カトーリ村16
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
老人が話しかけてきた。
「今回の件、お
「食い物ぐらいしか人生の楽しみがなくてね」
人間としての器が違う、そう思った。
しばらく待っていると、気配察知に反応があった。どこかぎこちない笑みを浮かべ、アルゴが歩いてくる。
「止まれ」
「え?」
俺の言葉にアルゴが動揺する。
「アルゴ……お前じゃ無理だ」
「ツッ」
アルゴの体がこわばる。
「周りにチヤホヤされて調子に乗ったか? 自分ならできると? 無理だな、お前に俺は殺せない」
アルゴは、俺の渡した黒鋼のハンティングナイフを後ろ手に隠し持っていた。
俺を消せば秘密は守られる。報酬も払わなくていい。そんな短絡的思考だろう。
強欲なメルゴを見て育ったアルゴには、俺の要求が竜魚だけだとは思えなかったに違いない。
「俺を殺しますか?」
アルゴが震えながらそう言った。
「いや、一度だけ……。一度だけ許そう。お前は一緒に戦った戦友、友達だからな」
アルゴの目が驚愕で見開かれる。
「信じられません、俺たちは知り合ったばかりです。ろくに言葉も交わしていないのに、友達なんて……」
「命懸けで大きなことを成し遂げた。そこに時間なんて関係ないさ……」
無駄に意味深なしゃべり方をする。俺のひどい演技でどこまで通用するかと不安だったが、酒と祭りの雰囲気に当てられて、アルゴは感動していた。
さみしかったよな、アルゴ。コイツはずっとボッチだったはずだ。
アルゴの父であるウルゴを慕って、手下は多くいた。
だが、その微妙な立場から同年代の人間と友人関係を築いたことはないはずだ。
今は網元に就任しチヤホヤされている。だけど、殆どの人間が村の英雄であり、網元である『演じられたアルゴ』を見ている。
おそらく、この村で一個人としてアルゴを冷静に見れるのは村長だけだ。だが、網元と村長は利害関係で対立することもある。本当の意味で、彼の理解者は一人もいない。
幼くして両親を失い、愛に飢えている。幼少期からの孤独とプレッシャー。俺に救われた感謝。口封じに殺そうとした罪悪感。
そんな状態で、コイツの一番ほしい物をくれてやろう。頼りになり、本当の自分を見てくれ、理解してくれる『友』を。
熱に浮かされているのはアルゴも同じだ。俺を殺そうとしたときは頭にきた。だが、せっかくコイツを網元に押し上げたんだ。
孤独と罪悪感に付け込んで、都合のいい『お友達』になってもらおう。いつかまた、この村に訪れたとき、自分から笑顔で竜魚を差し出してくる、そんな『お友達』にね。
その後、俺は適当な綺麗事を並べ立てアルゴの心の隙間に忍び込んでいく。
チョロいなアルゴ。ゴンズぐらいチョロいぞ。チョロすぎて心配になってしまう。まぁ、村長が味方でいる限りは大丈夫か。
俺は村長に頼ること。経済を村長が握り、武力を網元が握ること。貴族向けの新商品のアイディアなど色々とアドバイスをアルゴにする。
アルゴは、殺そうとして本当にすまなかった。俺のためにありがとう。そう言いながら、目に涙を浮かべている。
空想の世界に逃げ込んでいた、物語の好きな少年アルゴは、こうして悪い蛮族を信用してしまうのでした。めでたしめでたし。
チョロインもびっくりのチョロさであっさり俺を信用したアルゴは、俺を丁重にもてなした。竜魚も、さすがに『一匹丸ごと』とはいかないが、それなりの分量もらえるらしい。
金、女、酒などのわかりやすい利益を要求しなかった俺は、アルゴにあっさり信用された。自分のつらい境遇から救ってくれ、たいした報酬も要求しない。アルゴがお姫様なら、俺は騎士といったところか。
普通なら、チーレムヒロイン追加フラグのはずなんだけどなぁ。汚物まみれの狂ったおっさんと死闘して、助けたのはヘタレのイケメン。世の中うまくいかない物だ。
まぁ、それはいい。今から待ちに待った竜魚の調理が始まる。村の広場には巨大な土鍋のような容器が用意してある。
竜魚とはどんな魚なのか? あの容器でどんな調理をするのか? オラ、ワクワクが止まらねぇぞ!
俺が期待に胸を膨らませていると、2mほどの巨大な木彫りの魚が運ばれてきた。真鯛を巨大化させたらあんな感じだろうか。
なんかの儀式か? そう思っていると、隣にいるアルゴがうれしそうに解説してくれた。
あれは、竜魚を特殊な方法で燻して作った燻製だと言われた。燻製って言われても木彫りの工芸品みたいにカッチカチだぞ。大丈夫なのか? 俺の表情を見て、アルゴが説明してくれる。
モンスターを保存食にすると、味に深みがでるが、痺れるようなうまさが消えてしまう。ただ、この村から古く伝わる方法で燻製にした竜魚は、何年たっても痺れるようなうまさが抜けないのだそうだ。
おそらく、味に深みがでるのはうま味が増したから。痺れるようなうまさがなくなるのは
何らかの特殊な方法を使って、
モンスターが死ぬと自然に消えると言われている、
しかるべき研究者が調べれば、魔法技術に革命が起きるかもしれない。
田舎の漁村にある郷土料理が、魔法革命に繋がるかもしれないなんて誰も考えないだろう。そう考えると少しニヤリとしてしまった。
といっても、俺は魔法のことはさっぱりだ。既存の技術かもしれない。
どちらにしろ、トラブルの匂いしかしない。厄介ごとはごめんだ、誰にも話すつもりはない。
表面を乾いた布で綺麗に拭き、巨大な土鍋で蒸す。火が通り柔らかくなったら表面を
蒸している段階では、軽い異臭がしていた。大丈夫か? 不安に思ったが、表面を
口の中が涎でいっぱいになる。
ざわついていた広場は静まりかえり、村中の人間が竜魚が焼ける姿を黙ってみていた。唾液を飲み干す音だけが広場に聞こえる。
調理が完了した竜魚が取り分けられる。竜魚はでかいが、村人も多い。一人あたりの分量は一口分でしかない。
それでも、村人は待ちきれないといった感じで、受け取ると同時に食べている。
取り分けた後、網元や村長からの挨拶。その後一斉に食べるという流れだと思っていたが、確かにこの匂いに耐えるのは難しそうだ。
そんなことを考えていると俺の前に皿が運ばれてきた。俺、アルゴ、村長の皿は特別に、多めに取り分けられている。
村人の視線が俺に刺さる。竜魚のうまそうな匂いにやられてしまった俺は、村人の視線など気にならなかった。
俺は皿にのっている竜魚の身を半分にわけ、フードからパピーを出す。くんくんと匂いを嗅ぎ、尻尾を振るパピー。
茶色く変色した竜魚の皮は、炙られたことでパリッと歯切れの良い食感に変わっていた。火を通しすぎた堅いパリパリ感ではなく、歯に当たるとサクッと噛み切れる歯ごたえ。
蒸された身は、瑞々しさを取り戻し、蒸されるときに多少抜けるはずのうま味をそのままその身にたたえている。
身をかみしめると、ジュワッと魚肉スープがあふれ出し、皮と身の間の油が口の中で爽やかに溶ける。
濃厚なうま味。燻製独特の香ばしい香り。肉とは違う魚の上品な油。そして、脳を
うまい! ただただうまい! うま味の
シンプルに、ただうまい。
この味に言葉を飾るのは野暮だ。俺とパピーは夢中で竜魚を食べた。
もうなくなってしまった。恐ろしいほどの喪失感。もっと食べたい、もっとだ。
どうしてアイツらは竜魚を食べている。それは俺の物だ。俺に食わせろ。殺してでも奪ってやる。
俺は竜魚を食べている村人に襲いかかろうとした。そのとき、俺の右腕に鋭い痛みが走る。右腕を見るとパピーが俺に噛み付いていた。
パピー俺は美味しくないぞ?
おかしい? そりゃ俺は何時だっておかしいけどよ。そんなことより竜魚だ。俺の竜魚が食べられてしまう。
そう思ったが、パピーがさらに俺を強く噛む。噛まれた部分から血が滴り落ちた。
パピーさすがにやり過ぎだ。俺はパピーを叱ろうとしてハッとした。俺は今、何をしようとしていた? 竜魚のために村人を襲おうとしていた。
体に震えが走る。何時からだ? 何時から俺はおかしい? 竜魚を食べてからか? いや、その前からおかしい。
そもそも不自然だ。村の権力争いなんてリスクの高い出来事に首を突っ込むなんて俺らしくない。明らかにメリットとデメリットが釣り合っていない。ハイリスクローリターンを受け入れている。
噛まれた右腕の痛みが俺を正気に戻してくれた。ありがとう、そしてゴメンなパピー。つらい役目をさせてしまった。
俺はパピーをそっと撫でる。パピーの柔らかな毛並みと、暖かさで心が落ち着く。冷静になったが、それでも竜魚が欲しくてたまらない。喉がやたらと渇く。
もしかしてこれは中毒症状か? 何にだ? 竜魚に? いや、違う。
前より、強い刺激を、もっと大量の
食道楽なんて範疇じゃない。明らかに中毒症状だ。ただ、麻薬のような薬効成分による依存じゃない。
ジャンクフード中毒、パチンコ中毒などの、強烈な刺激に
ジャンクフードは、油と濃い塩味が強烈に舌を刺激して多幸感を生み出す。
個人差はあれど、急に味の濃い物やジャンクフードを食べたくなる経験は誰にでもあるはずだ。
この状態はそれを強烈にした物だ。
だが、それだけでは、ここまでひどい中毒症状は起こさない。
俺は美味しい物を食べるとき、より美味しく食べるため、五感強化で味覚をマックスまで強化していた。
それがまさか、こんな事態を引き起こすなんて思わなかった。俺は急に怖くなった。自分で自分をコントロールできない。こんなに恐ろしいことはない。
パピーが止めなかったら、竜魚欲しさに村人を襲っていた。だめだ、
俺は次に
不幸中の幸いなのは、肉体と精神、両方の依存を引き起こす麻薬とは違い『精神的な依存だけ』という点だ。
自分をコントロールできるまで、
俺はパピーを優しく撫でながら、唯一残された楽しみが消えたことを知った。