第73話 『行き止まり』を越えて
裏・上層の探索を開始してから、もうどれほどの時間が経過しただろうか。
「──ハッ!」
「キィィィッ!」
天井から襲い掛かってきたブラッドバットの群れを掃討し終えた私は、周囲に散らばる魔石を一応回収しながらリスナーに問いかけた。
「いや、確かに裏・上層が広いとは事前に聞いてましたけど……思っていたよりも遥かに広いですね。今の私ってどのくらいの進行具合なんですか?」
〔かなり速いよ!?〕
〔ぶっちゃけわからん〕
〔表の上層もたいがい複雑な構造だったけど、裏の上層はさらに入り組んでてマジでわからんのよなぁ…〕
どうやら色んなダイバーの配信を追っているリスナーにも、今の私がどの辺りにいるのかはわかっていないらしい。
実際このエリアの地形は無数の部屋と通路がアリの巣のように入り組んだ構造をしており、一つの部屋から続く通路は四方八方どころか上下にも伸びている。
今居るような小部屋も既に二十個は確認しているし、普通のダイバーならこの暗闇のせいで迷ってしまってもおかしくない。
一応、魔力の流れを感じ取ることができる私は、ダンジョン全体に流れる魔力の源泉である境界に確実に近づいているはずなのだが……
「……あっ、オーマ=ヴィオレットさんだ! いつも応援してます!」
「えっ!? ホントだ! 配信いつも見てます!」
「あ、ありがとうございます! お互い頑張りましょう!」
「はい! 配信前に会えた時はよろしくお願いしまーす!」
「あ! そうだ、向こうの通路は……あっ、いえ何でもないです! また今度ー!」
「? はい、また今度」
探索するダイバーが集中している裏・上層では、彼女達のような他のダイバーと出会う事も珍しくない。
その際は今のようにお互いの配信を邪魔しないよう、最低限のやり取りを交わして直ぐにそれぞれの探索に戻るのがマナーだが、その際にちょっとした情報を共有することもある。大抵は付近に潜む脅威を知らせ、不慮の事故が起こらないようにする為だ。
最後に何か言おうとした女性もその類だったのだろうが、結局具体的な事は言わずに去って行ってしまった。
(さっきの女性が視線を向けていた通路は……あぁ、そういう事か)
チラリと小部屋から無数に分岐する通路の一つに対して視線を向けてみれば、そこはまさに私が目指していた標的の存在する道だ。
必然、彼女が私に何を伝えようとして、そして何故それを取りやめたのかを理解する。
(何があるのかをあそこで発言してしまえば、私のリスナーにもそれが伝わってしまう。対処できる程度の脅威はダイバーにとって程良い取れ高でもあるため、そういった配慮をしてくれたのだろう)
「さっきの女性が見ていたのはあの通路ですね……ちょっと気になりますし、行ってみましょうか!」
通路の先から感じる大きな魔力は未だ健在。
(多少配信が盛り上がると良いんだけど……)
少しばかりの期待と不安、そして好奇心とともに私は標的──デッドエンドスパイダーの待つ通路へと足を踏み入れたのだった。
「──なるほど、『行き止まり』とはこういう事でしたか」
通路を進んで数分。私の前にそれはいた。
デッドエンドスパイダー……その名の意味を直訳すると、『行き止まりの蜘蛛』。
私はその名を聞いててっきり、『その魔物が強すぎて先には進めない』……そんな脅威に対する畏怖から名付けたものだとばかり思っていた。
しかし、もっと単純な話だったのだと言う事が、その姿を見てよくわかった。
「通路をびっしりと覆う糸の『幕』……確かに行き止まりと表現しても良さそうです」
〔でかすぎんだろ…〕
〔こういう巣を張る蜘蛛いるよね〕
通路の幅は約5m。そして天井までの高さは約8m程。
それだけのスペースをびっしりと塞ぐ巨大な幕のような巣の中央に、これまた巨大な蜘蛛が一匹張り付いている。……目視だが、その全長は4m程だろうか。苦手な人が見たら、絶叫モノの光景だな。
「ギチギチ……」
上下逆さまの状態で蜘蛛の巣に張り付いている為、私の目とほぼ同じ高さに存在するデッドエンドスパイダーの顎が、不快な異音を発する。
私に警戒を強めたのか、それとも逆に警告のつもりなのか……どちらにせよ、私の目的は変わらない。
「さぁ、噂に聞く実力を確かめさせて貰いましょうか」
(そして……あわよくば私の配信に撮れ高をよこせ!)
本心は胸に秘めつつ、落ち着いてレイピアを構えたその瞬間──
「むっ……!?」
〔いつの間に!?〕
〔まずい武器が盗られる!〕
気が付けば、レイピアの先端に白い糸が付着していた。糸の反対側はデッドエンドスパイダーの腹部の先端に繋がっているのが、魔族の眼にはしっかりと映っていた。
そしてこちらに向けて反っていた腹部が糸を引っ張ると、凄まじい力でレイピアが引き寄せられる。あわや私の身体ごと持ち上がろうという寸前で、私は何とか左手をレイピアに添える事が出来た。
「──【エンチャント・ヒート】!」
〔セーフ!〕
ローレル・レイピアが纏った炎が、その身に絡みついた白糸を焼き切る。
そしてそのまま炎は糸に引火し、まるで導火線のようにデッドエンドスパイダーの腹部に迫ったが……
(! 自ら糸を切った……やっぱり、トラップスパイダー以上に知能が高いらしいな)
奴は自分から糸を切断する事で、炎が自分の体に到達するのを防いで見せた。
しかし──
「これで私のローレル・レイピアを奪う事はできませんよ。次はどうしますか?」
〔あいつ奪った武器をその場で嚙み砕くからな…危ないところだった〕
炎を纏ったローレル・レイピアは奴にとって弱点であると同時に、糸を受け付けない守りをも備えている。
奴にとって天敵とも呼べる燃えるレイピアがランプよりも周囲を明るく照らし、甲殻に守られたその巨体を鮮明に照らし出した。
(全身を守る甲殻……まるであの巨大ダンジョンワームを思わせるが、感じる魔力からあいつほどの強度は無いと見た!)
「来ないのであれば、今度はこちらから行きますよ! ──【ブリッツスラスト】!」
強化された踏み込みにより、彼我の距離は一瞬でゼロとなり──デッドエンドスパイダーが反応するよりも早く、燃え盛るレイピアの一突きがその胴体を捉えた。が……
「!」
「ギチッ……!」
〔防がれた!?〕
突き入れたレイピアがデッドエンドスパイダーの甲殻を穿つ事はなかった。
これは奴の纏う装甲が、あのダンジョンワームと同じくらい硬かったから──ではない。
(威力が吸収された!? ──そうか、後ろの蜘蛛の巣が伸縮して……!)
体表を覆う分厚い装甲と、蜘蛛の巣のクッションによる二重の防御。もっと深くまで突き入れる事が出来ればクッションも意味はなくなるのだろうが、レイピアの射程ではそれも難しい……か。
見たところ装甲は不燃物のようだし、燃やす事も難しそうだ。
(正攻法を考えるなら、先ずは奴が張り付いている蜘蛛の巣を燃やす。そうすれば防御の一つは失われ、こちらの攻撃をデッドエンドスパイダーに直接叩き込める……)
──と言うのが、普通のダイバーの考えだろう。
炎属性の魔法や火種の投擲など方法も様々で、燃料式のランプを使うダイバーであれば上層の環境から考えて火種にも事欠かない。きっとこの魔物を倒すダイバーのほとんどがこの手法を選ぶ事だろう。
……しかし、私は敢えてその正攻法は選ばない。何せ、もっとシンプルで──もっと豪快な方法を思いついてしまったからだ。
「──【エンチャント・ゲイル】!」
〔ここで風!?〕
〔巣を燃やせばいいんじゃ…〕
レイピアの纏っていた炎を散らし、代わりに風が渦を巻く。
そうしている間に、デッドエンドスパイダーは巣に張り付いたまま、鋭い前足の先端をこちらに向けて突進してくる。引き伸ばされた巣が元に戻る勢いを利用しているらしく、凄まじいスピードだ。
そして──
「はぁっ!!」
〔流石の足捌き〕
〔カウンター上手い!〕
私はデッドエンドスパイダーの前足の刺突を回避し、隙だらけの背中に寸分狂わずカウンターを叩き込んだ。
纏った風が暴風を生み、デッドエンドスパイダーの身体を大きく弾く。
伸縮性に優れた蜘蛛の巣は、ミシミシと異音を立てながらもその勢いを殺し切り──先ほどよりも高速でデッドエンドスパイダーの身体を私の方へと送り出してくれた。
〔あっ(察し〕
「とどめです! ──【螺旋刺突】!」
三度捉えた胴体の装甲。
しかしそこに集中する突きの威力は、先程までの二発とは比較にならない。何せ、自分から勢いをつけて飛び込んだのだから。
忽ちにして装甲に入った亀裂は、レイピアを突き入れられた一点を中心に蜘蛛の巣状に全身に広がり──その巨体をバラバラに砕いた。
「ふむ……まぁこんなものでしょうね。流石に悪魔や巨大ダンジョンワームとは比較になりません」
〔比較対象がおかしいw〕
〔あれと比べたらなんでも雑魚よ〕
〔力isパワーな戦いだったw〕
デッドエンドスパイダーをあっさり倒した事で、多少なりともコメントが盛り上がる。撮れ高を意識して、わざわざ豪快な倒し方を選んだ甲斐があったというものだ。
「っと、そうでした! 魔石を回収しなければ!」
思い出して、私は足元に転がる魔石を拾い上げる。
実はこの魔石にもちょっと気になっていた事があったのだ。
以前、配信に書き込まれたコメントでクリムは言っていた。『魔石は安かった』と。しかし、これは普通に考えればおかしいのだ。
私がレイドバルチャーの魔石を換金した際に高値が付いた事からもわかるように、『新種の魔物の魔石』は研究資料として特別な価値が付けられる。
だというのに、デッドエンドスパイダーの魔石が安かったと言う事は──
(……やっぱり、か。サイズこそ少し大きいが、トラップスパイダーの魔石にそっくりだ……)
中層で何度も狩り、手に取って来たからこそ解る。
この魔石の質は、トラップスパイダーとそれほど変わらない。
「……ちなみに、この魔石ってどのくらいの値段で換金されるものなんですか?」
〔確か3,000円だっけ?〕
〔ピッタリ3000円〕
「相変わらず割に合いませんね……」
トラップスパイダーが1,800円だったから、二倍にもなっていないのか……実力で言えば中層の魔物以上の強さだというのに。
「蜘蛛形の魔物の共通点って事なんでしょうかね……。とりあえず、この巣を燃やして先に進みましょうか──【エンチャント・ヒート】」
元々裏・上層に来たのは金稼ぎが目的ではなかったのだからと意識を切り替え、通路を塞いでいる蜘蛛の巣の幕を炎を纏ったレイピアで燃やして道を拓く。すると──
(っ! 魔力の流れが急に濃くなって……!? そうか、あの幕のせいで境界からの魔力が堰き止められていたのか……!)
開いた道の奥から濃密な魔力が流れてくる。
そして、途端に近くに感じるようになった境界の気配。どうやら今の蜘蛛の巣が境界への道を塞いでいたようだ。
(ここにデッドエンドスパイダーが巣を張ったのは偶然なのか……? それとも──)
思い返してみれば、クリムが最初に裏・中層への境界を見つけたのも彼女がデッドエンドスパイダーを倒した後の事だった。
この事からも、彼女がデッドエンドスパイダーが張っていた巣の奥に向かった先に境界があった事は明白だ。
(何かが……何かがおかしいぞ、この裏・渋谷ダンジョンは……!)