第3話 『俺』と私と、俺ん家で
蒼木斗真としての私が死に、そして転生した先の異世界には『聖域』と呼ばれる現象があった。
これは空気中に含まれる魔力が飽和状態になった空間の事を言うのだが、何故それが聖域などと大仰な言葉で表されるかと言うと、それはその現象の持つ特性に起因する。
端的に表現すれば、聖域の中ではあらゆる願望を叶える事が出来るのだ。
飽和した魔力の影響であらゆる言葉は呪文となり、人智を超えた魔法となる。文献からその現象を知った次の瞬間には、私は日本へ帰る為の計画を練り始めていた。
先ず考えたのは、聖域を人為的に発生させる事は可能かと言う事。
聖域は大気を巡る『大いなる循環』と呼ばれる魔力の流れが何らかの原因で乱され、一箇所に集中した際に偶発的に起こる現象だと文献には記されていた。
しかし大いなる循環そのものをコントロールする事は、例えれば海流や気流を操る様なもの。人間どころか、魔族にだって到底不可能だ。
だから私は自身の魔力で少しずつ大いなる循環から魔力を掠め取り、周囲に留めると言う方法を編み出し……そして、数十年かけて人為的な聖域を作り出すことに成功。人知を超えた魔法により、日本への帰還を果たしたのだ。
──と言ったこれまでの経緯を、『魔族に転生した』という部分を除いて『俺』に説明してみたのだが……
「すまん、良く分からんかった。もう一度言ってくれるか?」
「まあ、そうですよね。質問には答えますので、具体的にどこが気になりましたか?」
あの後『俺』の案内に従い、ついて行く事約一時間。
今私達が居るこの場所は渋谷から電車を乗り継ぎ、都心を離れた住宅街にあるそこそこ年季の入ったアパートの一室。
パッと見た印象はワンルームに最低限の家電と、中心に小さなテーブルが置いてあるだけの部屋と言ったところだろうか。
前世で入院する前に住んでいた実家に帰るとばかり思っていた私の予想とは異なり、広いとは言えないものの小綺麗に片付けられているそこが蒼木斗真の住処だった。
促されるままその部屋に上がり込んだ私は、ワンルームの中心付近に置かれた背の低いテーブルを挟んで『俺』の正面に正座した。
そして態々お茶を注いでもてなしてくれた彼に、私がダンジョンに居た経緯について伝えたのだが……あまりにも突飛な内容に理解が追い付かなかったのだろう。話が一区切りしたところで、彼の質問に答える流れになったのだ。
「先ず、お前が俺の生まれ変わりとか言う話だったが……そもそも、俺まだ生きてるよな?」
私は差し出されたお茶を一口飲んで懐かしい味で喉を潤すと、彼の問いに答えるべく口を開く。
「まあ……そうなんですよね……」
「いや、そうなんですよねって……」
いやホント、何で生きてるんだろうな。この『俺』……
私が前世で悩まされた免疫不全は先天性。つまり前世の私と同じDNAを持って生まれたのなら、こいつも間違いなく同じ症状を抱えた筈なのに……
いや、本人が目の前にいるんだから思い切って直接聞いてしまった方が早いな。
「逆に質問するのですが、貴方は先天性の免疫不全をどう克服したのですか? 私はアレが原因で15歳の時に死んだのですけど……」
「え? いや、普通にダンジョン療法で治して貰ったけど……」
「え……?」
何それ怖い。『ダンジョン療法』って何? ダンジョンで病気を治すの?
少なくとも私の知っているダンジョンには、ゲームで登場する『回復の泉』の様なものは存在しないんだけど。
「えっと……参考までに、そのダンジョン療法と言うのがどう言った物か教えて貰えますか?」
「何か質問する側とされる側が入れ替わってる様な……まぁ、良いか。簡単に言えば、ダンジョンの魔物を狩る時に患者を同行させて、レベルアップさせるんだよ。そうすると大抵の病気は治るんだ」
「……?????」
さっきから一体何を言ってるんだろう、この『俺』は。
そもそもレベルアップってなんだ? ゲームの話をしている訳でもないだろうに……
(……いや待てよ? 魔物狩りに同行させる? それで病気が治る? それって……)
「──ああ、そう言う事でしたか」
最初は質の悪い冗談か何かかと思ったが……要点を抜き出して考えてみれば、その現象は私にも心当たりがある物だと気付く。
そして、彼が『レベルアップ』と呼称した現象の正体は……
(そうか、レベルアップと言うのはつまり……魔力による肉体の変質現象の事だったか)
異世界でもそうだったが、魔物を倒すとその身体を構成していた魔力が短時間ではあるが周囲に満ちる。
『魔法に用いる力』と言うところから魔力と呼称されてはいるが、その本質は『変質を司るエネルギー』だ。
そして魔力に意思を伝え、指向性を与え、様々な自然法則を術者の意思によって変質させる術を魔法と呼ぶのだが、指向性を与えるよりも先に魔力が身体に取り込まれた場合はその肉体を直接変質させてしまうのだ。
これだけ聞くと突然翼が生えたり、腕が増えたりするのではないかなんて考えてしまうかもしれないが、実際にそれほどの変化を起こした事例はあまり無い。
変質の方向性を決定付けるのはあくまでも本人の意思に依存する上に、骨格から変化するレベルの変質には莫大な魔力が必要になるからだ。
精々が『もっと筋力が欲しい』『機敏に動きたい』『体力が欲しい』『美しくなりたい』……そう言った『常日頃から抱いている理想像』へ近付くように、肉体を少しずつ変えていく程度。
しかしその程度の変化のおかげで私が異世界で見た人間は、老若男女問わず見た目以上の力を当然のように発揮する事が出来ていた。身の丈以上の大剣を軽々と振り回す小柄な少女や、自動車以上の速度で何十㎞も駆けるマッチョマンだって居たものだ。
(こうして纏めると、確かに実際に起こっている現象自体はゲームのレベルアップに近いかも知れないな……)
ゲームが存在するこの世界では、そう呼称されるのも分かる気がする。
そしてこの場合の『レベルアップ』の影響範囲は、ゲームの様に『ステータス』に制限されてはいない。つまり『病を治したい』『健康になりたい』と普段から思っている人は、変質によって自分の思い描いた健康な身体を手にする事になる訳だ。
それを医療として実践するのは、確かに理にかなっていると言えた。そして同時に、『どうして目の前の蒼木斗真が生きているのか』と言う疑問の答えも理解した。
「成程。私が前世で過ごした世界にはダンジョンが無かった……つまり、そこが貴方と私の運命の分かれ目だったと言う事ですね」
「ダンジョンが無い!? そんな馬鹿な……いや、そうか。それで腕輪の事も知らなかったのか……」
「異世界の方にはダンジョンもありましたけど、腕輪の様な便利アイテムなんてありませんでしたね。こっちの世界と違ってダンジョンの外にも魔物は出て来ましたし、野宿の際は皆命懸けでした」
「……お前、よくそんな世界で生き残れたな」
私の話を聞いた『俺』が、感心した様な表情でポツリと零す。
確かにいくら健康な体に転生したとはいえ、病弱で碌に外で遊んだ事も無かった私がいきなり魔物の溢れた世界に放り出されたならば、間違いなく一ヶ月と持たずに死んでいただろう。
『動ける事』と『戦える事』は、全くの別物なのだから。
「それについては、まぁ……生まれが良かったんですよ」
「ふーん……裕福な家に生まれたとか?」
「いえ、そう言う訳ではないのですが……」
返答を誤魔化そうとして、少し考える。
ここで私の正体──魔族である事を誤魔化すのは簡単だ。異世界の出来事なんて確かめようがないのだから、それっぽいストーリーを捏造すれば『俺』には見破る事は出来ない。
異世界では幾度となく繰り返してきた事だ。人間から拒絶される事を恐れたが故に。
しかし、そうやって常に正体を誤魔化しながら人と生活を共にする苦痛を、私は異世界で散々思い知ってしまった。
正体がバレないかという不安、嘘を吐き続ける罪悪感、築いた関係が一瞬で無為と化す恐怖……そして、その胸の内を吐き出す機会が一瞬も訪れない事による、どうしようもない閉塞感と孤独感。
あんな思いはもう散々だと何度身に染みただろう。何度街から逃げ出しただろう。……それでも、ほんの数年もすれば人との語らいが懐かしくなり、その度に出会いと拒絶を繰り返してきた。
(……そうだ、思い出せ。どうして私が日本に帰りたいと願ったのかを)
私はずっと焦がれていたのだ。何一つ隠し事をせずに付き合える、人間の友人と言う存在に。
15年間しか過ごせなかった日本での人生。自由に友人と話せた時間は更に短い。それでも私は、その瞬きに等しい数年間にずっと帰りたかった。
身体こそ魔族になったが、心は結局何処まで行っても人間なのだ。一人では生きられない。
異世界でも、探せば一人くらいは友人が……なんて思った事もあったが、そんな相手は終に得られなかった。『魔族は人間の敵』と言う、私が転生する遥か以前からの常識が大きな壁だったのだ。
(だけど、この世界なら……日本なら……)
アニメや漫画、ゲームにラノベ……動物や偉人に始まり、無機物から魔物、果ては邪神に至るまで、何でもかんでも美少女化して愛され得るこの国ならば──それが常識である日本ならば、きっと……!
(そうだ、だから私はここに帰る事を『聖域』に願ったんだ!)
逡巡の末に願いの根幹を思い出す。
気付けば、先程潤したばかりの喉はもうカラカラだ。テーブルに置かれたグラスから再びお茶を飲み、緊張で荒くなりそうになる呼吸を整え、私は話を切り出した。
「──時に、貴方は『魔族』と言うものを知っていますか?」
「魔族? ……ゲームとかに出て来るアレか。知性があって人型で、魔物の親玉とか魔王の部下とかやってる奴」
いきなり正体を明かすのはまだ怖かったので、最初は『魔族』と言う言葉の印象から探っていく。
「見た事はありますか? ダンジョン内とかで実際に」
「いや、実際に見たなんて話は聞いた事も無いけど……まさか、本当に居るのか? 魔族って……」
「異世界には居ましたね。見た目に関しても、多分貴方のイメージとそれ程かけ離れてはいないと思いますよ。尤も、魔物の親玉とかではありませんでしたが」
少しずつ魔族の概要を整理するやり取りの最中、私は内心で『いけるかもしれない』と言う希望が大きく膨らむのを感じていた。
世界で本当に存在が確認されていないのかは分からないが、少なくとも『俺』が知らないと言う事は『魔族は人間の敵』のような常識が少なくとも『俺』には無いという事だ。
話している間に心の準備を終えた私は、覚悟が揺らがない内に……自身の正体を明かす。
「……もう予想はついていると思いますが、私はその魔族なんです」
私がそう打ち明けると……部屋の中が一瞬、静寂に包まれた。
『俺』が、私の全身に訝し気な視線を巡らせているのが分かる。
「お前が……? こうして見た感じは普通の人間に見えるが」
「これは魔法で姿を変えているんです。万が一魔族の姿を見られたら、騒ぎになるかもと思ったので」
「そんなに警戒するって事は……本当はかなりエグイ見た目だったりするのか?」
「し、失礼な! 外見の殆どは人間と変わりませんよ!?」
(ただ、ちょっと角とか羽根とか生えてるだけで!)
後、日本人に比べてちょっと肌が青白かったり、光彩が縦に割れていたりするけど……そこを除けばほぼ人間なのだ。
『俺』は思わず語気を荒げた私を笑いながら宥めると、好奇心に輝く視線を向けて来た。
「はは、冗談だって……しかし、魔族かぁ。一度、姿を見せてくれないか?」
「……そうですね、見せるだけなら何も問題は無いですし」
私の正体を知ってもなおフレンドリーな対応をしてくれる『俺』の様子に、期待や不安……複雑な感情が心に渦巻いているのを実感しつつ、今まで生きてきた中で最大の覚悟を決める。
立ち上がり、『他の人に見られないように』と説明しながら部屋のカーテンを閉め……『俺』に見せつけるように振り返ると、深呼吸を一つして【変身魔法】を解除した。
その途端、きっと『俺』の目には私の姿が一瞬揺らいだように感じただろう。
しかし、次の瞬間には彼も私の本来の姿を知る。
側頭部から伸びた角はヤギの角の様にぐるりと捻れ、切っ先は天井に向けて伸びている。黒くゴムのような光沢を持った強靭な尻尾は、腰の辺りからずるりと生えて床を擦る。背中から広がる一対の翼が一度羽ばたけば、バサリと被膜が音を立てる。……そのどれもが、魔族の証。人ではない証明。
カーテン越しの斜陽を受け、部屋にぼんやりと大きく浮かび上がった曖昧な輪郭から目を逸らすように、私は『俺』の眼を真っ直ぐに見つめる。
「……」
「──これが私の本来の姿です。病で死に、異世界で再び目を覚ました時には、私は既にこの姿でした」
私がこの姿を明かしたのは、彼ならば本来の姿を見ても落ち着いて会話が出来るのではないかと考えたからだ。
「な……、な……っ!」
しかし私の変化を前に、呆気に取られて声も出ない『俺』の様子に先程までの期待はしぼみ、忽ち不安が膨れ上がる。
(……やはり、駄目なのか? この国でも私はまた──)
何を隠そう、実は異世界でもこう言った事はあったのだ。
『魔族には見えない』『俺達は友達だ』……そんな言葉に、心が通じたと思った。人として私を見てくれたと思った相手に、当時転生して数十年しか経っていなかった私は、愚かにも今のように正体を明かした。
アイツは驚いた様子で、ややぎこちなくなりながらもそのままいつも通りに過ごし……翌日、夜明けを迎える前に私の家は焼き討ちに遭った。
混乱と焦燥の中、松明を掲げ私を糾弾するアイツの顔を見た時に私は知ったのだ。『この異世界で、私は人と友にはなれない』と。
それでも私は人間と共に過ごしたい。私は人間なのだから。
何度も姿を変え、住処を替えた。国境を跨ぎ、山を越え、海を渡って旅を続けて……定住なんて、ついに出来なかった。
『魔族は人間の敵』、異世界ではそれが常識だった。
どれだけ親しくなった友人も、背中を守り合った仲間も……ふとしたきっかけで私の正体を知れば、途端に『裏切者』と私を謗り襲って来た。
戦いが身近にある彼等にしてみれば、本当に命の危険を感じたのだろう。私にはそれを責める事は出来なかった。
だから私は世界を越えようと決意したのだ。
この世界なら、日本ならもしかしたら……『俺』と話して、随分久しぶりに希望を抱いた気がした。
……だけど、そんな期待は、やはり幻に過ぎなかったと言う事なのだろう。
ふっ……と、つい諦めに私の唇が弧を描く。そんな私の表情は『俺』の目にどう映ったのか、彼は緊張からかゴクリと喉を鳴らし……震える指先で私を指し示す。そして──
「ひ……っ! 人の部屋で、なんっつー格好してんだお前……っ!」
「…………えっ……? ──ああぁぁぁーーーっ!???」
『俺』の視線が気になり自分の身体を見下ろしてみれば、ボロボロになったローブドレスの残骸の隙間から、私の素肌が某少年誌のお色気漫画のように露出していた。
(わ、忘れてた……! そう言えば【変身魔法】で姿を変える前、私の服はこんな事になってたんだった!)
咄嗟にしゃがみ込み、翼で身体を包んで隠す。
正直さっきまで私は魔族として恐れられると思っていたし、追い出されるかもしれないと言う覚悟も出来ていた。……いや、やっぱりそこまでの覚悟は出来てなかったかも知れないが……だけど、少なくともこんな醜態を晒すつもりなんて無かったのだ。
「──ッ!!」
更に最悪な事に、軽くパニックに陥った私は思わず逆ギレ気味にキッと『俺』を睨みつけてしまった。
自分の不注意が招いた事態だと言う事は分かっていたのに、無駄に長く生きた所為でいつの間にかこびり付いた妙なプライドがあったのだろう。角も生えているし、文字通り鬼の形相と呼べるものだったはずだ。
──しかし、仮にも魔族である私からそんな目を向けられたにも関わらず、肝心の『俺』と来たら……
「お、俺は悪くねぇよな今のは!? いや確かにさっきは見たいと言ったけど、アレはそう言う意味じゃなくて……!」
「──っ! っく……ふ、ふふっ……!」
慌てた様子で必死に言い訳を並べる情けない姿に、何故か視界が滲み、笑みが零れた。
だって可笑しいじゃないか。異世界では恐怖の対象だった魔族に睨まれたのに、『俺』は命の危険なんかよりもセクハラで訴えられる事を心配してるんだから。
彼の視線は警戒に満ちていない。彼の手は武器を握っていない。それどころか私の姿を見ないように、自分の視界を塞ぐように顔に当てられてすらいる。
そんな『当たり前』に、私はどれ程焦がれていたのだろう。
「な、泣く程だったか!? そうだったなら謝るから……!」
私の涙に気付いて一層慌て始めた『俺』に「気にしないでくれ」と涙を拭い、笑いかける。
久しぶりに……本当に久しぶりに、心を落ち着けられる場所に帰って来た気がした。