第72話 いざ、裏・渋谷ダンジョン
「──あ! オーマ=ヴィオレットさんですよね!? 今配信準備中ですか!?」
「え? あ、はい。そうですけど……」
土曜日の午後。配信準備中の私を見つけた一人の女性が駆け寄ってきた。
身に着けている腕輪からダイバーである事がわかる彼女は、私の返答を聞いて目を輝かせると胸の前で両手を合わせて言った。
「やった……! あの、配信で言っていたエンチャントをお願いしたいんですけど──」
(ああ、またか……)
「すみませんが、今は無理です」
「えっ、何でですか!? 配信で言ってましたよね!?」
いそいそと腕輪に手を添えて武器を取り出そうとする女性ダイバーを片手で制すると、彼女は一転して強い口調で詰め寄ってくる。まるで話が違うと言いたげな様子だ。
しかし、私は別に意地悪で彼女にだけこう返した訳ではない。明確な理由があるのだ。
というのも──
「先ず落ち着いてほしいのですが、ここはまだダンジョンの外です……ロビーなので、そもそも魔法が使えません」
「……あっ」
そう。今私達が話していたのはダンジョン内ではなく、その入り口がある渋谷ダンジョンのロビーだ。ダンジョンの外では治安維持の為に腕輪の一部機能が制限されているので、ダイバーもスキルや魔法の使用が不可能となっているのだ。
まぁ私の【エンチャント】の場合は腕輪の機能ではなく私自身の魔法なので、実際は使う事はできるのだけど……そんな事が知られれば大問題なので、当然ながら『俺』以外には秘密だ。
「それと……これは一応配信でもちゃんと宣言したんですが、エンチャントの条件は『裏・渋谷ダンジョンにて配信開始前の私に話しかければ』なので、実際にエンチャントの条件を満たせるのは明日以降になりますね」
土曜日の午後。配信開始時刻を数分後に控えた私は今まで何人かのダイバーから同様の申し出を受けていたが、その度にこうして理由を説明して全て断っていた。
「うぅ……そっか……」
「すみません。正しく伝わってなかったようで……」
「あ、いえ! 私の確認不足だったので……!」
ともあれ、事情を説明したら直ぐに納得してもらえたようで安心した。
中には「ちょっとダンジョンに入ってエンチャントだけして欲しい」と食い下がるダイバーもいたからな……まぁ、他のダイバーも同じ理由で断っているのでと説得したら引き下がってくれたけど……
(これは一度、今日の配信開始時にエンチャントの約束について改めて説明をしておいた方が良さそうだ……)
少し落ち込んだ様子でダンジョンへ潜るダイバーの背中に少し申し訳ない気持ちになりながら、私は配信の準備を進めるのだった。
◇
「──皆さん、ごきげんよう! 今日は久しぶりにロビーから配信をお送りしております、オーマ=ヴィオレットです!」
〔ごきげんよう~!〕
〔ごきー〕
〔確かにロビーからの配信はデビュー時以来か〕
〔なんか新鮮〕
「確かに前にここで配信したのは初配信の時でしたね~……こうして考えると長かったような、短かったような……」
コメントの内容に、つい数か月前の当時の様子を振り返る。
あの時はダンジョンの成長直後と言う事もあって、このロビーは今よりも賑わっていたっけ。
実際、ダンジョン内にマーキングが残っている場合は腕輪の機能で転送してから配信開始するダイバーが殆どなので、ダンジョンの成長直後か新人ダイバー以外ではロビーで配信を開始する者はなかなかいないのだ。
(あの時に比べると静かだけど……あの時よりもずっと注目を集めてるな)
ロビーで働く職員さんや、今日が初配信なのだろう初々しいダイバーさんが、時折こちらにチラチラと視線を向けているのを感じる。
(私も有名になったんだな……)
同じ場所だからこそより一層感じさせられる当時からの変化に、ほんの数か月前の事を懐かしみながら探索前のトークタイムは始まった。
「──とまぁ、そんな勘違いが広まっていたので、この場をお借りして改めて説明させていただきました」
〔そんなことがあったんか〕
〔ちゃんと書いてあったのにね〕
〔まぁ実際に本人目の当りにしたら気が急いてしまうのもわかる気するわ〕
トークの締めくくりとして先ほどの出来事に軽く触れ、改めて約束の条件を説明しなおす。
特に『配信中や配信直後に話しかけてきてもエンチャントはしない』と言う事は念入りに伝えておいた。このままだと配信中に何度も話しかけられたり、配信直後に話しかけようとするダイバーに探索中ずっと後をつけられるなんて事になりかねないからだ。
「まぁ、私が自分の判断で使った方がいいと判断した場合にはその限りではありませんが、なるべくエンチャントはしないように立ち回るつもりです。簡単にエンチャントしてしまうと、不平等に感じる方も出てきそうですから」
〔せやなー〕
〔ヴィオレットちゃんの魔法なんだから『使え』とか『使うな』とか本来外野がとやかく言えないはずなんだけどね…〕
〔ちなみにエンチャントが必要ってどの程度の状況を想定してるの?〕
「エンチャントが必要と判断する状況ですか? ──うーん、そうですね……まぁ、『私が助けに入っても守り切れない』と判断するレベルの窮地に立たされているとか……」
〔それはもう詰みやw〕
〔今の渋谷ダンジョンで最強の自覚ある?w〕
〔腕輪で逃げられないなら死を覚悟するなぁそれは…〕
「流石にそんな状況に陥ることはそうそうないと思いますけどね! ……っと、そろそろいい時間ですね。それでは噂の裏・渋谷ダンジョンに潜ってみましょうか!」
〔おー!〕
「──さて、裏の入り口につきましたね」
〔流石の速さ〕
〔一度来た事あるから迷いも無かったな〕
浅層に潜ってから記憶を頼りにやってきた浅層の入り口には、二名のダンジョン協会の職員がそれぞれの武器を身に着けて駐在していた。
彼らは裏から漏れ出したトラップスパイダーが駆け出しのダイバーを害さないよう、ここでストップさせる使命を課せられてここにいるのだ。
駆け出しダイバーの腕輪がトラップスパイダーに封印されてしまえば、その危険は計り知れない……そう考えてもう随分と前に私が受付に申請していた提案は、こうして受け入れられていたようだ。
ただし少し退屈そうな彼らの様子を見るに、あれから時間も経った今となってはもう浅層にいるトラップスパイダーの数自体かなり減ってきているのかもしれないな。
「お疲れ様です! 通っていいですよね?」
「勿論です」
「どうぞどうぞ」
一応今でも経験が乏しいと判断されたダイバーは通れないらしいが、上層に潜れる程度の実力があれば良いらしいので私は当然通行を許可された。
そして当時よりも拡張と整備が施された穴を越えれば──
「久しぶりに来ましたね~『裏・渋谷ダンジョン』!」
〔おー〕
〔着いたは着いたけど…〕
〔新鮮味はあまりないな〕
〔まぁこの辺はあんまり雰囲気変わらないからな〕
『裏・渋谷ダンジョン』と大層な名前で呼ばれてはいるが、ランプで照らしながら周囲を見回しても、その様子は浅層とそれほど変わらないのが現実だ。
駆除が進んでトラップスパイダーも見当たらなくなった今となっては、この辺は正直ただの浅層と言っても問題はないだろう。
「うーん……リスナーさん達がいうように、この辺はまだ『裏』って感じがしないですね。さっさと裏・上層を目指しましょう。道を覚えている方がいれば、案内をお願いできますか?」
〔はーい!〕
〔任せて〕
正直この辺で探索しても得られるものはないだろうと言う事で、最短距離で裏・上層を目指して駆ける。
道中で遭遇する魔物も殆どはコボルトやゴブリンだ。一応トラップスパイダーも見かけたが、裏・上層への境界に到着するまでに出会ったのは一匹。もうほとんど駆除され尽くしたと見て良さそうだ。
「ではでは、早速行きましょう! いざ、裏・上層!」
〔軽く飛び込むなぁw〕
〔まぁ裏とは言え今更上層で緊張はしないかw〕
水面のように揺れる穴に軽快なステップを刻みながら飛び込むと、降り立ったのはやはり表の上層とそれほど雰囲気も変わらない洞窟。
しかし──
(お……? ちょっと強そうな魔物の魔力を奥の方から感じる……)
魔族特有の感覚でその魔力を把握する。
表では感じなかった魔力に加えて、どこか気配がトラップスパイダーに似ていることから、これがきっと『デッドエンドスパイダー』の魔力なのだろう。
(確かに上層に出てくる魔物としてはかなり強い……けど、やっぱり苦戦するような相手でもなさそうだなぁ……)
表の中層に出てくるダンジョンワームより少し強い程度だ。
聞いた話では、本来のダンジョンワームとは異なり硬い外殻を備えているそうなので対処法は変わるだろうが、それでも『行き止まり』と名付けるのはオーバーとしか言えないな。
……それとも、他に理由があるのだろうか。
(ちょっと気になるな……戦ってみるか)
裏・上層のお楽しみの一つとしてさっそく目を付けた私は、探索の過程でデッドエンドスパイダーを倒すことを決定。近くまで来たら自然な流れで会いに行くとしよう。
「──さて、それでは裏・上層にも到着したことですし、本格的に探索していきましょう! あ、ここからは案内は不要ですよ!」
〔了解~〕
〔今って一応裏・中層の入り口も見つかってんだっけ?〕
〔少し前にクリムちゃんが見つけてた。ヴィオレットちゃん程じゃないけど、すごい成長速度だよあの子〕
(へぇ……クリムちゃん、もうそんなに強くなってたんだな……)
デッドエンドスパイダーも倒したという話だし、既に表の中層程度なら余裕で探索ができる程度の実力を身に着けているはず……
実力を隠していた私とは違い、彼女は本当の意味での天才なのかもしれない。
探索頻度もかなり高いようだし、裏・渋谷ダンジョンの探索中にばったり遭遇することもあるかもしれないな。