無駄
早朝五時。爆音の目覚めしで目が覚める。洗顔し、汚れがなくなった面に化粧を施す。朝食をよく噛んて飲み込む。歯磨き。通勤用のリュックに参考書を詰めて、いざ出勤。職場の最寄り駅に着いたら、ブラックコーヒーを啜りながら、資格の勉強。
これが私の朝のルーティーン。平日はいつもこう。そう、どこにでもいるOLだ。
自身で誇りに思っていることといえば、私の仕事はシステムを作る仕事ということくらい。まあ、所謂プログラマーだ。学生時代に数学しか出来ないことから、大学は情報学部に入り、そのままとんとんとプログラマーになった、
何故誇れるか。だって、IT企業に勤めているとか、プログラマーです、とか言うと、大抵の人は頭良さそうとか、難しそうすごーい、とか、何か勘違いをしていて褒めてくれるのだもの。
実際、プログラマーの仕事なんて、設計書の修正だとか、エビデンスの採取だとか、兎に角、コード書いてるより、書類いじってる方が圧倒的に多いのだけれど。
職種がカタカナだからか、何か壮大な勘違いをしてくれて有難う。今日も元気に資格取得に向けて励んでおります。
八時半にはカフェを出て、勤務先へと向かう。途中、くたびれた紅葉がヒラヒラと秋風を纏って顔を掠める。
こんなんじゃなかったな。
まだ少し暗い夜を引きずった空と、夏の残像を残した生ぬるい空気を味方に、センチメンタルになってしまう。
本当は、もっと…。
その人と出会ったのは、大学二年の秋だった。秋とはいえ、まだまだ夏の暑さを残していて、日暮しが鳴くか死んでしまうかぐらいの時期だったと思う。
大学の講師として私の大学に来ていたその人は、あまり売れていない、けれど、知識豊富な漫画家だった。
パソコンをいじる学部なだけに、まあ、アニメだとか、漫画だとか、ラノベだとか、そういった類の物が好きな人間が多数在籍していた。中には授業中に漫画家目指してます! なぁんて言う人もいたりして。所謂オタクが多い学部だったのだ。そこにマスメディア科もあるものだから、マスメディアの一環として、その授業はあったのだと記憶している。
「漫画制作」と題されたその講義は、そりゃあもうオタク達で溢れかえっていた。オタクでは無いが、興味本位で…いや、違う、半ば本気でその講義に私は参加した。大事なことだから二回言おう。私は決してオタクではない。
アニメも観ないし、声優にも詳しくはない。ただ、漫画を描くのが好きだった。絵を描くのが、ストーリーを紡ぐのが好きなのだ。いや、それも違う。正確に言えば「好きだった」。
川田と名乗るその先生は、どうやらミステリー系の話を得意とする漫画家さんだった。
授業内容は、決められたテーマで、講義の時間内にストーリーを作る、というものだった。一コマはストーリー作成、次週の一コマは、優秀者の作品紹介、という構成だった。
なんとも頭を使う授業だったが、毎回楽しんで、いや、寧ろその講義のために大学に通っていた、楽しいのではなく、必死だった。
あわよくばプロの漫画家としてデビューしたい。そんな野望がふつふつと湧いてきているのを感じていた。何故なら、二週間に一度、私のストーリーは紹介されていたから。
先生が作品を紹介し、それに対して生徒に感想を聞く。そんなスタイルで授業は進められていた。因みに、紹介される作品はどれも匿名である。
毎度毎度自身の作品が紹介され、何を勘違いしたのか、大学三年になった時には、すっかり漫画家になれる気がしていた勘違い大バカ野郎が出来上がっていた。そんな、大バカ野郎が何をしたか。そう、就活をせず、漫画をひたすら描いていたのだ。
「早くプロになってよ」
プライベートで飲みに行く仲になった、川田先生の口癖である。勿論大バカ野郎かつ頭お花畑な私はこの言葉を鵜呑みした。自分すげーじゃんとも思っていた藤がある。すこいのは自分ではなく、川田先生の口車だと言うことに気が付かないでいた。
しかし、有頂天だった私にも、すぐに転機が訪れる。実家の父が倒れた。そこでやっと目が覚めたのだ。こんなことをしている場合ではない、稼がなければと。今度は持ち前のハングリー精神に火が着いたのだ。
そうなると、先生とは自然と疎遠になり、先生は別の優等生を見つけ、そちらに注力するようになった、当然のことだ。
就活しながらそんな優等生を横目で見ていた。見える景色が変わっていた。先生と話す優等生。先生の口癖は軽々しく、そして根拠が無いもののように聞こえるようになっていた。
嗚呼、私が作った作品達。嗚呼、私が過ごしたあの時間。返して返して返して。
悔しくて、悲しくて、それでも歯を食いしばって今の職場に辿り着いた。
本当は、漫画家になって、売れっ子になっちゃったりして、同窓会とか行ったら「お前、今これ描いてるらしいじゃん」とか同級生に言われたりなんかしちゃって、頭掻きながら照れたりしてたのかもしれない。いや、そんなことないな。きっとすぐ諦めてた。売れっ子になんてなれないまま、きっと諦めてた。
ため息が紅葉を吹き飛ばす。夢ではなく、資格取得の目標を追う。なんてつまらなくて、優しい世界。
「こんなんじゃなかったはずなのになぁ」
呟きながら、職場のエントランスに入って行った。