第0話 プロローグ
(──ああ、そろそろだな……)
消灯時刻はとっくに過ぎた深夜。薄暗い部屋のベッドに寝そべり、いつもの様に白い天井を見上げながら、心の中で確信する。自分の命はもう直ぐ尽きるのだと。
ただでさえ面会謝絶となっているこの病室。それもこんな時間帯に人なんて居ない。もしかしたら俺の症状の急変に気付いた医師が自宅の両親に連絡を入れているかもしれないが、俺の最期を看取るのには間に合わないだろう。
(しまったな……せめて遺言くらいは残して置きたかったんだけど)
生憎と力の入らないこの腕では、直ぐ傍の台に置いてあるスマホを手に取る事も出来そうにない。
今の俺に出来るのはこうして思考する事と、後は精々視線を動かすくらいのものだ。
──先天性の免疫不全。それが、俺の命を奪う切っ掛けだった。
ちょっとした切っ掛けで病気に罹ってしまう為、生まれてこの方学校に行ったことはなく、勉強はリモートの家庭教師任せ。
外に出た記憶も数える程度で、それも常に誰かの目の届く範囲。元気に駆け回るなんてもっての外だった。
(もう一度桜を見ることは叶わなかったけど……それでも、枯れ葉よりは賑やかな見送りだな)
今は秋真っ盛り。病室の窓の外に揺れる紅葉は外灯の明かりに照らされ、薄闇の中に浮かび上がったその姿はまさに炎の様に揺らめいている。
死が近付くにつれてぼやけていく視界の中、俺は眩しさすら感じるその紅色を焼き付ける様に眺め続け……その光景を最期に、俺の意識は途切れた──
◇
──『帰る』という事は、どう言う意味だろうと考える。
言葉の使い方としては、『家に帰る』『故郷に帰る』と言った辺りが一般的だが、果たしてそれだけで『帰って来た』事になるのだろうか。
私は思うのだ。人が本当に『帰って来た』と認識するのは、懐かしいと感じるその場所で『心が落ち着いた時』なのではないかと。
「──探せ! まだ遠くには行ってないはずだ! 必ず見つけ出して殺せ!」
「人間の敵め! 出て来い!」
だから、ここは私の帰る場所じゃない。ここに『私の場所』は無い。
魔法で姿を消して、見つからない様に大通りから逸れて身を潜める。
追跡者がいないか確認の為に振り返った視界の端。暗い空を煌々と照らすように、赤く燃える建物が映った。それは私が泊まっていた宿屋だった。
どうやって私の正体がバレたのかは分からないが、彼等は深夜、私の泊っていた宿屋の外壁に突然火を放った。
窓の外に揺らめく炎に慌てて宿屋を飛び出した私は、途端に数十名以上の兵士に取り囲まれ、その時初めて私は自分の正体がバレたのだと理解し、こうして姿を隠して逃げ回る事になったのだ。
(……結局、こうなってしまうんだな。私は何もしていないのに、ただ『魔族』と言うだけで人間の敵として扱われてしまう)
コレで人間に殺されかけるのは何度目だろうか。数えるのも億劫なこの光景に私は失意の中、翼を羽ばたかせて街を飛び去った。
『異世界転生』。前世では創作物のジャンルの一つとして、有名だった響きだ。
外に出られず一年中を病室で過ごしていた嘗ての『俺』にも、アニメやゲームを楽しめていた時期はあり、その言葉を目にする機会は多かった。体調が良い時は、ネット上で知り合った有人とオススメの作品を紹介しあったりもしたものだ。
しかし、それがまさか自分の身に起こるとは……なんて感想を主人公が抱くのも、確かテンプレだったっけ。
こうして考えると、今の私の立場はまさにそんな主人公の様だと思えなくもない。
そう言った物語では大抵の場合、若くして命を落とした主人公は別の世界で人生をやり直す事になる。何人もの美少女と一緒に生活したり、巨大な敵を倒して名を馳せたり……報われなかった前世を覆す様な、そんな何処か出来過ぎなサクセスストーリー。
しかし、私に与えられた物語は、とことんその真逆を行っていた。
私の旅は常に独りで、背を守り合う仲間もいない。更に最悪な事に『魔族』と言う『人類の敵』に生まれてしまった私は、正体を隠さなければ人前にも出られない。私自身は何もしていないのに、他の魔族の行動の所為で私まで巨大な敵として名を馳せていて、当然平穏なんて存在しない。
挙げ句の果てには、美少女と一緒に生活するどころか、私自身がその美少女の立場と言うありさまだ。俗に言う『TS転生』って奴だな。
……まあ、それ自体は割と満更でもなかったりするが。
ともかく、常に人から追われる私にとって『心を落ち着けられる場所』は存在しない。心は疲弊し、苦しかった思い出しかない病室の天井さえ恋しく思う毎日。
そんな日々を送っていれば、誰だって考えるだろう──『帰りたい』と。
報われなくても満たされていたあの場所に、人から笑顔を向けられていたあの日々に……誰かとただ純粋に、好きなものについて語り合えたあの世界に。ただ、帰りたい。
これが私の物語。旅の先に何かを求めるのではなく、ただ帰りたいだけの私の旅路。
そして、本当の意味で帰るまでの物語だ。