閑話 私の名はアルブレヒト 06
買取屋の店主は震えながら金貨を袋に詰め、ゴンズに渡した。ゴンズが袋を受け取り、移動しようとしたので私は言った。
「ゴンズ、その金額だと20倍には足りない」
私の言葉を聴いたゴンズは、つるつるの頭にビキリと血管を浮かび上がらせ、岩のように大きな拳を握り振りかぶる。
「ま、まってくれ! 店にある金貨はそれで全部なんだ。支払いたくても金がねぇんだ!」
それを聞いたゴンズは、拳を下ろす。
安心した店主が気を抜いた瞬間、シュっと手を伸ばし、店主が首から提げていた紐を引きちぎる。紐の先には鍵が付いていた。
ゴンズは鍵を奪うと、ズンズンと買取所の奥へと歩き出す。店主が制止する声が聞こえるが、ゴンズは構わず奥へと歩き出した。
店主が首に掛けていた紐は、奥の商品保管庫の鍵だったようだ。ゴンズは現金がないなら、品物でと思ったのか、商品保管庫を物色しだした。
ゴンズには知識がない。その代わり知恵がある。考えることは苦手だが、勘が鋭い。まるで野生動物かモンスターのようだ。
行動は常識はずれで、計画性の欠片も無い。しかし、商品保管庫の鍵を目ざとく見つけるなど、知恵と勘に優れている。
そこに常識はずれの肉体が備わっているから、ここまで無計画に動いても殺されずに生きていけるのかもしれない。
「アル、こいつを見てみろよ。すげぇぜ」
ゴンズはそう言いながら、保管庫から大きな斧を持ち出した。総金属製の斧で、刃の部分が通常の二倍はあろうかと言う巨大な斧だった。
ゴンズは嬉しそうに、斧をブンブン振っている。扱いに慣れていないのか、壁や床に斧が当たり、でかい音が鳴る。
その度に店主が、ビクリと体を
ゴンズは喜んでいるが、明らかに欠陥商品だ。先端に重量が集中しすぎている。相当な筋力がないと、あの斧は扱いきれない。
あの斧を扱いきれる筋力になるには、相当なレベルが必要だ。その頃には、武器は黒鋼になっている。
貴族の重装歩兵用に作られたのか、斧には美しい彫刻が施されていた。
欠陥武器で扱いきれる者がおらず、流れ流れて小国家群にたどり着いたのだろう。小国家群の鍛冶師の腕では、斧に施された美しい彫刻を刻めるとは思えない。
芸術品扱いの、観賞用として取引されていると推測した。
「ダンナ、その斧は勘弁してください。マクガヴァン工房の一品なんです。渡した金貨を全部足したって、この斧には足りません」
買取屋の店主が必死にゴンズにすがりつく。
あれだけゴンズに怯えていたのに、斧を持っていかれまいと必死に抵抗していた。状況が見えていない馬鹿なのか、よほど商魂たくましいのか。
ゴンズは少し考えるそぶりをした後、袋に手を突っ込み握る。買取所の机の上にバンと金貨を置くと、背中のバスタードソードを外し、机の上に置いた。
「頑丈でいい武器だ。かなりの品だぜ」
ゴンズはそう言うと斧を肩に担ぎ、店から出ていった。店主があわてて後を追いかけようとしていたが、私は店主の肩を掴み、首を左右に振った。
あきらめた方がいい。ゴンズの中では、すでに取引は終了している。ゴンズの機嫌を損ねると、命に関わる。
私もゴンズの後を追い店を出た。魂の抜けてしまった、そんな表情で立ち尽くす店主を置き去りに。
スラムを抜けると、ゴンズは金貨の入った袋をそのまま私に渡してきた。
「俺様の分は斧の代金にしちまったからな、受け取りな」
私は何もしていないどころか、命を救われている。金は受け取れないと思ったが、拒否しても無理やり渡されるのは目に見えている。
「ありがとうゴンズ。お礼に奢らせてくれ」
「おめぇ話がわかるじゃねぇか、がーはっはっは」
ゴンズが機嫌良さそうに高笑いをする。このお金は私たちパーティーのために使おう。ゴンズは酒場に行きたがったが、なんとか服屋へと向かう。
めんどくさがるゴンズを説得し、中古だがそれなりに品の良い、高級な服に着替える。
ゴンズは大きさが合う服がほとんど無かったため、成金の商人が着るような下品で派手な服を、パツンパツンにしながら着ていた。
服を着替えると、私は高級宿へと向かった。官僚時代に泊まった高級宿とは比べ物にならないが、小国家群では一流の宿泊施設だ。
私とゴンズの格好を見て、守衛が宿に入るのを阻止しようか一瞬迷っていたが、そのまま宿に入ることができた。
受付でなるべく丁寧に上品に話すよう心がけた。
そのおかげなのか、宿泊拒否をされることはなかった。私は支配人に手間賃として金貨を渡し、旅に必要な物資の購入を依頼した。
身分の高い人間が身分を偽り、平民のフリをして活動していると勘違いしてくれれば最高だ。そうでなくても、手間賃分は働いてくれる。
旅に必要な物を揃えてくれれば文句は無い。
すでに夜なので、閉まっている店も多いと思う。だけど、多額の金をしはらったのだから、なんとか揃えてくれるだろう。
私たちは、警備のしっかりした高級宿で安心して睡眠を取ることができる。翌朝、旅に必要な物資を受け取り町を出る。
これでかなりの危険は回避できるだろう。そのことをゴンズに伝えると、よくわからねぇと言われた。
寝ておきたらすぐ、町を出られるように手配したと伝えると、面倒な買い物をしなくてもすんだぜ、そう言って笑っていた。
町やスラムであれだけ騒ぎを起こしているのに、のんびり買い物をする気だったゴンズにあきれたが、ゴンズのおかげで生きている。
多少言いたいことはあったが、彼には感謝している。私は言いたいことを飲みこんだ。明日に備えて早く寝なくては。
今日は色々な出来事が合った。
気持ちは高ぶっていたが、心身ともに疲れ果てている。久しぶりに味わう、柔らかな寝具に包まれた私は、すぐ眠りに付いた。
翌日、特にトラブルも無く、町を出ることができた。
ゴンズと出会ってから1年が過ぎた。ゴンズとはそれなりにうまくやっている。
暴走したゴンズが商店の商人を殺したり、衛兵を殺したせいで、何度か夜逃げ同然で拠点となる町を移すことになった。
ゴンズだけではなく、犯罪行為で町にいられなくなる冒険者は多い。
最初は
冒険者として致命的な欠陥がある私には、十分すぎる相棒だ。
官僚学校時代に、冒険者を伴ったレベル上げをしていたが、私は15レベルで止めていた。
レベル15の壁は知っていたが、官僚である私に武力は必要ない。時間と金の無駄だと思い、15レベルで止めてしまった。
官僚学校時代は必死にレベルを上げている同僚を見て、愚かだと蔑んでいた。今は後悔している。すべてを失った状態で、頼れるのは自分の力だけだ。
最悪に備えるという、危機回避に必要な行動を軽視してしまった。欠陥冒険者の私でも、レベル15の壁を越えていれば一目置かれていたかもしれない。
私には冒険者として致命的な欠陥がある。戦闘技術がないのは当然だが、私は生き物を傷付けることができない。
私は幼少期から野蛮なことが嫌いだった。生き物を傷付けるという行為に対して、心理的な抑制が掛かってしまい、攻撃ができない。
私を搾取していた糞冒険者どもを殴ったときに、生き物を傷付けられるようになったのかと思ったが、あの時だけだったようだ。
生き物に対し攻撃ができない私は、報酬の多い討伐依頼を受けることができない。冒険者になってからは、報酬の安い採取依頼ばかりこなしていた。
糞冒険者どものパーティーに入ったとき、そのことを知られてから扱いがひどくなった。
私の欠陥をゴンズに伝えなければいけない。だが、前の糞冒険者たちのように、ゴンズが私を役立たずと見なして、ひどい扱いをするのではないか。
そう思い、なかなか打ち明けることができなかった。
危険の少ない討伐依頼を受けていること。そして、ゴンズの高い戦闘能力のおかげで、今までそのことを知られずにすんでいた。
しかし、このままでは突発的な危機に対応できない危険がある。このままでは良くないと思い、私は勇気をもってそのことをゴンズに伝えた。
するとゴンズはなんでもないように言った。戦闘は俺様に任せな、ごちゃごちゃした面倒なことはアルに頼むぜ。
ゴンズはニカっと笑った。
単純な善意だけではなく、ゴンズにも利益があるからなのだろう。私と組むようになって、仕事は楽になり、収入が増えたと喜んでいた。
今までよほど搾取されていたのか、私と報酬を折半しても前より稼げているらしい。もっとも、ゴンズは冒険者らしく貯蓄には興味がない。
あればあるだけ、酒と女に金を使っている。そのため、いつも貧乏だ。
私は生き物を傷付けることはできないが、戦闘に貢献することはできると考え、盾を購入した。
ゴンズが囲まれないように、盾でモンスターの行動を阻害することはできる。
冒険者で盾の扱いに定評のある人物に師事をして、技術を学ぶ。ゆっくりだが、着実に私の技術は上達していった。
最初はモンスターに怯え、まともに動けなかった。しかし、何度か実地を重ねることで度胸が付いた。
今では、ゴンズの動きを見ながら、盾でモンスターの行動を阻害することで、状況をある程度操作できるようになった。
戦いが安定することで、危険だが報酬のいい依頼もこなせるようになった。この1年で私も、冒険者としての自信が付いてきた。
今日は複数のパーティーが合同で行う、でかい討伐依頼があった。参加した私たちは大きな戦果を上げ、多額の報酬を手にした。
ゴンズはご機嫌で、冒険者ギルドに併設されている酒場で大騒ぎをしている。私も一緒に参加していたが、今は一人離れ、別の店で静かに酒を飲んでいる。
小国家群は治安が悪い。一人で出歩くのは危険だが、この町の領主は治安維持に力を入れている。そのため、町中での帯剣は禁止されている。
護身用のナイフは携帯を許されているが、ナイフで襲われたぐらいなら、何とか対処できると思う。
雨の音が聞こえる。私は雨の音を聞くとひどく憂鬱になる。酒場で大騒ぎする気分にはなれない。
雨の日は彼女を思い出す。雨が降り肌寒くなると、私と彼女は裸でシーツに
肌の温もりと、お互いの心臓の音が雨音に包まれ、ひとつに溶け合い、言葉を話さなくてもお互い分かり合えた気がした。
雨の日に温もりを求め、娼婦や、甘い言葉で誘惑した酒場の給仕と肌を重ねたりもした。肉体的な快楽は感じたが、心は冷たいままだった。
憂鬱な気分を振り払うように酒を飲む。メガド帝国産の蒸留酒が私の喉を焼いた。ひどい粗悪品だが、小国家群では高級品だ。
このまま酒に呑まれる前に宿に戻らなければ。そう思った私は、店を出る。雨は激しさを増し、私はずぶ濡れになったが、酒で火照った体には心地よい。
宿に向かって歩いていると、ひとりの商人が目に入った。ドクンと私の心臓が跳ね上がる。
メガド帝国から小国家群へ向かう船の中で、私の自尊心を踏みにじった。あの商人だった。
嫌なものを見た。そう思い、視線をそらそうとした。そのとき、私の目にある物が映った。
品物の代金を支払うために、商人が出した財布。
あの財布は盗まれた私の財布だった。私の財布を盗んだのは、あの商人だった。そして飢えと渇きで死に掛けている私に屈辱を与えた。
さぞ滑稽だっただろう。さぞ優越感に浸れたことだろう。怒りなどという言葉では表せない激情が、私を駆け巡る。
一見して高級品とわかる財布。狙われるのは当然かもしれない。油断していた私が悪い部分もあると思う。
それでも、あの財布を使ってしまった。あの財布は彼女が、あの女が私の誕生日に贈ってくれた物だったから。
官僚の私と同棲しても、あの女は実家の商店への便宜を断った。清貧を旨とする、気高い人なんだと思った。
少ない収入から、高価な贈り物をしてくれた。大変だっただろうに、その気持ちが嬉しかった。すべてが偽りだと気付いても捨てられなかった。
日常生活を送っていて忽然と姿を消した。そう思われるために持ち出す必要がある。そう自分に言い訳をして、逃亡に不釣り合いな高級品の財布を持っていた。
そして、目をつけられた。
「ククククク」
自然と笑い声が漏れていた。雨に打たれた体は、すっかり冷え切っていた。
私は商人の後を付ける。後ろ暗い商品を扱っているのか、商人は人気の無い場所へと向かっていく。
私は周りを見渡し、人がいないことを確認すると、商人へと近付いていく。
商人の背後に立つと、私は商人の口を左手で押さえた。右手にナイフを持ち、商人の背中を突き刺す。
「むぐぅ」
商人の口から悲鳴が漏れる。私は突き刺したナイフを引き抜き、何度も商人の背中に突き刺した。何度も、何度も、何度も。
私の味わった屈辱を、あの女への怒りを、愚かな自分への失望を。そのすべてをナイフに込め、商人に突き刺す。
気が付けばあたりは血に染まり、私の右手には根元から折れたナイフが握られていた。
ナイフで傷付けたのか、私の右手は傷だらけになっていた。今頃になって鋭い痛みが走る。
生き物を傷付けた。人を殺してしまった。それなのに……。
私は何も感じていなかった。
達成感、後悔、そんなありきたりな感情は湧き上がってこない。激しく降り注ぐ雨の冷たさだけが、強く心に残っていた。
私は人目に付かないように宿へと帰った。
酒場で馬鹿騒ぎをしていたゴンズは、返り血まみれの私を見て驚いていた。私は何も言わず、部屋へと向かう。
私は寝具に腰掛ける。右手からは血が滴り、痛みが強く存在を訴えていた。しかし、私はただ天井を眺めていた。すると、扉が乱暴に叩かれた。
「アル、俺様だ! 大丈夫か? おめぇ血まみれだったじゃねぇか」
私は気だるい体を動かすと、扉を開ける。
「ゴンズ、人を殺してしまったよ」
「……そうか、逃げる準備をしねぇとな。アルも荷物をまとめとけよ。朝になったら逃げるぞ!」
そう言うと、ゴンズは行ってしまった。
どんなときでもゴンズは変わらないな。私はクスリと笑うと、右手の治療をして荷物をまとめた。