#07:決意
都――半月の都とも呼ばれているその街は、クロン達がいるヨリデ村から東へ半日程馬車を走らせた所に存在する。
十年前、人間とクストスの間で大きな種族間抗争が勃発し、大勢の人々――特にクストスは、都から森へと亡命した。クロン達もその被害者だ。
この果てしない大森林には、ルニの都が出来る前から多数の小さな村が存在していた。中にはクストスだけの村や人間だけの村もあり、そういった所では、他の種族を毛嫌いし、受け入れようとしない者が多い。幸い、クロン達が偶然辿り着いたヨリデ村は種族間の隔たりを気にしない村で、抗争に巻き込まれた人々が移り住むには最適な村だった。
しかし、ルニの役所ではこの状況を良しとはしていなかった。彼らにしてみれば、人間が中心となって統治するルニで、反乱分子たるクストスを無力化して監視下に置きたい一心なのだ。
恐らくは、今回の役人の派遣もクストスを誘い込むためのものだろう――クロンは自ら「昼間の獣」について話をしたことで、尚更に彼らの説得力を増幅させてしまったことを後悔していた。
その夜。いつまで経っても最終的な結論が出せないクロンに、シラが穏やかに言った。
「悩んだって何もならないわよ。それより、お前はもう、ここを出て行くべきだわ」
クロンは眉に皺を寄せた。
「母さんは、ぼくを遠ざけたいの?」
「そういうわけじゃないわ。母さんだってね、こんな病気じゃなかったら、一度都に戻りたいぐらいなのよ」
「戻りたい? あんな所に?」
「ええ。父さんもキナも、待ちくたびれているんじゃないかしら」
クロンは十年前、都を出る直前の記憶を思い出した。
思い出したくもない、視界全体が赤い色ばかりの記憶だった。
「…………二人とも死んだじゃないか、目の前で」
「いいえ」と、シラは強く否定した。「最期まで看取ったわけじゃないわ。この十年間、それだけが気がかりだったもの」
そう言われると、確かに気がかりだった。
クロンが戦禍の中、ルニから出る前に最後に目にしたのは、赤い血だまりの中で倒れている妹、キナの姿と、その妹を救うために駆け寄った父、ゼハムの姿である。これまでに連絡は無かったものの、完全な死体を目の当たりにしていない以上、どこかで生きている可能性だって、全くないわけではない。
今や、クロンの気持ちは見事、真っ二つに分かれていた。
「けどね、母さん。もし、都へ行ったら、こっちには戻って来れなくなるんだよ?」
ルニは外壁で囲まれた街であり、その門には厳重な警備が敷かれている。十年前のあの時から、街に入る事は許されても、出る事は許されないと聞く。
故に、クロンがルニへ行くということは、唯一の肉親であるシラと永遠に別れる事に他ならない。クロンが最後の決断を渋る理由はそこだった。
シラは寂しそうに微笑むと、クロンのあどけなく、柔らかい頬を撫でた。
「ええ、そうね。……でもね、クロン。例え都の薬があったとしても、母さんはもう、そんなに長く生きられないと思うわ」
クロンは途端に青ざめた。
「母さん! ダメだよ、そんなこと言っちゃ!」
「いいえ。これでいいのよ。もしかしたら……今まで父さんやキナが生きているのか分からなかったのと同じように、お前も、母さんがずうっと生きていると信じて遠くへ行った方が、気が楽になるに違いないわ。私だって、お前の辛い顔を見て死にたくはないもの」
「…………」
たかが意地だけで村に残れば、薬は貰えないばかりか、母の死を見届ける事になる。だが、ルニの都へ行けば、約束が守られるかはさておき、薬が提供される可能性と、母が生き続ける可能性が残る。……天秤にかければどちらがいいかは明白と言えよう。
「……分かった。明日の朝、都に行くよ、母さん」
クロンは決意を示し、唇をぎゅっと結んだ。
「ぼくは、可能性を信じる。母さんが生きている可能性、父さんやキナが生きている可能性――また会えるという可能性も」
「……ええ、それでいいのよ。今までありがとうね、クロン」
シラの瞳に涙が溜まると、クロンはいてもたってもいられなくなって、シラを強く抱き締めた。
「母さん……!」
「行ってらっしゃい、クロン。元気にやるんだよ……!」
シラはクロンを抱いたまま、正面の玄関に誰かが立っている事に気付いた。
頭から突き出した大きな三角の耳と、お尻から突き出した、大きな筆のようなふさふさの尻尾。――紛れもなく、それはリーエだった。
クロンの決意を知ってしまったリーエは、複雑な表情を浮かべていた。シラと目が合うと、視線を逸らし、慌てて踵を返して走り去った。
2015/08/16 追記・修正