第26話 一度気分を切り替えて
「フロントラインの黒い噂か……確かに大学でもそんな話をチラッと耳にした事はあるな。確かフロントラインは最前線の維持の為に他のダイバーを攻撃している……いや、妨害だったか? まぁそんな感じだったと思う」
「そうなんですね……結構信憑性がある話なんですか?」
「どうなんだろうな。ああ言う有名なとこだとどうしても僻みとかであらぬデマ流されるもんだし、良く言う陰謀論みたいな扱いだと思うぞ」
『俺』に今日の出来事について相談すると、そんな話を聞く事が出来た。一応犯人に繋がる証拠として香炉の画像も見せてはみたが、そちらの方には心当たりもない様子だったのでこの香炉から犯人を突き止めるのはやはり難しそうだ。
そして、配信終了直後に放たれた矢に関しても話したところ、『俺』は眉間に寄せた皺を深めてこう言った。
「そこまで行くと、ダイバー協会どころか警察案件だな。……ただ厄介なのは──」
「分かっています。配信を終了した後に射られた点、ですよね」
当然ながら私に放たれた矢は回収済みで、協会の受付に報告した際に香炉と一緒に証拠として預けてはいるのだが……その際に受付の職員からも『この矢が証拠としてどの程度の効力を持つのかについて保証は出来ない』と伝えられていた。
「……そうだ。ダンジョン内は地上とは違って、刃物や鈍器が当たり前のように振るわれる特別な環境だ。だから回収した矢からもしも犯人の指紋が出たとしても、『魔物を射ようとしたが外れてしまった』と言われてしまえばそれまでだ」
渋谷ダンジョンの上層では、特にすばしっこい魔物や小型の魔物が出てくる。だから例え犯人の指紋が見つかったとしても、悪意の証明が出来なければ『故意じゃない』と言った主張を覆す事は難しい。ダイバーが配信と言う形で探索の光景を発信しているのは、そう言った犯罪に対する牽制の意味も持っているのだ。
だから今回の犯人は、あのタイミングを……私の配信終了直後を狙ったのだろう。かなり悪質と言える。
「矢の一件について、水曜日の雑談配信でリスナー達に聞いてみた方が良いですかね? 皆で話し合えれば、何かしら対策も浮かぶかも……」
「いや、矢について話すのはともかく、配信で対策を相談するのはやめた方が良い。香炉を取り付けられた経緯や、矢を射られたタイミングからしても、相手はお前の配信でタイミングを計っている。対策の内容も筒抜けになるだろう」
「う……やっぱり、そうですよね……」
正直、頭では分かっていた。犯人が私の配信を見ているのは間違いないと。
犯人はもしかしたら私がコメントを通して話した事があるリスナーかも知れない……そう考えるのが嫌で、目を背けていただけなのだ。
向き合わなければならない。戦って勝つと決めたのだから……そう頭では分かっていても、やはり心は沈んでしまう。ついこの前まで楽しく話していた人間から攻撃されたかも知れない……そう考えると、どうしても……
「……まぁ、なんだ。事が事だし、多分協会も警察も動いてくれてると思う。お前は確かに普通の人間よりずっと強いけど、これ以上は向こうに任せても良いんじゃないか? 少なくとも次の探索配信までは約一週間もあるんだから、その間に犯人も捕まるかも知れないし」
「そう、ですかね……」
「狙われて不安な気持ちはわかるが、お前は警察でも協会員でもないただのダイバーなんだから、犯人の事で気を揉む必要なんて無いんだよ。なんなら、犯人が捕まるまで配信を休むってのもありだ。変身が出来るお前ならその間も街に出たりしてリフレッシュ出来るし、きっとリスナー達も分かってくれるさ」
目に見えて落ち込む私を慰めようと、『俺』がそんな提案を持ち掛けた。
確かにこの世界……日本は法治国家だ。犯罪者を捕らえる為の組織があり、裁く為のシステムがある。異世界ではどうしても自分で対応しなければならなかった事も、こっちの世界ではそう言った専門の人に任せるのが当たり前なのだ。
警察に犯人の捕縛を任せ、ほとぼりが冷めるまで探索配信から距離を置く……彼の言う対策は何も間違っていない。
……だからこれは、あくまでも私の意地でしかないのだろう。
「いえ、探索配信のペースは崩しません」
人間から攻撃され、排斥されるのは辛い。だけど、異世界での私はそれに耐えて来た。復讐もせず、恨みもせず、ただ逃げる事を選んだ。
しかし、それは彼等の根底にあったのが恐怖だったからだ。
異世界では魔族は恐れられていた。人間の宿敵として、脅威として……そんな存在が直ぐ隣で生活していては、安心して眠る事も出来ない。だから私は追い出された。……辛かったが、納得できた。
でも今回は違う。
この世界に魔族が認知されていないのなら、今回の一件は純粋な悪意だ。一方的な逆恨みなのだ。だから私は辛い思いをしながらも、それに劣らない怒りを抱いている。
「……大丈夫なのか?」
「ええ、今回の敵からは逃げません。何があっても。ですが……そうですね、一度気分をリフレッシュすると言うのは悪くないかもしれませんね。昨日と今日の探索で遊ぶお金は多少稼げましたし、また渋谷を案内して貰えますか?」
「ああ、明日なら大丈夫だ。どう言うところに行きたい?」
対策を練るには、煮えたぎった頭ではダメだ。一旦怒りを鎮める為にも、何かポジティブな気分になる事を考えよう。
そう言った意味では、『俺』の提案は良いきっかけになった。
「前回は衣装を買ってワックを食べるだけで終わってしまいましたし、次はアミューズメント施設なんか行ってみたいです。水曜日の雑談配信の話題になる様なものがあれば、なお良いですね」
「成程な……となると、映画でも見に行くか?」
「良いですね! 前世の地球では見に行く事が出来なかったので、一度大スクリーンの迫力と言う物を味わってみたいです!」
映画の作品はいくつかネットのサブスクで見た事があったが、実際に劇場に足を運んで……と言った様な事は、体質の関係で出来なかった。
この機会にそれを体験してみるのも良いな。
「分かった。今だと、話題になってる映画がいくつかあるな……やってるかちょっと調べてみるか。好きなジャンルとかってあるか?」
「うーん……ちょっと自分でもわかりませんね。多分貴方と好みのジャンルも近いと思うので、貴方の見たい物で選んでください」
近場の映画館の情報を調べているのだろう。スマホと睨めっこする『俺』からの問いかけに私がそう答えると、彼は思い出したようにこちらへと視線を向けた。
「あぁ、そうか。そう言えばお前は俺なんだっけ……じゃあ、これかな。俺も読んでる漫画原作のアニメ映画がやってる。『迷探偵金田』ってシリーズ知ってるか?」
こちらに向けられたスマホの画面には、前世でも何度か見たビジュアルが映っていた。
確かにあの作品は定期的に劇場版が作られ、私も幾つも見た事があったなと思い出す。因みにジャンルで言うと推理要素やサスペンス要素も含んでいるが、どちらかと言うとギャグ色が強いシリーズで、大人から子供まで広く人気がある作品だ。
「ああ、前世でもそのシリーズありましたよ! 事件が起こる度に犯人とレギュラーメンバー以外みんな死ぬんですよね! ネットで主人公が死神扱いされてるやつ!」
「そうそう、『犯人は……お前だったのか!』って奴! 主人公探偵なのに何の役にも立たないんだよなぁ」
お互いに知っている作品と言う事で会話に花が咲く。
更に話している内にどうやら『観光ダンジョン殺人事件』等、話の内容が異なる回もある事が分かり、こっちの世界で読み返すのも楽しみになった。
「雑談配信の話題にする時はネタバレに配慮する必要がありますが、楽しい配信になりそうです! ふふ……犯人が私の配信を見ているのだとすれば、寧ろ明るい話題をどんどん提供して『私はピンピンしてるぞ!』って見せつけるのが一番かも知れませんね!」
「ああ、その意気だ!」
そうと決まれば、早速明日の予定を詰めていくとしよう。そうだ、いつも同じ服で探索するのも飽きられてしまうかもしれないし、もう何着か買っておいても良いかも知れないな。
こうして色々とあった一日だったが、最後は楽しい思い出で締めくくられたのだった。……気を配ってくれた『俺』にも感謝だな。