#10:尻尾
静寂で薄暗い森の中、三台の籠車を連結させた六頭立て馬車は、けたたましく落ち葉を撒き散らしながら大森林を駆け抜けていく。
音の発生源となる馬車の先端部分には、大きな二枚の分厚い板を前方で繋ぎ合わせ、船の船首のように尖らせたようなパーツが取り付けられている。それは車体の左右側面へと覆うように滑らかな弧を描いて続き、走行の妨げにならないよう落ち葉を綺麗に脇に退かす役目を担っていた。
クロンとリーエは、真ん中の籠の中で互いに向かい合う形で座っていた。座り心地はけして快適ではなく、揺れる度に尻に負担がかかる。
「……もう限界……。この堅い座席でお尻がどうにかなりそうだわ」
リーエは一旦立ち上がろうとしたが、たまたま揺れた拍子にクロンの方に倒れ込みそうになったので、慌てて座り直した。
「もう少しの辛抱じゃないか」
と、首からぶらさげた懐中時計を確認したクロンだったが、思わず顔を引きつらせる。
「……えーと、四時間ぐらいかな。…………経過したのが」
「どこがもう少しよ! 半日はかかるのよ!? あと八時間もあるじゃない!」
そんなリーエの叫びも、落ち葉の音にかき消されていく。
やりきれなくなったリーエは、尻尾に痕がついていないか気にし始めた。
「……そう言えば、クロンの尻尾って、まだ生えてこないの?」
リーエから向けられた唐突な質問に、クロンは目を泳がせた。
「な、ないわけじゃないんだけど……短すぎて見せられないんだ」
後半の言葉は、かろうじて聞き取れるぐらいの小さな声だった。
「そんな恥ずかしがる程のものでもないじゃない。人間と変わらないわよ」
「『だから』恥ずかしいんだよ……」
今頃は、既にリーエぐらいの長さになっていてもおかしくはない尻尾。
そもそもクロンは体躯も小さく、あらゆる部分で年下のリーエに劣るのは、未成熟のようで恥ずかしかった。
そのせいで、ズボンに尻尾穴を空けた事もなく、ましてや人間と間違われるような姿では、クストスの血を引く者として正々堂々と誇れない。
「……だ、大丈夫よ。血が半分だけだから、ちょっと遅れてるとか」
「無理に慰めなくたっていいよ……」
突然振った話題が原因でクロンが落ち込みそうなので、リーエは慌てて話題を変えることにする。
「えーと……あ、そうだ。クロンの尻尾って何色? 形は?」
「…………」
結局、突いて出た言葉が同じ尻尾の話題だったので、クロンは冷たい眼差しを容赦なくリーエに浴びせた。
「……わ、悪かったわよ。……でも、幼馴染みとしては、そういうの、気になっちゃうじゃない」
クロンは、長い溜め息を盛大に吐き出した。
「…………ぼくだって気にならないわけじゃない。何年か前からキミがぼくの身長を追い抜いてから、木の芽みたいな尻尾が早く伸びないかなってずっと思ってたし。
本当だったら、子供の頃からズボンの後ろに穴空けて外に出すでしょ? ぼくにはずっとそれがないから、劣等感を感じてたんだ」
リーエは、「木の芽」という表現に笑いだしたいのを必死に堪えながら言葉を選んだ。
「だ、誰しも均等に成長するとは限らないわよ。あなたが二十歳になる頃には、立派で大きな尻尾が生えてて……もしかしたらその耳も、凄いことになっているかもしれないわ」
「……そうかな?」
「うん。多分」
クロンは不安そうにリーエの瞳をじっと見つめた。
リーエも自信たっぷりに見つめ返すのだが、どうにもクロンの尻尾を想像すると堪えきれなくなり――。
「ぷっ……アハハハハハハッ!」
とうとう腹を抱え、足をバタバタさせながら笑い転げてしまった。
「リーエッ!!」
クロンは顔を真っ赤にし、ヘラヘラと笑う幼馴染みの頬をぐいぐいと引っ張ったが――。
そんなことをしなくても、彼女の顔はしばらく緩みっぱなしだった。
2015/08/16 追記・修正