第53話 下層のダンジョンワーム
──カタカタ……
地面の振動に合わせて震える小石が音を立てる。
「! この揺れは、まさか……」
この振動の原因が、先程のダンジョンホッパーに呼び寄せられた魔物に起因するのは明らかだ。しかし、周囲を見回しても原因らしき魔物の影も見当たらない。
そうなれば、残る可能性は一つ……
(このままではマズい……!)
「──【エンチャント・ゲイル】! はっ!」
ダンジョンホッパーが鳴いたのはほんの数秒前だと言うのに、振動は既に大きな縦揺れへと変わり、カタカタと音を立てて震えていた私の周囲の小石は、地面に突き上げられているかのように跳ねまわっている。
このままではまともに立つ事も出来なくなると察した私は、早速ローファー風のスニーカーに風を纏わせてジャンプした。
振動から解放され、しばしの浮遊感。そして地面へと目を遣ったその時──
「キィィィィィィッ!!!」
地面が轟音と共に爆ぜ、土煙を裂いて無数の鋭い牙が並んだ口が迫る。
「ッ! くっ……!」
咄嗟に空を蹴って起こした風を利用し、空中でバックステップ。捕食攻撃から身を躱すと……攻撃してきた魔物の正体が明らかとなった。
〔あぶない!〕
〔デカすぎんだろ…〕
〔グッロ…〕
それはこの場所へ向かってきた勢いのままに地面から飛び出し、その全身の大半を露わにした巨大な魔物。途轍もないパワーとスピードを伴って飛び出したそれは、直ぐに高所へとジャンプした私の頭を越えて上空へと真っ直ぐに伸びて行く。
ついつい視線でその先端を追うと、その姿はまるで高く聳える肉の塔のように思えた。
だが違う。私は既にこの魔物に会っている。ただ単にそのスケールが規格外になっただけだ。……しかし、ただそれだけでこれ程のプレッシャーを放つほどになるとは──
「随分と、大きいんですね……下層のダンジョンワームは……」
「ギギィィィーーーーーーー!!」
〔もしかしてとは思ったけどマジでダンジョンワームなのかよコレ…〕
一体何を食ったら……と言うか、そもそも何百年生きればこうなるのか。
ここまでくると、もはやこれは別の魔物と称した方が早いだろう。感じる力も中層のダンジョンワームとは比較にならない。
〔コレは流石に逃げた方がいいだろ!?〕
〔特撮の怪獣みたいなサイズなんだけど…〕
「……いえ、まだ大丈夫……の筈!」
〔本気か!?〕
確かにあの巨体を前に私の握るローレル・レイピアを構えると、それが酷く小さな針のような錯覚に陥る。
分厚く弾力も備えたダンジョンワームの皮膚を越えてダメージを通すのだって、おそらく一苦労だろう。だが倒せない程ではない。皮膚が分厚くなり過ぎて、レイピアの刀身が貫けない程ともなれば流石に厳しいだろうが、見た所奴の直径は4~5m程。約1mの刀身が肉に届かない事はないだろう。
「──【エンチャント・ダーク】! やあぁぁぁッ!!」
空を蹴り接近。上空へと真っ直ぐ伸びたダンジョンワームに接近し、落下の勢いをも乗せた振り下ろしの一撃を放つ。
「ギイイィィィァァァアアアアアアアアア!!!!!!」
腹か背かも分からない細長い身体を二分するような一本の真っ直ぐな傷が刻まれると、ダンジョンワームは溜まらずに絶叫と共に暴れ狂う。
「──ふっ……!」
思わずニヤリと口元に笑みが浮かぶ。
遥かに巨大な怪物を、小さなレイピアの一振りであしらう爽快感。捕食する気満々で飛び出してきた相手の余裕を打ち砕く瞬間は、ついついその痛快さに高揚せずにはいられない。
「……っと、いけない。先ずは距離を取らないと」
空中で二度、三度と蹴りを放ち、のた打ち回るダンジョンワームの射程外へと避難する。
そして丁度良い所に生えていた結晶の上に着地すると、ダンジョンワームの動きに目を光らせる。
(ダンジョンワームは今ので全身が外に出たか。尻尾の動きにも気を付けないとな……)
傷口は広いが、奴の全長と直径を考えると恐らくは重症とは言えない。闇の魔力が定着して継続的なダメージを与えられているとは言え、あれだけでは止めに至らないだろう。
確実に倒す為にせめてもう一撃。それも急所に叩き込みたいが……奴もまた既にこちらに頭部を向けており、私の出方を窺っているようだった。
一瞬の硬直。互いに静観の姿勢を取った事で、魔物との戦闘中にも関わらず静寂が生まれる。
「ギキキィィーーーーーーッ!!」
「な……っ!?」
次の瞬間。奴はその静寂を自ら崩すように鳴くと、その顎を広げて地面へと突っ込んだ。そして、登場した時と同様に地面へと潜り……
「逃げ、た……?」
やがてその振動は徐々に遠ざかって行き……再び静寂が帰って来た。
〔ダンジョンワームって逃げることあるのか?〕
〔見た事ないぞ…〕
〔確かに〕
〔あいつ等って食う事しか考えてないと思ってた〕
コメントでのリスナー同士のやり取りに内心で同意する。
ダンジョンワームにあるのは単純な本能だ。食って、成長して、また食う……しかし、もしもそうやって多くの魔物を食い、そして長く生きた個体であれば……
(いや……我ながら、バカな考えだな。捕食者だからと言って、撤退しない訳でもないだろうに……)
一頭のライオンが無数の草食動物の群れに襲われて逃げ去る……そんな映像は、前世のネットにも溢れていた。今回のもそう。結局、生存本能に捕食本能が負けただけだ。ワームに知性が宿る筈もない……そう思う事にした。
「──さぁ、気を取り直して湖を目指しましょうか!」
〔もう目の前だしな〕
〔今日は結晶の湖に付いた辺りで配信終了って感じかな〕
「ん……そうですね。そろそろ良い時間なので、湖の畔にマーキングして……ちょっとだけ雑談して配信を終了しましょうか」
〔はーい〕
そんなやり取りをしながら探索を再開し、数分後。
先ほどのダンジョンワームが暴れた事で周辺の魔物が逃げたのか、その後は特に何の問題もなく湖に到着する事が出来た。
「はぁ……近くで見ると、これまた見事ですね……」
畔から湖を覗き込んで分かったのだが、どうやら湖底にも無数の結晶が生えているらしい。遠目には結晶の光を反射しているだけだと思っていたが、湖全体も薄らと光を放っているようだった。
さらに大きな音を立てて落ちる滝と、それが生み出す飛沫は、湖の中央に聳える巨大な結晶の光を受けてキラキラとダイヤモンドダストのように輝き、幻想的な景色を作り出している。
周囲に薄らと漂う霧と、ひんやりとした空気がその神秘性をより引き立てており、この湖が『特別な場所』なのではないかとすら錯覚してしまう。
〔すっご…〕
〔これ映えるなんてもんじゃないな…〕
〔ここに定点カメラ置いて欲しい〕
〔わかる〕
〔こんな場所が下層にはまだまだあるかも知れないのか〕
〔そう考えるとマーキングが一つしか出来ないの辛いなぁ…〕
「ですね……。まぁ、今は取りあえずこの場所を……──【マーキング】!」
この光景をもう少し見ていたくもあるが、今は取りあえずは当初の目的の一つである【マーキング】を達成する。
そして──
「この光景を前にしたら、やっぱりやっておくべきでしょう……自撮りを! ──【ストレージ】!」
〔良いなぁ~〕
〔私も行きたいけど色々な意味で行けないの悲しみ〕
腕輪からスマホを取り出し、結晶と滝を写す良い角度で先ずはパシャリと一枚。少し向きを微調整してパシャ、パシャと何枚か撮っていく。
「うーん……大体こんな感じですかね? どうですか?」
〔めっちゃ良い!〕
〔無加工でこれか…ヤバいな〕
〔何らかの御利益ありそう〕
反応は上々。さらに先程撮影した数枚の中から、リスナー達に選んでもらった最高の一枚を──
『 オーマ=ヴィオレット
@Ohma_Violette
渋谷ダンジョンの下層を探索中のダイバー、オーマ=ヴィオレットです!
前人未到、渋谷下層の神秘的な景色をおすそ分け!
配信の方もどうぞよろしくお願いします! 』
「これで良し!」
と、一文を添えてSNSに投稿した。
ただでさえ唯一の渋谷ダンジョン下層ダイバーとして注目されている為か、その投稿は忽ち多くの返信や引用によって拡散され、表示回数もぐんぐんと伸びて行く。
〔配信中にSNSで宣伝するなwww〕
〔凄い速度で数字回ってて草〕
〔抜け目ないw〕
「ふっふっふ……折角の唯一無二の下層ダイバーなのですから、その恩恵は最大限活用していきますとも! ──さて、そろそろ雑談でもしましょうか!」
湖の畔にある無数の岩の一つに腰かけ、カメラを正面に固定して雑談を開始する。
(さて、何の話からしようかな……)
探索の終わり。私の楽しみでもある時間に入り、私は表情を綻ばせた。
◇
オーマ=ヴィオレットがリスナー達と楽しく雑談をしているまさにその頃──渋谷ダンジョン下層の別の場所では、悲痛な断末魔が上がっていた。
「ピギイィィーーーーッ!!」
「ギィアアァァ!!」
「ヴオオォォォッ!!?」
羽を休める為に巣に降り立ったレイドバルチャーが、下層を驀進する大角を持った魔物が、大剣を振り回して抵抗するアークミノタウロスが、次々と『彼』によって捕食されて行く。
「グググググ……ッ!!」
しかし『足りない』。彼はそう考えていた。
永く生き、多くを食らった成長の果て……朧気に芽生えた知性はそれだけを考えていた。
「ギャアァァァッ!」
「ギギィッ!!」
地中を進み、魔物の振動を見つけては襲い、喰らう。
例え同族だろうと、ダンジョンホッパーのような無力な魔物だろうと、構わず貪欲に捕食し続ける。
この下層に生まれて数百年……これまで多くの魔物を喰って成長をしてきた彼だが、これほど飢えた事は無かった。
既に闇の魔力も剥がれ、癒えたはずの傷は成長により黒い歪な文様となって残った。まるであの邂逅を忘れまいとするかのように、その傷痕は永遠に彼に刻まれたのだ。
『足りない』、『まだ足りない』、『力が足りない』……
──『オーマ=ヴィオレットを喰うには、まだ足りない』
生まれて始めて負った傷。そしてそれを刻んだ『彼女』……『彼』はそれだけを『考えていた』。