第65話 親、襲来
「──そろそろ、ですかね……?」
「あ、ああ。多分な」
探索から一夜明けた、日曜日の午後。
これから客をあげると言う事でやたら綺麗に整理された部屋の中にて、私はチラチラとスマホに表示された時計を確認しながら『俺』にこれでもう何度目とも知れない確認を取っていた。
時刻はもうそろそろ午後の二時になると言ったところ。事前に両親からかかって来た電話によれば、そろそろ到着する筈なのだが……
「……あ、改めて設定を確認しておきませんか?」
「そうだな。先ずお前は──」
今回両親に自己紹介するに際して、私達は『オーマ=ヴィオレット』の設定を考えていた。
私が自己紹介するには自身の正体の事を含めて話す訳にも行かない事が多く、しかし何の説明もしないのでは両親も納得しないだろうからだ。
その最終確認をしているまさにその時だ。
──ピンポーン
と、インターホンのチャイムが鳴らされたのは。
「っ! き、来た……! 良いな? しくじるなよ……!?」
「貴方こそ、うっかり口を滑らせないでくださいね……!?」
昨日の巨大ダンジョンワームと戦った時以上の緊張を感じながら、二人で玄関まで迎えに行く。
そして扉を開くと──
「ひ、久しぶりだな……親父、おふくろ」
「……ああ。元気そうだな、斗真」
「本当に久しぶりね~。お正月くらい顔を見せても良いんじゃない?」
そこにはどこか懐かしく……そして、私の記憶とも少し違う両親の姿があった。
「──その子が、お前の『妹』か」
「ど、どうも……『オーマ=ヴィオレット』です」
「あっ、配信見たわよ! すっごく強いのね、貴女!」
「あ……ありがとうございます」
「と……取りあえず、上がってくれよ! 外はまだ寒いだろ!?」
「ふむ。そうさせて貰おう」
「おじゃましま~す!」
今は二月だ。これから春に切り替わっていく時期とは言え、外気はまだまだ冷たいと言う事で早いところ両親を部屋に通す事にした。
「──はい、お茶」
「ああ。ありがとう」
「ありがとね」
部屋の中央にある背の低いテーブルを挟み、両親と正面から向き合う形で座る私達。
(本当に、父さんと母さんだ……。少し緊張するけど、やっぱりもう一度会えると嬉しい気持ちもあるな)
「……? 何か?」
「あ、いいえ! 何でもないです!」
「ふむ……」
どうやらついつい見つめ過ぎてしまったようだ。気を付けないとな……
私が身振り手振りで気にしないで欲しいと伝えると、飲んでいたお茶をテーブルに置いて『彼』は私に視線を返した。
この、眼鏡をかけた恰幅の良い厳格そうな男性が『俺』の……そして、前世の私の父さんでもある『蒼木征士郎』だ。
前世の私が生きていた時よりも少し歳をとっている筈だが、寧ろ記憶よりも若々しい印象を受けた。
顔立ちや声から本人に間違いは無さそうだが、性格は私の知る父さんよりも厳しそうだ。……もしかしたら、病の私に気を使っていただけなのかもしれないが。
何故かじっと互いを見つめ合う状態になってしまい、視線を逸らすついでに父さんの隣に座る女性に視線を向ける。
父さんとはうって変わって穏やかそうな印象を与えるその女性が、同じく『俺』と前世の私の母さんである『蒼木実』……の筈なのだが……
(わ……若い!? ギリギリ20代でも通用するぞ!?)
「あら、今度は私?」
「あ、す……すみません。お二人共若々しいな、と……」
「ふふ、ありがとね。私達これでも元ダイバーだもの、多分そのおかげね」
「な、なるほど……」
母さんの言葉を聞いて、やはりレベルアップの恩恵だったかと納得する。
レベルアップは自分の理想像に近付く形で肉体を変質させる為、レベルが高ければ高い程容姿は整っていくし、年齢も全盛期の若々しさを維持できるようになる。
以前調べたところ女性がダイバーになる動機の半数近くは若さが目的と言う話だし、そう考えれば別におかしい話でもない。
ただ、記憶の母さんと見た目の年齢が違い過ぎて驚いてしまっただけだ。
そんなやり取りを交わしていると父さんが口を開き、重々しい口調で尋ねて来た。
「……さて、そろそろ本題に入ろう。『オーマ=ヴィオレット』と言ったね……君は一体、何者なのかね? 少なくとも私達には娘がいた記憶はないが……」
「う……」
覚悟はしていたが、正面きって詰め寄られると辛いものがある。
しかし、当然この程度の質問はシミュレーション済みだ。動揺は少なく、つらつらと用意しておいた設定を語る。
「実は──私には『兄さん』……蒼木斗真さんと会う以前の記憶が無いんです。一応『紫織』と名乗ってはいますが、それも本名と言う訳ではありませんし……」
『記憶喪失』。その便利な設定をベースに自分については隠しつつ、これまでの事をある程度正直に話した。
生活費を収める代わりに部屋に置かせて貰っている事を伝えた時は両親の視線が鋭く『俺』を射抜いていたが、私が収めているのは自分の収入の極極一部である事を伝えるとそれも和らいだ。
「かわいそうに……大変だったのね」
「い、いえ。そんな事は……」
同情的な母さんの視線に、少しばかり良心が痛む。
一方で父さんの方はまだ何か考えている様子だったが、やがて私ではなく『俺』に対して口を開いた。
「斗真。確認するが、生活に問題はないんだな?」
「ああ。学費も問題無く払えてるし、三食ちゃんと食べられてるよ」
「最近、何か近辺で変わった事は無いか?」
「俺が知る限りだと特に何も……まぁ、『オーマ=ヴィオレット』が有名になったくらい」
「ふむ……今後の事は考えているのか?」
「あなた。斗真が心配なのは分かるけど、そんなに詰め寄らなくても……」
矢継ぎ早に質問を投げかける父さんを母さんが窘めると、父さんは少し考えこむように目を瞑り……そして小さくため息を吐いて納得したように頷いた。
「……分かった。二人が納得し、生活にも悪影響が無いのであればそれで良い。……斗真も、もう一人で判断できる年齢なのだからな」
「この人も斗真の事が心配だったのよ。きっと肝心な時に頼って貰えなかったからムキになっちゃったのね」
「親父、お袋……ありがとう。紫織の事、伝えなかったのはゴメン。ちょっとタイミングも無くてさ……」
どうやら父さんはあくまでも私の存在によって『俺』が無理をしていないか、何かに巻き込まれていないかが心配だったようだ。
態度からそれが伝わったのか、『俺』も安心したように肩の力を抜いた。どうやら話は丸く収まったみたいだ。
「とにかく、斗真が問題無く生活できているようで良かったわ。これ、お土産。家族皆で食べましょう」
そう言って母さんが傍らの紙袋から四つ入りのお菓子をテーブルに乗せたのを見て、少しうれしい気持ちになった。
「ありがとう、母さん。……これは紅茶の方が合いそうだな。淹れるついでに食器取って来るよ」
「あら。それじゃあ私も手伝おうかな?」
「だ……大丈夫だって。そんな大袈裟なもんでもないだろ?」
「良いから良いから」
キッチンの方へと向かう『俺』と、それについて行く母さん。必然的に、テーブルには私と父さんだけが残される。
「えっと……美味しそうですね、このお菓子! 私、初めて食べます!」
「そうか。……近所の有名な店の物だ、きっと君の口にも合うだろう。斗真も好きだったからな」
「そうなんですね」
……駄目だ、話題が続かない。どうにもお互いにまだ距離感を掴み切れていないようだ。
少しの間私達の間に静かな空気が流れ……父さんが再び口を開いた。
「君のソレは……」
「はい?」
父さんが何かを聞こうとしたところで、私達の間にあるテーブルに食器が並べられた。
「二人共、紅茶が入りましたよ! 紫織ちゃんは砂糖とミルクは入れる?」
「あ、はい。お願いします」
「ええ。斗真も確か入れてたわよね?」
「え? あ、いや俺は自分で入れるから良いよ」
そのままてきぱきと軽食の準備が整えられ……気が付けば、父さんも再び口を噤んでしまった。
「ほら、貴方のも」
「ああ。ありがとう」
「じゃあ皆、いただきます!」
「「「いただきます」」」
一体何を聞こうとしたのかが少し気になったが……今はそんな雰囲気でもなくなってしまったので、大人しく組んでいた手を合わせて『いただきます』をすると並べられたお菓子をフォークで切って口に運ぶ。
「あ、美味しい! これ好きです!」
「まぁ、良かった! 近所の有名なお店の物なのよ」
剣呑な空気から解放された事もあってか、その後は中々に楽しいひと時だった。
両親は『俺』の大学の環境に満足気に頷いていたし、『俺』も両親の近況を聞いて懐かしむ表情を覗かせていた。
そのどちらについても詳しくない私ではあったが、それでも両親と『俺』について知る事が出来て嬉しくもあった。
そんな時間はあっという間に過ぎて行き……
「──もう帰るのか? 夕飯は鍋の予定だし、食べて行っても……」
夕飯も食べて行っていいのにと伝える『俺』に、すっかり安心した様子で二人は微笑みを返すと首を振った。
「いや、そこまで世話にはなれんよ。それに、鍋だと言うのなら私は酒が欲しくなってしまうからな」
そう言って車のカギを取り出して見せる父さんに、納得した様子の『俺』。流石に飲酒運転させる訳にも行かず、引き止めるのは諦めたようだ。お酒も買ってないしな。
「偶にはこっちにも顔見せてよね」
「ああ。いつか時間を取ってそっちにも顔を出すよ。……二人でな」
「!」
「うん、楽しみにしてるわ」
そんなやり取りを最後に、二人と別れる。
アパートの駐車場に停まっていた両親の車が遠ざかるのを見送ると、あれ程緊張していたのが嘘のように寂しさが込み上げてくるから不思議だ。
「──あの、さっき貴方が言っていた……」
「二人で実家に行くって奴か?」
「はい。……良いんですか? 私も行って。きっと貴方の知り合いにも顔を見られますよ、私」
「あー、その位今更だよ。この間の雑談配信で顔出してから、大学でも散々質問攻めにあったからな……もう慣れた」
「あ……その節はすみませんでした……」
「良いって。……まぁ、そんな訳だからさ、お前もそう遠慮するなよ? お前もあの二人の子供なんだから」
「──はい!」
◇
静かなエンジン音が響く車内。
久しぶりの息子との対面を終えた夫婦は、帰路につく車内で彼等の事で話していた。
「久しぶりに会ったけど、元気そうで安心したわ。あの子ったら、ダイバーになったのに配信もしないんだもの」
「そうだな」
「でも紫織ちゃんの配信に顔を出す事もあるみたいだし、チャンネル登録しておこうかしら」
妻から紫織の名前が飛び出したのをきっかけに、車を運転する夫──征四郎は妻に問いかけた。
「……お前は、あの紫織と言う子についてどう思った?」
「紫織ちゃん? 良い子だと思うわ。結構気が合いそう。……貴方は?」
「……そうだな、悪い子ではないと思う。しかし、妙な感覚も覚えた」
彼の脳裏に過ったのは、自らの事について話す『オーマ=ヴィオレット』の姿。……テーブルに置かれた彼女の両手が見せた、一つの『癖』だった。
『隠し事する時、左手の甲を右手で包み込む』……それは奇妙な事に、自身の息子である斗真の癖と完全に一致していたのだ。それを想起しながら、彼は独り言のように呟く。
「──まるで息子が増えたような気分だったよ」
「……ええ、そうね。いつか、きっと全部話してくれるわ」
「ああ」
斗真とヴィオレットは隠し通せたつもりだったが……他の誰よりも自分の子を応援し、見て来た二人にはやはり何か感じるものがあったのだった。