第37話 依頼
[はじめまして、わたしは佐々木といいます。
今わたしにはとても憎い相手がいます。それはわたしがつい最近まで勤めていた会社の課長です。
その男の名前は門倉健吾といいます。
門倉は妻子がいるにもかかわらずことあるごとにわたしをしつこく夕食に誘ってきました。
直属の上司なので断るのも難しく、わたしは嫌々ながら二人きりの食事に何度も行きました。
ですがつい先日門倉の奥さんが会社に乗り込んできてわたしを見るなり「この泥棒猫っ!」と掴みかかってきたのです。
男性社員が間に入って止めてくれましたが社内は一時騒然となりました。
警察を呼ぼうという話も出たのですが会社側が渋り、わたしが門倉の奥さんを許すという形でその場を収めることになりました。
門倉の奥さんが帰ったあと門倉とわたしは部長室に呼ばれ事情を訊かれることになり、まずは門倉が説明を始めました。
すると門倉はすべてをわたしのせいにしたのです。
わたしはもちろん反論をしました。
しつこく誘ってきたのは門倉さんの方です、と。
なのに部長はわたしの話は一切信用せずに門倉の意見だけをうのみにしたのです。
部長は門倉と親交が深かったので一平社員のわたしではなく門倉の味方をしたのだと思います。
数日後わたしは窓際部署へ異動させられました。
周りからは好奇の目で見られ、出世も見込めず友達もいない部署でわたしは毎日門倉を恨みながら仕事をしています。
……もういい加減頭がおかしくなりそうです。
どうかわたしの力になってください。お願いします。]
とても今打ち込んだとは思えないくらいの長文のメールが俺のスマホに送られてきた。
「マジで依頼が来ちゃったよ……」
俺は驚きながらもう一度メールを読み返してみる。
だがこの文面を読んだだけでは佐々木さんという依頼主が俺に何をしてほしいのかよくわからない。
「どうするかな、これ……」
こんなメールは無視してさっさとメールアドレスを変更したほうがいい。
俺はそう思うも、頭の片隅では門倉という男に対して怒りのようなものもふつふつとわいていた。
「……う~ん……」
スマホを眺めながらうなること一分、俺の指は自然と返信ボタンの上に移動していた。
◇ ◇ ◇
メールを二、三度やり取りした結果、運がいいのか悪いのか佐々木さんが思いのほか近くに住んでいることがわかると俺たちは喫茶店で顔を合わせることにした。
俺はマスクをして帽子をかぶり軽く変装をしてアパートを出た。
初めはサングラスもかけていたのだがアパートの前でたまたまばったり出会った美紗ちゃんに「鬼束さん、その恰好、どうかしたんですか……?」と不審がられたのでサングラスだけは部屋に置いてきた。
◇ ◇ ◇
喫茶店に入ると佐々木さんらしき人はまだいなかった。
そこでとりあえず店の奥のテーブル席に腰を下ろすとホットコーヒーを注文して待つ。
しばらくしてから運ばれてきたホットコーヒーに息を吹きかけそっと口をつけた時だった。
カランカラン。
一人の女性が慌てた様子で店に入ってきた。
思わず二度見をしてしまうほどの美人だった。
その女性は息を切らしつつ腕時計を見てから席を見渡す。
俺はもしやと思いわかりやすく「ごほん」と咳ばらいを一つした。
するとその女性はやはり佐々木さんだったようで、俺のもとへと小走りで駆けてくると深々と頭を下げる。
「お待たせしてすみませんでしたっ」
シャンプーの匂いだろうか、長い髪が揺れたあとにバラの花のいい香りが俺の鼻孔をくすぐっていった。
「いえ、待ち合わせの時間はまだですよ。俺が早く着いただけですから」
実際その通りで待ち合わせ時刻までにはまだ十五分も余裕がある。
お互い緊張からか早く来すぎたようだ。
「わたし佐々木久美子です。鬼束さん、ですよね?」
「はい。えっと、とりあえず座ってください。立っていると目立つので」
「あ、すみませんっ」
佐々木さんはいそいそと俺の対面に座る。
「あらためて、鬼束です」
「佐々木久美子です。この度はわたしの話を聞いてくださって、その上会っていただけてありがとうございます」
「いえ」
ここで店員さんが注文を訊きにやってきた。
佐々木さんは店員さんにホットココアをお願いする。
「それよりメールでは詳しいことは書いていませんでしたよね。率直に佐々木さんは俺に何をしてほしいんですか?」
俺が訊ねると、佐々木さんは店員さんが奧の厨房に入ったのを確認してから俺の目をしっかりと見てこう言った。
「門倉健吾を抹殺してください」