第26話 ストーカー
「何か用ですか?」
「ぅへぇっっ!?」
背後から近付いてそっと声をかけると電信柱の陰に潜んでいた男は奇声を発し跳び上がった。
そして、
「な、な、な、な、なんでっ……!?」
こっちが引くくらい動揺し声を震わせる。
「こんなところで何をしているんですか?」
俺は努めて冷静に男に訊ねた。
男は闇夜に紛れるためか全身黒ずくめの恰好をしていた。
「な、な、何って別に……あんたには関係ないだろっ」
「でもさっき俺の部屋を覗いてましたよね」
「そ、そんなことないっ……」
「いやいや、さっき俺と目が合ったでしょ」
この数週間の間にいくつもの死線をくぐり抜けてきたからか、俺は恐怖心というものが薄れているのかもしれない。
怪しい男に対して一歩も引くことなく問い詰めていく。
「……」
「何の用かって訊いてるんですけど」
自分より十センチ以上背の低い相手ならなおさら強気に出られるというものだ。
男はしばらく目を泳がせていたが次の瞬間、
「……っ」
突然走り出した。
「あっ、こらっ」
不思議なもので逃げられたら追いかけたくなるのが人間の本能なのか、俺は一時も迷わず男のあとを追った。
常夜灯の明かりだけを頼りに暗い歩道を一分ほど追いかけっこしたところで男は急に失速した。
そして観念したのか、
「す、すいませんでしたっ……はぁっ、はぁっ……」
追いついた俺に向かって頭を下げた。
学生時代以来の全力疾走にもかかわらず俺の息はあまり乱れてはいない。
もしかしてこれもレベルが上がっている恩恵なのか、と考えつつ俺は男の目をじっと見据えた。
「ふぅ~……なんで俺の部屋を見ていたんですか?」
「そ、それは……はぁっ、はぁっ。見ていたのはあなたじゃなくて、はぁっ、はぁっ……清水美紗さんですっ」
予想外の言葉が男の口から出てきたので少し戸惑う。
「え、どういうこと、ですか?」
「すいません、はぁっ、ちょっと待ってください……息が苦しくて……」
手を前に出し苦しそうな顔を見せる男。
多少腹が出っ張っているので運動不足なのかもしれない。
この男の言うことを聞いてやる義理などないが、もう逃げたりはしないだろうから少しだけ待ってやることにした。
一分後――
「ぼく今浪人生なんですけど、毎日つらくてつらくて……でもそんな時図書館で彼女を見かけて、生きる希望が湧いたっていうか、頑張ろうって気になれて……」
「うん。それで?」
「彼女のことを……好きになりましたっ」
「あーそう」
話を聞く限りこいつはいわゆるストーカーって奴なのだろうか。
「なんで美紗ちゃんの名前知ってるの?」
「彼女が借りた本を見たら名前が書いてあったので、それで」
「なんで住んでいる場所も知ってるの?」
「な、何度かあとをつけたので」
間違いない。ストーカーだこいつ。
まいったな……また微妙なラインの悪人だ。
「あのさこれは正直に答えてほしいんだけど、美紗ちゃんに危害を加えるつもりある?」
俺は核心を突く質問をした。
もしイエスならば当然ただではおかない。
が、
「な、ないですないです、本当ですっ。ぼくはただ遠くから見ているだけで勇気をもらえるのでっ……」
涙目で必死になって弁解する男の姿は俺に同情心を湧きあがらせた。
「はぁ、そんなこと言ってもやってることはストーカーだよ。まあ今回は大目に見てもいいけどさ、二度と美紗ちゃんの周りをうろつかないって約束してくれる?」
「は、はい、もちろんですっ」
「じゃあもう行っていいよ」
俺の判断で許すというのも美紗ちゃんには悪い気がするが実害が出ていない以上いいだろう。
「はいっ、ありがとうございました。失礼しますっ!」
声のボリュームを間違えてるだろというくらい大きな声で返事をした男は回れ右して振り返る。
とその時何かがチャリンと地面に落ちた。
「あっ……」
「なんか落ちたぞ」
「あ、いいですいいですっ、自分で拾いますからっ」
と言い切る前に俺はそれを拾い上げていた。
「鍵か、これ」
「あ、そうなんです、ぼくのうちの鍵ですっ。すいません返してもらえますかっ」
「ああ」
返そうとしたところで俺はあることに気付く。
拾い上げた鍵はなぜか見慣れた形をしていた。
妙に感じて裏っ返すとそこには部屋番号202の数字が書かれている。
これ……美紗ちゃんが失くしたって言ってた清水さん家の鍵っ!?
「おい、これ――」
「うあぁぁー!」
顔を上げた刹那、男が豹変したように叫び声を上げ飛び掛かってきた。
「くっ、こい……」
「うああ、返せこの野郎ー!」
不意を突かれた俺は馬乗りになられてしまう。
男はその勢いに任せて殴りかかってきた。
窮鼠猫を噛むを字で行く男は俺に反撃のチャンスを与えず、がむしゃらに拳を打ち下ろしてくる。
「うあぁぁーっ!」
ゴッ。
「うあああー!」
ゴッ。
ガードの隙間から時折り顔面に拳が飛び込んでくる。
まずい……完全に油断した。
鈍い音がするたび俺の意識は遠のいていく。
人を殴ったことなどないのだろう、限度を知らない男は攻撃をやめる気配がまるでない。
「うあぁぁぁー!」
ゴッ。
「うあああぁーっ!」
ゴッ。
……全身から力が抜けてさすがに考える気力もなくなってきた頃だった。
「うああぁぁぁあがっ……!?」
男の叫び声が止まった。
そして俺のお腹から男が崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……鬼束さん大丈夫ですかっ!」
「……み、美紗ちゃん……?」
俺は半開きの目をなんとか見開き美紗ちゃんの姿を確認する。
美紗ちゃんは俺の部屋から持ち出してきたのだろう、見覚えのある金属バットを両手で強く握り締めていた。
カランカランッ。
その金属バットを投げ捨てると美紗ちゃんが俺に駆け寄る。
「鬼束さん、目を開けてっ! 回復呪文を早くっ!」
目は開けているつもりだが美紗ちゃんには閉じているように見えるのか?
そんなどうでもいいことを考えながらも、
「……ク、クフイカっ……」
俺は回復の呪文を発したのだった。