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番外編 『古傷』①

次の展開に入る前に少し番外編に入ります。

この番外編は今回を含めた2~3話で終わり、本編に戻る予定です。

 都内にあるタワーマンションの一室。

 この日、この部屋の主人である女性は色々とごたついた手続きに追われ、いつもよりもずっと遅い帰宅となった。

 ダンジョンに良く潜る生活を長い事送っている為に体力には自信があった彼女も、流石にこの日は疲れが溜まっており、帰宅して早々ソファーに深く腰掛けながらため息を吐いた。


 少しの間ぼーっとしていた彼女だったが、やがて腕輪からスマホを取り出すと……覚悟を決めた表情で、とある知り合いにテレビ通話をかけ始めた。


「──って事で、半年間の謹慎処分になっちゃった」


 女性──『春葉アト』こと真崎遥香(まさきはるか)はそう言いながら、スマホの画面に映った同い年の女性に申し訳なさそうに笑った。


『見てたよ。もう、本当に無茶ばかりして……』

「えっ、ゆぅちゃんもヴィオレットちゃんの配信見てたの!?」

『その子の配信を見てた友達から『はるちゃんがとんでもないことしようとしてる』って教えて貰ったの。私が見たのはそれからだから殆ど最後の方だけだけどね』


 通話相手の女性……井原侑里(いはらゆうり)は、嘗て真崎遥香が設立したクラン『ラウンズ』の創立メンバーの一人であり、親友でもある相手だ。

 以前は短かった髪を伸ばし、前髪は顔の右半分を隠すように垂らしている。その為、以前よりも表情の変化が分かりにくい物の、それでも彼女の声のトーンから察するに……


「……やっぱり怒ってる?」

『ちょっとね。……でも、それよりも安心した。最後にはるちゃんがあの人を助けに動いてくれてさ』

「む……私が助けたのは、あくまでもヴィオレットちゃんの方! アイツなんかじゃないよ!」


 彼女にとっての仇でもある男を助ける為に動く訳がない。……その事を伝えようと真崎遥香は懸命に声を張るが、一方で井原侑里は落ち着いた様子で宥めるように返した。


『そんな事言って、本当は分かってるんでしょ? そのヴィオレットちゃんが、はるちゃんの背中を押してくれたって事くらい』

「それは……そうだけどさ」


 オーマ=ヴィオレットの配信を見たのは初めてだった井原侑里にも、あの時の彼女の思いは伝わっていた。

 非情になろうとしてなり切れない、不器用で優しい親友を苦しみから救ってくれたのだと感謝もしていた。

 そして……それと同じくらい、井原侑里は後悔していた。

 医療班の治療を受け、包帯を外した自身の顔の右半分に刻まれた傷痕……それを親友である彼女に見られたくない一心で、何も話さずに距離を取ってしまった事を。

 もしも、あの時落ち着いて話し合う事が出来たら……今も自分がラウンズに残っていたら、親友があんな苦しみを味わう事も無かったのではないかと。


『……あのね、はるちゃん。もうあの時の事は気にしないで。あれは見え見えの嘘に騙された私の責任なんだから……もしもその所為ではるちゃんが道を踏み外したらって考えると、私……』

「う…………──ゴメンね。アイツが逮捕される前に、せめて反省して謝らせたかったんだ……」

『でもその為にはるちゃんも捕まってたら私、自分で自分を責めてたと思うよ。この先ずっと』

「……そうだね。ホントにそうだ……」


 今からでは遅いかも知れない。しかし、それでも一度しっかり話す必要がある。そう考えるようになったのは、オーマ=ヴィオレットの配信を見たのが切っ掛けだった。

 そして、そんな親友の言葉を受けて、真崎遥香は己の行動を省みる。


(何で忘れてたんだろ……ゆぅちゃんは私よりもずっと優しくて、繊細で……力尽くで謝罪させたとしても喜ぶような子じゃないって、分かってた筈なのに)


 今となっては遠く感じる、幸せだった時間。それを少しずつ思い返す内、自分がどれだけ多くの間違いをしていたのかが徐々に明らかになって行った。


(……復讐って、怖いな。その事ばかり考える内に、もっと大事な事を忘れちゃう……)


 憎んだ相手の事で頭がいっぱいになって、大切な人の記憶が薄れていく。変わっていく。

 そんな行動の虚しさを、漸く真崎遥香は正面から受け止める事が出来たのだ。


「私、約束するよ。もう二度とあんな事はしないって」

『──うん! お願いね』


 一度は途切れてしまったが、長い付き合いだ。

 真崎遥香がこの表情で交わした約束を違えない事をよく知っていた井原侑里は、安心したように微笑むと……そこから一転して、決意を秘めた表情で真崎遥香を真っ直ぐ見つめた。


『……実はね、私……もう一度ダンジョンに潜ろうって思ってるんだ』

「え!? だ、大丈夫なの!?」

『正直、まだ魔物は怖いよ。でも……やっぱり、もう一度はるちゃんと──『春葉アト』と一緒に探検したいから』

「──! ゆぅちゃん……」


 自分の事をダイバーとしての名前で呼ぶ親友……それはもう一度、自分もダイバーに戻ろうと言う覚悟の現れだ。

 真崎遥香として……いや、春葉アトとしても応援したい。折角前に踏み出す勇気を持ってくれたんだから、と。


(だけど、今の私はダンジョンに潜れない……)


 例え浅層だとしても、ゴブリンやコボルトだって殺意は本物だ。万が一に備えて誰かがそばに居てあげないと……彼女のトラウマが悪化してしまうかもしれない。それだけはダメだ。

 真崎遥香は考える。


(ラウンズの誰かに護衛を……でも、知り合いの前だと変に固くなっちゃうかもしれないし、傷痕だらけの姿を知り合いには見られたくないかもしれない。だけど、新しく入った子達に任せるのも不安だし……)


 考えて、考えて……その時、脳裏に過ったのは一人の知り合いの顔だった。


(──そうだ! ()に頼んでみよう!)


 彼ならばこう言った事にも詳しいし、対応も心得ている筈だ。何せ、彼が大学に通うのだってそれが理由なのだから……その事を思い出す度に『彼しかいない』と確信した真崎遥香は、早速その事を井原侑里に伝える事にした。


「──あのさ……それなら一人、一緒に潜る相手として紹介したいダイバーがいるんだけど……」



「……成程、それで俺っすか」

「ゴメンね! あの子の知り合いじゃない人で、信頼できるダイバーって言ったら君くらいしか思いつかなくて!」


 『ヴィオレットちゃんは学校とかもあるだろうし……』と、真崎先輩に両手を合わせて拝むように頼まれたのは大学の講義が終わった後の事だった。

 最初はてっきりサークル活動の関係かと思ったが、話を聞けば彼女の知り合いがトラウマを克服するのを手助けして欲しいとの事。


(この話に出てきた知り合いって……多分、この間の紫織(ヴィオレット)の配信で真崎先輩が話してた友人の事だよな……?)


 確か、フロントラインの送り込んだスパイに騙されて死にかけたって言う……

 だとすると、その人の抱えるトラウマは相当なレベルだと想像できる。魔物を前に怯えてしまうだけならまだマシな方で、下手すると人と魔物の区別もつかないほど錯乱してしまうかも知れない。何せ、真崎先輩の話によれば、向かうのは浅層。……『人型の魔物』しか出てこないエリアなのだから。


「君の実力も見込んでのお願いなんだ! ほら、君って『ダンジョン療法士』になるのが目標って言ってたでしょ? きっと君の経験にもなるからさ!」


 『ダンジョン療法士』。それはずっと昔、俺の先天性の病気を治してくれた職業だ。

 物心ついたばかりの頃に、俺はその人と一緒にダンジョンに初めて入った。危険の少ない浅層の、更に浅い場所だったが、それでも周囲は真っ暗闇で直ぐに泣き出してしまったのを覚えている。

 だけどあの人はそんな俺を宥めながらゴブリンやコボルトを倒し、俺がレベルアップするまで守り抜いてくれた。

 彼の腰に付けたランプの光が揺れて、ダンジョンの壁や地面に踊る影絵を見ている内に時間は過ぎて行った。……気が付いた時には自分の身体の不調は消えていて、ダンジョンから出て来た俺を、両親は泣きながら喜んでくれたっけ。

 ……その記憶が俺の一番古い記憶で、だから俺は自然と彼のようになりたいと思ったんだ。

 だから、真崎先輩からこの話を聞いた時には既に俺の心は決まっていた。


「……そうですね。俺もその人の力になってあげたい気持ちはあります。ただ……」


 心は決まっているが、それとは別に一つ確認しなければならない事があった。


「先ず聞いておきたいんですが、その人って何レベルなんです?」

「レベルは確か……38だったかな。あたしが最後に確認したのは」

「38……俺と同じか」


 まだ相手のジョブや経験がどの程度かは分からないが、それでも今の俺とそこまでの開きは無いだろう。

 向こうにブランクがあると言っても、そもそも俺自身あまり積極的にダンジョンに潜ってはいないのだから。


(もしも魔物を見て錯乱してしまった場合、俺一人では落ち着かせられるか不安だな……)


 サークルの仲間について来て貰うのも手かと考えたが、正直今のサークルメンバーでまともに戦えるのは俺か真崎先輩くらいだ。そして、真崎先輩は謹慎中……と、なれば……


「あの……俺一人だと不安が残るので、助っ人を呼んでも良いですか?」

「助っ人かぁ……因みにその人って男? 女?」

「え?」

「言おうかどうか迷ってたんだけど……実はその子、過去の一件が原因でちょっと男性不信気味でね。君の事はあたしのよく知る後輩で安全だって説得できたんだけど、流石に『知り合いの知り合い』は中々信用できないでしょ……?」

「あー……」


 成程。事情としては分からなくもない。

 だが俺が呼ぼうとしている助っ人は紫織の事だ。

 ……まぁ、元が俺ではあるが今の紫織はどう見ても女だし、どの道姿も自在に変えられる奴だしな。まあ問題無いだろう。


「安心してください、女性ですよ」

「そっか。なら大丈夫だと思う。まぁ、実際に助っ人の予定が合うかの確認の為にも日程を伝えるけど……」


 こうして、オーマ=ヴィオレットの知らない所で話は進んでいった。

時系列は春葉アトがアークミノタウロスを倒した後です

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