第37話 再燃する怪物
〔トラップスパイダー:
全長50cm~1m程の白い蜘蛛の魔物で、天井付近に巣を張り、死角から糸を飛ばして妨害を行う。その際、武器や腕輪を優先的に狙う事が分かっており、高い知能を有しているとされる。腕輪が糸に包まれてしまうと音声が腕輪に届かなくなり、一時的に腕輪の機能が封じられてしまう事から『ソロ殺し』『ダイバー殺し』と呼ぶ者もいる。現在は渋谷ダンジョンでのみ生息が確認されている固有種。〕
初めて遭遇する魔物についていつも解説してくれているおなじみのコメントに目を通し、トラップスパイダーを注意深く観察する。
この魔物については私もあまり多くを知らない。異世界では見た事が無い魔物だからだ。
似たような蜘蛛の魔物は何種類か知っているが、そいつらはいまコメントで解説されたような知恵を持ってはいなかった。
「ちなみにトラップスパイダーは初めて?」
「はい。腕輪を狙って来るって解説してくれるコメントがありましたけど……」
「大体合ってるよ。腕輪を包まれたら何とかして糸を排除しないと、アイテムの取り出しも撤退も出来ないから要注意。あとトラップスパイダーが巣を張ってる近くには、高確率で他の魔物も潜んでるんだけど……」
〔他の魔物との戦闘中にちょっかいかけて来るのが得意な魔物だしな…〕
〔オレ、このクモ、キライ!〕
〔本体の攻撃性能はそれ程でもないんだけどね…まぁそれでも滅茶苦茶ウザいんだけど〕
〔腕輪とか武器を糸で引っ張られるとそれだけで他の魔物との戦闘が一気に不利になるからマジでソロだと無理ゲー強いられる〕
そう言って周囲を暫く見回す春葉アトだったが、少なくとも私には他に魔物の気配は感じられない。と言ってもさっきトラップスパイダーの存在に気付くのが遅れたように、そろそろ気配だけで全ての魔物の接近を感知するのは限界なのかもしれないな。
「──うん、居ないみたいだね。だったら、ここはヴィオレットちゃんに任せてみようかな?」
「え?」
「勿論危なくなったらあたしが助けるからさ、ここは大船に乗った気分で色々と試してみなよ!」
「は、はい」
〔これは良いチュートリアル〕
〔アトさんみたいなベテランダイバー(美女)にこう言う面倒見て欲しいよな俺もなー〕
どうやら彼女は、この状況をトラップスパイダーへの対処に慣れさせる為に丁度良いと踏んだようだ。
実際対処を間違えれば初見で殺される可能性もある魔物の様なので、彼女の提案に乗らせて貰う形で色々と試してみる事にする。
(取りあえず『本命』は後回しにして……)
「──【エンチャント・サンダー】!」
ナイフに雷の魔力を纏わせて投擲してみる。巣を構成する糸の強度と、電気を通すのかを確かめる為だ。
しかし結果は──
「成程。ナイフの投擲程度では糸を断つ事は出来ず、電気も通さないと。ふむ……ナイフ返して下さい!!」
〔草〕
〔巣にナイフ取られてて草〕
〔お前が投げたんじゃい!!w〕
「あはは! 今度からは細い糸とか柄に巻いておくと良いよ」
「ぐぅ……分かってますけど、太いロープやワイヤーくらいしか今持ってないんですよ……」
「あー、確かに探索で細い糸って中々使わないもんね」
弓使いとかのジョブなら予備の弦を持ち歩くらしいが、それ以外のジョブだとそう言う機会も殆ど無いだろう。
とりあえず今度何処かの店で丈夫で軽いワイヤーか何か買っておこうかな……と、新しく反省点が見つかったところでトラップスパイダーが巣の上を移動し始め、やがて巣の端っこから逆さまの状態になると、こちらへと尻を向けた。
「──っと、危ない!」
次の瞬間、高速で吐き出された糸を身体を捻って回避する。狙って来たのは腕輪……やはり、情報通りに武器や腕輪を優先して狙うようだ。
しかし、この攻撃は私に対しては悪手だと言える。それを証明するように、私は回避した糸を直ぐに左手で掴み取る。そして……
(この機会に試させて貰おうかな!)
「──【エンチャント・サンダー】!」
雷を付与したのは今しがた掴んだ蜘蛛の糸。そして、その糸はまだトラップスパイダーの尻に繋がっているのだ。その状態で電気の性質を付与されれば、当然──
「ッ!!!!!」
〔おお、通った!〕
〔あれ?さっき巣は電気通さなかったよな?絶縁体って訳じゃないのか〕
〔エンチャントは属性の付与だからな。糸そのものが電気の性質を帯びたら絶縁体だろうと関係無いのよ〕
全身をビクンビクンと痙攣させるトラップスパイダー。
恐らく体内にまで電流が奔ったのだろう。堪らず蜘蛛糸を切断して巣の上に戻るがその動きは鈍く、見るからに消耗している。このままこちらの攻撃の届かない場所で体力の回復を図るつもりなのだろうが、そんな時間を与えるつもりは無い。
「──【ストレージ】」
腕輪から取り出したのはダンジョンワームに対しても使用した、ランプ付きのロープだ。
手元で軽く振り回し、遠心力を利用した投擲でトラップスパイダーの巣にキャッチして貰う。これで巣に繋がる導火線を用意出来た。
「観念して降りて来なさい! ──【エンチャント・ヒート】!」
「おおー!」
〔焼 き 討 ち〕
〔火 炙 り〕
〔新手の拷問だろこれ…〕
炎が付与されたロープに引火し、トラップスパイダーの巣が忽ち燃え上がる。
ボロボロと崩れる巣は直ぐにトラップスパイダーの体重を支えられなくなり、落ちて来た所を──
「──【エンチャント・ヒート】! ハァッ!」
〔火!からの火!〕
〔こうして見るとやっぱ火属性って便利だよなぁ〕
〔文明生むだけはある〕
炎を纏ったローレル・レイピアの一突きに貫かれたトラップスパイダーは、全身をビクンと震わせた後に脱力。そのまま塵へと還った……のだが……
「……えっ、あれ!? 魔石ちっちゃ!?」
〔気付いてしまわれましたか…〕
〔トラップスパイダーが嫌われる要因の一つよ…〕
〔見つけたら狩らないとヤバいのに、苦労して狩ってもコレって言うのがなぁ…〕
体の中から転がり落ちた魔石のサイズは私がこれまで見た魔石の中でもかなり小さく、下手すればゴブリンの物よりも小振りなのではないかと思わずにはいられない程だった。
「あはは、やっぱり皆思うよねぇ~……中層に出てくる魔物の中では断トツで小さいしさ。まぁ、流石にゴブリンの魔石よりは高く換金できるけど」
「……ちなみに、どのくらいなんです?」
「1,800円」
「わ……割に合わない……!」
〔わかる〕
〔苦労とリスクを考えればせめて5,000くらいは欲しい〕
割と本格的に命を狙って来る割にゴブリンコマンダー以下って、どう考えても価格設定狂ってるだろ……
「これでも色を付けて貰ってる方だと思うよ~……大学の実験でも使った事あるけど、何故かトラップスパイダーの魔石ってゴブリンの魔石を下回るレベルで粗悪品なんだよね。価値らしい価値にしても、精々渋谷ダンジョンの中層でしか確認されてないって言う希少性くらいだし」
「えっ……そうなんですか?」
〔それは知らんかった〕
〔てっきり小さいから安いのかと…〕
「こう言った固有種がいるダンジョンは珍しいんだけど、生憎お金にならない割に狂暴って言うのが渋谷ダンジョンの残念なとこだね」
渋谷ダンジョンの固有種なのは調べて知っていたけど、まさか魔石の質がそこまで低いとは……
当然だが魔石の換金額はその魔石の質に比例する。そして基本的にはダンジョンの層が深くなればなるほど、魔石の質は良くなっていくのだが……
(中層に出てくるくせにゴブリンよりも魔石の質が劣るなんて……変わった魔物だな)
拾い上げた小さな魔石と巣を燃やした時に落ちて来たナイフを一緒に腕輪に収納しながら、そんな事を思う。
やはりどうもおかしい。知能や脅威度の高さとますますつり合いが取れないのだ。これだとどうやって現出しているのかも……と、そんな事を考えていると、ふと春葉アトの視線が私のローレル・レイピアに注がれている事に気付いた。
「えと……アトさん?」
「おっと、ゴメンね! ジロジロ見ちゃって。前々から思ってはいたけど、やっぱり【エンチャント】系の魔法って便利だなぁって思ってさ」
「あっ、はい。消費魔力も少ないですし、色々と応用できるので助かってます」
〔応用前提のスキルだよな〕
〔ここまで応用を求められるスキルも珍しいと思う〕
彼女も私の配信は見てくれている様なので、今日はどんな風にエンチャントしてここまで来たのかを軽く説明してみる。
すると、私の話を聞き終えた春葉アトは、こんな質問を投げかけて来た。
「もしかしてなんだけどさ……それって、あたしのハルバートにも付与できたりする?」
「う~ん……多分、出来ると思います」
本来エンチャントは対象に制限のない魔法だ。流石に『他人や魔物の身体を直接燃やす』みたいな事は相手の魔力が干渉してくる関係で上手く行かないが、意志の宿っていない物であれば例え魔力を帯びていようと問題無く属性の付与は出来る。……まぁ、元々何かしらの属性を持っている物に対しては新しく属性を付与したりとかは出来ないんだけど、見た所春葉アトの持っているハルバートはそう言った属性を帯びた武器じゃない。問題無く可能な筈だ。
〔えっ、ダンジョンでヴィオレットちゃんにあったらエンチャントしてくれるんか!?〕
〔凸はやめろよ。迷惑だから〕
「あ、そうですね。アトさんの場合は今まで何度か助けて貰ったので、お礼と言うか……えっと、そう言う訳なんですけど、一度試してみますか?」
早合点したリスナー達にそう釘を刺し、改めて春葉アトに『エンチャントしてみますか』と提案すると、彼女は満面の笑みで頷いた。
「うん! 実はちょっと興味あったんだ~! リスナーの皆にはちょっと悪い気もするけど……」
〔言うてコマンダーの時も駆けつけたのアトネキだけだったしな〕
〔騎士姉さんならまあええか〕
〔エンチャントも別に永続って訳でもないしなぁ…そう嫉妬する程でもないやろ〕
少しコメントの様子を見たが、そこまで荒れている訳でもなさそうなので問題無いだろう。
となると、後は付与するタイミングと属性についてだが……
「それでは付与のタイミングは次の魔物が出た時と言う事で……因みに今の私が付与できるのは『火』『雷』『闇』の三属性ですけど、どの属性が良いですか?」
「んー……決めるのは出て来た魔物を見てからかなぁ。因みに効果時間ってどのくらいなの?」
「えっと、多分20分くらいですかね……? 正確に測ってないのでわかりませんが」
実際は1時間くらいは余裕なのだが、流石にそれを告げてしまうと引かれる可能性があったので少なめに伝える。
「そっか~……じゃあ戦闘できるのは多くても5回くらいかな?」
「5回もですか!?」
「連続で魔物が出てくれれば20回は余裕かも! なんてね~」
〔流石に無茶やろw〕
〔いや春葉アトならやりかねん〕
一体どこまでが冗談なのかは分からないが、少なくとも全くのハッタリと言う訳ではないだろう。ちょっとした仕草からも、彼女の嘘偽りない余裕を感じる。
中層を歩いていると言うのにこの平常心と言い……果たしてこの人の適性深度は本当に中層止まりなのだろうか……
そんな疑問を抱きつつ、何気ない会話を続けながら歩く事数分……──ふと春葉アトが脚を止めた。
「──来たね」
「え……、っ!?」
彼女の言葉に脚を止めた数秒後、私はそこで地面の下から振動を感じた。
特に合図をした訳でもないのに二人同時に飛び退くと、ほぼ同時に地面を食い破って本日二度目の巨体が姿を現す。
(ダンジョンワーム!)
「──【ストレージ】……っ、そう言えばもうカラーボールが……!」
〔さっきので最後だったのか!?〕
先程の戦闘で有効だった即席ナパームをもう一度使おうとストレージを開くが、そこに一つもカラーボールが無いのを見て『そう言えばさっき使用したのが最後の一つだったな』と思い出す。
こうなったら仕方が無い。多少面倒ではあるが、慎重に──
「ヴィオレットちゃん、ヴィオレットちゃん!」
「えっ」
〔アトネキにっこにこで草〕
〔ダンジョンワームがいるんですよ!?w〕
〔期待の眼差しwww〕
声に視線を向けると、そこにはハルバートを指し示してうずうずした表情の春葉アト。
そう言えばエンチャントする約束をしていたっけ……
(しかし、中層でもかなり狂暴な筈のダンジョンワームを前にこんな表情が出来ると言う事は、エンチャント無しでも余裕で倒せるんじゃ……?)
とは言っても、約束は約束だ。早速首肯で了解を返した私は彼女の元へと駆け寄る。
「属性は!?」
「おすすめで!」
「えぇ……? じゃあ──【エンチャント・ヒート】!」
自分で決めるんじゃないのかと思いながらも、お望み通りお勧めの属性である『火』をハルバートに付与すると、ハルバートの柄の部分はそのままに、斧の刃の部分と槍の穂先に炎が宿った。
「おおっ! これならいつもより楽にやれそう!」
「あ、ちょっ……!」
感激した様な声を上げた直後、居ても立っても居られないとばかりにダンジョンワームの元へ駆けだした春葉アト。せめて彼女の戦闘の援護くらいはしようと、ダンジョンワームの方へ振り返ったその時──
「ギイィィィィィィィッ!!!?」
「──えっ」
〔いや…えっ?〕
〔パラディンやっば…〕
〔パラディン最強説再燃か…〕
既にダンジョンワームの胴体は真っ二つに断ち切られた後だった。