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日偉(日本・イエティスク)会談

いよいよ帝国人と日本人の初交渉です。

どうなることか……

――2033年 4月15日 日本国 東京都 霞が関 外務省

 この日、突如外務省に飛び込んできた1本の電話が、職員たちを巻き込む大きな大騒動を引き起こしていた。

 それはグランドラゴ王国、そして王国とつながりのあるフィンウェデン海王国経由でイエティスク帝国から飛び込んできたもので、帝国の外交部が『日本の外交代表と話がしたいと申し入れてきた』というのだ。

 当然ながら日本側も大慌てであった。

 自分たちからどうやって接触しようかと悩んでいたところに、まさか帝国の方から接触を図ってくるとは思っていなかったのだ。

 このため、どのように対応するかというところで外務省のみならず、政府機関全てを巻き込んでの大騒ぎとなっていた。

 もっとも、大騒ぎをしつつも『外部に漏れないように』という点はかなり徹底されていたが。つい先日の貨物船拿捕の件がマスコミにすっぱ抜かれたのが相当応えたらしい。

 外務省内部で考えられているのは、『帝国に対してどのような態度を取るべきなのか』、『交渉が決裂した場合、即座に自衛隊を動かせるように防衛省と連携を取るべきなのか』という点が大半で、他にも『諸外国との連携はどうするべきか』、『仮に戦争になった場合、諸外国が参戦してくるのかどうか』という点も話題となっていた。

 ある意味旧世界では考えられなかった光景である。特に『他省庁との連携』に加えて、『防衛省でもないのに同盟国との連携について協力体制を築く方向性で進まなければならない』という点は大きく異なっていた。

 旧世界でもある程度外交・防衛で連携していた国がないわけではなかった(インド・オーストラリアなどがいい例か)が、この世界のように『日本が頼りにされる』状況下で、しかも『各国との連携も重視しなければならない』という点は、外務省職員に思考回路の大きな変換を求めるには十分すぎるのだった。

 そんな会議が熱中する中、若い女性外交官の御厨は会議の熱気にあてられて少し酔ってしまったため、屋上で風に当たっていた。

 転移してからというものの、日本各地の平均気温はかなり下がっており、都心でも車と人間が少なくなったことで全体的な熱量が減っているほどであった。

 転移後の世界に存在する国の多くは既に産業革命以後の技術水準に達しているため、温室効果ガスによる気温の上昇はあるはずなのだが、転移前の温暖化状態に比べると著しく低くなっている、というのが専門家の分析であった。

 一部の日本人は『温暖化がなくなった』と喜んでいるが、『化石燃料を使い続ければまた同じことになるため、脱炭素は止められない』というのが政府の意見となっている。

 転移前は4月でも30度近い最高気温を記録していたが、今は季節的にも最高気温が25度にも達しなくなったため、体感的にはかなり涼しく感じる。

 そんな御厨は誰もいないからと少しだけ胸元を開けて、外の爽やかな風を受ける。

 日本人としては豊満と言える胸の中に風が入り、体に爽快感がもたらされる。

「んんっ……涼しい……」

 だが、現実とは非情なもので、そんな時に限って思わぬ人が現れる。

「御厨、大丈夫か?」

 御厨が『キャッ』と可愛い声を上げながら胸元を隠して後ろを向くと、先輩外交官の中村がお茶のペットボトルを片手に立っていた。

「先輩ったらぁ……脅かさないで下さいよぉ」

「悪い悪い。で、お前はなに涼んでるんだ?」

「すみません……会議の熱気にあてられちゃって気分が……」

 御厨の言葉に『あぁ~』と言いながら中村は頭を掻いた。

「確かに。今までも色々なことがあったけど、今回は相手が相手だからなぁ……上層部も慎重に、でも必死になっているんだろうな」

「世界最強の国……前世界で言えば、アメリカを敵に回すようなものでしょうか?」

「んん~……相手がロシアの地にいるってことを考えると……どっちかと言うとソビエト……ソ連じゃないかな?」

「勝てるん、でしょうか……」

 御厨の顔は先ほどまでの暑そうな表情から一転して、寒気すら感じるほどに青ざめていた。

 彼女は軍事についてはまるで素人である。戦車だろうがイージス艦だろうが『なんとなく強そう』くらいの感覚しか持ち合わせていなかった。

 しかし、イエティスク帝国との対立が表面化してきた現在、そんな悠長なことは言っていられなくなっている。

 日本国民全体が軍事及び軍事に必要な事柄(この場合は補給や補給のための船団護衛などを指す)を学びつつある状況で、彼女だけがそのような状態でいることは許されないのだ。

「……ただの兵器の質なら、日本が圧倒している。陸海空、全てでな。だけど……」

 中村は持っていたペットボトルのお茶をグイッと傾けて飲む。

「今回もし戦争になったとしても、やはり相手の国土に攻め込まなければならないだろうな。日本は核兵器を配備しない方向性を決めたとはいえ……相応の威力がある大陸間弾道弾でも配備できればよかったんだが……大陸間弾道弾って、核を砲弾にしないと一気に能力が限定化されるんだよなぁ」

 そう。大陸間弾道弾の弾頭が基本的に『核』であるには、核兵器がそれだけの破壊力を有しているから、という点も大きい。

 実際に、ドイツが大戦中に使用した『Vー2』ロケットは、能力こそ短距離弾道弾であり、当時の連合軍では迎撃も不可能だった。

 だが、核を搭載していないことで威力は限定的であり、おまけに精度が悪かったこともあって発射数の割にはそれほどの被害を与えられていなかったというのが実情である。

 もちろん、現代日本であれば精度の問題は衛星によるGPS誘導などを応用すれば解決するだろう。

 重要施設をピンポイントに、そして集中的に攻撃すれば、最小の損害と消耗で相手に大打撃を与えることも可能だ。

 だが、結局相手を屈服させるには、相手の軍事力を完膚なきまでに叩き潰し、生産力を奪い、その上で相手の本土に乗り込む姿勢を見せつけることで相手を降伏に導くことが可能と言っても過言ではない。

 首都限定であればそのようなことも可能だが、全土に降伏を促そうと思うと、やはりある程度戦力を削る必要がある。

 もう1つ問題なのは、『戦略爆撃機を保有していないこと』である。

 第二次世界大戦時のドイツが正に同じ間違いを冒しているのだが、ドイツの場合は『急降下爆撃万能論』がはびこり過ぎたこともあった。

 ドイツでは空軍幹部のウーデット、イエシェネク、ゲーリングなどの高級幹部がそもそもそれを重視していたが、戦略爆撃機に関しては『急降下爆撃で目標に対してピンポイントに攻撃できるというのに、ただ広範囲に爆弾を適当にばらまくだけの水平爆撃など効率が悪い』と判断したこともあって、『Fw200 コンドル』を始めとして幾つかの四発爆撃機を作ったにもかかわらず連合国(この場合はアメリカとイギリス)のようにモノにできなかったという一面がある。

 実際にはワルター・ウェーベル空軍大将のように『四発の重爆撃機を整備し保有するべき』という声を上げた軍人もいたにはいたのだが、このウェーベルが事故死してしまってからはその論調も低迷したという。

 ちなみに、我が国は基本的に工業力が『かなり』貧弱だったので、『二式飛行艇』や『深山』、『連山』以外にはほとんど四発機を保有していなかった(しかも、この3種のうち『二式飛行艇』こと『二式大艇』以外は全て試作機のみ。『深山』に至っては『失敗作』をコピーしたこともあって『バカ鳥』と言われるほどの駄作だった始末)という、ある意味ではドイツ以上のお粗末さである。

 逆に言えば、海軍は世界でもトップクラスの性能を持つ四発飛行艇を保有していた、という点は誇れるのかもしれないが、結局戦況にほとんど寄与できなかったのだから仕方がない。

 現代のGPS誘導を用いた精密爆撃でも敵の基幹産業や基地を攻撃することは十分に可能だ。むしろ、民間人を巻き込みにくくするという意味ではその方がいいのだが、帝国は広大な土地を保有しているため、それに合わせて基地や工場地帯もかなりの規模を誇る。

 これを一気に壊滅させようと思うのであれば、戦略爆撃機か核兵器の大きすぎる一撃を打ち込むことで無力化するのが妥当なのである。

 日本召喚小説で登場した『Pー3C』の爆装による戦略爆撃機化の場合は、その時戦った相手が『軍事基地や工場を人家の少ない所に、大規模に集中させていた』ために民間人に被害をほとんど出すことなく戦果を出すことができたが、衛星画像を解析した結果、帝国は人家の集中しているところにも基地や工場を多数保有しているため、ピンポイントに爆撃をすることができたとしても民間人に大きな被害が及ぶ可能性があり、それがまた防衛省の判断を鈍らせているのだった。

 そしてなにより……イエティスク帝国は旧世界のロシア同様に広大な土地を支配しているため、仮に首都を陥落させたとしても全土が降伏するとは限らない。

「日本の軍事力は、大陸を得た今でも海軍力にかなり特化している。陸自も大分強化しているとはいえ、どちらかと言うと守りを主眼に置いているのは変わらないからな。今の装備で『相手の本土に攻め込んで相手陸軍の全てを屈服させる』というのはかなり難しい」

「やっぱり、そういうものなんですね……」

 不安げな御厨に、中村は『ポン』と頭を撫でてやる。

「確かに攻め込むのは難しいが、そもそも日本は自分から攻め入るようなことはしない国だ。仮に、相手から宣戦布告されて『相手に痛い目遭わされる前に叩き潰す』って考えていれば別の話かもしれないけどな」

 その時、御厨はなんとなく嫌な予感がしてしまった。

「先輩、こういう場面で『こうなるかもしれない』みたいなこと言うと、それって結構現実になるって知ってました?」

「え?」

 要するに、フラグという奴である。

 日本と帝国……世界最大の国2つはどのようにぶつかるのか……。



――西暦1751年 5月2日 シンドヴァン共同体 首都レバダット

 この日、この地において日本とイエティスク帝国の外交官が会談することになっていた。

 日本代表の朝倉と浅井の2人は、初めてこの世界で『最強』と言われる国家の代表と相対するという事実に、胃がキリキリと痛んでいた。

「先輩、帝国はどのように出てくるでしょうか」

「分からない。アポなしで、さらに覇権主義国家であるということを考えると……あまり想像したくはないな。さっきから胃が痛くて仕方がない」

「いきなり『我々に服従せよ』とか言ってこないといいんですけど……」

「防衛省曰く、『戦えば勝つ。だが防衛に限る』といっているくらいの相手だからなぁ……邦人を取り戻すという大義名分があると言っても、それがどれだけ国民の説得に役に立つか……あぁ、ダメだ。また胃が痛い……」

 帝国との交渉は、この世界の命運を握ると言っても過言ではない。

 そんな半端ではない重責を、一外交官が担わなければならないという事実が、この2人に重くのしかかっていた。

 そもそも、なぜ一外交官が派遣されてきたのかといえば、単純に『動かせる人員が少ないから』、『ガネーシェード神国による国際会議襲撃事件の一件があったため』という点が大きい。

 前世界では190ほど存在した国家も、この世界では十数に減っているため、さぞかし外交官は暇なのだろう……と思いきや、一国に対してこれまで以上の外交官を投じて様々な仕事をさせている、さらに本国の事務仕事に加えて大陸方面の繋ぎ役を担う者もいるため、結局地獄の忙しさであることには変わらなかった。

 そして2つ目の理由である襲撃の可能性についても、日本としては覇権主義国家を標榜する帝国を信用できていなかったため、中立でなくなったことを利用してシンドヴァン共同体に外交官の護衛として陸上自衛隊の部隊2個小隊を送り込んでいた。

 一応事前の情報で街中に戦車らしい重量兵器は確認できなかったと言われているが、万が一に備えて、旧式ではあるが『89式装甲戦闘車』やパンツァーファウストなどの対戦車兵器も一部用意させている。

 シンドヴァンに配備が始まった大型対空レーダーも稼働しているため、万が一なにか未確認の飛行物体が侵入してくることがあれば(距離的にはあり得ないのだが)、すぐに対応できるようになっているのだ。

 ついでに言うと、現在本土にいる人員で休暇などを取ってなくて、『ロシア語を読める』のが彼らだったためにお鉢が回ってきた、という点もあるのだが。

 とはいえ、だからといっていきなり覇権主義国家と国家交渉をさせられる外務省職員からすれば、たまったものではない。

 朝倉はもし生きて帰れたら絶対に有給休暇の申請をしようと心に決めていた。

 すると、シンドヴァンの代表が『帝国の方が来られました』と声をかける。

 朝倉と浅井は素早く立ち上がり、直立不動の姿勢で待つ。

 そこに入ってきたのは、とにかく『デカい』の一言に尽きる男女だった。

 片や頭にサイのような一本角を持ち、筋骨隆々たる大男。片やこぼれんばかりの豊満な胸を無理矢理服に押し込めていますと言わんばかりの真っ白な肌の二本角の美女。

 男の方は身長2m強、女性の方も確実に180cmを超えているように思える。

 浅井が身長180cmを超える長身痩躯の男だが、女性はそのボリューミーな肉体も相まって、より大きく見えるのだ。

 だが、決してブクブクに太っているというわけではない。いわゆる『ボン・キュッ・ボン』と言いたくなるような女性なのだ。

「(なんて背丈とインパクトだ……本当に外交官なのか?)」

 朝倉もこれまでの十数年で様々な種族を見てきたが、その中でもオーガ族とミノタウロス族の身長の高さは尋常ではないのだ。

 男性が平均2m越えは当たり前で、女性でさえ175を優に超える。つまり、日本人の平均はおろか、旧世界基準の欧米人などよりはるかに大きいのだ。

 ちなみに、アラクネ族も大きいと言えば大きいが、彼女たちは縦のみならず横幅も広いうえ、その体系が通常の人間のそれとは大きく異なっているのもあって、また別種の感覚を覚えていたという。

 だが、帝国を形成する人種である『オーガ族』と『ミノタウロス族』の大きな体から放たれる威圧感も、これまで相対してきた他の国の外交官には見られないものだった。

 すると、女性の方が前へ出て挨拶する。

「初めまして、だな。私はイエティスク帝国外務省所属外交官、リュドミラ・ロドチェンコという。こちらは、私の補佐をするヴァレリアン・ヤキールという」

「初めまして」

 女性の方が、外交官としての立場が上らしいということに『帝国は女性を社会参加させる先進的な一面があるようだ』と評価を改めたが、問題はここからであった。

「早速だが本題に入らせてもらう。貴国の貨物船の船員について、だったな?」

「はい。彼らは蟻皇国に対して物資を運んでいる最中でした。東部沿岸に向かっていたのは、南部の港湾部を我が国が破壊してしまったことが原因でして、貴国に対して圧力などをかけるつもりはなかった、ということをあらかじめ言わせていただきます」

 この発言は議事録に残すためでもある。

 また、事実でもあるため関係各所から裏付けもしてもらえるはずだと日本側は考えていた。

「なるほど。そちらの言い分は理解しました。その上で、船員たちを返還してほしい、ということですね?」

「もしできるのであれば、帰して頂けると幸いです」

 イエティスク側の2人は顔を見合わせると、バッグから紙を取り出した。

「これが、我が国の皇帝陛下がお考えになった『工作員』の返還条件です」

 なにが書かれているのかと見た朝倉と浅井はギョッとした。

 そこには、要約すると以下のようなことが書かれていた。



○日本国は現在保有している諸技術を開示すること

○日本国は帝国と協定を結び、帝国の意に従うこと

○日本国は獲得しているという大陸のうち、北部に存在する地域の権利を割譲すること

○帝国人が日本に渡航する際、検閲などを排すること



 等々、到底独立国家が呑めるような条件ではなかったのだ。

「こ、これを我々に呑め、と……?」

「そうだ。呑まなければ『工作員』を返還するわけにはいかない。本国に持ち帰り、検討する時間はくれてやる。よく考えると言い」

 最後にはリュドミラの氷の如き冷たい視線が突き刺さり、日本側の2人は冷や汗が止まらないまま、一方的に会談は終わってしまったのだった。

 そんな彼らを尻目に、リュドミラたちはあっさりホテルを出てから呟く。

「日本は蟻皇国に勝った……それも圧勝した国というからどれほどのものかと思いきや……なんだ、あの小物っぷりは。まるで赤子ではないか」

「まぁまぁリュドミラ様。どうやら、我らオーガ族とミノタウロス族を見たのも初めてのようでしたし、これまでも自分たちの害になるような国家を残しておくような半端外交をする国なのですから、我らの威圧感に圧倒されても仕方ないかと」

 外見に圧倒されていたのはもちろんだが、問題は彼らの付きつけた条件の方だった。

 もっとも、これには理由があった。

「しかし、皇帝陛下も分からないことを。あのような貧弱な種族相手に我ら帝国人が負けると本当に思ってらっしゃるのだろうか?」

「それについては確かに……あのような貧相な体つきの種族が極寒の地にて鍛えられた我ら帝国人と同等に戦える能力を有しているとは到底思えないのですがねぇ……」

 実は、今回の草案を出すにあたり、イエティスク帝国皇帝たるアレクサンドル・V・イエティスクが日本をかなり警戒していたことにより、『文書に使用する文言は、なるべく穏当なものとせよ』と言っていた。

 一方の外務省職員たる彼らからすれば、自分たち以外の国は『征服対象』でしかなかったため、皇帝が『穏当に』という理由がさっぱりわからず、それでも自分たちにできる限りの仕事をした結果、このような文書となった。

 彼らからすれば、『劣等種の分際で、独立を守ってやるだけありがたいと思え』という感情がありありと溢れており、元々日本に対して慎重な意見を良しと思っていなかった外務大臣は『これでいい』と思い皇帝にこの文書を見せなかったのだが、これが大きな禍根を残すことになるとは、この時の彼らは知らなかった。

 帝国と日本との間にあった温度差がどのような結末をもたらすか……それは、今の時点ではだれにも分からない。



 一方、残された朝倉と浅井も大慌てであった。

「ど、どうしましょう朝倉さん!このような条件は吞めませんよ‼」

「まさか帝国がこれほど大きな態度で突きつけてくるとはな……くそっ、彼らはこちらの主権すら認めないつもりか‼」

 日本側は『国家の主権が侵された』と考えており、大きな危機感を覚えていた。

「急いで本国に報告するぞ。これは……国会がまた荒れるな」

 朝倉の言う通り、持ち帰られたこの文書は直ちに議論に入ったのだが、その数日後に敢えて政府側からマスコミにこの文書のことをリークして見た結果、国民のほぼ全員が激怒するという事態に陥るのだった。

 これまでもこの世界に転移してから様々な理不尽を目の当たりにしてきた日本人だったが、ここにきてさらに怒りを見せることになる。

 日本人からすれば、『戦争に全く関わりのない貨物船が拿捕された挙句、乗組員を返すために独立状態は保ってやるものの属国に近い存在になれ』と言われているようなものであり、旧世界の中国やロシアですらしてこなかった暴挙であった。

 実際には戦後から転移までの間にも様々な紛争が発生し、そういった中で拿捕された貨物船などがなかったわけではないのだが、今回に関しては『乗組員の安否も確認できず、一方的に要求を突き付けられて会談を打ち切られた』という点が大きかった。

 元々日本側は 乗組員の返還からイエティスク帝国と交流を持ち、互いのことを知ることで戦争・紛争の可能性を回避しようという狙いがあったのだが、イエティスク帝国外務省と皇帝との間にあった温度差が災いし、このような事態を招いてしまったのだった。

 結果、日本側は断固たる対応を迫られることになる。



――2033年 5月10日 日本国 首相官邸

 この日、緊急記者会見が行われると通達があったため、報道陣が首相官邸に押し寄せていた。なお、その中にはグランドラゴ王国やニュートリーヌ皇国と言った日本と交流のある国の報道機関も混ざっており、今回の件に関しての高い関心が窺える。

 報道陣がカメラを構えて待ち構えていると、官房長官と共に首相が姿を見せた。

 首相が姿を見せた瞬間、各所からフラッシュが焚かれる。

 首相が壇上に上がり、その側で官房長官がカンペを用意すると、一瞬でフラッシュの嵐が静まった。

 そして、首相が普段にはない厳かな面持ちで話し始める。

「皆様、本日はお忙しい中お集まりいただき、誠に恐縮です。この度天照神国の北海……旧世界における日本海と言うべき海域において、我が国の貨物船がイエティスク帝国による臨検を受け、貨物船が自沈を余儀なくされた後に乗組員が彼の国によって拿捕された件について、新たな進展がありました」

 首相の言葉を受けて、新たなフラッシュが多数焚かれる。それが終わってから、首相はさらに続けた。

「我が国はイエティスク帝国に対して、『貨物船の船員は民間人なので返還を要求する』と伝えたところ、彼らは……以下のような条文を突き付けて参りました。お配りした資料の3ページ目をご覧ください」

 公開された条文の内容を見た記者たちの間から、ざわめきの声が大きくなる。

 内容は先述の通り、『国家の主権は認めてやる代わりに我が国の属国同然になれ』と言ってきているものだった。

 なお、今回の発表は主に国外向けのものとなっているため、この場に来ているのはほとんどが外国の報道陣である。国内には既に報道で広まっており、国民感情は爆発寸前だった。

 日本とイエティスク帝国の国力・技術差を理解している各国の報道陣も、かなり驚いた表情を見せている。

 この条文からわかるのは、少なくとも帝国の上層部が、未だに日本の正確な能力を把握していない、という点であった。

 すると、グランドラゴ王国の記者が立ち上がる。

「グランドラゴ王国王立新聞局のレオンです。日本国はこの要求にどのように対応されるつもりなのでしょうか?」

「我が国は歴とした独立国家であり、その主権はどのような形であるにせよ、侵されていいものではありません。詳細をこの場で述べることはしませんが、『断固たる対応を取る』とだけ言わせていただきます」

 日本の強硬な態度に、ニュートリーヌ皇国以外の各国はまたもざわつき始める。

 ニュートリーヌ皇国もまた、元老院の無茶が原因で日本から宣戦布告され、甚大な被害を受ける羽目になった国である。それもあってか、今回の帝国の無茶な要求には『ウチよりひどいことになりそうだなぁ……』と遠い目をしているだけであった。

 それでもちゃんと手元は動いてメモを取ることを忘れていなかったが。

「アヌビシャス神王国ナイル新聞のウルペースです。では、日本は帝国との戦争に入る、とみてよろしいのでしょうか?」

「それについてはノーコメントとさせていただきます」

 首相の言い方は淡々としていたが、それが逆に戦争が間近なのではないかと各国関係者に危惧を抱かせることになるのだった。

 その後もいくつかの質問が出てきたが、基本的に日本の立場を表明する、帝国の強硬な態度を批判するのみで、日本が今後どうするのかという点については全く発表されなかったのだった。

 各国関係者は報道機関及び諜報部からの情報を総合し、『日本が戦端を開くのはそう遠くないかもしれない』と、改めて様々な準備を推し進めるのだった。

 また、ニュートリーヌ皇国はこれまでも行っていた国内における幹線道路の整備や補給路を確立するための倉庫作り・備蓄の増量などの規模を増大し、日本が帝国に対して陸から侵攻する際には自国の力を有意義に使ってもらえるようにと考えるのだった。

 まだまだ緊張は高まり続ける。



――同日 イエティスク帝国 首都スターリン 帝王府

 この日、皇帝であるアレクサンドル・V・イエティスクは外務大臣のアキム・クチンスキーから『日本に対する文言』の報告を受けていた。

「陛下に申し上げられた通り、日本国の外交使節に対してはできる限り穏当な言葉でこちらの要求を伝えました。生意気な蛮族にも独立を保たせてやるという陛下の慈悲、その懐の深さには感服するばかりでございます」

 アキムの言葉にアレクサンドルも『うむ』と頷く。

 彼としては日本が油断ならない力を持っていることもあって、こちらからある程度下手に出るべきだと判断し今回の文書を制作させたのだ……全て外務省任せにしてしまい、肝心の文言にチェックを入れず、しかも今のアキムの言葉に全く和違和感を覚えていない時点で大間違いも甚だしいのだが、それは言ってはいけないお約束。

 逆に言えば、ツッコミを入れないレベルで帝国人の他国人に対する優越的感情が強いということでもある。

 日本を油断がならない存在だと認識している皇帝ですらこの状態なのだから、その下についている者たちの心中など『お察しください』レベルでしかない。

「日本国は油断のならぬ存在であるからな。して、ちゃんと日本に考える時間も与えたのであろうな?」

「はい。外交官2人がしっかりと『猶予を与える』と述べた、と双方の議事録にも残されております。いやはや、蛮族の決定が遅いであろうことを見越しての陛下のご英断、感服するばかりにございます」

 深々と頭を下げるアキムに『煽ててもなにも出んぞ』とアレクサンドルは苦笑する。

 実際、日本国が民主主義国家であるという話は聞き及んでいたので、大きな話を決定するのには時間がかかるということも分かっていた。

 それを分かっていながら、相手の気持ちに対する配慮が足りないというのがなんとも残念というところだが。

「だがアキムよ。本当に日本国は怒りに任せて襲ってくるようなことはないのか?」

「はい。聞いたところによれば、日本国は『自国から戦争を仕掛ける』ということに関して異常なまでに嫌うという妙な性質を持っているようであります。ニュートリーヌ皇国に関しては貨物船を拿捕した上、乗員のほぼ全てを殺したことが日本の怒りに触れたようですが、我が国に収容した日本人は未だに全員生きております。人質の身体の安全が保障されている以上、人命を重視する彼らから手を出してくる可能性は薄いと思われます」

 確かにその推論は間違っていないのだが、一つ大きな落とし穴がある。

 それは『日本国が周辺国と協同して帝国を攻め落とそうとした場合、ダラダラとした長期戦よりも、むしろ勢いよく電撃戦で速攻をかけてしまった方が有利だと分かっている』という点であった。

 戦車や自走砲はそうもいかないだろうが、制空権を確保した上で航空部隊を利用すれば迅速な展開も夢ではない。

 強いて言えば、イエティスク帝国の道路状況がどのようなものかというところだが、これについてもそれほど問題はなかった。

 帝国のあるロシアの地は冬こそ氷に覆われているが、春になるとその氷が解けて泥濘の沼地と化す。

当時のロシア方面に侵攻したナチス・ドイツの機甲部隊もこの泥によって大苦戦した、と言われているほどなのだ。

 だが、そんなロシアの特性を熟知していたソビエトが作り上げた『Tー34』戦車は、そんな泥沼であろうとも走破して見せ、ドイツの戦車部隊をボコボコに叩きのめしたのだ。

 『Tー34』はその接地面の広さと、攻撃力及び防御力の割には軽量だったこともあって、泥沼であろうと走破できたのだ。

 一方のイエティスク帝国は、いずれ各国に侵略の手を伸ばしていくつもりだったこともあって、国内の移動を円滑にする目的から、道路の整備には異様なまでに力を入れていたのだ。

 それによって、国内限定だが重量50t越えの重戦車もそれほど問題なく動けるほど、と言えばその整備状況が窺える。

 日本とて平和ボケしていたなりに分析や解析を進め、イエティスク帝国という国のほぼ全てを明るみに晒していた。

 その結果、強制収容所と考えられる施設も既に特定済みであり、有事が発生して制空権、制海権を確保した直後に素早く第一空挺団か特殊作戦群を送り込んで人質を奪還する用意まで進めていた。

 だが、全てを円滑に進めるにはまだ時間がかかるため、帝国側の方から『猶予を与える』と言ってきたのは、日本にとって渡りに船だったのだ。

 それに気づかない帝国上層部。果たして、彼らは無事で済むのだろうか……。

……上が有能でも下が無能だと大変です。逆でも大変ですが、逆の場合はうまく上を煽ててその内に有能な部下がことを進めることもできるので……。

いよいよきな臭いことになってきました。

あともう少し、あともう少しでドンパチです。


ただし、後何話でそうなるかは明言を避けさせていただきます。


次回は4月の6日に投稿しようと思います。

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