分の失言に気づく。


 どうやら、俺の発言が彼女の高いプライドを刺激してしまったようだ。

 慌てて目を逸らす。

 ジンが慌ててフォローを入れた。


「エリンは罠作りの一流だよ。【全属性魔法適正】のスキルを持っているから、罠魔法も得意なんだ」


「そうなんですか……」


「そのくらい知っておきなさいよ」


 エリンは本当に一言余計だ。毎回イラッとさせてくる。

 口に出かけた文句をなんとか飲み込んだ。


 でも。その余計な一言がちょっとだけ嬉しかった。

 四カ月前のような、冷たくて、呆れや無関心に近い怒りとは違うから。


 彼女と仲違いした当初は口も利いてもらえなかった。

 俺が『到達する者(アライバーズ)』のメンバーの皆の前で何か言ってもエリンだけは頑なに反応しなかったし、廊下ですれ違えば睨まれた。


 辛くなかったと言えば噓になるだろう。

 当時は毎日が苦痛だった。

 身近な人から嫌われるっていうのはどうしても精神的にくるものだ。


 全てを投げ出してしまいたい。

 そう思うことも一度や二度ではなかった。


 しかし、俺のアーツの精度が上がっていくにつれ、問題は解決していった。

 俺にやる気がないという勘違いをエリンが改めだしたのだ。

 彼女自身、過剰に怒りを抱いていたことに気がついたんだろう。


 それからはお互いの間に、気まずさが漂うようになった。

 俺から見て、エリンは決して素直に謝れるようなできた人間じゃない。

 あんなに冷たい態度をとっておきながら、何事もなく仲良くできるような器用な人間でもないんだろう。


 まだ怒っていることをしきりにアピールするためか、攻撃的な発言をしてくるが、いちゃもんのつけ方も不自然だ。

 無理して怒っているのだろう。

 一度出した矛は戻せないと言っているかのようだった。


 だからといって、俺の方から歩み寄るのもなんか腹が立つ。

 あそこまで悪意を向けられた人間相手に、どうして俺が胡麻をすらなくちゃいけないん

だよ。

という気持ちがあった。


 そのような理由で、お互いの距離感は平行線をたどっていた。

 多分、どちらかが折れれば前みたいに。

 いや、前よりも仲良くなれるんだろうけど……。


「それと、ジン。ノートを調子に乗らせるようなこと言わないで。ムカつくから。まだ特訓の第一段階が終わっただけじゃない」


 ごめん、エリン。

 やっぱり仲良くできないかもしれない……。


 苛立たしい気持ちを抑え、ジンがいる方へ向く。

 なるべく、エリンを視界に収めないように心がける。


「第一段階? ということは第二段階もあるってことですか?」


「そうだね。それじゃあ、特訓の第二段階に移行することにしようか」


「はい。それで、第二段階って何をするんですか?」


 最近の特訓は手応えがなくなっていた。

 もう少し、難易度の高い特訓をしてみたいという気持ちも心の中にはあった。

 そわそわしながら先を促す俺に、ジンは告げる。


「《索敵》と《罠探知》や《罠解除》の同時発動をできるようになってもらおうかな」


「それって――」


 そこまで言って、口をつぐむ。

 しまった。どうやら俺は、ジンが言う第二段階とやらを、第一段階も終わっていない間から勝手にやっていただけのようだった。


 よく考えれば当然のことなのかもしれない。

 一つの技術を完璧に身につかせてから、いくつかの技術を同時に行えるようにするという形で段階を踏むのが普通ってものだ。


 しかし、俺は焦りのあまり、そのステップを無断で飛ばしてしまったのだ。

 ここまでくれば、もう黙っていることはできないだろう。

 怒られるかもしれないが俺は意を決して事情を説明した。


「本当なのかい?」


 俺の説明が終わった後、最初に口を開いたのはジンだった。


「はい……」


「どうせ噓でしょ、噓。見栄を張っているに違いないわ」


 エリンは悪態をついていた。

 どうしても、俺の発言を否定したいらしい。


「噓じゃないよ。ほら、証拠と言ってはなんだけど、エリンに怒られてから俺のアーツが下手くそになっただろ?」


「それがどうしたのよ……」


「言い訳みたいで言いたくなかったんだけど、あの時からなんだよ。《索敵》を同時に発動して練習するようになったのは。エリンの指摘を受けて、このままじゃ駄目だって自分なりに考えて……。そのせいで当分の間、《罠探知》や《罠解除》が疎かになっていたのは悪かったと思うけど……」


 ここまで言って、エリンも事の全容を把握したようだ。

 気まずそうにあちこちを見回す。

 そして、観念したのか俺の目をおそるおそるといった様子で覗き込んだ。


「なによ……それじゃあ、私がずっと勘違いしていてノートを怒っていたみたいな言い方じゃない……」


「エリンが最初に指摘した点は正しかったと思うし、全部が全部勘違いってことはないんじゃない? 俺が事情を話さないで誤解させたままにしておいたっていうのもあるし、エリンが気を悪くすることはないよ」


「急に大人な対応やめなさいよ! 私が悪者みたいになるじゃない!」


「ごめん……俺が全部悪いんだよ……」


「こら、謝らないでよ! わざと私を苦しめるために言っているでしょ、それ!」


「そういうことでいいから。とにかく俺はエリンに謝りたいんだ……」


「わかったわよ! 私が悪かったわよ! ごめんなさい……」


 俺達はお互いに頭を下げあう。

 そして、少し目を上げた。


 謝っているはずのエリンの顔には笑みが浮かんでいた。

 俺もきっと同じような表情をしていることだろう。


 こうやって、冗談交じりにふざけあうのも四カ月ぶりのことなのだ。

 他人から見たらなんてことない会話なのかもしれないけれど、俺にはそれがとてつもなく嬉しくて。

 ずっと待ち焦がれていたもののように感じられた。


 もしかしたら、エリンも同じように思っているのかもしれない。

 自惚れに近い想像が過る。

 さすがにないか。

 でも。もし、そうだったら喜ばしい限りだ。


「二人とも紆余曲折があったけど、気が合いそうでなによりだよ」


 微笑ましいものを見ているかのような温かい視線を送るジンの存在に気づき、俺達はバッと顔を上げる。

 タイミングもぴったり被ってしまった。なんか恥ずかしい。


「ジンさんも。色々と心配かけてすみませんでした」


 エリンとの仲が険悪だった間、一番迷惑を被っていたのは板挟みにされていたジンだ。

 彼は俺達のどちらにも気を配って立ち振る舞っていた。


「別に構わないよ」


 ジンは頭を搔きながら応えた。


「一段落ついたし、話を元に戻そうか……。ノート君は《索敵》と罠対処系アーツの同時起動まではできるようになったんだよね?」


「そうですね……」


「なら、第二段階を飛ばして最終段階の特訓に進もうか」


「最終段階ってなんです?」


 俺の質問にジンは答えた。


「《索敵》や《罠探知》を長時間発動し続けられるようにすることだね」


「あの、それも――」


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