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第10話 変化

「昨日はごめんなさいですっ!」


 ただでさえ低い位置にあった頭がさらに下へ。

 目の前で謝っているのは、幼い見た目をしたドワーフの神官、ネメである。


 彼女はしょんぼりとした様子で頭を下げていた。

 毎朝の習慣となっている走り込みをしようと、早起きしてリビングに下りた時のことで る。


「どうして謝っているんですか?」


 ネメが何故謝っているのかわからなかったので、素直に訊きくことにした。

 すると、ネメはおずおずとこちらの顔色を窺うように見上げてきた。


「……も、もしかしてノート、怒ってないです?」


「怒っているも何も、何についてかわからないんじゃ怒りようが……」


「ネメのせいで捕まっちゃったことです……」


 ――ああ、そのことか……。


 最初に浮かんだ感想がそれだった。

 自身の心の変化に驚きが隠せない。


 確かに俺はネメに腹を立てていたはずだった。

 昨日、少なくとも牢屋やに閉じ込められている間はそうだった。


 だけど、エリンに怒られショックを受けて、なんかもうどうでもよくなっていた。

 頭の中からネメへの不満は抜け落ちていた。

 そのことにたった今、気がついた。


「別に気にしてないですよ。だから謝らないでください」


「ほんとです? 昨日帰ってきてからずっと機嫌悪そうだったです。遠慮はしなくていいです。悪かったのはネメです。嫌われる覚悟はできてるです」


 ネメはもう一度深く頭を下げた。

 俺は即座に手を振って否定する。


「本当に気にしてないですから! 機嫌が悪かったのも他のせいというか……」


 俺が本当に怒っているのは、自分自身に対してだ。

 自分が許せなくて、昨日は機嫌が悪く見られてしまったのだろう。

 ネメに気を遣わせてしまったことに罪悪感を覚える。


「噓じゃないです……?」


 顔を上げたネメは涙目になっていた。

 俺ははっきりと頷き返す。

 そして、頭を搔きながら言った。


「そのかわりといってはなんですけど……一つお願いしていいですか?」


「はいです!……た、たとえ、え、えっちなお願いでも大人なネメなら――」


 口をもごもごさせるネメ。

 安心してくれ。エッチなお願いではないから。


「これからは朝のトレーニングに協力してくれませんか。昨日のような騒ぎになるのはもうごめんなので、抵抗しないで俺に乗ってほしいですね」


 笑いながら口にした提案に安心したのか、ネメは息を吐く。


「わかりましたです」


 そして、途中で何かに気がついたかのようにはっと口を開けた。


「……もしかして、えっちな意味です……? 抵抗しないで俺に乗ってほしいって――」


「違いますから……」


 そんなこんなで、朝のランニングは始まったのであった。




 街の外を走り始めて五分くらい経ったあとのことであった。

 ちなみに今日はフォースも同行しているため、街の外で走っている。

 肩に乗ったネメが申し訳なさそうに口を開いた。


「なんかノートの乗り心地悪くなってるです……」


「やっぱりそう思いますか?」


「やっぱりってなんです⁉ ネメへの当てつけです⁉」


「そういう意味のやっぱりじゃないですよ。別にネメ姉さんのことは恨んでないですから……」


 と言いながら、ネメの言葉に内心へこまされた。

 というのも。


 ――走り込みと《索敵》の両立はやっぱり難しいか……。


 こんな試みを始めたのも、エリンに怒られたからであった。指摘されたことを反省して、自分なりに考えての結果だった。


 エリンの言う通り、残り五カ月の期限をまるまる使って《索敵》や《罠探知》、《罠解除》のアーツを習得するというこのままのペースじゃいけない。

 俺は現在、一流冒険者パーティーである『到達する者(アライバーズ)』のダンジョン攻略を足止めしているのだ。


 なるべく早くダンジョン攻略に取り掛かれるようにしなければならない。

 それが俺を拾ってくれた『到達する者(アライバーズ)』への恩返しでもあるし、過去の怠慢な自分から決別するってことだ。


 おそらく、ここが最後の分水嶺。

 今頑張れなかったら、俺は多分一生、努力から逃げて回るような人間になってしまうのだろう。


 そんなのは嫌だ。俺はもう間違えたくないんだ。

 同じ失敗をもう二度はしたくない。

 だからやるんだ。無茶でもなんでも。


 そして、少しでも早くアーツを身につけるんだ。

 一日、いや一時間でも早く、三つのアーツを身につけなければならない。

 これは時間との勝負だ。いかに早く習得するかの戦い。

 時間は縮められるだけ、縮めた方がいいのだ。


 そこで考えたのは、《索敵》をいつでも発動するように心がけ、練度を上げるという方法だ。

 日常生活の合間でも、他のアーツの練習中でもだ。

《索敵》を発動している最中、同時に何かをすると《索敵》やもう一方の動作が疎そかになるという欠点はある。


 しかし、実際にダンジョンに潜れば、複数のアーツを同時展開したり、走りながら《索敵》を発動させたりしなければいけないのだ。

 この程度、克服して当たり前。

 ごちゃごちゃと言い訳をしてなにも始めないよりは試すべきだ。


 だからと言って、ネメからのクレームも無下には扱えない。

 抱えている腕を締め、ネメを固定する。

 身体の軸がぶれないようにもっと意識をする。

《索敵》も忘れないように。






 ***






 今日の午前中は森での《索敵》の特訓だった。

 午後はダンジョンでの罠系アーツの特訓という予定。


 午前中の特訓はジンとの二人きりで行う。

 朝起きてから《索敵》を発動していた疲れもあって、集中力が途切れることが多々あった。

 だけど、それはまだマシな部類だったのだろう。


 問題があったのは午後であった。

 俺とジンがいたところにエリンが合流して、特訓が始まったのだが、俺が並行して《索敵》を発動しているせいで《罠探知》と《罠解除》の精度はがた落ちしてしまった。


 それは想定内の出来事だったというか……。

 アーツの両立なんて最初から完璧にできるとは思っていないし、そこまで思いあがってもいない。

 ただ、想定の範囲外だったのはエリンの反応だ。


 昨日怒られてから、エリンが俺へ放つ雰囲気は最悪だったっていうのに、俺のアーツが拙くなっていると気づくや否や、さらに冷たい態度をとってきた。

 落胆を込めた冷ややかな目つきに、最悪よりも悪い状況ってものがあると認識させられた。


『あなたは所詮、強く叱られたくらいでやる気をなくすクズなのね』


 そう聞こえた。幻聴だ。

 だとしても、視線からエリンがそう思っているのが易々とわかってしまった。


 エリンが思うのも無理はない。

 強く叱った翌日に、相手が普段できていたこともおぼつかなくなっていたら、自分でもそう勘違いしてしまうだろう。

 気持ちはわかる。


 でも、エリンが注意や文句さえ言ってこなかったのには胸を痛めた。

 彼女は俺を期待外れの存在という部類だと判断し、もう何を言っても意味はないと決めつけたのだ。


 そして、以前キッチンでした約束通り、俺をパーティーから排除するべく動きだしたのだ。


 先ほどだって、その旨をジンに耳打ちしているのが聞こえた。

 人に正面から敵意を叩きつけられるのが、こんなに辛いものだとは思わなかった。


 だけど、苦痛に負けて、《索敵》の発動をやめ、《罠探知》や《罠解除》を上手くやろうとするのも違う気がした。

 それこそ、エリンを裏切る行為のように思えてきて、《索敵》を発動し続けた。


 エリンに正直に話すという手もある。

 自分は同時並行でアーツを発動しているんだ。

 上手くいかなくても仕方ないだろって。


 でも、やめておいた。

 言葉にするとせっかくの決意が軽いものになってしまう。

 そんな予感がしたからだ。


 俺はエリンに好かれたいから、アーツの特訓をしているんじゃない。

 いち早くダンジョンに潜るため。

到達する者(アライバーズ)』の皆に迷惑をかけないために鍛えているのだ。


 他人からどう思われるかという、ちっぽけで不確かなものに邪魔されたくない。

 そんなものに俺の決意を挫かせられるのはごめんだ。




 夕飯後。ジンの部屋の扉をノックする。

 乾いた木の音が廊下に響く。


「少し待っていてね」


 という声から間を置かずして扉が開いた。

 現れたのは部屋着姿のジンだ。


「急にどうしたんだい?」


「ちょっと話があって……」


「話って? もしかして今日の特訓のことかい?」


 ジンも今日の特訓がいまいち上手くいっていないことに気づいていたことだろう。

 ましてや、エリンからの不満だって聞かされているのだ。


 俺が単に不調なだけなのじゃないかと、ジンがエリンを宥めているところも何度も目にした。

 俺へ何度も慰めの言葉もかけた。

「そういう日もあるよ」って。


 ジンはおそらく俺が落ち込んでいると思っているんだろう。

 だから、こうして部屋に来たと。


 だけど、違う。

 今回の目的は別であった。


 俺は本題に入る。


「罠を作ってほしいと?」


「はい。いつも夕食食べてからの時間することがないですし……。どうせ暇なら《罠解除》の練習でもしたいなって。小規模な罠なら室内で発動させちゃっても問題ないですよね?」


 罠といっても、地形を変化させるような大規模なものから、手のひらサイズの魔法陣から電流がわずかに流れるといった規模が小さいものもある。

 俺は後者のような罠を作ってもらい、《罠解除》の練習をするつもりだった。


 ジンは俺の提案に少し困ったように頭の後ろを搔いた。


「そういうことならエリンに――。いや、今は難しそうだね。ボクから頼んで罠を作ってもらうことにするよ」


「ありがとうございます」


 頭を下げる俺に、ジンは憂えた視線を落とす。


「こんな頼みをするなんて、今日のことが関係しているのかい? あまり思いつめない方がいいよ。誰にだって調子の悪いときはあるから……」


「そういうのじゃないですよ」


「ボクは心配しているよ。エリンとも色々あったみたいだし。悩んでいることがあったら、なんでもいいから相談してね……」


「大丈夫ですよ。全部自分で解決するんで」


 咄嗟に出た作り笑いで誤魔化そうとする。


 自分が早く、《索敵》と罠系アーツの両立を果たせば、ジンに心配をかけていることも、エリンとの険悪な関係も解消するんだ。


 今、自分にできることはそれだけだ。

 考えを打ち明ける必要も、他人に同情してもらう必要もない。


 それでも、誤魔化しきれていなかったのか、ジンは不安を顔に浮かべていた。


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