激闘の果に
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
自分が
世界は速度を取り戻し、激痛が俺を襲う。
俺は前に出て、拳に頭突きするように頭で拳を受ける。
頭から流れた血が、左目の視界を塞いでいた。
出血で左目の視界を塞がれた俺は、気配察知の範囲を狭め、自分の周囲に集中することで精度を上げる。
範囲を狭めたことで、遠距離攻撃への反応が遅れる。飛び道具で攻撃されたら、まずいかもしれない。しかし、今は目の前の相手に集中したほうがいい。
頭に強い衝撃が加わったせいで軽い脳震盪を起こしたのか、足元が定まらない。回復するまで時間を掛けたいが、出血しているので長くは戦えない。
ジレンマを感じながらホブゴブリンを見ると、拳の痛みから復活していた。強い意志を感じさせる瞳が、こちらを睨んでいる。
ホブゴブリンは拳を破壊された動揺から、わずか数秒で立ち直っていた。
生物は痛みに弱い。
どれだけ覚悟を決めていても、痛みを完全に無視はできない。だから痛みを想像し、苦痛に耐える心の準備をする。
強い精神力を持つ者が、心の準備をしてやっと抑え込めるのが痛みだ。心の準備ができていない攻撃はキツイ。
ボクサーに『一番効くパンチはどんなパンチですか?』と質問すると、多くのボクサーが見えていないパンチ、予測していないパンチと答える。
心が攻撃を受ける覚悟をしていない状態だと、生物は極端に脆くなる。それは痛みに対してもだ。
ホブゴブリンは俺の回避方向を誘導、ガードを破壊してがら空きの顔面に止めの一撃を放った。反撃など、まして激痛などまったく予想していなかったはずだ。
拳を頭の固い部分で受け止める。ベアナックル時代のボクサーは当たり前の技術として持っていた技術だ。
グローブをはめる現代ボクシングでも、パンチを頭でガードされて拳を痛めるボクサーは多い。当然、空手にもある防御技術だ。
だが、この世界にはそんな技術は無いはず。
ましてや、一部の冒険者ぐらいしか人間と戦ったことがないホブゴブリンは、まったく想像もしていなかった行動だと思う。
勝利を確信した瞬間、自分の拳が砕けている。
圧倒的驚愕。慮外の激痛。精神的動揺と痛みで、普通はまともに動けない。それを僅か数秒で立て直した。同じことが自分にできるだろうか?
ゴンズクラスのフィジカル。優れた戦闘センス。そんな物より、こいつの精神力が恐ろしい。
出血したからだろうか、軽い脳震盪を起こしたからだろうか、ホブゴブリンの気迫に押されたのだろうか。おそらくはその全て。
体が震えていた、これは恐怖か? 飲まれるな、恐怖は悪いことじゃない。生きたいと思ってる証拠だ。まだ生きたいから怖いのだ、俺は生きようとしている。
ならば恐怖に飲まれて震えている場合じゃない。呼吸を整えろ、酸素を廻らせろ。ダメージを早く回復させるんだ。
ネガティブな心を無理やりポジティブに持っていく。自分を
ダメージや恐怖を悟られないように、ホブゴブリンを強く睨みつける。お互いの視線がぶつかる。体感時間が引き伸ばされ、長い睨み合いに感じられた。
視線がぶつかったのは、おそらく一瞬。引き伸ばされた時間が、一瞬をとても長く濃密な時間へと変える。睨み合いが終わり、ホブゴブリンが距離を詰める。
「うごおおおおお」
ホブゴブリンが、雄叫びをあげながら殴りかかってくる。
砕けた方の拳で。
お前ならそうするだろうと思ったよ。俺は動揺せず、冷静に攻撃を受け流す。
クソ、下半身の踏ん張りが利かない。体が流れる。このままだと押し切られちまう。反撃をしなくては。
ホブゴブリンの攻撃が止まらない。反撃どころではない。徐々にさばき切れなくなり、肩などに攻撃がかするようになった。
砕けた肩に攻撃が当たると激痛が走る。痛みで反応が遅れて、攻撃をさばききれなくなる。
悪循環に陥り、俺の動きはどんどん悪くなった。砕けた肩をかばい過ぎて、怪我をしていない方の防御がおろそかになった。
怪我をしていない方の肩に、まともに攻撃が当たり体が流れる。まずい! そう思った瞬間、体が動いていた。
肩を叩かれ流れた体の勢いそのままに、クルンと上半身を捻って1回転させ、バックハンドブローを放つ。
回転系の技が嫌いな俺が、唯一得意としている回転系の技。グローブをはめていないので、脆い手の甲ではなく鉄槌で放つ。
全身のバネと遠心力で加速した鉄槌の速度に腕が悲鳴を上げ、ビリッと痺れる。
自分の体にダメージが来るほどの強烈な加速を伴った鉄槌が、ホブゴブリンの頬にめり込んだ。
体勢を崩しながら無理やり放った。そのせいで急所には当たらなかったが、加速した鉄槌はホブゴブリンの頬に減り込み奥歯を砕く。
ホブゴブリンはグラリとバランスを崩すが、すぐに立て直す。俺はその隙をついてホブゴブリンに接近すると、胸に指先を当てた。
ホブゴブリンは当てられた指先にダメージを感じず、噛み付き攻撃を仕掛けてくる。
俺はホブゴブリンの胸に指先を当てたまま、後ろ足で地面を蹴る。前足でブレーキを掛け、体重移動をさせながら、上半身へとエネルギーを伝える。
関節を連動させ、普通に突きを放つように体を動かす。拳を握り、胸に押し付けるように拳を突き刺した。
ワンインチパンチと呼ばれる技だ。
メキリと拳が胸にめり込み、衝撃が心臓を突き抜ける。強引に噛み付きに来たホブゴブリンの動きが、一瞬止まった。
動きの止まったホブゴブリンの両目に指を突き立てる。胸の拳を2本貫手に変え、ズブリと動きの止まったホブゴブリンの眼球へ押し込んだ。
眼球を破壊されたホブゴブリンが悲鳴を上げる間もなく、金的に向かって出された蹴りが、ホブゴブリンの睾丸を潰す。
前かがみになったホブゴブリン。がら空きの延髄めがけてハイキックを放つ。
スナップを利かせた空手の上段回し蹴りではなく、後ろから回りこむように、大外回りで遠心力を掛けた威力重視の叩き付けるようなハイキック。
脚のスネが延髄に減り込み、運動エネルギーが伝わり終わる寸前に脚を振り切った。糸が切れた操り人形のようにホブゴブリンは倒れた。
目と睾丸を潰された。そんな状態でもホブゴブリンは体を動かそうともがいていた。
心が、魂が、戦うことを諦めていなかった。
俺はホブゴブリンに近づいていく。言葉の意味は伝わらないだろう、それでも俺はホブゴブリンに話しかけた。
「今まで戦った相手の中でお前が一番強かった。フィジカルも戦闘センスも、そして何より心が強かった。お前は本物の戦士だ、心の底から尊敬する。お前は強かった。お前は怖かった。お前のことは一生忘れない」
俺はホブゴブリンの頭を、踵で踏み砕く。
心に去来した思いは、悲しみでもなく、激闘を制した達成感でもない。名も知らぬ戦士に対する尊敬だけだった。
用語解説
バックハンドブロー
1回転しながら裏拳を放つ技。
一歩前進してから打つ。軸足を軸に駒のようにして、足と体を回転させながら打つ。などなど、様々なバリエーションがある。
野人は下半身を固定したまま上半身だけ回転させ、相手を目視してから貯めていたエネルギーを開放するように裏拳を放つ。
手の甲はもろいため、グローブを付けていない場合は裏拳ではなく鉄槌で放つ。
バックスピンキックと後ろ回し蹴りを途中まで全く同じモーションで放てるため、フェイント効果もある。
ただ、上半身の回転を先に行うため技の出が遅くなるデメリットがある。
それが野人式バックハンドブロー! キリッ。
ワンインチパンチ
拳と相手との距離がわずか1インチ(2.54センチメートル)しか離れていない状態で打つパンチ。
1インチという距離は、あくまで近いという表現。相手に拳が触れているほどの超至近距離の事。
技自体は意外と簡単であり、打撃系格闘技を経験した人間なら簡単に再現できると思う。
多くの創作物で誇張表現がされており、現実離れした威力だと勘違いされている。
威力的には普通に殴る5・6割ぐらいの威力しかない。
もちろん、威力は習熟度によって上下する。
6割といっても、鍛えている人間の6割は強力。
急所に入れば、戦いの決定打になりうる技だといえる。