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揺れ動く火種

今月の投稿となります。

いよいよ……本格的にイエティスク帝国が関わる事態になります。

緊張感と共にお読みください。

――西暦1751年 3月28日 蟻皇国東部沖合(位置的には朝鮮半島の北東側)

 この日、蟻皇国の東部にある上海へ向かう1隻の船があった。

 船は日本船籍の『極東丸』という超大型貨物船で、大量のコンテナを搭載している。中身は食料……ではなく、蟻皇国復興のための資材とトラクター、トラックなどの車両だ。

 なにせ蟻皇国の都市はほとんど地下に存在するのだが、地上にあるものと言えばほとんど穀倉地帯なので、食料の保有量『だけ』ならばなんの問題もない。

 だが、日本との戦いで首都南京が壊滅状態に陥り、おまけに艦砲射撃と空爆の影響で首都近辺での機械的な農作物収穫の手段を失っていることから、日本が復興のために車両機器を供与することにしたのである。

 既に上海の港には日本の超大型貨物船が停泊できるように設備が整えられているため、旧世界で言うところの日本海から上海へ向かうことができるようになっていた。

 正確には西海岸から直行しており、ハワイや一部の島嶼部はまだ日本の影響下・接触下にないこともあって、衛星からのデータを基に『直行』しないといけないので大変と言えば大変である。

 そんな極東丸は、運のないことにエンジントラブルで機関がほとんど作動せず、海流に乗って北へと流されているところであった。

 船長の木下圭吾は、なんとか稼働している通信機で本国へ連絡を取っているのだが、30万tを超える超巨大貨物船を曳航できるほどのパワーを持つ船をすぐに派遣できるわけもなく、その巨体はただ波に揺れながら流されることしかできなかった。

「参ったな……本当に一部の非常電源以外動かなくなっているぞ。全く……このままじゃ旧世界で言うところのウラジオストック辺りに流れ着くな」

「それって……イエティスク帝国の領土、っていうことですよね?」

「……そうだな」

 木下は嫌な予感がしていた。

 このままウラジオストック辺りに流れ着いて帝国の船に見つかろうものなら、間違いなく船は拿捕され、日本の技術力の一端が明るみに出てしまう。

 諸外国に対して公表していいものも多くなっては来たが、やはり機密も多い。

 現在輸送している車両の中にもGPSを用いて効率的に作業を進めるタイプのものがあるため、それらの技術が明るみに出るのはマズいのだ。

 船員たちは厳しい判断を迫られていた。

「どうしましょうか……少ないとはいえ救助の可能性もあることから、技術保護の目的とはいえこの船を自沈させることには抵抗があります」

「確かに。低確率とはいえ救助の可能性がある以上はな……」

 『リスクがあっても避けられる可能性もある場合、日本人の判断は非常に鈍くなる』という悪癖は未だに抜けきってない部分が多く、後のことを考えればすぐにでも全員脱出して船のキングストン弁を開いて沈めるべきであった。

 だが、そうできないのが『物を大切にする』日本人であった。これが欧米人であれば、それほど迷いなく船を自沈させるだろう。

 実際にワスパニート王国と海上保安庁ワスパニート支部には既に連絡が付いており、『急いで救助に向かう』と言ってくれている。

 本国からも『なるべく早まったことはしないで救助を待つように』と言われていた。

 海上自衛隊も既に西海岸を出港したそうだが、如何せん遠すぎることもあって到着には1か月近くかかる。

 ワスパニート王国には故障した大型船を曳航するための曳航船も多数あるため、それらを海保が伴って来る、という状態である。

「しょうがない。もうしばらく……半日くらいは待ってみて、ダメそうなら改めて自沈のことを検討しよう」

「そうですね。いくらなんでもこの近辺にまで帝国の艦隊が来ているとは思えませんし。もう少し待ってみましょうか」

 彼らは無事な機材を稼働させて、食事や休憩を適宜取りながら救助を待つことに決めた。

 だが、彼らは知らなかった。既に自分たちが、捕捉されていることを……。



 『極東丸』から30km北東の海域を、哨戒航行する艦の姿があった。

 船の名前は『プリスムイカーユシエシャ級軽巡洋艦』の3番艦『ピトーン』といい、イエティスク帝国極東艦隊に配備されている軽巡洋艦であった。

 その見た目は旧ソ連軍の『マクシム・ゴーリキー級巡洋艦』に酷似しているが、大きな違いとして『主砲が18cm砲ではなく15.5cm砲』という大型軽巡洋艦であることと、回転する両用レーダーを備えていることであった。

 帝国軍の中では既に旧式になりつつあるとはいえ、15.5cm砲の速射力と命中精度、そして近代化改装するだけの余裕があったことによる電子機器の充実はこの船の大きな延命措置となっていた。

 その能力は高く、対艦戦闘のみならず、対地・対空戦闘でもレーダーによって高い精度を叩き出すことができる多機能艦である。

 最大速力も30ノット以上を出すことが可能なので、いざとなれば空母に同行することも十分に可能である。

 その『ピトーン』の艦長を務めるアーロン・シコーラは、対水上電探の画面に映る超大型の影を見ていた。

「どこの船か分かったか?」

「いえ。少なくとも、我が国にこれほどの巨大船舶は存在しません。推定規模最低でも20万tを遥かに超えています。こんな船を使う国が存在しているとは今まで聞いたことがありません」

「ふむ……もっと近づけるか?なぜこちらへ向かってくるのかも知りたい」

「了解しました」

 アーロンの指示を受け、船は23ノットまで増速し、そのポイントへと向かうことにした。

 近づくにつれて、異様に巨大な船が視界に入ってくる。

「なんだあの大きさは……我が国最大の貨物船よりさらに大きいぞ」

「ですね。我が国の貨物船でも最大5万tほどですが……あれはそんなものではありません」

 見れば、船の上に大量の積み木のようななにか(コンテナ)を積み上げており、万が一傾斜したらそのままあっという間に転覆してしまいそうなほどにトップヘビーに見えてしまう。

「だが、船体の中だけではなく甲板にもあれほどの荷物を搭載し、それでいて航行できるのだとすれば……意外に航行性能はいいのかもしれないな」

「あれほどの船……砲撃で沈めようと思っても中々沈められないかもしれませんね」

 実際に現代の貨物船は力学的な粋を尽くして作られており、小口径砲の砲撃程度であればちょっとやそっとではビクともしない。

 少し年配の読者であれば『第十雄洋丸事件』をご存知の方も多いはずだ。

 この事件ではLPGタンカーの『第十雄洋丸』を撃沈するために災害派遣として海上自衛隊が派遣されているが、船体には8mmから20mmほどの高張力鋼が使用されていたことと、搭載していた燃料も空気と混合させなければ誘爆が難しいという点から、当時の護衛艦が搭載していた5インチ主砲では、外板が脱落していた部分に命中させて炎上させることはできたにもかかわらず、総t数43000tを超えるタンカーの撃沈には至らなかった。

 その後も航空機による5インチロケット弾や爆撃、さらに潜水艦の魚雷を使用してようやく撃沈したのだが、これは現代の船舶がいかに『沈みにくいものである』かを示している。

 流石に戦艦の砲撃や対艦誘導弾などと比較してしまうと威力は格段に劣るため、比較対象となりえるかどうかは難しい。

 だが、それでも最終的には潜水艦の魚雷を命中させて船底に穴を開けなければ撃沈を確固たるものにできなかったというのは、船の耐久性の高さを物語っているとも言える。

「やむを得ない。ひとまず近づいて臨検だな」

「そうですね。どこの国の船か、航行の目的などを調べないことには……」

 大きさからして近隣の蟻皇国の船ではないことは明らかだが、果たしてどこの国なのか、それを確認しないことにはどうしようもない。

 接近すると、まずは通信で対話を試みる。

『こちらはイエティスク帝国海軍所属軽巡洋艦『ピトーン』である。そこの巨大船、これより臨検するため、動かないでもらいたい』

 だが、相手から通信が返ってこない。様々な周波数を試してみるが、一向に返ってこない。

「よし、発光信号だ」

「はい。準備はできています」

 相手の発光信号と同じかどうかはわからないが、古代文明を参考に考案されたものであるため、まずは試してみることに。

 探照灯の発光信号を送ってみると、向こうからも帰ってきた。

「『ワレ、ニホン国所属貨物船『キョクトウマル』。機関不調ニヨリ航行不能』とのことです」

「おぉ、発光信号は通じたか‼それだけでもありがたい‼」

 この世界でイエティスク帝国が用いている発光信号は先史文明……旧人類が用いていたものだが、それは偶然にも日本にとっての前世界……地球の発光信号と同じ要領であった。

 日本と極東丸に関しては彼らの中で発音が難しかったために片言になっているだけで、信号はちゃんと伝わっている。

「ふむ……日本国の船か。最近では蟻皇国にも進出してきたという噂があったが……どうやら本当のようだな」

「艦長、どうしましょうか?」

「どうするもこうするもない。こちらの領海に入っている以上、臨検して場合によっては曳航し、ウラジミール港(旧世界のウラジオストック)に連れて行く。それが我々の役目だ」

「了解しました」

 『ピトーン』はゆっくりと極東丸に接近していく。

 極東丸側も流れに身を任せているだけのようで、逃げる様子は見られない。




 木下は接近する三連装砲を装備した軍艦を見ながら嘆息していた。

「なんてこった……装置を解析されると困るものもある。マスターキーを持って来い。できる限り破壊するんだ」

「し、しかし、乗り(トラクターなど)は無理ですよ‼」

「仕方ないだろう!できる限り、と言ったはずだ。なんとか計器類やレーダーだけでも破壊して、解析を妨害するんだ。いいな?」

「……了解しました」

 船だけでなく、有事の際に扉をたたき壊して開けるための斧が備え付けられているが、それをアメリカでは『マスターキー』と呼んでいる。

 木下の指示を受けた船員たちは、電子機器を始めとする『解析されたらマズそうなもの』を片っ端から壊し始めた。

 ブリッジにもレーダー画面を始めとして明らかに解析されたらよろしくない者が多数あるため、斧だけではなく消火器などの重くて頑丈そうなものも使用して次々と船の各部を破壊し始めた。

 なお、日本本土に対しては『イエティスク帝国の艦艇接近中。拿捕に備えて船の電子機器などを破壊する』と最後の通信を送ってある。

「どうなるかは分からないが……ただ座して捕まるというわけにはいかない‼」

 木下としてもこのままなにもしなかったでは、いつか本国に戻れた時にどのように言われるか分かったものではない。

 それを少しでも防ぐこと、国の秘密を守る上でもできることはやらなければいけないのだ。

 流石に自動車やトラクターなどは破壊しつくすことはできないが、それでもGPS関連の機器を破壊することくらいはできる。

 だが、そう言っている間にもイエティスク帝国の船は近づいてくる。

 そして、遂に接舷するかどうかという距離にまで近づいてきた。

 帝国の軍艦を観察した木下は、戦艦ではないことに気付いた。

「見た限りでは大型の……軽巡洋艦か重巡洋艦というところか?主砲が明らかに戦艦のそれに比べると小口径だ。だが、レーダーなどの電子機器も見られるな……やはり帝国はかなり発展した技術を持っているらしい」

「船長!やっぱり壊しきれません‼」

「泣き言言うな‼それでもできる限りやるんだ‼俺はなんとかあの船の責任者と交渉して、1秒でも多く時間を稼ぐ!その間に少しでも破壊しろ‼」

「はっ、はい‼」

 その間に木下は自ら縄梯子を下ろし、相手の船に降りていく。

 無線の電源がもう使えないせいで通信が通じないので、こちらから手で合図を送って降りていくしかないのだ。



「む、誰か降りてきたぞ」

「恰好から察するに船の重要人物のようですね。我々に説明をする気でしょうか?」

「かもしれないな。なにが起きてもいいように備えておけ」

「はっ」

 降りてきた木下をアーロンは敬礼を以て出迎えた。

 一方の木下はと言うと、イエティスク人……オーガ族やミノタウロス族を初めて見たこともあって、その体格の良さに圧倒されそうになっていた。

 だが、それでもと勇気を振り絞って口を開く。

「初めまして。私は日本の企業に所属する貨物船『極東丸』の船長を務めている木下圭吾と申します」

「私はイエティスク帝国海軍極東艦隊所属、軽巡洋艦『ピトーン』艦長のアーロン・シコーラと申します。失礼ですが、貴船は機関が不調で流されてきた、と先ほど発光信号を受け取りましたが、それは真実でしょうか?」

「嘘とお疑いになるのも無理はありませんが、信じてくださいと申し上げるほかありません。もし気になるのであれば、貴艦の機関員の方に見てもらえばすぐ分かると思います」

 イエティスク帝国は冷戦期のソビエト並みの国力を保有していると聞いていたため、タービン機関やディーゼル機関の知識はあるだろうと考えられている。

 だが、一方で木下が抱えていた不安の1つとして、『彼らが水素ディーゼルエンジンについてどれほど知識があるのだろうか』という点があった。

「ふむ……貴殿の言うことを疑うつもりはないのだが、機関室を見せていただけるかな?」

「は、はい。現在人が多く出入りしておりますので少々手狭ではありますが、ご覧ください」

 本来であれば帝国に対しては最高機密なため、見せることもよろしくない。そのため、破壊させようかとも考えたのだが、下手に破壊して中から水素が漏れ出し、それに引火して大爆発を起こしでもしたら、目も当てられない事態になってしまう。

 特に、ディーゼル機関は破損しても燃料に引火しにくいという特徴があるだけに、彼らが水素ディーゼル機関を『通常の』ディーゼル機関と間違えないかどうか心配という一面もあるのだ。

 木下はアーロンを船に案内する。甲板上に所狭しと積み込まれた荷物に、アーロンはかなり驚いていた。

「ほぅ……随分と広いのだな。軍艦とは大違いだ」

「そうですね。このコンテナ船は多数の荷物を一気に運ぶことに特化しています」

「だが、これほど積み荷が多くてはなにか事故があった時にすぐ転覆しそうだな。上部への重量が集中しすぎていないか?」

「そうですね。確かにそういう一面があります。ですが、我が国ではとあるものを使って航路の安全を確保した上で航行していることがほとんどですので、事故はほぼ起きません」

 実際にはこうしてエンジントラブルで漂流しているのだから万全でも完全でもない。だが、アーロンもそこにツッコミを入れる気はなかった。

 一方の木下も海底の地形調査などは間違いなく機密に触れると思ったからか、『とあるもの』と言ってお茶を濁してみせた。

「では、艦長殿と機関員の方でこちらへ移ってください」

「わかった。機関科から数名ついてくるように伝えろ」

「はっ」

 木下に続いて『極東丸』に移り、その船内を歩くと、北方の海域を航行しているにもかかわらずかなり暖かい。

「ふむ。冷暖房設備が整っているようですね」

「今は非常電源で最低限しか動かせていません。なので、一部を除いて止めているんですよ」

「それでこの暖かさか……寒い軍艦住まいとしては羨ましい限りですな」

 この時点で、アーロンは日本の船舶に使用されている技術が非常に高度なものであることを見抜いていた。

 アーロンはそう言うが、実際には二次大戦水準の軍艦であろうとも、ある程度の冷暖房設備は整えているものである。

 日本の戦闘艦では大和型戦艦において『冷房が効いていた』、『他の艦に比べて広かった』ということから、居住性が他の軍艦に比べてすこぶるよかったこともあって、陸軍及び他の艦の乗組員から『大和ホテル』、『武蔵屋旅館』などと呼ばれていたという話もある。

 ちなみに日本では戦後まで生き延びた『占守型海防艦』のネームシップ『占守』が、北方向けの断熱装備が強すぎたがために、船団護衛の試金石として南方で運用する際に大きな支障が出たのは言っちゃいけないお約束。

 同じように、厳寒期には……まして洋上での行動を主とする軍艦にとっては、釜焚き員と艦橋要員以外はかなりの寒さに晒されることは間違いない。

 そんな思いがあるからこそ、アーロンなりに皮肉を込めて羨ましいと言ったのだ。

 もっとも、木下としては少しでも機密的な存在を部下が始末してくれる時間を稼いでくれることばかりを考えていたせいか、この皮肉は通じていなかったようだが。

 アーロンは機関室へ案内される途中、船のあちこちからなにかを壊すような音が聞こえることに気付いていた。

「随分派手な音を立てているようですが……機密物資でも処分しているのですかな?」

「いえ、それはその……」

「まぁいい。いずれにせよ、自力で動けないのであれば我が国の港へ曳航することになる。その上で侵略を意図したものでないかどうかを調査することになるだろう」

 木下としてもそうなるだろうということは想定していたが、それでもできる限り足掻いておきたかった。なので、それ以上はなにも言わないことにした。

 それから10分後、機関部に到着したアーロンは、主機関の水素ディーゼルエンジンを見て驚いていた。

「なんだ、この主機関は……私も輸送船の内燃機関は見たことがあるが、この巨大な船体にこれほど小さい機関でこの巨体を動かすことができるとは……この主機関でどれだけの速力を出せるんだ?」

 ディーゼルエンジンは船舶向けの場合、他のエンジンより小型にできるため、艦内スペースを広くとることができるという利点がある(現代軍艦はそれよりさらに小型のガスタービンエンジンを用いているため、あくまで第二次大戦前後基準)。

 どうやらイエティスク帝国では、これほど小型化された機関が存在しないか、存在していてもそれほど能力・出力が高くはないようである。

 そして、主機関の馬力については守秘義務圏外であるため、木下は相手の動揺を誘うためにもあえて言ってみることにした。

「この船は我が国で開発された6万馬力を発生させることができる機関を搭載しておりまして、この状態で星を半周以上航行することも可能です」

「うぅむ……内燃機関の優秀性は知っていたが、これほど大きく、大量の貨物を搭載できる船舶が星の半周以上を航行できるとは……恐ろしいな」

 だが残念なことに、イエティスク帝国の基準ではかなり逸脱したものだったらしく、脅威を感じられてしまったようだ。

 実際には第二次大戦中やその直後の船舶でも地球1周に近い航続距離を持つ船舶や軍艦は存在していたが、アーロンは少なくともこれほどの大きさでそれ程の航続距離を持つ船を見たことがなかった。

「副長。直ちに本国に連絡し、この船を曳航させろ。どうやら我々の想像以上に高い技術力を保有しているらしい」

「はっ」

 副長は船に連絡を取る。どうやらイエティスク帝国は、ウォーキートーキーに近い通信機も実用化しているらしい。

 木下は冷や汗が止まらない。

「(なんとかならないのか……本当になんとかならないのか……?)」

 だが、ただの船乗りにはこの状況を打破することなど不可能だと言えた。

 よしんばここに来たアーロンたちを倒したとしても、彼らの乗っている軍艦から通信が飛び、場合によっては航空攻撃を喰らうこともあるだろう。

 軍艦の砲撃であれば、中小口径砲限定だがある程度は耐えられるだろう。戦艦のように30.5cmを超える大口径砲の場合は、破壊力が対艦誘導弾を上回るものも多々あるので、そう何発も耐えられるものではない。

 だが、かなりの大型とはいえわざわざ商船を撃沈しに戦艦が出てくるのは、ナチス・ドイツのように仮想敵国(この場合は当時のイギリス)と比べて海軍戦力に自信がなく、通商破壊作戦にまで戦艦(ドイツの場合はシャルンホルスト級巡洋戦艦)を用いなければならないほどにお寒い事情の国くらいだろう。

 しかし、航空機による急降下爆撃や雷撃は戦艦の砲撃に比べて正確かつ強烈で、間違いなく多くの死者を出すことになる。

 現時点では、帝国が紳士的な対応を取ればの話だが、乗員が帰ることができる可能性が無きにしも非ずな状態であるだけに、強硬的な態度を取って死者を多数出すような選択肢はできない。

 どちらにしても、日本人の優柔不断性がここにも表れていた。

「(ダメだ……やはりこうなったらキングストン弁を開いて船を自沈させるしか……だがその場合、帝国は我々の安全を保障してくれるのか?それがない以上、今はどちらに動くこともできないというのにっ……)」

 先ほどから木下の頭の中をグルグルと堂々巡りのように駆け巡っているこの選択肢は、実際他にどうすることもできないくらいの状況であった。

 第一に、そもそも機関が動かないというのが致命的である。

 機関が動かないということは逃げることはもちろんだが、攻撃を避けることさえできないのだから、当然と言えば当然だ。

 だがそれ以上に、本当に追い詰められた時には接近してきた軍艦に対して『体当たり』を敢行することもできない。

 実際、第二次世界大戦中の特設輸送船であった超大型高速客船『クイーン・メリー』は、1942年10月2日、アメリカから陸軍部隊をイギリスのリバプールまで移送している途中、イギリス海軍から迎えに来た軽巡洋艦キュラソー(C級軽巡洋艦、排水量は5300tで日本基準では長良型や球磨型に近い排水量の軽巡洋艦)と衝突し、これを真っ二つにして沈めたという事件が起きている。

 クイーン・メリーの要目は、総トン数が8万1235t、全長310.5m、最大出力20万馬力、最大速力31.7ノットという、大和型戦艦やアイオワ級戦艦を超える巨体であるにもかかわらず、アイオワ級戦艦や重巡並みの速力で航行することが可能な怪物(主機関に関しては大和型戦艦より5万馬力近く上、アイオワ級に近い)であった。

 一概に比較はできないが、『ピトーン』のモデルと言えるマクシム・ゴーリキー級巡洋艦は1万t近い排水量を誇る、本来ならばコンパクトな重巡洋艦とでも言うべき船(日本では最上型や古鷹型・青葉型が近いだろうか)だが、極東丸の排水量は大型軽巡洋艦レベルとは比較にならない、20万t近くの排水量がある。

 ぶつかられた場合、間違いなく大打撃をこうむるのは『ピトーン』の方である。

 もっともそれも『主機関が動けば』の話である。機関の止まった船など、浮いて流されるだけのクジラでしかない。

「(……これだったらいっそのこと、舵が壊れてしまっていた方がよかった……そうすれば迷いなくキングストン弁を開いて自沈させられたのに……)」

 船乗り曰く『機関の故障以上に舵が壊れることの方が最悪』らしい。特に大型船・大型艦にもなると、舵が壊れることで曳航してもらうことすらできなくなってしまうため、その船の運命がそこで決まると言っても過言ではないらしい。

 第二次世界大戦中でも、舵が壊れたことで運命が決した軍艦は何隻かいる。

 日本の高速戦艦『比叡』や、ソードフィッシュ攻撃機の雷撃を受けた『ビスマルク』がそのいい例だ。

 比叡は航空攻撃と砲弾の直撃で舵が壊れた上、『機関室全滅』の誤報を受けたことで注水弁を開き、沈まざるを得なかった船であり、連絡能力の欠如及び、ダメージ・コントロールの失敗による喪失とも言える。

 一方のビスマルクはと言うと、イギリスの巡洋戦艦『フッド』を38.1cm砲弾の一撃で轟沈させたことでイギリス海軍の猛烈極まりない怒りを買い、まず空母『アークロイヤル』から放たれたソードフィッシュの雷撃で舵が故障し、左へ15度切れたまま動かなくなってしまった。

 結果としてビスマルクはその後、驚くべきことに戦艦4、巡洋戦艦2、空母2、巡洋艦4、駆逐艦12隻という大兵力を差し向けられてボコボコにされてしまったのである。

 逆に言えば、イギリス海軍がそれだけフッド撃沈のことを恨みに思ったということなのだろうが……。

 話は少々横に逸れたが、それだけ船に……特に大型船にとって、舵が壊れたままになるというのは最悪の現象なのである。

 だが、今回に限っては舵が壊れていた方が『躊躇なくキングストン弁を開いて機密漏洩を防ぐ』という観点では都合がよかった、というのが木下の率直な感想であった。

「(どうする……どうする……どうしようもないのか……?)」

 そして、木下は追い詰められた結果、今までであれば考えても実行しなかっただろう破滅的思考回路に至る。

 付いてきていた部下の1人に、こっそり耳打ちした。

「(総員退船準備の後、キングストン弁を開け)」

 部下は一瞬目を見開いたが、木下の意図を理解したらしく、すぐにその場から走り去った。

 そして、そんな木下の様子に気付かないアーロンではなかった。

「今、なにか指示を出したか?」

「え、えぇ。皆さんが来てくださっているので、なにか温かいものでもと……」

「……冷たい潮水の間違いではないのか?」

 アーロンは、木下がこの船を沈めることによって機密物資の証拠隠滅を図ろうとしているのではないか、と薄々だが感づいていた。

「……だとしたら、どうします?」

「……ふん。日本人も、中々やるようだな。副長、機関員たちを戻せ。船が沈む」

「は、ははっ!」

 慌てた副長が機関を見に行った機関員たちを呼び戻しに走り出すと、アーロンは忌々し気に木下を見た。

「やはりこの船には相応の機密物資が積んであったようだが……なぜギリギリまで迷っていた?」

「……例え僅かであろうとも、助けが来る可能性がある以上は船と積み荷を自分で沈めるのがもったいなかった……それだけです」

 正確には責任問題にもなるため、それを負いたくなかったという一面もあるが、少なくともこの気持ちも嘘ではない。

「そうか……もう一度言おう。日本人も中々やるようだな」

 その後、戻ってきた機関員と共にアーロンは退船し、『極東丸』の乗組員たちも救命艇で全員脱出した後、キングストン弁を開いて注水することによってゆっくりと沈没していった。

 軽巡洋艦『ピトーン』は漂う救命艇から乗組員を収容すると、ゆっくりと艦首を北へと向け、ウラジミール港へと引き換えしていったのだった。

 この際乗組員たちは、スマートフォンはもちろんだが、ウ○ーク○ンなどの電子機器類の全てを海中へ投棄してから移乗している。

 1つであろうとも『帝国に解析されたら、間違いなく厄介なことになる』、という木下の判断によるものであった。

 彼らはイエティスク帝国へ連れていかれ、尋問を受けることになる。

ドンパチに至るにはもうしばらくかかりますが、始まれば一気に強烈なものをお見せできる……はずです。

なので、もうしばらく最終決戦までの前座にお付き合いください。

次回は2月3日に投稿しようと思います。

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