第75話 男
当初の予定とは違ってしまったもののこれで柏木さんが進級できなくなる心配はなくなった。
俺は大学を出ると柏木さんに依頼完了の報告をメールで送る。
するとすぐに柏木さんから返事が届いた。
[鬼束さん、ありがとうございます。
私は今大学近くの寮にいるのでどこかでお会いできますか?
依頼料の十万円をお渡ししたいので。]
「お姉さん、なんだって?」
とあきらが俺のスマホを覗き込む。
あきらは既に透明ではなくなっていた。
「今から会いたいそうだ」
「ふーん。それでヤマトさん、お姉さんになんて説明するの?」
「そうだな、どうするか……」
葉加瀬甚六の弱みを掴むつもりが結局殺してしまったからな。
女子トイレを盗撮していたという事実を突きつけたらいなくなってしまったとでも言っておくか。
この後メールをやり取りして柏木さんと落ち合う場所を決めると俺とあきらはそこに向かった。
◇ ◇ ◇
「こんにちは、鬼束さん。あきらさんも一緒だったのですね。こんにちは、あきらさん」
「お姉さんこんにちはー」
「あきらがどうしても東京に来たいって言うから仕方なくね」
「お二人とも申し訳ありませんでした。わざわざ寮までやってきていただいて」
「いや、気にしないで」
俺たちは柏木さんの住む学生寮の前で待ち合わせをしていたのだった。
柏木さんは自分が出向くと言ってくれたのだが、あきらがついでだから大学の学生寮というものも見てみたいと言うので結果そうなった。
「それより依頼の方なんだけどさ、メールでは完了って書いたけど実を言うとほんのちょっとだけ困った事態になっちゃったんだよね」
「困った事態、ですか?」
「ああ。実は葉加瀬教授は大学の女子トイレを盗撮していたみたいなんだ」
「ええっ!?」
柏木さんが口を押えながら声を上げた。
かなり驚いたのだろう、初めて見る顔だ。
「そのことを葉加瀬教授に問い詰めたら葉加瀬教授は逃げ出しちゃったんだよ」
「そうそう。もうあっという間に廊下を走って行っちゃったんだ」
あきらも俺の話に真実味を持たせようと嘘をつく。
「そんな……盗撮をしていたのですか? 葉加瀬教授が……」
「そんなわけだからまあ、柏木さんの件に関してはもう問題ないと思うけど葉加瀬教授の行方に関してはちょっとわからなくなっちゃって」
「そう……ですか」
ショックが大きかったのかただ一点をみつめている柏木さん。
「多分隠しカメラはまだ大学の女子トイレ内にあると思うから、柏木さんから大学の職員の人にでも言ってもらえると助かるんだけど」
「はい……わかりました。話してみます」
「うん、ありがとう」
柏木さんはしっかりしていそうなので任せておくことにした。
今後この件が警察沙汰になるかどうかは大学次第かな。
「ではこれ、約束の十万円です」
そう言って柏木さんは銀行名の書かれた封筒を差し出してきた。
「はい、じゃあ確かに」
俺はそれを遠慮なく受け取ると中身は確認せずにズボンのポケットにしまい込む。
「いろいろとお世話になりました。では早速私はこれから大学に行ってきます」
「うん」
「またね、お姉さん」
「はい。あきらさんもありがとうございました」
柏木さんはあきらにも丁寧にお辞儀をしてから大学の方へと歩いていく。
途中一度振り返って俺たちに向かい頭を下げるとまたゆっくりと歩き出していった。
「これで一件落着だな」
「そうだね」
言いながら俺たちは柏木さんとは逆方向に歩き始める。
「あきら、大学はどうだった? 楽しめたか?」
「うーん、まあそうだね。雰囲気はなんとなくわかったよ」
あきらは十二歳。
まだ義務教育を受けている年齢だが学校はどうしているのだろう。
今日は平日だから学校は休んだのだろうか。
俺の隣を歩くあきらを見下ろしつつそんなことを考えていると、
「そういえば全然関係ないけど、さっきの大学で殺人者を見かけたよ」
ふいにあきらが口にした。
「えっ!? 殺人者っ?」
「うん。ほら僕たちが廊下で待ってる時、教授室から四人の学生が出てきたでしょ。その中の一人の男の人が殺人者だったよ」
「マジでっ? なんでわかるんだよ?」
「だって僕、殺人者感知呪文常時発動してるから」
「そういうことは早く言えよっ」
教授室から出てきた学生ってことは柏木さんと同じゼミの人間ってことじゃないのか?
柏木さんのそんな近くに殺人者がいるのに放っておくのはまずくないか?
今からでも戻っていっそのこと殺しておいた方がいいんじゃないか?
「その必要はないよ」
俺の心を読んであきらが言う。
「その男の人、あのお姉さんに対して危害を加えるつもりはなさそうだったし」
「だからって――」
「それに向こうも僕たちに気付いてたみたいだしね」
「何っ?」
するとその時だった。
「驚いたぜ。まさか殺人者と大学内で遭遇するなんてな。しかもそれが同時に二人もだとはな」
後ろから男の声が聞こえた。
振り返るとそこにいたのは葉加瀬甚六の教授室から出てきた学生のうちの一人の男だった。