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閑話 私の名はアルブレヒト 03

欝展開があります、ご注意ください。

 次の日、私は普通に出勤した。あまり時間は掛けられない。同棲していた彼女の姿が見えないと、周りに気付かれてしまう。


 私は仕事をしながら書類を改ざんし、糧秣(りょうまつ)の管理者である上司の不正の証拠を捏造する。


 不正のために書類を改ざんするのではなく、不正を偽装するために書類を改ざんする。


 その行為が何か可笑しく、私は少し笑ってしまった。笑っている場合ではないのだがな、そう思いながら書類を改ざんしていく。


 私が手をつけられる範囲の書類では、不正をしてもたいした金額にならない。糧秣(りょうまつ)の名目上の管理者である上司が、危険を冒して不正をするには金額が少ない。


 かなり不自然に見えるだろう。だがほかに怪しいやつがいても、処罰する対象がその上司しかいなければどうだろうか?


 調査を進めて、私が怪しいとたどり着く。しかし、私がいなければ、戦争で受けた被害の責任を取らせる生贄が必要なはず。


 多少、根拠が弱くても、糧秣(りょうまつ)の担当者が犯人と見なされるはずだ。元々、部下に仕事を丸投げし、手柄だけ持っていくような、評判の悪い男だ。


 後は、私と同棲相手、その家族が行方不明になる、周りが納得できる理由があればいい。


 私は姿を消し、糧秣(りょうまつ)の担当者が犯人になれば、私の家族が連座で処刑されるという最悪の未来は回避される。




 商務省は商店の税の管理も行っている。そして、ある商店が明らかに脱税をしている。だが誰もその商店には手を出さない。


 帝都でも有名な裏ギルドの商会だからだ。


 今まで何人もの正義感あふれる官僚が、その商店に手を入れようとして、家族ごと行方不明になった。


 今では誰もかかわろうとしない。


 誰だって殺されたくはない。裏ギルドは腐敗した貴族たちとも太いパイプがあり、下手に手を出すとそっちからも圧力を掛けてくる。


 だが、今の私には都合がいい。無駄な正義感を発揮して、同棲相手と、その家族ごと消された。そう思われればいいのだ。


 私は誰も手を出していなかった裏ギルドの商店に強制捜査を強行し、徹底的に不正行為を摘発。帳簿を調べ上げ、追徴課税の支払い命令を出した。


 素早く準備を整え、他の官僚たちが気付く前に全てを終わらせた。私ひとりでだ。直属の上司にばれると阻止される恐れがあったためだ。


 私の直属の上司。裏ギルドの商店。両方にとって、完全に予想外の出来事だった。私が単独で、そしてあまりにも早く行動に移したためだ。


 帳簿を調べる過程で、商務省の官僚と裏ギルドの癒着を表す証拠も多数見つかった。私はその証拠を上司ではなく、監査省に送りつけた。


 裏ギルド、商務省。両方とも大変な騒ぎになり、帝都は一時騒然となる。


 その隙を付き、私は国外へ脱出することにした。髪型を変え、一般市民が着るような中古の服に身を包む。


 そして、偽造した身分証で小国家群へ向かう船へと乗った。


 突然消えた。そう思われるために、金はあまり持ち出せない。裏ギルドの手口は住人が失踪するだけ。金目の物を持っていったりはしない。逃走のために家財を持ち出すと怪しまれてしまう。正直、逃亡資金は欲しかった。


 しかし、家族の命が掛かっている。リスクは冒せなかった。


 安い3等客室で、体の臭い不潔な人たちと雑魚寝をしなければいけないのは苦痛だった。それでも、無事メガド帝国を出国できたのは嬉しかった。


 このとき私は、小国家群を甘く見ていた。資金が心もとなかろうと、私の頭脳があれば金などすぐ稼げると思っていた。


 最悪、どこかの商店に勤めるか、貴族の家庭教師でもすれば食うには困らない。そう思っていた。


 穢れた血の末裔。下劣な蛮族の住処。犯罪者の吹き溜まり。メガド帝国でそう呼ばれていた小国家群だが、私は差別意識からくる言葉だと思っていた。


 その言葉が真実だと気付いたとき、私は地獄を見た。





 地獄の始まりは航海中の船上だった。寝ている間に金を盗まれたのだ。食料を用意していなかった私は、船に乗っている商人から水や食料を買っていた。


 金が盗まれ、水と食料が手に入らなくなってしまったのだ。私は今まで、飢えと渇きを味わったことがない。


 貧乏とはいえ、男爵家に生まれた。その後、官僚として成功して裕福な暮らしをしてきた。初めて味わう飢えと渇き。


 特に渇きが酷かった。恥を忍び、商人や他の乗客に頭を下げ水を求めたが、私の願いを聞き入れる者は誰一人いない。


 船から飛び降りれば水が大量にある。


 何度その誘惑に駆られ、船から飛び降りようと思っただろうか。強烈な渇きで気が狂いそうになったとき、商人がニヤニヤしながら私に近寄ってきた。


「大丈夫かね? そんなに干からびて今にも死にそうじゃないか」

「うあぁあ」


 私はひび割れた唇で何かをしゃべろうとしたが、喉が渇ききって言葉が出なかった。


「水が欲しいですか?」


 商人は嫌らしい笑みを浮かべ、私の目の前で木製の水筒から水を飲む。渇きが刺激され、気が狂いそうになった。


 私は商人を睨み付け、襲いかかろうとするが渇ききった私にそんな力はなかった。その様子を見て嫌らしい笑みを浮かべた商人は言った。


「靴が汚れてしまいましてね、綺麗にしてくれればこの水を差し上げますよ」


 私は屈辱に耐え、綺麗な布をポケットから取り出すと、靴を拭こうとした。


「違います、舌で綺麗にしてください。貴方の舌でね」


 商人はそう言った。そして私は思い知った。飢えと渇きの前では自尊心など消し飛んでしまうのだと。


 私は自尊心と引き換えに水を手にし、生きて小国家群へとたどり着いた。


 船の上であのまま渇き果て、死んでいれば楽だったのかもしれない。だけど生き残った。自尊心と引き換えに生き長らえたのだ。


 安易な死を選ぶことなど私にはできなかった。


 小国家群にたどり着いた私は、再び絶望にみまわれた。まともな職に就くことができなかった。


 メガド帝国で言われていた通り、小国家群は最低の場所だった。まともな職には身元が確かな人間しか働けない。


 メガド帝国でもそれは同じだが、小国家群ではそれが極端なのだ。犯罪者が多い小国家群では、身元が確かな人間以外を雇うリスクが高い。


 金を持ち逃げされたり、酷いと一家皆殺しにされ金を奪われる。


 それを防ぐために、小さな頃から知っている人物や両親の所在がはっきりしている人物。つまり、犯罪行為の責任を取らせられる人物がいる状態じゃないと、仕事に就けないのだ。


 私がどれだけ、自分の能力を示しても誰も採用してくれなかった。金を盗まれてから、食料を食べていない私は進退窮まり、最底辺の職に就いた。


 私が官僚時代に蔑んでいた、平民の底辺。冒険者に。




 仕事にあぶれた人間の受け皿であり、平民の底辺と呼ばれている冒険者。


 その仕事に就くしかなかった私は、武器を買う金もなく、薬草採取などの仕事でなんとか命を繋いでいた。


 水場でモンスターに出会い、命からがら逃げ出したこともある。薬草が見つからず、食事を取れなかったこともある。


 底辺から抜け出すどころか、日々の暮らしさえ満足に過ごせない日々。


 徐々に心と体を削られ、このまま惨めに死んでいくのか……。そう思っていた。だけど、地獄には底がないと思い知らされた。


 ある日。私が文字を書け、計算ができると知った冒険者パーティーに目を付けられた。彼らは学がないため、商人や依頼者にいいように搾取されていた。


 そこで私をパーティーに迎え入れ、交渉事などを担当させようとしたのだ。最初は良くしてくれた。だが、私に戦う力がないとわかった途端、彼らは豹変した。


 そして、私は奴隷のように扱われた。


 報酬はすずめの涙ほど。命がけで囮をやらされ、気まぐれに殴られ、罵声を浴びせられる。そんな日々が1年以上続いた。


 ある日、いつものように依頼を終わらせたパーティーが、酒場で盛り上がっていた。そして酔った一人が私に頭からエールを掛けた。


 このぐらいの嫌がらせはいつものことだった。なぜかその日は我慢ができなかった。色々な意味で限界だったのだろう。


 私は初めて人を殴った。今思うと、腑抜けたパンチだった。油断していた相手はまともにくらい、椅子から倒れた。


 殴られた男は怒り狂っていたが、両方の鼻の穴から鼻血が出ており、それが可笑しくて笑ってしまった。


 そのまま店外に連れ出された私は、パーティー全員に袋叩きにされた。いつもは殴られても痛いと感じるだけだった。


 なぜか今日は、殴られるたびに悔しさがこみ上げた。


「チッ、雑魚のくせにやさしくしてやりゃ付け上がりやがって」

「私がいなければ、まともな計算もできない馬鹿なだけあって、理解力が乏しいようだな。あの扱いのどこが優しいというのだ? 言葉の意味すらまともに理解していないのかね?」


 暴力では勝てない。私は言葉で反撃をした。


「てめぇ」


 男は腰に挿してあるナイフを抜こうとする。


「待てよ」

「あぁ? 止めんじゃねぇ! こいつはぶっ殺す」

「勘違いすんな、殺すのはいい。だけど、その前に楽しませろよ」

「かぁー、相変わらず変態だねぇ」

「うるせぇ。コイツ、よく見ると綺麗な顔してんだよ」


 男たちの会話を聞いて私は絶望した。そこまで私の自尊心を踏みにじるのか。それだけは、それだけは止めてくれ。


 私は必死で叫びながら暴れる。しかし、男たちに押さえつけられ、ズボンと下着を下ろされてしまう。


「可愛がってやるよ、お嬢ちゃん」


 そう言って、男が私にのしかかろうとした。その時だった。


「ピーピーうるせぇぞごらああああああ」


 ビリビリと空気が震えるような大声で誰かが叫んだ。うつぶせに押さえつけられていた私は、その声の主の姿が見えなかった。


「あぁん。てめぇの声の方がよっぽどうるせぇだろう、ぐべ」

「何しやがるてめぇ! おら、ぐごおお」


 私を押さえつけていた男たちは手を離し、声の主へと向かっていく。拘束を解かれた私は振り返り、その声の主を見た。


 つるつるの頭。周りの男たちより1回りも2回りもでかい体。筋骨隆々な肉体。私は今まで、こんな体躯の男を見たことがなかった。


 巨大な男は、圧倒的な力で私を押さえつけていた男たちを殴り倒していた。ハンマーのような拳が振るわれるたびに男たちは吹き飛び、動かなくなった。


 私を暴力で支配していた男たちは、たった一人に蹴散らされてしまった。圧倒的な暴力。私はしばらく唖然として見ていると、大男は倒れている男たち全員に止めを刺しだした。


 人の命を奪うことに対してなんの躊躇ちゅうちょも無く、枯れ枝を踏み折るようにポキリと首を踏み折る。そして、死体の懐をあさり金目の物を回収してく。


 金目の物を回収すると、男は私に近寄ってきた。近くで見るとすごい圧力だった。私は圧倒され、声が出なかった。


「おう、にいちゃん。大丈夫か?」

「え? あっはい、大丈夫です。助けていただいてありがとうございます」


 男はひどく酒臭かった。相当な量の酒を飲んでいるらしい。


「にいちゃん、あいつらの宿の場所しってっか?」

「はい、知っています。どうしたんですか?」

「あいつら冒険者だろ? 死人に装備があっても無駄だからな。俺様がゆうきょうかつよう? ってやつをしてやろうと思ってな」


 有効活用のことだろうか? 男はそういうとニヤっと笑った。


「助けていただいた御礼に、ご案内します」

「おう、わりぃなにいちゃん」

「私はアルブレヒトと言います」

「あれぶれふと? あらぶらひと?」


 どうやらメガド帝国の名前になじみが無く、うまく発音できないらしい。


「アルと呼んでください」


 私はそう言うと右手を差し出した。


「俺様の名前はゴンズ。よろしくな」


 握られた右手が砕けたかと思った。馬鹿力とはこの男のために存在する言葉なのだろう。


 これがゴンズとの出会いだった。

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