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第41話 フロントライン崩壊

 『そこで見ていてね』と言ったように、春葉アトはアークミノタウロスとの戦いにこれ以上私を巻き込む気はないようだ。


「ハッ!」

「ゴフッ……ッ!?」


 彼女はアークミノタウロスの拳を受け止めた状態から身を捻り一息に懐に入り込むと、そのがら空きの腹に向けて全力の蹴りを叩き込んだ。

 その一撃でアークミノタウロスの巨体は浮き上がり、左手に握ったままの戦槌ごと数m程も吹っ飛ばされた。


「まだまだ! ──【スティグマ】ッ!」


 春葉アトが何らかのスキルを発動させると、鎧の上から全身にかけて茨のような模様が浮かび上がる。光り輝くそれは、彼女に力を与える祝福であるかのようにも、彼女を苛む呪いであるかのようにも見えた。

 直後追撃を入れる為に地面を蹴った春葉アトの脚力により、ダンジョンの床が爆ぜる。そして駆け出した彼女の速度は、全身に甲冑を着込んでいるのにも拘らずとても人間とは思えないものだった。ハルバートの刃から噴き出したエンチャントの炎が長く尾を引き、彼女の動きを空中に描く。


「ッ! ヴォオオオオッ!!」


 高速で襲い来る春葉アトの姿に、魔物である筈のアークミノタウロスの方が怯んだ。そして、半ば条件反射のように振るわれた戦槌が、掬い上げるような軌道で春葉アトにカウンターを叩き込まんと迫る。

 しかし──


「──【ウェポン・ガード】!」


 そのカウンターに対して更にカウンターとなるスキルが、春葉アトの前に劫火の壁を生み出した。


「グアアァァァァァッ!!?」


 巨大な炎の壁は戦槌の一撃を受けた途端に火山の噴火のような爆発を引き起こし、アークミノタウロスを呑み込む。

 苦痛に絶叫を上げてのた打ち回る姿は、それが下層から来たイレギュラーケースである事さえ忘れさせる程哀れに見える。

 だが私の頭はその時、一つの疑問に埋め尽くされていた。


(……おかしい。【ウェポン・ガード】と言うスキルについては私もリスナー達から教えて貰って知っているが、あんな強力な効果じゃない筈だ)


 あのスキルは本来、『武器を盾として扱えるようにするスキル』だ。武器を魔力でコーティングする事で『一秒程度の短時間だけ受けた衝撃を反射する盾を生み出す』と言う物で、丈夫な防具どころか小さな盾も装備しない私の身を案じたリスナーに教えて貰った。

 『反射』と言えば強そうな印象を受けるが、実際には受けた衝撃の強さに応じて相手を吹っ飛ばすと言う、所謂『ノックバック』を引き起こす物であり、本来ダメージらしいダメージは期待できない筈なのだ。

 炎を吹き出した辺り【エンチャント・ヒート】が影響を与えているのは間違いないが、それだけであんなとんでもない火力にはなるまい。間違いなく何かのからくりがある筈なんだが……


「これで止め! ──【パワースラッシュ】!」

「ガァ……ッ!」


 ……と、そんな事を考えている間に彼女は燃え盛るハルバートでアークミノタウロスを真っ二つにし、止めを刺してしまった。

 時間にして数十秒……たったの一分も経たずに下層の魔物が中層ダイバーに圧倒されるという、常識を逸脱した光景がそこにはあった。

 その後、巨体を構成していた塵の山からスイカのような魔石を取り出した春葉アトが、それを腕輪に回収してこちらに向き直り笑顔で手を振ると……


「おーい! 終わったよー!」

「ヒ……ッ!」


 その姿に短く悲鳴を上げたのは、私の直ぐ後ろから彼女の戦いを見ていたエンドだった。

 彼は今の戦いで自分達がどれ程手加減されていたのかを思い知ったのだろう。つい数十秒前まではあった傲慢さは、すっかり鳴りを潜めていた。

 そんな情けないエンドの姿に呆れながら、私も春葉アトに対して手を振り返す。


「凄いですね……前々から強い人だとは分かってましたけど、まさか下層の魔物もあっさり倒せるほどだとは……」

「まぁ、流石にあれだけ早く倒すにはさっき見たいに『奥の手』を使わないと駄目だろうけどね~」

「奥の手ですか……?」

「再使用に条件があってねー……と言っても、スティグマの方の条件は簡単なんだけど」


 どうやらさっきのスキル──察するに、【ノブレス・オブリージュ】は相当な切り札だったようだ。

 だが、彼女の口ぶりからすると、アークミノタウロスを倒すだけならば奥の手を使う必要も無かったらしい。

 じゃあ、一体どうして今回彼女はそんな切り札を公開したのだろう……私がその疑問を投げかける前に、徐に駆け出す者が居た。


「──あっ、エンドが!」

「はぁ……っ! はぁ……っ! くそっ、あんなバケモンに付き合ってられるか! とにかく今は下層に……!」


 それはさっきまでへたり込んでいたエンドだった。

 彼はアークミノタウロスが倒された事を今しがた漸く思い出し、下層の一番乗りを果たすべく走っている様だった。しかし──


「逃がす訳無いでしょ。大体、リーダーがクランのメンバー捨ておいて駆け出すってどうなのさ?」

「ぐぇ……ッ!?」


 直ぐに春葉アトに纏っている鎧の首元を掴まれて、その場に転がされる。

 そこで流石に心が折れたのだろう。エンドは今度こそ無駄な抵抗を止めて、力無く項垂れた。

 ……これが仮にもトップクランのリーダーとして知られた男の末路か。そんな感慨に耽っていると、背後から誰かが近付いて来る気配を感じたので振り返る。


「あっ、どうもすみません、今よろしいでしょうか?」

「えっ? ……えっと、貴方達は確か……?」


 そこに居たのは、以前も一度見かけた顔ぶれだ。

 具体的には、私に小型の香炉を取り付ける等の攻撃を行って来た男を捕縛した際、その身柄を引き取りに来た時の……


「はい、ダイバー協会の者です。実は、あの時の男の供述を元に警察が捜査したところ、あの男とそこのエンド氏との繋がりを示す証拠が見つかりまして……」

「は、はぁ……」


 私が彼からの説明を受けている間も、他の協会職員がエンドとフロントラインのダイバー達の身柄を確保するべく動いている。きっと、他のメンバー達も今頃同様の理由で協会職員達が接触しているのだろうな。


「そっか、これで終わりか……最後は呆気ない物だね」

「アトさん……」


 この後、恐らく彼等のダイバー資格は剥奪され、二度とダイバーに復帰する事は無いだろう。

 いや、もっと言えば向こう十年以上は社会に復帰する事も出来ない可能性が高い。何せ、彼等の黒い噂には事欠かないのだから……

 彼女の行動理由を考えれば、今回の結末はきっと受け入れがたい物だろう。結局最後までエンドからの謝罪の言葉は無かったのだから。


 なんとも形容しがたい表情の彼女に見つめられながら、エンドの腕からダイバーの証である腕輪が外され、代わりに手錠がかけられた。

 彼等の最前線(フロントライン)は終わったのだ。『カシャン』と言う小さな金属音が、その時を告げた。それと同時に……


「──あ、エンチャントが……」

「あは、タイミング良いね。『復讐に燃えるのはもう終わり』……って、あたしの相棒(ハルバート)も言ってるのかな?」


 彼女のハルバートからエンチャントの炎が消える。

 あれからもう二十分も……いや、二十分しか経っていないのだ。それだけの短い時間に、今日は随分と色々あったように思う。

 そう意識すると、不思議とドッと疲れが込み上げて来た。


「はあ~……」

「お疲れ様、ヴィオレットちゃん。今日は貴女にいっぱい助けられた気がするよ」

「いえ、私こそ色々とお世話になりました」


 特にアークミノタウロスの反撃を防いでくれたのは助かった。おかげで私の秘密も守られたような物だ。……まぁ、この中層で春葉アトに遭遇しなければそもそもそう言う状態にもならなかったと思うけど、そこは今は置いておこう。今日はもう本当に疲れたのだ。そろそろ配信を終えて帰りたい気分……


「……そう言えば、アトさんはこのまま下層に行くつもりですか?」


 もしもそうなら、折角だからもう一回くらいは【エンチャント】しても良いかなと思っての何の気無しの問いかけだったのだが、彼女から帰って来たのは予想だにしない回答だった。


「ううん。あたしはちょっと……この後、協会に行こうかなって」

「え……」


 一瞬、言葉が詰まる。

 エンドが捕まったこのタイミングで、彼女も協会に顔を出す……そこに因果関係を感じずにはいられない。


「あっ! もしかして、過去の一件の事を伝えるんですか?」

「それもあるけど……あたしも悪意でエンドを足止めしてたからね、ちゃんとケジメはつけないと」

「あ……」


 内心で思っていた『外れて欲しかった予想』は的中していた。

 ……しかし、彼女の性格を考えれば当たり前の決断とも言える気がした。

 人を助ける事が多く、優しく面倒見が良いと評判の彼女は、それと同時に他者を悪意を持って傷付ける行為を最も嫌う。

 今回は結果的に『未遂』で終わったが、嘗ての復讐の為に彼女が動いたのは事実。……例え、ここで私がどんな言葉を投げかけたとしても、彼女の決断は変わらないだろう。それが分かったから、私は咄嗟に何の言葉もかけられなかった。


「今回の事を洗いざらい話すつもり。エンドを糾弾しておいて、あたしが自分のした事から逃げるって訳には行かないでしょ。……まぁその結果、どうなるかは分からないけどさ、ダイバーは辞める事になるかも?」

「……どうしてそんなにあっけらかんとしてるんですか」


 もしも自分が彼女と同じような立場に立たされたとしたら、きっと私は納得なんて出来ない。

 これ程までの実力を手に入れる為に彼女が費やした時間を考えれば、なおの事あんな男の為に棒に振るなんて考えられない筈なのに……

 私のそんな問いかけに、春葉アトは少しだけ考えてから答えてくれた。


「そうだね……きっと、貴女のおかげだよ」

「私の……?」

「そ。エンドの事を許せないってのも私の本心だけど……それでも、今こうして自分の心と向き合うとさ、感情ってそんなにシンプルじゃないんだなって分かったんだ。確かに最後までエンドは反省してなかったし、私の目指した結果とは違ったけど……あそこでエンドが死ぬよりは、この結末で良かったって思うもん。もしもエンドが死んでたら、きっと今頃私は笑えてなかったよ」

「……」


 そう言って彼女は笑って見せた。

 私が判断する限り、その笑顔には一切の嘘が無かったように思う。


「だから、ありがとね。……あの時、貴女と会えて本当に良かったよ。ヴィオレットちゃん!」

「あ……」


 彼女がくれたその言葉に、胸がいっぱいになる。

 『貴女と会えて良かった』なんて、私の長い生涯に於いて言われた事なんて無かったからだ。

 それと同時に、凄く残念な気持ちになった。そんな言葉をくれた彼女と、もう一緒に探索出来ないかも知れないのだと言う実感が込み上げて来たから……


「あっ、そうそう! フロントラインが居なくなった今、この先の攻略最前線を巡る競争は激しくなると思うけど、あくまでも自分のペースでね! 無理して先に行こうとすると、どうなるかは保証できないからさ! ……ヴィオレットちゃんの配信を見てるダイバーの皆もだよ?」

〔ぎくっ!〕

〔正直ちょっと無茶しようとしてたから刺さるぜ…〕

〔見事に釘を刺されたわw〕

〔チャンスなのは間違いないもんなぁ〕


 最後に春葉アトがくれた忠告に、何人かのリスナーは軽率な行動を取りやめてくれそうだ。正直私には出来ない配慮だった為、彼女が代わりに注意してくれたのは本当に助かった。

 私も今後の配信ではリスナー達の行動に影響を与える事も増えてくるだろうし、こう言った配慮も気にして行かないとな……


「……じゃあ、またね! あたしの処分が軽く済んだら、いつかダンジョンでもう一度会おう!」


 最後にそれだけ言い残して春葉アトはダンジョンを後にした。協会に向かった彼女とダンジョンで再会できるのかは分からないけど、出来るだけ早くその時が来て欲しい。そう思わせる人だった。


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