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閑話 私の名はアルブレヒト 04

「よくみりゃおめぇ、ぼろぼろじゃねぇか。そこの井戸で体を洗いな。ちょうど傷薬が手に入ってよ」


 冒険者たちの死体から回収した傷薬を私に見せながら、大男は言った。


「すぐに逃げないと、衛兵が来てしまうのではないですか?」

小国家群(ここ)じゃ、冒険者同士が殺しあっても衛兵は知らん顔してるぜ。めんどくさそうに死体の処理だけはしてるがな」


 小国家群は私の想像よりはるかに野蛮だった。そこまでひどいとは。これでよく、国家としての体制を維持できている。


 私は井戸水で傷口を洗い、ゴンズと名乗る男に渡された傷薬を塗る。痛みには慣れたが、気持ちのいいものではない。


 痛みに多少顔をしかめながら治療を終えた。


 ゴンズに礼を言うと、宿へと案内をする。彼は慣れた手付きで武器を回収していく。回収した武器を手に彼はズンズンと歩いていく。


 私はどうしていいのかわからず、彼の後をついていく。周囲の建物は進むたびに薄汚くなり、悪臭が漂い始める。


 私は不安になり、ゴンズに尋ねた。


「ゴンズさん、どこに向かってるんですか?」

「『さん』なんていらねぇよ。ケツがむず痒くなっちまうぜ。ちょいと訳あり品だからよ、スラムの買取屋に売ろうと思ってな」


 私はスラムと聞いて顔をしかめた。底辺である冒険者になっても、近付かなかった場所だ。底辺というジャンルにすら属していない、廃棄物の集合体。


 それがスラムだと私は思っている。


 現に、ここの住民はギラギラした目で私を遠巻きに見ている。私の前を歩くゴンズを見て、手を出すことを諦めているようだ。


 不潔で怠惰なスラムの住人は犯罪行為で生活の糧を得ている。止むを得ずスラムに落ちた人もいるだろうが、大半の人間はまじめに働く気もないクズばかりだ。


 衛生観念の欠片も存在しない、悪臭まみれの最悪な道。


 今から数百年前ならまだしも、いまだに排泄物を路上に捨てている。呼吸するだけで病気になってしまいそうだ。


 私は清潔な布を鼻と口に当て、なるべく呼吸をしないようにしながらゴンズの後を追いかける。


「着いたぜ、ここだ」


 買取屋は、一見普通の商店に見えた。しかし、店を守っている、まともな人間とは思えない人相の男たちが、裏の匂いを強く感じさせた。


 ゴンズは買取所の机に、武器を乱暴に置いた。店主から出された金を受け取り、そのまま店から出ようとする。


「ちょっと待ってくれゴンズ。値段交渉はしないのか?」

「あん? なんかごちゃごちゃしてめんどくせぇから店主に言ったのよ、値段交渉して最後にこの値段ってなるのは結局おなじぐらいだろ? だから最初からその値段でよこしやがれってな」


 得意げに語るゴンズを見て、私は頭を抱えた。


 一見無駄なやり取りを省略した効率的な取引に見えるが、それはお互いにある程度の信頼関係があって成立する話だ。


 この様子だと、最初に基準となる値段設定もしていないはず。つまり相手の言いなりの値段で売っているような物だ。


 あとひとつ、気になったことがある。


 すでに何度も武器を売りに来ているらしい。いったいこの男は、どれだけ冒険者を殺したんだ? 何も考えていない残念な頭の男だが、実力は本物らしい。


 私はゴンズに受け取った金額の確認をさせると、ひどく少ない金額だった。私は糞冒険者どもに交渉をやらされていたので、この町の相場には詳しい。


 本来なら、この三倍の値段が妥当なはず。私はそのことをゴンズに伝え、私が代わりに交渉をすると伝えようとした。


 うまくこの男に取り入れば、あのような惨めな思いはせず生きていけるのではないか? そう思ったのだ。しかし、ゴンズは、私の想像以上に単純で凶暴だった。


「てめぇ! 騙しやがったな!」


 ゴンズは声を荒らげ、買取屋の店主の首を片手で掴み持ち上げていた。持ち上げられた店主は足をジタバタさせながらもがいている。


「なにやってやがる、ぶっ殺すぞらぁ!」


 店の用心棒がゴンズに掴みかかる。するとゴンズは、机の上に置いてあった武器を用心棒の頭に叩き込んだ。


「俺様にさわんじゃねぇ。ぶっ殺すぞ!」


 ゴンズが振るった剣は、用心棒の頭を半ばまで切り裂いていた。ぶっ殺すぞとゴンズは言っているが、もう殺している。


 あまりの凶暴さに私は恐怖を覚え、体を硬直させていると、ほかの用心棒たちが武器を抜き、ゴンズに攻撃を仕掛けた。


 ゴンズは店主を盾に、ときには武器として使い振り回す。店主を傷付けられない用心棒たちが躊躇(ちゅうちょ)している間に、ゴンズは容赦なく剣を叩き込む。


 私が今まで見たこともない、むちゃくちゃな戦い方だった。店主を振り回して、用心棒たちをほぼ無傷で片付けてしまった。


 盾や武器代わりにされた店主は、あちこち傷を作り半死半生の状態だった。


 ゴンズは買取所の机の奥に店主を無理やり座らせると、用心棒たちの武器を机の上に置いた。


「今までの10倍の値段でかいやがれ、それで貸し借りなしだ」


 ゴンズに睨まれた店主は震える手で金貨を袋に詰め、ゴンズに渡した。ゴンズは上機嫌で金貨の入った袋を受け取り店を出ていく。


 私はどうすれば良いか分からず、急いでゴンズの後を追いかけた。


 ゴンズはズンズンと迷いなく歩く。歩幅の広いゴンズに遅れないように、私は足を速めた。


 ゴンズはスラムの外に出ると、金貨の入った袋に手を突っ込み金貨を握り、ポケットにねじ込む。そして金貨の入った袋を私に差し出した。


「おう、おめぇの分だ」

「そ、そんな大金受け取れません。私は何もしていませんし」

「俺様が騙されてるのを教えてくれたのはおめぇじゃねぇか、おかげで大儲けしたぜ」

「こんなに受け取れません。2割いや、1割で十分です」

「そんなこまけぇの面倒じゃねぇか。半分でいいんだよ、半分で」


 私は困惑していた。ゴンズは、いきなり大金をポンと私に渡してきた。この男は金に執着がないのか? しかし、買取屋では金にこだわりを見せていた。


 何かの罠だろうか? 目の前にいる単純な男が罠を仕掛けるとは到底思えない。


 考えがまとまらないまま、おずおずと手を差し出すと、金貨の入った袋を(てのひら)に乗せられた。


 (てのひら)に感じる確かな重み。官僚時代なら気にも留めない金額だったが、小国家群(ここ)に来てからは手にしたこともない大金だった。


「じゃあな、にいちゃん」


 ゴンズは軽く手を上げ、立ち去ろうとした。私は慌ててゴンズに声をかける。


「待ってくれ、ゴンズ」

「あん?」

「私とパーティーを組んでくれないか?」

「いきなりどうした、にいちゃん」

「私には戦う力はないが、知識と交渉力がある。ゴンズ、貴方には戦う力はあるが、知識と交渉力はない。お互い足りない部分を補えばよい関係を築けるはずだ」


 鼓動が早鐘を打つ。言ってしまった、面と向かって相手に知識がないと。侮辱されたと思うかもしれない。彼がその気になれば、私など一瞬で殺せる。


 しかし、このまま彼と別れてしまえば、私の未来は暗い。手にした金は大金とはいえ、一生暮らせるほどの額には程遠い。


 そして、戦う力がない私は、この金を守る手段を持っていない。


 このまま前のような暮らしに戻るぐらいなら、怒り狂ったゴンズに殺される方が、まだましだった。


「うーん」


 ゴンズはしばらく悩むそぶりを見せた後言った。


「とりあえず組んでみっか。問題がありゃパーティーを解散すりゃいいだけだしな」


 ゴンズの言葉を聴いた私は、笑顔では右手を差し出した。


「よろしくな、にいちゃん」

「アルと呼んでくれ」

「よろしく、アル」

「こちらこそ、よろしく。ゴンズ」


 握られた右手が砕けるかと思った。相変わらずの馬鹿力だ。握手を終え手を離そうとしたが、ゴンズは私の手を握ったまま離さない。


「俺様は頭が悪い。今まで何度も騙されてきた。アル、おめぇは頭が良さそうだ。俺様なんて簡単に騙せるだろう。だがな、俺様を騙した人間は今まで一人も生きちゃいねぇ。俺様を騙すならそれなりの覚悟を持って騙すんだな」


 手を握ったまま、ゴンズはゾッとするような目で私を睨んだ。その瞳の奥に名状し難い、怒りや憎しみ、そして狂気を感じた。


 気圧された私は、言葉を発することができず、首を必死に上下に振った。

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