番外編 『古傷』③
この番外編はコレで完結です。
次回から本編再開となります。
ゴブリンが百合原さんに対してこん棒を振るう。百合原さんは最小限の動きでそれを回避し、すかさず鋭い槍の一撃を返す。
もう何度目かのゴブリンとの戦闘風景。あれから随分と勘を取り戻してきたのだろう、非常に無駄がなく洗練された動きだ。
(凄いな。かなりのブランクがあるだろうに、この短時間でここまで動きが冴え渡るとは……)
彼女の動きを見る程に、その意志の強さに感心させられる。
もう一度ダイバーに戻りたい。その為に傷痕を消し去りたい。……それはきっと、彼女の中では過去を振り切る為に必要な儀式なのだろう。
──だからこそ、惜しい。
(……あれは、ダンジョン療法では治せない)
ほんの一瞬、彼女でも庇いきれなかった僅かな隙間から、私は彼女の顔に奔る『古傷』を見た。
しかしそれは『傷』なんかではなく……
(局所的な『魔物化』……多分、ダンジョンワームの魔力を傷口から取り込んでしまったのか)
こちらの世界で言う『レベルアップ』とは倒した魔物の魔力を取り込んで肉体が変質する現象であり、その変化は魔力を取り込んだ生き物の理想に近付く形で行われる。これは既にその魔力の持ち主が居らず、誰の意志の影響下にもない言わばフリーの魔力だからこそ起こる変化だ。
しかし、もしもフリーでは無い魔力を取り込んでしまった場合は? その答えが『魔物化』だ。
そもそも生きた動物や魔物の身体から純粋な魔力が溢れ出す事は無い為、フリーでない魔力を取り込むにはその体内に入るしかない。それこそ捕食されるくらいでなければあり得ないが、そう言った事例は異世界では幾つか確認されていた。
有名な話で言えば『悪竜の腹を裂いて竜人が生まれた』なんて物があったが……これはその竜人を倒す英雄の物語の冒頭部分なので、その竜人はある意味私の先輩のような存在だったと言える。
(……この事実を伝えるのは、あまりに残酷だな)
人から人ではない存在に変わり、人に倒される……個人的に他人事とは思えないこの話を初めて聞いた時は、私も少なくないショックを受けたものだ。
しかし彼女の場合は捕食される際にダンジョンワームの牙で腕輪を覆っていた糸が外れ、直ぐに脱出できたと言う。
不幸中の幸いと言うべきか、そのおかげで変化は傷口部分に限定されているのだろう。それならば、アレは彼女の中で『ただの古傷』のままにしてあげるのが優しさという奴だろう。その為に私が出来る事は──
「今、良いかな?」
「なんだ?」
ゴブリンと百合原さんの戦闘を観察し、動きに問題が無いかに目を光らせている『俺』に対して小声で話しかける。
「彼女の全身に存在すると言う『古傷』、ボクが治しても構わないよね?」
「……何となくそんな気はしていたが、やっぱり治せるのか」
「うん。……と言うか、アレはボクにしか治せないと思うよ」
そのまま小声で彼女の抱える『古傷』の正体を伝えると、『俺』の表情は強張った。
魔物化とレベルアップの現象を絵の具で例えると、目的の色を作る為に少しずつ近い色を混ぜて近付けるのがレベルアップであるのに対して、魔物化はその色に『黒』を落とす様なものだと言えば分かりやすいだろうか。
例え一滴だろうと『黒』の影響は大きい。もしも下手にレベルアップなんてすれば、最悪魔物化の影響が広がってしまう可能性だってある。彼女のように傷口だけで済んでいる現状は、寧ろ奇跡なのだ。
「……事情は把握した。確かに治した方が良さそうだ。頼めるか」
「勿論。……まぁ、彼女には幾つかの確認と、条件を呑んでもらう必要があるけどね」
「条件?」
「まぁ、それは直ぐに分かるよ……──っと、終わったみたいだ」
ゴブリンを倒し終えた百合原さんが疲労を感じさせない様子で駆け寄ってきているのを伝えると、『俺』は直ぐに彼女の方へと向き直った。
「終わりました。……どうでしょうか、もう結構感覚も戻って来た気がしますが……」
「あ、ああ……そうだな。えっと……」
「良い動きだったよ。前髪に気を取られてなければ、もっと良くなると思う」
重すぎる事情を知ってしまった為か、露骨に舌足らずになってしまった『俺』に代わり、私が彼女の動きについて評価する。
すると、彼女は複雑そうに顔半分を隠している前髪に手を添えた。
「はい……分かってるんです。これが良くないって事は。でも、やっぱりあまり見られたくなくて……」
「実はね、今の戦いの途中で見ちゃったんだ。その髪の下」
「! ……そう、でしたか。御見苦しい物をお見せしてしまい、申し訳ありません」
「いや、気にしないで良いよ。……百合原さんはさ、その傷をダンジョン療法で治す為にダンジョンに潜りたいんだよね?」
「え、ええ……それはあくまでも第一段階ですけど……」
私の確認に、少し戸惑った様子で前髪を擦る百合原さん。
彼女が何を最終的な目標に掲げているのかについて、深くは聞かないが……このままでは恐らくそれは叶わない。しかし、重い事実を伝えてもそれを負い目に感じかねない。
だから私は……
「ボク、治せるよ。その傷」
「──えっ?」
敢えて何でもない事のように、あっけらかんと伝えた。
「あれ、言ってなかったっけ? ボク、こう見えて回復魔法が使えるんだよ」
「え、ええ……? でも、その恰好……」
「うん? ……ああ、確かにシーフっぽいよね。でもそれは君達も同じような物だと思うけどなぁ」
「そ、それはそうですけど……」
こんな所であの顔合わせの時にジョブを明言しなかった事が活きてくるとは思わなかったな。
まぁ若干無理はある気もするけど、回復魔法が使える事は本当だし嘘は言ってない。
「で、でも……協会の医療班でも駄目だったのに……」
「まぁまぁ、試してみるだけでも良いじゃん。今ならお金とか要求しないし、やるだけお得だよ?」
「ふふ、何ですかそれ。……そうですね、ではお試しでお願いします」
私の軽い様子に釣られたのだろうか。百合原さんはそう微笑むと、小さくぺこりとお辞儀した。
「オッケー! じゃあ、ソーマ! ボク達に背を向けて周囲見張ってて」
「え?」
「今から百合原さん脱ぐから」
「えっ!?」
私の突然の宣言に驚いた様子でこちらを見る二人。
先ほどは説明しなかったが、彼女の治療にはただの回復魔法だけでは足りないのだ。その為、患部を直接見る必要がある。
そう伝えると『俺』は素直にこちらに背を向け、百合原さんは逆に疑わしい物を見る目で私を見つめ始めた。
「……そんなに怪しい?」
「そりゃそうでしょ!?」
まぁ、それもそうか。
なんかもう既に警戒10割って感じの視線と表情で、自分の身体を抱くように交差した両腕が強い拒絶の意を伝えて来る。
「んー……まぁ、怪しむのも仕方ないし……取りあえず『ここは見せても大丈夫』ってとこだけ先に試してみようよ。ダメだったらそれ以上要求しないから」
「……分かりました」
『それで済むのなら』……そんな副音声が聞こえてきそうな表情と声色で話しながら、彼女は渋々と鎧の腕部分を外す。そして、その下から現れたインナーの袖を捲ると……そこには顔に在ったのと同じ黒い『古傷』が無数に存在していた。
「裂傷だけじゃなくて、酸による火傷痕もかぁ……これは大手術になりそうだ」
「あの……早くお願いします。あまり見られたい物でもないので……」
「おっと、そうだね。早速始めようか……──ちょっと、痛いよ。我慢してね」
「えっ……ッ!! あぁッ!!?」
患部に手を添え、その下に魔力の光が灯った瞬間──鋭利な刃物で切り取られたように、彼女の『古傷』が摘出される。
そしてその直後には私の使える中でも最上位の回復魔法の光が瞬き、その痛みごと彼女の腕の傷を消した。
「──はい、おしまい」
「ふぅー……! ふぅー……!」
私が軽い調子で両手を放すと直ぐに腕を引き戻し、目に涙を浮かべた憤怒の形相でこちらを睨む百合原さん。
「──ッ! ちょっと貴女、悪ふざけにしてもやって良い……事と、悪い事……が…………!?」
そして次の瞬間、私の胸ぐらを両手で掴み上げ──そこで自身の剥き出しになった綺麗な白い肌に気が付いた。
「え……、嘘っ!? 傷が消えて……何も無い!」
「あんな風に形が定着しちゃってると治せないからさ、一旦傷口の周囲を除去しないと駄目だったんだ。でもこれ言っちゃうともっと怪しまれちゃうからね……でも、痛かったのはゴメンね」
「あ……っ! ああっ!」
事情を説明すると、一転して感極まった涙を流す彼女。そして──その場で鎧を全て腕輪に収納し、インナーをいそいそと脱ぎ始めた。
「ちょちょちょっ! 百合原さん!?」
「早く! 早く全部治してください! 直ぐに!!」
「分かってる! 治すから! ちゃんと治すから落ち着いて!」
歓喜と混乱でまさに半狂乱と言った様子の彼女は、眼から大粒の涙を溢しながら下着姿で詰め寄って来た。そのあまりの気迫に慌てていると、こちらに背を向けていた『俺』が動いた。
「何かあったのか!?」
「今はこっち見ないで!絶対!」
『俺』が覗き魔のような事になるのを身を挺して阻止しつつ、再び背を向けた『俺』の後ろで百合原さんの『古傷』を一つ一つ治療していく。
「んぅ……ッ! ぅぐ……ッ!!」
(……なんかちょっとエッチな感じに聞こえるの落ち着かないな……)
痛みを堪える彼女の声は暫く続き……そして、残りが顔のみとなった所で百合原さんに再びインナーと甲冑を身に着けて貰う。
この時点で先程のような疑いの目は皆無であり、最後の治療の為に自ら前髪を持ち上げて見せた。
最後の患部が最も繊細な顔と言う事もあり、私も顔を近づけて正確に『古傷』の範囲と形状を把握していく。
「……っ!」
「ん? どうしたの?」
「あ……い、いいえ……何でもありません」
一瞬息を飲んだ彼女に尋ねてもはぐらかされたので、まぁ大した事でもなかったのだろうと考え治療に専念する。
「ちょっと目を閉じて貰えるかな?」
「はい」
傷の一部が瞼にかかってしまっているので一旦目を瞑って貰い、最後の治療が完了した。
最後は痛みに慣れたのか、呻き声も上げず静かな物だった。
「……と言う訳で、今回の治療は他の人には内緒。百合原さんが活動休止中に自主的にダンジョンに潜って、長期間をかけてダンジョン療法で治したって事にしてね」
「はい、それは分かったのですが……アトちゃん達のような一部の知り合いの子は、既に事情を知っています。皆ラウンズの子達なので連絡は取れるのですが、私から口留めしておけばよろしいでしょうか」
「そうだね。お願いしよっかな」
「はい、承りました」
……何か急に素直になったって言うか、心の壁なくなったって言うか。
謎にニコニコしている百合原さんに対して、逆に不安に思いつつも口留めの約束をしてもらい今日のお仕事?も完了。
最後に前髪をヘアピンで上げて貰った状態での戦いを見せて貰ったが、やはりまるで動きのキレが違っていた。何故か無性に張り切っていたのが気になったが……まぁ、解決と言っていいだろう。
こうして私達は随分と久しぶりに潜った浅層を後に──
(……ん? なんだろう、今の魔力の流れ……)
「ん~……?」
何か妙な魔力を感じた気がして振り返ってみたが、そこには浅層にありふれた洞窟の光景が広がっているばかりだった。
「バイオ~? 行くぞ~」
「ソーマくんも呼んでいます。さあ、行きましょう!」
「えっ? あ、うん……」
(なんか急に距離が近いな……信頼してくれたって事かな?)
色々と気になる事がありつつも、私達は三人揃ってダンジョンを後にしたのだった。
「ゆぅ……咲ちゃん! その顔……!」
渋谷ダンジョンの入り口からロビーへと戻って来た私達を出迎えたのは、あれからずっとここで待っていたのだろう春葉アトだった。
彼女は百合原さんの髪が上げられている事、その下に『古傷』が無い事に直ぐに気付き、動揺と歓喜の綯い交ぜになった様子で駆け寄って来た。
「うん。ダンジョン療法で治ったんだ……!」
「え……? でも咲ちゃんのレベルって……?」
やはり事情を知っている春葉アトは疑問に思ったようだ。
まぁ、人目も多いこの場で打ち明ける訳にも行かないので、彼女に対する事情説明と口留めは百合原さんに任せるとしよう。
……と、油断していると、不意に春葉アトと目が合った。嘘を吐く後ろめたさか、或いは嘘を見破られるかもしれないと言う不安からか、つい咄嗟に視線だけ外してしまう。
それだけで何かを察した様子の春葉アトは、目に涙を浮かべて百合原さんを抱きしめた。
「良かった……! 本当に良かったよ!」
「うん……っ! まだ本調子には遠いけど、また一緒にダンジョンに潜ろうね……!」
「勿論!」
「半年後にね」
「くぅ……っ! 今になって謹慎が染みて来たぁ……!」
「ふふっ! それまでの間に前の勘を取り戻しておくからね」
……あの一瞬で何かしら事情を見抜かれてしまった事に恐怖を覚えたが、ソレはソレとして二人共目に涙を浮かべて喜びを分かち合っているこの光景は素直に喜ばしいと思う。
自分が彼女達を取り巻く不幸の一つを払えたのだと言う達成感、自分にも人の為に出来る事があると実感した高揚感……
(うん……向こうでは散々拒絶され続けて止めちゃったけど、やっぱり人助けが出来るって良いな。これからのダンジョンでは、また昔の様に人助けを意識してみようかな)
……暫くは春葉アトもダンジョンから居なくなってしまうわけだし、これも丁度良い機会なのかもしれない。
◇
──あぁ、これは運命だったのね……
『運命』……『そんな言葉は何処まで行っても後付けにしかならない虚飾だ』と言ったのは誰だったか。
ああ、そうだ──アニメ版『ラウンズ・サーガ』三期の第10話、16:11の時にモルドレッドが放った言葉……彼のそれまでの人生を思えば運命をそう表現したくなるのも分かるけれど、それでも今の私は『運命』を肯定したい。
だって、名前も知らないあの方とこうして再会できたのだから──
『バイオと呼んで欲しい。よろしくね』
その人を最初に見た時、『怪しい人』だなと思った。
口数は少なく、身に着けているのは安物の装備。その上から顔を隠すローブを纏い、実力がまるで分らない。
潜るのが浅層とは言えこんな人を助っ人として呼ぶなんて……と、はるちゃんの後輩であるソーマくんと言うダイバーさえ疑ってしまった物だ。
ダンジョンに入ってからもそう。
ただ戦うのではなく、魔物との距離感や心の動きを把握する為に色々と指南をくれるソーマくんに対しては疑いも晴れたが、このバイオと言うダイバーは特に指示を飛ばす訳でもなくこちらを見つめるばかり。
何かをする様子も無い彼に対して妙な不安感を抱きつつ、何度目かの戦闘を終えた頃──
『良い動きだったよ。前髪に気を取られてなければ、もっと良くなると思う』
『実はね、今の戦いの途中で見ちゃったんだ。その髪の下』
『いや、気にしないで良いよ。……百合原さんはさ、その傷をダンジョン療法で治す為にダンジョンに潜りたいんだよね?』
報告とアドバイスを貰う為にソーマくんに話しかけてから、急に彼女は饒舌になった。
今貴女に話しかけた訳じゃないんだけど……だとか、女性なのに『ボク』?だとか、色々な言葉が頭を巡ったが、取りあえず表面上は取り繕いながら会話出来ていたと思う。ただ──
『ボク、治せるよ。その傷』
この発言には流石に少しイラっと来た。
今まで私がどんな思いでこの傷と付き合って来たのかも考えないような軽い発言。
私の傷が大した物ではないと思われている気がして、怒りの余り反応が遅れてしまった程だ。
『まぁまぁ、試してみるだけでも良いじゃん。今ならお金とか要求しないし、やるだけお得だよ?』
失笑してしまった。
今まで私も何人かの回復魔法使いに診て貰ったが、結局『これ以上は無理』と言う敗北宣言しかされなかったこの傷を随分と侮ってくれる。
まぁ良いだろう。これで治療が失敗すれば、この腹の立つ声を聞かなくて済むかもしれない。さっさとやって貰って、さっさと失敗して貰おう。
……なんて事を考えていたら、突然『服を脱げ』等と宣った。
『こいつ、顔と声が女っぽいだけの男じゃないよな?』喉元まで出かかったその言葉を呑み込めた私は、称賛されていいと思う。
まぁ、女だろうが『ソッチの気』がある可能性も無くはないので、少し距離を取りつつ文句を言う。人当たりが良いと評判の私でも、流石に無理だった。
……だけど、奇跡は起きてしまった。
腕に奔った一瞬の激痛に過去の最悪の出来事を思い出したりもしたが、彼女の胸ぐらを掴む自分の腕の白さに気付いてからはそれも気にならない。
何か事情を話していたようだったが全て耳を素通りして行った。この時の私の脳裏には『漸くこの醜い傷から解放される』と言う衝動だけだった。
『ちょちょちょっ! 百合原さん!?』
『早く! 早く全部治してください! 直ぐに!!』
『分かってる! 治すから! ちゃんと治すから落ち着いて!』
『もうこの際ソッチの気があろうがどうでもいい! 触りたければ触れ! そして治せ!』……朧気だが、そんな事を考えていた気がする。我ながらパニックになっていたものだと反省した。
その後全身の傷を消して貰い、背中も自分のスマホで写真を撮って貰って確認し……この辺りで漸く冷静さが戻って来た。
そしてこの場に彼女が来た理由についても想像できた。
これ程の魔力と魔法……加えて【無詠唱】も持っている高位の回復魔法使いだ。その気になれば私が魔物に怯え、錯乱しても取り押さえられるだろう。
多少私の身体が傷付いても、回復魔法を扱える彼女ならば直ぐに消せる。……いや、そもそも私の傷を見て、治せそうならその場で治療してしまおうと言う魂胆もあったのかも知れない。
ダンジョン外での魔法行使は特殊な権限を持った職業の人しか出来ないけど、ダンジョン内なら使い放題だし。
(なんだ、疑っていた私が馬鹿みたい)
この時点で既にそんな事を考えていた。そもそも、はるちゃんが直接会って話して『安全』と判断したのだから、はるちゃんをもっと信じるべきだったのだ。親友を一瞬とは言え疑ってしまうなんて恥ずかしい……なんて事を考えていたら、更なるサプライズが私を待っていた。
『……っ!』
『ん? どうしたの?』
『あ……い、いいえ……何でもありません』
咄嗟にそう答えたが……とんでもない。何でもないなんて事全然ない。
治療の為に前髪を持ち上げ、その傷を確認する為にバイオが顔を近づけてきたその時……そのローブの下の素顔が見えてしまったのだ。
(あぁ……ガウェイン様……!)
髪の色と髪型はあの時と違ったけれど、一瞬で分かった。
目の形がもうそうだった。鼻筋の通りをちゃんと見れば間違いなかった。なんなら声で直ぐわかった(大嘘)。
──ああ、これは運命だったのね……
この方こそ私とはるちゃんを再び引き合わせてくれた恩人。
そしてグループチャットで再会したラウンズの仲間達の間で『ワックのガウェイン様』として半ばお尋ね者のようになり、メンバーがワックの常連になりつつある原因を作った罪な方。そう、女性だったのね。
……女性か。──女体化ガウェイン様……良いかも。次のイベントはコレで描こう。
そんな事を考えている内に、気付けば治療は終わっていた。
もう脳内麻薬ドパドパで痛みとか無かった。ガウェイン様凄いなって思いました。
前髪を上げた状態で戦ってる姿を見たいって言われたから、すごい張り切っちゃった気がする。なんかいつもより体軽かった。
ダンジョンから出たら、はるちゃんが出迎えてくれた。
自分の事のように喜んでくれて、私ももっと喜ばしくなった。何せ、こんなに優しい親友とまた一緒に冒険できるのだから。
◇
──渋谷ダンジョンのロビーでゆぅちゃんと抱き合った数時間後、自宅にて。
「──えぇっ!? あの人がワックのガウェイン様ぁ!?」
『うんっ! 髪型は違ったけど間違いないよ!』
私はとんでもない事実をゆぅちゃんから教えられてソファーから立ち上がった。
(嘘でしょ!? あんなに近くにいたのに気付けなかったなんて!!)
「な、なんで教えてくれなかったのぉ~!?」
『ゴメンね、色々と嬉しい事が重なり過ぎちゃって!』
「ぐぅぅ……許すゥ~~~~ッ!!!」
それにしても……そっか。あのバイオって人をどこかで見た気がしたのって、あの時ゆぅちゃんに見せられた写真だったのかも。
私も話したかったな……いや、話はしたんだけどあの人がワックのガウェイン様って知っている状態で話したかった……
『──るちゃん、はるちゃん! 聞いてる?』
「っと、ゴメン! 何?」
『もう……私がラウンズに復帰したいって話!』
「おお! いつ!? 手続きしとくよ!?」
『明日の土曜日……は、お互い急すぎると思うから明後日かな』
「りょ~かい! 今日中に済ませとく!」
急いでタブレットを手元に持って来て、専用のページを開く。
クランリーダーがダンジョン協会に対して様々な申請手続きをする為に使う物で、私は慣れた手つきで片手で操作していく。
『もう、はしゃぎ過ぎだよ』
「嬉しい時ははしゃがなきゃ損でしょ!」
何せこっちは『百合原咲』ちゃんが何も言わずにラウンズを脱退してから数年、この時をずっと待っていたんだから。ゆぅちゃんもそうだと思う。私の勘がそう言ってる。
(っと、そうだ! 折角だから、今言っちゃおう!)
『またね』も『バイバイ』も無く、失意のまま出て行ってしまった親友。
だから次に迎える時は絶対にするって決めていた挨拶。
「えへへ……おかえり、咲ちゃん!」
『! ふふ……っ、うん! ただいま、アトちゃん!』