第2話 憧れた景色
「──なるほどね……『紫織』ちゃんが気が付いた時にはここにいた、と」
「はい。私も何がどうなっているのか……」
互いに軽く自己紹介を済ませた後、私は目の前のこの男──『蒼木斗真』に対してそう説明し、出口への案内をしてもらっていた。ちなみに、『紫織』と言うのは私の名乗った偽名だ。
案内して貰っている道中では、ゴブリンやコボルトといった様な小型の魔物が時々現れ、その度にこの男は私を庇いながら戦闘を繰り返していたのだが……
(太刀筋は悪くない。ある程度戦い慣れているのも分かるし、立ち回りも安定しているが……)
前世では、ゲームやアニメを代表とする『創作物』にしか存在しなかった空想の産物であるダンジョン。そこを前世の私とそっくりな男が皮鎧を纏い、ショートソードを片手に歩く光景のなんとシュールな事か。
そんな事を考えながら『俺』の戦いを観察している内、彼の身に付けている物の中に一際異彩を放つ装備品がある事に気付いた。
「……すみません。先程から気になっていたのですが、その『腕輪』は何でしょうか?」
「は? ……腕輪を知らないのか? 最初に見た時から付けてないなとは思ってたが……」
私が尋ねると、彼は左腕に装着した武骨な腕輪を指し示しながら訝し気に問い返してきた。
ランプの明かりを鈍く反射する金属製のそれは、一見した感じだと鉄やステンレスに近い材質で出来ているように見える。
しかし、道中で彼が度々腕輪に目を落とす度、その表面からはホログラムが浮き上がっては何かしらの情報を彼に伝えているのが傍目からも分かった。
私が居た異世界にそんな物はなく、当然前世でも見た事も聞いた事も無い。どちらかと言えば、近未来のSF作品に登場するようなオーバーテクノロジーと言った印象だ。
だが彼の反応を見る限りでは、どうやらここはそれが当然のように存在する世界だったらしい。
「……もしかして、今私なにか変な事聞きました?」
「そりゃあ……あり得ないとまでは言わないけど、ここに来てる奴が知らないってのは……──ああいや、そう言えばどうやって来たのかも覚えてないのか。もしかして俺、厄介事に巻き込まれたかなぁ……」
後半はこちらに聞こえないように小声で話していたが、生憎魔族の耳を持つ私には筒抜けだ。
……しかし、そうか。だとするとこれは──
(帰る世界を間違えたみたいだな……)
ダンジョンとSF。それぞれの世界観に片足ずつ突っ込んだようなこの光景は、どう考えても前世の私が居た場所ではあり得ない。
そもそも、目の前を歩く『俺』自体にも無視できない問題点がある。
見た感じ彼の年齢は18~20歳といったところだが……私は前世でそこまで長生きしていない。
今でもはっきりと覚えているが、『俺』の享年は15歳。先天性の免疫不全の所為で様々な合併症を引き起こし、闘病も虚しく死んだのだ。
(とすると、ここは昔アニメか何かで見た『パラレルワールド』って奴なのか?)
それとも前世とも先程までいた世界とも違う、更なる異世界なのか……どちらにせよ、この世界に既に『俺』──蒼木斗真が居ると言う事は、ここは日本。それも、前世の私の死後数年が経過した日本と言う事なのだろう。
(これは、かなり困った事になったな……)
異世界ならともかく、現代日本では住民票や戸籍と言った制度がある。
【変身魔法】で姿は誤魔化せても、そのままでは安定した生活基盤を整えるのはかなり厳しいと言わざるを得ない。
だから私は【変身魔法】を使って『死んだ直後の蒼木斗真』に成り代わり、奇跡的に病気が治ったと言う事にして生きていく予定だった。
一度身分を得てしまえば後は簡単だ。そのまま数年生活した後に『海外で子供が出来た』等の理由を付けて、私自身の住民票と戸籍を手に入れてしまえば良い。
不老の魔族に寿命等は存在しないので定期的に子供になる必要はあるが、とにかくそれで私と言う存在はこの世界に定着できる予定だったのだ。
しかし、まさかこっちの世界に来る日付が数年レベルでズレるとは。しかも、蒼木斗真……『俺』も生きている。折角日本に来れたと言うのに、このままでは結局人間から逃げ隠れる生活に戻ってしまいかねない。
(こうなったら、仕方ないか……)
「あの、蒼木さん。このダンジョンから出たら、私を貴方の家に連れて行ってくれませんか?」
即断即決。あんな生活に戻るくらいなら、私は何が何でも『俺』の家に上がり込む。
「えっ……、急に何を……?」
「お願いします!」
「いや、そうは言うけどな……」
しかし見上げる姿勢で目を合わせて頼み込んでも、反応は芳しくない。
自分でやっておいてなんだが、私も彼の立場だったらいくら美少女でもこんな怪しい奴を家に招いたりはしないだろう。普通ならば。
だから、『俺』には悪いけど──
(【魅了の魔眼】!)
「──! ……ま、まぁそこまで言うなら何か事情もあるんだろうし……いいぞ」
「ありがとうございます!」
少々強引な手段を使ってでも実家に上がり込ませてもらう事にした。
まんまと魅了にかかった『俺』に許可を貰い、笑顔で礼を言う。
【魅了の魔眼】の効果は弱い。相手の自由意思を奪う事が出来る訳でもなければ、行動を操れる訳でもない。ただ、私自身をとにかく『好みのタイプだ』って思うくらいの印象操作が出来るだけだ。
しかも、ちょっとした切っ掛けで悪印象を持たれれば即座に解除されると言う、ものすごく気を遣う魔法なのだ。
しかしその分違和感を抱きにくく、ついでに感知もされにくい為、異世界で人間社会に紛れ込む際には重宝していた。
(人間社会か……懐かしいな。最後に人の街に住んだのって何百年前だっけ)
「──出口が見えたぞ、紫織」
そんな事を思い返している内にダンジョンの出口についたようで、『俺』がこちらへと左手を差し伸べながら私の偽名を呼ぶ。
いつの間にか目の前には緩やかな坂道が続いており、その先から外の光が差し込んでいた。私は『俺』の差し出した左手に視線を落とし、右手を伸ばす。
「はいっ、斗真さん!」
(まさか自分の事を下の名前で、しかもさん付けで呼ぶ事になるとはな……)
僅かな葛藤はおくびにも出さず、私は笑顔で『俺』の手を取る。そして、共にダンジョンの外へ出ると……
(えっ……)
──以外にもそこには近代的なロビーが広がっており、警備員のような恰好をした人達が大きな声で周囲一帯に呼びかけていた。
「ダンジョンは緊急封鎖となります! 『ダイバー』の方々は日を改めてお願いします!」
「本日緊急事態によりダンジョンには入れません! ご理解をよろしくお願いします!」
どうやらダンジョンの入り口は異世界と異なり屋内に存在していたらしく、呆気にとられた私は思わず背後を振り向く。そこには床が金属板で覆われた一角に、地の底へ誘うような大穴がぽっかりと口を開いているのが見えた。あの大穴が私の飛ばされたダンジョンの様だ。
その後『俺』に手を引かれながら歩いていると、途中でこれまた奇妙な光景を目にする事になった。
「……って感じで、突然ですが今日の配信はここまでとします! 次回は──」
「そう、なんかダンジョンの魔力が急に活性化したらしくてさ……集まってくれたリスナーには悪いけど、今日の探索配信は──」
「そう。やっぱり『マーキング』も使えなくなるみたい。……うん。補填はして貰ったけど、探索は振り出し──」
改めてロビー側へ意識を向けると、男女問わず様々な格好をした人達が空中に浮いた何らかの機械とモニターに向けて『配信』がどうのと話しているのが見える。
彼等は異世界で冒険者が身に付けていた様な装備に身を包んでおり、中には漫画やゲームの世界でしか見ないような恰好をしている者もいた。髪や眼の色もカラフルで、コスプレイベントでもやっているのかと思ったのだが、様子を見る限りはそう言う訳でもなさそうだ。
前世と異世界の常識が同時に破壊された私は理解が追い付かず、ついつい視線を彷徨わせていると──
「あっ、蒼木さん! 見回りお疲れ様でした! ……その子が最後ですか?」
「ええ。もう他に残っているダイバーは居ないみたいです」
「そうですか、確認ありがとうございました。急だったのにこんな依頼を受けて下さり、助かりました」
ピシッとしたスーツを着こなした女性が『俺』の元へと駆け寄り、何事か話しながらロビーに並ぶ受付へと私も含めた三人で歩いて行く。
(こうしてみると、何かの役所みたいだな……)
整然と並ぶロビーソファと、その正面の受付。そしてその上部には整理券の番号でも表示されるのだろう、小さなモニターが取り付けられていた。
そして、私が『俺』の隣へ並んだのを確認した受付の女性がパソコンを操作すると……
『ダンジョンの緊急封鎖を行います。ゲート付近から離れて下さい。繰り返します──』
と言うアナウンスと共に、ダンジョンの方から何か大きな物が駆動するような音が聞こえ始める。
気になり目を向けると、床に開いたダンジョンの入り口が金属扉で閉じられていくところだった。どうやら金属の床だと思っていたダンジョン周囲の一角は、あの金属扉だったらしい。
そして最後にその真上──天井からは巨大な柱のような金属塊がせり出して来ており、最後はその重量で蓋を上から強引に押さえつけ、完全に固定してしまった。
突然の事に呆気に取られていると、ふと受付の女性と『俺』の会話が耳に入った。
「──ダンジョンの成長ですか……ついこの間もあったばかりだと言うのに、今回はまた随分と周期から外れましたね」
「はい。協会の方でも想定外だったみたいで、緊急避難を呼びかけさせていただきました」
(へぇ……異世界ではダンジョンが成長する度に冒険者にクエストが発令されていたけど、現代日本の建築技術があればこうやって封じ込める事も出来るんだな)
だからダンジョンを取り込む形でこの施設を作ったのかと、事情を知れば様々な事に合点がいった。
彼等の会話に出て来た『ダンジョンの成長』とは、内部に溜め込まれた魔力に応じてダンジョンが深くなったり、複雑化したりと変化する事だ。
その際に地形の著しい変化が起きるのは勿論、活性化した魔力でモンスターが大量に発生し、ダンジョンの外にまで溢れ出す事がある。
あの蓋と柱は、そう言った魔物の氾濫を防ぐ為の装置なのだろう。
(しかし、周期を外れたダンジョンの成長か……もしかして、私が原因だったりするのか?)
本来ダンジョンの成長は数年に一度といった周期で起こるものだが、何らかの原因でダンジョン内部の魔力濃度が急激に高まると、周期に関わらず突然ダンジョンが成長する事があるのだ。そのタイミングで私がこの世界にやって来たのは、偶然で片付けて良い物なのか……
「紫織? どうしたんだ、行くぞ?」
「あ……はい!」
どうやら私が考え事をしている間に彼等の会話は終わっていたようだ。少し離れた所からの『俺』の呼びかけに思考を打ち切り、慌てて駆け寄る。
(今は何かを考えようにも材料が足りないし……何より今は、早く外の光景が見たい!)
ガラスの自動ドアから既にその光景は見えているが、だからこそ早くそこに一歩踏み出したいと言う興奮が勝る。
衝動のまま『俺』の手を引き、二人でロビーのエントランスから外に出ると、すぐ目の前には巨大な交差点。車道を行き交う無数の自動車と、横断歩道の前に集まり信号の切り替えを待つ大勢の人影。
そして、いつかと同じように真っ赤に色付いた街路樹。何の因果か、今の季節もまた秋の盛りだった。
そこにはまさに、私が帰りたいと願っていた日本の景色が広がっていた。
(ああ……間違いない、東京だ! 帰って来たんだ!)
勿論ダンジョンがある事を始めとして、私のよく知る日本とは様々な違いはあるのだろう。
しかし、それでももう一度この地に足をつけたのだと思うと、胸の奥からどうしようもない喜びが湧き上がってくるのを感じる。
「お~い?」
「はいっ! すぐ行きます!」
感慨深さから度々足を止めてしまう私を急かす、その響きさえも心地良い。
共に『俺』の家へと向かう道中、私はついついステップを刻みそうになる程の高揚を抑えるのに必死だった。