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#12:黒の巨体 - 2

 残された部下達が一斉に喚いた。中には恐怖のあまり、走って逃げ去る輩もいる。

 落ち葉の中で様子を伺っていたクロンとリーエは、ガタガタと震えながらどうやって逃げ出そうものかと考えていた。

 籠から解放された馬達は既に走り去り、移動手段は根渡りをおいて他にはない。しかし、そのために必要な鉤爪付きのグローブは、籠に取り残された革鞄の中だ。

(あいつは……次の獲物を定めている。ぼくらは姿が見えないから後回しになりそうだ)

 勇敢にも戦ってくれている役人が、間合いを取って短剣を投げつけている。それは気休めでしかなく、むしろ怒らせる結果となるが、クロン達には好都合だった。

「行くよ、リーエ。根渡りで逃げるんだ」

 クロンが囁くと、リーエは掠れた声でそっと怒鳴り返した。

「む、無理よぉっ! あの壊れた籠まで走れって言うの!?」

「それしかないだろ! あいつが囮になっている間に! さあ!」

 クロンがタイミングを見計らって走り出したので、慌ててリーエは後を追った。

 獣はクロンの傍をすれすれで走り抜け、投擲した役人に狙いを定めている。役人はクロンの姿を見てダシにされたと後悔したが、既に遅い。

 判断が遅れ、身構える間も無かった彼は、蚊を潰すようにたった一撃の平手で葬られた。

 クロンは、あの役人がもう少し粘ると思っていただけに、内心焦った。それでも横向きに倒された籠へ意識を集中させ、真上に戸をこじ開ける。

 直ぐに籠へ潜り込み、反対側の戸に落ちている二つの革鞄を抱える。

「早くして! お願いよ、クロン!!」

 獣とクロンを交互に見比べながら、リーエが叫ぶ。

 クロンはリーエの革袋を先に放り投げ、彼女は腕を伸ばして何とか受け止めた。

「先に行って!」

 リーエは言われるままに走り出しながら鉤爪を鞄から引っ張りだし、先に巨木の一つへ向かっていった。

 一方、クロンは鞄を背中に背負うと、入り口に飛び付き、ようやく這い出てきた。

 だが、獣はクロンのいる方へ走ってくる過程で籠を大きく蹴飛ばし、周りで立ち尽くしている役人たちを掌で(はた)いていった。

「うわあああっ!!?」

 クロンを乗せたままの籠は二転三転とバウンドし、巨木に当たってようやく停止する。

「クロン――ッ!!」

 別の巨木に掴まった状態のリーエは、泣きそうな声でクロンを呼んだが、いつまで待っても中から出てくる気配はない。

 偶然にも、僅かな木漏れ日が籠の中を照らしていた。

 リーエが首を動かし、中の様子を伺うと、目を閉じたまま動かないクロンの姿が見えた。どうやら気絶しているらしい。

「どうしよう……!」

 自分だけが助かるなんて、そんなこと、許されない。

 だが、リーエには戦える能力なんて持ち合わせていなかった。

(……今の自分に出来るのは、わたしが持つ、あの力だけ――)

 リーエの魔法は、攻撃に使えるものではない。

 だが、逃げるために、というのなら、今使うのが適している。

(霧は充分……これなら、効果は倍増する!)

 リーエはぶら下がる根の一つに飛び移ると、片足に絡みつけた状態で逆さまになり、霧の濃いところへ手を伸ばした。

 意識を集中させると、霧は渦を巻いて一点へと集まり、より濃度を増していく。

 一方、黒い獣は役人達を残らず片づけ、食べ尽くした後で、獲物が残っていないかと辺りを伺っている。

「……行けっ!」

 リーエが腕を振るうと、霧の塊は蛇のように長いうねりとなって獣の巨体を取り囲んだ。

 獣は実体のない霧を掴もうとしたが、当然ながら触る事が出来ない。

 同様に、霧は自由に動き回るとはいえ、獣を拘束することは出来ない。相手が知能を持たない獣だからこそ出来る足止めだった。

 ――だが。

「…………ッ!?」

 獣がもがいた際に、たまたま目が合った。

 この得体の知れない悪戯をしたのがリーエだと気付いたのか、獣は目を細め、唸り声を上げてリーエを見定めた。

 もし、足に絡めた根を外せば、当然ながら下へ落下する。同時に、操っていた霧も文字通り霧散するだろう。

 ――となれば、選択肢はただ一つ。

 リーエは更に手を動かし、獣の目元を覆うように霧の蛇を操った。

 目障りとばかりに獣は腕を振るい、翻弄される。

 クロンはまだ目覚めない。

 リーエも霧を操るのに必死で、クロンを気にしている余裕が無かった。

 ――その隙を見計らってか、一つの影がクロンのいる籠車の傍の落ち葉に落下した。

 影は落ち葉から這い上がると同時に、獣に姿を見られることなく、素早く籠の中へ飛び込んだ。

「……え!?」

 リーエの脇目に映ったのは、クロンを担いで飛び出てきた――子供の姿。黒革で出来た軽い服装に身を包んでいる。その顔は、派手な模様が描かれた白い仮面と、すっぽり頭を覆うフードに隠され、表情を窺い知る事が出来ない。

 だが、リーエには、その姿に幾分か心当たりがあった。

(クロンが言っていた、仮面の子供……!?)

 仮面の子供は肩に担いでいたクロンを籠の脇の地面に落とした。その衝撃でクロンが小さく呻く。

「ソコノ女! コノ者ヲ連レ、直グニ都ヘ行ケ!」

 男とも女とも解らぬ無機質な声。

 リーエは一瞬圧倒され、更に躊躇した――が、その仮面から覗く二つの蒼い光が、真っ直ぐにリーエに訴え、一度だけ瞬いた。

 ――任せろ、と。

 リーエは頷き、逆さになった身体を折り曲げて起こすと、足首に巻きついた根を躊躇いもせずに鉤爪で引き裂いた。

 獣の頭上でまとまっていた霧は散り、獣はいよいよその頭上へと落ちてくるリーエに狙いを定める。

 リーエは目をぎゅっと閉じ、重力に身を任せた。

 仮面の子供は、おもむろに近くの巨木に手を触れた。すると、幹から縦に瘤のような隆起が浮き出て、それは蒼い槍となって分離した。

 仮面の子供は槍をしっかりと掴み、数回振り回して肩に構える。

 仮面がとった行動は、頭の後ろまで軽く腕を引き、前方へと振るうだけ。

 蒼い槍は一直線に放たれ――。

「――――グゥッ!!?」

 黒い獣の背中を穿つ。

 リーエは落ち葉から顔を出し、直ぐに露出した土の上へと転がり出た。

 籠の横に放置されたクロンの頬に手を触れる。特に怪我はなく、ほうっと溜め息を洩らす。

 リーエは、背後を振り返りつつ訊ねた。

「……あなた、一体――」

 ――が、そこには誰の姿も見当たらない。

 代わりに残されたのは、枯れ木と化したあの黒い獣だけだ。

 その胸元には、大きな風穴がぽっかりと空いていた。

2015/08/16 追記・修正

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